黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

批評(批判的精神)の衰退

2007-03-25 11:27:10 | 近況
 統一地方選挙の報道が過熱するようになってから、ずっと気になって仕方がなかったのは、なぜ人は政治家を目指すのかということであり、「無党派層」とか「政党支持なし層」とかいうものの存在についてである。前者についていえば、「戦後レジームからの脱却」などという歴史から何も学ばない空疎なスローガンを掲げている総理大臣の存在が象徴するように、あるいは「オリンピックを招致して、国民を元気づけたい」という大きなお世話的な言葉を吐く都知事が体現しているように、どうも「政治」の世界から現状(現実)を批判して人々をより「豊か」(経済的にも精神的にも)にする「理想」が消滅しているように思えてならない。
 現実追随主義という名の「ニヒリズム」が蔓延している世相を反映しているのかもしれないが、批評・批判が衰退した世界は、早晩頽廃と堕落が横行するようになる(今もそうなのかもしれない)。なぜ、「ワーキングプアー」と呼ばれる人々や、低賃金で働かされている「フリーター」(派遣・契約社員)と呼ばれる人たちは、この現実を批判しないのか。あるいは、それらの予備群でもある学生たちは声を上げないのか。
 たぶん、このような現実と連動しているのだろうが、「無党派層」と呼ばれる人たちの「無責任さ」もまた、問題にしなければならない。既成政党に魅力がないというのは理解できるが、だからと言って、「権力」に阿るような(無批判な)態度は、彼らもまた「理想」を失った結果としか思われない。例えば、先日ある新聞に出ていた都知事選の傾向で、あの「ババー発言」を行った石原慎太郎を女性(特に中年女性)が支持しているというのである。思わず、あなたたちはマゾか、と言いたくなってしまった。「作家」だというのに、都立図書館を縮小したり、都立病院を「統合」の名で縮小したりする、「強者」が大好きな石原慎太郎、オリンピックよりも墨田川河畔や多摩川の河川敷に増える青テントの住人に対する対策(強権的なものではない)のほうが大切だと思うのは、「弱者」の僻みか?
 ともあれ、統一地方選はいい機会である。今一度、冷静になって「想像力」を働かせ、自らの持つ「批評力」を発揮する必要なあるのではないか、と思う。