ドコモの地域情報のページで、奈良でアクセスの多いブログというのに取り上げられていたせいか、そこからいらっしゃる方がちらほらいて、それなのに、その期間、あまり奈良と関係のない記事(卒論)がトップ記事のままで恐縮です。
再び、奈良県・天理市の石上神宮について、さらに書きます。
この神社の神事で興味深いのが、11月22日に行われる、鎮魂祭(石上神宮HPでは「ちんこんさい」ですが「たましずめのまつり」ともいう)です。
鎮魂祭を行っているのは、石上神宮の他には、皇居(宮中)と、物部神社(島根県・石見一宮)、彌彦神社(新潟県・越後一宮)だけのようです。
物部神社のHPによると、
「この鎮魂祭を古くから伝承し斎行しています神社は奈良県石上神宮(物部の鎮魂法)・新潟県弥彦神社(中臣の鎮魂法)・島根県物部神社(物部・猿女の鎮魂法)の三社です。特に物部神社の鎮魂祭は宮中において斎行される鎮魂祭に最も近いものです。」
とのこと。
以下はWikipediaからの引用で恐縮ですが、鎮魂祭の概要はこのようなものです。
「宮中で新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式である。宮中三殿に近い綾綺殿にて行われる。一般的ではないものの、宮中と同日に行われている石上神宮や、彌彦神社や物部神社など、各地の神社でも行われる例もある(うち彌彦神社は年二回)。天皇に対して行う場合には「みたましずめ」「みたまふり」と言う。鎮魂祭はかつては旧暦11月の2度目の寅の日に行われていた(太陽暦導入後は11月22日)。この日は太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期であり、太陽神アマテラスの子孫であるとされる天皇の魂の活力を高めるために行われた儀式と考えられる。また、新嘗祭(または大嘗祭)という重大な祭事に臨む天皇の霊を強化する祭でもある。第二次世界大戦以後は皇后や皇太子夫妻に対しても行われている。」
原田常治『古代日本正史』(同志社 婦人生活社 1976)という本があります。著者は、学者ではなく、アマチュアですが、大胆な説を開示したこの本は、知る人ぞ知る存在です。論証が十分でなく、決めつけが激しいので、多分学者の世界からは無視されているのかもしれないのですが、全国を駆け回って本当に多くの神社・遺跡等を調査したものだと驚きます。その中に含まれる面白い発想や発見は、私には小気味よく感じられ、参考にはしたいと思っています。
おととし図書館で借りて読んだのですが、今、検索するとなぜか「貸出不可」になっています。当時すでに多くの人に読まれてぼろぼろだったので、それがさらにひどくなって、貸し出せなくなったのでしょうか。
そのため、手元にないので読書メモなどを参考にしながら書くと、内容的に強烈なのは、現在の多くの神社の祭神が書き換えられているので、それを元に戻せという主張です。特に、ニギハヤヒを祀っていた神社が、今ではアマテラスなどを祀る神社に書き換えられているというパターンが多いです。
それについてはここでは触れないとして、今、石上神宮の話題ですから、そこに絞ります。『古代日本正史』を読んでいて、とても興味深く思ったのが、石上神宮の「鎮魂祭」を行う11月22日夜に、宮中(=皇居)でも同じく「鎮魂祭」を行っているという話です。
著者の原田さんは、宮内庁に電話して(笑)確認したそうですが、実際に11月22日の夜に行っているという回答があったそうです。
その時間が午後6時とのことで、ちょうど、私も、11月22日の午後6時「ぴったり」に生まれたので、なんだかすごく奇遇で、自分が生まれた日時に行われるこの神事に興味津々なのです。
石上神宮のHPによると、午後5時頃から関連の例祭が始まるようです。
以下、石上神宮HPから11月22日の鎮魂祭の流れについて引用してみます。
「当日午後5時、鎮魂にかかわりのある八神と大直日神(おおなびのかみ)を祀る天神社(てんじんじゃ)並びに七座社(ななざしゃ)の例祭が斎行されます。(※祝詞奏上などが行われ、これは午後5時30分すぎ終了)」
「宮司以下神職一同は本社拝殿に進み、鎮魂祭が斎行されます。祭典の内容は概ね玉の緒祭(2月1日実施 ※筆者ツツコワケ補注)と同じように進みます。」
「(前の方省略)・・・宮司の祝詞奏上の後、宮司・禰宜により招魂の儀が行われます。殿内及び周囲の照明が一斉に消され、殿内は結灯台のほの暗い明りだけとなります。
暗闇の中で、衣擦(きぬず)れの音と共に、呪言と鈴の音が微かに聞こえ、殿内に霊気が漲り神秘の世界となります。
御簾が巻き上げられると同時に点灯され、禰宜が十代物袋を取り付けた著鈴榊で参列者一同を祓います。
次に、宮司が玉串奉奠を行います。宮司に合わせて神職以下参列者一同が拝礼します。続いて神饌を撤し、宮司が柳筥に入った玉の緒と洗米を奉書に包み、神職2名を従えて本殿に納めます。最後に、宮司が幣殿の御簾を降ろし、殿内にて参列者に挨拶をして、午後7時前後に終了します。」
