黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「核密約」、あるいは権力の狡猾さについて

2010-03-10 09:09:56 | 近況
 昨夜のテレビニュースに始まって今朝の新聞各紙は、その1面に外務省が「有識者」に依頼して調査していた「核密約」に関する報告書に関する報道で埋まっていて、それを見たり読んだりした限りにおいて、「報告書」は国民(僕)が予想した範囲を出るものではなく、その意味では、少々期待はずれであった。もっと「爆弾情報」のようなものが出るのではないか、とも期待していたのである。
 そもそも、この「核密約」問題は日本が「国是」としてきた「非核三原則」の一つ「持ち込ませず」に関して、アメリカの艦船や航空機が核を搭載して日本の港や基地に立ち寄ることを認めるか否か、について「密約」があったかどうかというものであった。またそれは、アメリカ(西側)がソ連や中国(東側)と敵対関係にあった「冷戦構造」下の、「冷戦」といえども「戦争」状態にあった時代の「アメリカに従属する日本」の現実がもたらしたものであった。具体的に言えば、1960年代の後半、ベトナム戦争が激化するに伴って原子力潜水艦が横須賀や佐世保に寄港し、三沢や岩国、沖縄(嘉手納)などの米軍基地から直接ベトナム攻撃のために航空機が飛び立っていくようになったが、まさに「冷戦」構造の産物であるベトナム戦争において、一方の戦争当事者であったアメリカ(軍)が、日本が「非核三原則」を掲げていたからといって、原潜や原子力空母、あるいは航空機に搭載していた「核弾頭=核兵器」をいちいち取り外すはずはなく、「事前協議」がなかったから「核兵器は持ち込んでいない」という政府(自民党)の説明は、「現実」は密約に基づき核兵器を「持ち込ませる」ものであったが、「非核三原則の堅守」という「幻想」を語ることによって、「あることもないことにしよう」とする姑息な手段だったのである。
 つまり、国民の多くは「非核三原則」が「幻想」であると知りながら、「本当のこと=現実」を知りたくないが故に、政府の「非核三原則は堅守している」という言葉にすがって、現在をやり過ごそうとしていたのである。僕が大学に入った1965年、学生運動の最大の対象は「原潜寄港反対・阻止」であった。被爆国日本に「核」が「持ち込まれる」ことに学生たち(学生だけでなく、当時青年労働者を組織していた「反戦青年委員会」や当時の「総評」(現在の「連合」)など)は反撥し、各地で集会やデモを行っていた。僕も、1年生でありその意味を深く知ることはなかったが、子供の頃から育まれていた「反核」意識に基づいてデモや集会に参加していたのである。
 友人がパスポートを持って上陸していた復帰前の沖縄から、極東最大の米軍基地嘉手納には、どうも「核兵器貯蔵庫」があるらしい、との報告などもあり、僕の中でアメリカ軍が日本に核兵器を「持ち込んでいる」のは当たり前のこととしてあった。
 長じて、「原爆文学」や「核問題」についていろいろな文献を読み、実際に見聞したりするようになり、若い頃は直感的であった「核の持ち込み」の現実について、それは「実際のこと」であると確信するようになった。国民の大多数は僕と同じように思っていたのではないか、思う。テレビや新聞が大騒ぎしながら報道しても、このニュースに対して国民は「冷めた」感じだなと思われるのも、それは「既知」のものだったからではなかったか。今「核」に関して問題なのは、北朝鮮の「核疑惑」や肥大化する中国の国防費との関連で、日本も「核武装すべきである」という政治家や論客が存在することに他ならない。彼らの存在こそ、「権力」を握ったら「ファッショ=全体主義的」な政治を行い、日本を再び「破滅」へと導くもので、問題にすべきことだと思う。
 普天間基地の移転問題がデッドロックに乗り上げているように見えるのも、今度の「核密約」と同じように、戦後65年、日本が「経済」の面ではいざ知らず、「政治・外交」の面ではアメリカに追随してきた(日本をアメリカの「54番目の州」と揶揄する人もいる)ことの現れであり、「対等な関係」を求める民主党政権に対するアメリカ側の「揺さぶり」でもあるのである。ちょっと考えてみれば、現在の軍事力(兵器をはじめとして艦船や航空機の能力)を持ってすれば、いざ有事の際に嘉手納基地を抱える沖縄から出撃するのと、例えばグアムやサイパンから出撃するのと、大差はないのではないか、と素人は考える。それよりもアメリカ軍が沖縄に居座ろうとしているのは、毎年毎年日本政府から支出される莫大な「思いやり予算」を宛にしているからではないか、と邪推したくなる。
 ともあれ、これを機会に本当に「非核三原則」は遵守され、「核廃絶」に向けて日本は精力的に行動を起こすことができるのか、底が問われているのではないか、と思う。