黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「立松和平を偲ぶ会」について

2010-03-19 05:46:09 | 文学
 すでにお知らせしたことですが、来る3月27日(土)午後2時~、東京青山葬儀場(地下鉄千代田線乃木坂駅徒歩3分)にて「立松和平を偲ぶ会」が開催される。古くからの友人や関係者が実行委員(委員長:北方謙三)となって遺族と相談しながら企画・準備してきたものだが、「偲ぶ会」が近づくにつれて、改めて立松和平の新作がもう読めないのだという悲しい思いとともに、立松の急逝を惜しむ人々がいかに多いか痛感している。
 「偲ぶ会」には、参会してくれた人に記念品として各界・各層から寄せられた「思い出」や「お別れの言葉」(最長800字)『流れる水は先を争わず―立松和平追想集』(タイトルは、立松が色紙などに好んで描いた言葉で、立松の筆跡をそのまま使っている。64人が寄稿・100ページ余り)に持って帰っていただくことになっているが、その北方謙三以下の寄せられた文章を読むと、立松が多くの人(多彩な分野の人)から如何に愛されていた作家であるか、がわかる。「社会派の作家」などと書くと、立松は苦笑いしながら「そんなこと言うなよ」と言うのではないかと思うが、「時代とともに」あった作家にふさわしく、北は北海道知床で立松と一緒に毘沙門堂を建立した人から、南は沖縄の文学者(大城立裕・高良勉)まで、数多くの人が立松の急逝を心から惜しむ文章を寄せている。
 当日はどのくらいの人が参会してくれるのか、予想もつかないが、実行委員の一人として「偲ぶ会」が滞りなく進むことだけを今は願うばかりである。
 なお、それとは別に、立松の新刊(エッセイ集)『遊行日記』(勉誠出版刊)が1週間ほど前に刊行されたが、版元から依頼され急遽「解説」を書いた者から言わせてもらうと、生前の立松が刊行を強く望んでいただけあって(そうであるが故に、余計そのように思うのかもしれないが)、ここに収められた文章の多くが、僕には立松の「遺言」のように思えてならなかった。言い方を換えれば、立松の家族をはじめとする人間存在そのものに対する限りない「愛=全肯定の思想」がこの本の中には書かれており、僕にはそれが立松の「最後のメッセージ」のように思えてならなかった、ということである。
 これは、最新の小説2冊『寒紅の色』(北國新聞社刊)・『人生のいちばん美しい場所で』(東京書籍刊)にも言えることで、読みながら思わず「和平さんよ、人間に対してこんなに優しくなっちゃって、いいの」と言いたくなるような作品に仕上がっていた。最初読んだときは、立松も「老境」に入ったのかなとも思ったのだが、立松が最後にたどりついた「ブッダの思想」とも言うべき「全肯定の思想」がこの2作で実践されている、と思わざるを得なかった。読んで決して損をしたと思わない本である。

 さて、3月14日のNHK・FM放送「トーキング ウイズ松尾堂」をお聞きくださった方々、ありがとうございました。僕も半分耳をふさぎながら聞いたのですが、ある人から所々「群馬弁(上州弁)」が混ざっていておもしろかった、と言われ、大江さんと長時間話すというので緊張したせいかな、と苦笑いしてしまいました。ただ、大江さんの文学や新作の『水死』については、ぼくの思うところを話せて、僕としては満足してます。