日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

崇神天皇の宮・磯城瑞籬宮跡(2015春彼岸奈良弾丸ツアーA)

2015-07-13 01:56:09 | 旅行
昨日今日ととんでもない暑さになりましたが、ここではやっと3月のお彼岸の頃の出来事を紹介するところです。

ちなみに、今週末から奈良へスクーリングに参ります。京都に前泊することにしたら、たまたま祇園祭の山鉾巡行の日に当たったようなので、それも見たいと思っています。近畿地方の暑さに負けず、立ち向かっていかなければ。と気合いを入れながらも戦々恐々としています。

3月21日に奈良日帰り弾丸ツアーを決行し、二上山に沈む夕日の写真をこのブログでもご紹介しました。その時のことを写真と共にもう少しご紹介します。

その旅は、要はいわゆる「山の辺の道」に沿ったもので、駅から離れた場所も回りたいし、かといって、東京から日帰りだしゆっくり歩いて回る余裕はない、ということで、桜井駅のレンタサイクルを利用することにしました。私が旅先で、一人でレンタサイクルを使うのは2回目。20年以上前に、自転車で飛鳥の遺跡を見て回りました。

お彼岸の奈良地方は、本当にうららかで、自転車をこぎ出した時の気分は最高でした。



三輪山を左手に見ながら、まず海柘榴市(これで「つばいち」と読みます)を通過しました。大和川(初瀬川)のほとりにある、古代(7世紀頃)の「市」です。男女が集って「歌垣」なども催された場所です。



その近くに、「仏教伝来の地」の碑があります。





欽明天皇の時代、百済の使者がここから上陸して、仏教の経典などを携えて、天皇のいる磯城嶋金刺宮に向かったとのことです。
桜の季節にはもっと美しい場所かもしれません。

そこからさらに、崇神天皇の宮があったとされる場所、今では志貴御縣坐神社(しきのみあがたにますじんじゃ)のある場所に向かいました。坂道が結構きつかったです。
山の辺の道を歩く人もちらほら見かけました。大人数ではありません。



崇神天皇の、磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)の跡とされるその神社付近は、高台にあります。山の中腹といったらいいのか。





自転車を停めて、鳥居から入って行くと、神社の境内には、誰も人はなく、がらんとした空間が広がっていました。山の辺の道を歩く人達も、この神社にはあまり興味はないらしく、ただ通過していきます。

実在した最も古い天皇と考えられている崇神天皇の宮の跡ということですが、それほど広くはありません。もし本当にそうだとしたら・・・と、静寂の中で一人、崇神天皇に思いをはせました。
この地のもう少し下の方に、天理教会があって、そのあたりが宮であったという話もあります。

そもそもこの旅は、春分の日に、大和朝廷発祥の磯城瑞籬宮跡から二上山に沈む夕日が見られるということを確認したかったがためのものでした。
前回の記事で同じようなことを書いているのでそちらを参照してください。
見晴らしがあまりよくないので、結局そこから日没を見ることはやめたのですが。
古代の昔はもっと見晴らしがよかったのでしょうか。

いずれにせよ、崇拝天皇の磯城瑞籬宮跡とされる場所は、今ではあまり人が訪れることのない場所として、ひっそりと静まりかえっていました。

今日はこのへんで。