黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

謹賀新年

2009-01-01 07:55:22 | 近況
 明けましておめでとうございます。

 1月1日、2009年が明けました。皆さん、お元気ですか。
 さて、昨年9月20日に記事を書いて以来、3ヶ月余り、2つの理由でこのブログを主観的には閉じていましたが、今日から「再開」します。
 理由は、ブログを「閉じる」原因の1つであった「多忙」が幾分か解消され、毎日ではないが「日記=ブログ」を書ける余裕がうまれてきたからです。それと、これは未だ自分の内部では十分に処理できているとは思わないのですが、「ブログ」というメディアを中心としたネット社会(情報化社会)に対して、僕なりの考えがある程度固まってきたということがあります―このことについては、「捕らぬ狸の皮算用」的な言い方しかできませんが、今年中に書き上げなければならない「ネット上の文学」(仮題)の中で言及したいと考えています―。
 そこで、「再開」するに当たって、もう一度「原則」を確認しておきたいと思います。まず、このブログの主宰者は、もちろん僕なので、僕は僕の意見や考え方を自由に書くが、その僕の意見や考え方に対する「コメント」に対しては、「悪意」が感じられ、かつ「匿名」の場合、「応接」しないことにします。僕が昨年の3ヶ月余りの「沈黙中」に学んだことは、どのような「善意」も、「獲物」を捜しているネット小僧たちには通用せず、応接するほど「つけあがって」こちらが消耗するのを待ち、「沈黙」すれば(おそらく)密かに自分は「勝利した」と思って祝杯でも挙げているのではないか、ということです。彼らに「真摯さ」というものが感じられない以上、僕が沈黙しているときに「無視すべし」とアドバイスしてくれた何人かの知り合いに従って、まともに相手にする必要がないのではないか、と僕は思っています。
 また、しかし、このブログを志を同じくする者の「梁山泊」のようなものにしたいという思いは変わらないので、是非ともこのブログが散在する者の「意見交換」の場になればいいな、と思っています。この場合、それぞれ事情のある人もいると思いますので、「匿名」でも可です。ネット小僧たちは、「無原則だ」と言うかも知れませんが、何を言われようと、その点に関しては僕が勝手に判断します(何しろ、このブログの主宰者は、僕なのですから)。
 以上の2点を「原則」として、「再開」しますが、今日は年頭なので、今年の僕の仕事についてお知らせします。
 まず、刊行物ですが、
①「増補 三浦綾子論―生きることと愛することの意味」(柏艪社)が1月中に(もしかしたら、2月に)出ます。これは、1994年に小学館から刊行されたものに、その後に雑誌などに書いた「三浦綾子」関係の文章を130枚(400字詰め)ほど加えて成ったものです。装幀は司修さんにお願いし、素敵な本になりました。非キリスト者が書いた「三浦綾子論」としてはかなり有効な論が展開していると自負しています。
②「村上龍論」(勉誠出版)が今年の上半期に出ます(現在執筆中で、秋から忙しかった最大の理由です。まだ書き終わりません。1月中には終わりたいと思っているのですが)。内容については、全く新しい村上龍像が提出できるのではないかと思っています。
③「書評集」(同)、ほとんど準備は整っているのですが、他の著作者の「書評集」と一緒に出すので、他の人待ちになっています。300冊余りの本の書評が載ります。
④「立松和平全小説」(30巻 責任編集)の全巻解説を書きます。刊行は連休明けぐらいになりますが、どのような形で刊行するか、版元との詰めが残っています。毎月1巻、3年ぐらい掛けて出すか、第1期10冊、第2期10冊、という具合に出すか、思案中です。
⑤「ネット上の文学」(仮題)、先に書いたものと同じですが、いつ着手できるか、夏休みになるかも知れません。
 以上ですが、よろしくお願いいたします。
 改めて、読者のみなさん、よいお年をお迎えください。