「この祭りは、饒速日命(にぎはやひのみこと)の子の宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が天璽瑞宝十種(あまつしるしのみづのたからとくさ・10種の神宝)で、瀛津(おきつ)鏡・邊津(へつ)鏡・八握(やつか)剣・生玉(いくたま)・足玉(たるたま)・死人玉(まかるがへしのたま)・道反玉(ちがへしのたま)・蛇比禮(へみのひれ)・蜂比禮(はちのひれ)・品物比禮(くさぐさのもののひれ)と鎮魂(たまふり)の神業とをもって、神武天皇と皇后の長久長寿を祈ったことに始まると伝えられています。
鎮魂の呪法には、猿女(さるめ)系・阿曇(あずみ)系・物部(もののべ)系などあり、当神宮は『先代旧事本紀』に記された物部氏伝来の鎮魂呪法で、宮廷の鎮魂祭にも取り入れられています。日常の生命力が衰微し枯渇する状態を克服するために、鎮魂(たまふり)がなされ、振り起された生命力に新たな力が宿ると考えた古代人の霊魂観の側面を窺うことができる神事です。」
(http://www.isonokami.jp/saiten/index.html)
「鎮魂」といっても、ここでは死者の鎮魂・レクイエム、という意味ではないのです。太陽の力が弱まるこの時期に、生きている天皇の、魂が元気になるように、振起するおまじないのようなものですね。
そのおまじないのような言葉にもひかれます。
またウィキペディアからで恐縮です。後でちゃんとした出典にかえたいと思いますが・・・
「布瑠の言(ふるのこと)とは、「ひふみ祓詞」・「ひふみ神言」ともいい、死者蘇生の言霊といわれる。
『先代旧事本紀』の記述によれば、
「一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部
(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」
と唱える「ひふみの祓詞」や十種神宝の名前を唱えながらこれらの品々を振り動かせば、死人さえ生き返るほどの呪力を発揮するという。」(wikipedia 十種神宝 より)
この「ふるべ ゆらゆらと ふるべ」という言葉、なにやら神秘的じゃありませんか。
それで、詳しいことは今日は省きますが、それを、まさに今日、この時間に、行っているのですね。
もうちょっと前に書こうかと思ったのですが、昨日までいろいろイベントがあって、やっとPCに向かう余裕ができたのが今なもので・・・
原田氏『古代日本正史』の文章をひくと、
「11月22日の夜、天理市のしゅうとをまつった石上神宮と、養子側の東京の皇居で、同じ鎮魂祭をやっている。神武が養子だったというこれほど確かな証拠はあるまい。」(p.442)
「しゅうと」とは、このばあい、ニギハヤヒになります。いきなりニギハヤヒが出てきてもさっぱりわからない人もいらっしゃると思いますが、今日のところは、説明は省略であしからず。
石上神宮のこの神事「鎮魂祭」には、一般の人も参列可能であるようなネット上の記事をかなり以前に見たことがあります。その後、今でも参加できるのかはわかりません。
でも、前回書いたように、チャボを抱かせてくれたり、若くて親切・フレンドリーな神職さんもいらっしゃったことだし、一般人にも開けた神社なのだろうと思います。
今、18時くらいです。ちょうど今、行われているのでしょうか。
可能ならば、一度参加してみたいですね。この不思議な言葉、本当に魂を元気にしてくれそうな響きを感じます。
やはりまだ終わることができないので、次回に続きます。
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再び、奈良県・天理市の石上神宮について、さらに書きます。
この神社の神事で興味深いのが、11月22日に行われる、鎮魂祭(石上神宮HPでは「ちんこんさい」ですが「たましずめのまつり」ともいう)です。
鎮魂祭を行っているのは、石上神宮の他には、皇居(宮中)と、物部神社(島根県・石見一宮)、彌彦神社(新潟県・越後一宮)だけのようです。
物部神社のHPによると、
「この鎮魂祭を古くから伝承し斎行しています神社は奈良県石上神宮(物部の鎮魂法)・新潟県弥彦神社(中臣の鎮魂法)・島根県物部神社(物部・猿女の鎮魂法)の三社です。特に物部神社の鎮魂祭は宮中において斎行される鎮魂祭に最も近いものです。」
とのこと。
以下はWikipediaからの引用で恐縮ですが、鎮魂祭の概要はこのようなものです。
「宮中で新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式である。宮中三殿に近い綾綺殿にて行われる。一般的ではないものの、宮中と同日に行われている石上神宮や、彌彦神社や物部神社など、各地の神社でも行われる例もある(うち彌彦神社は年二回)。天皇に対して行う場合には「みたましずめ」「みたまふり」と言う。鎮魂祭はかつては旧暦11月の2度目の寅の日に行われていた(太陽暦導入後は11月22日)。この日は太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期であり、太陽神アマテラスの子孫であるとされる天皇の魂の活力を高めるために行われた儀式と考えられる。また、新嘗祭(または大嘗祭)という重大な祭事に臨む天皇の霊を強化する祭でもある。第二次世界大戦以後は皇后や皇太子夫妻に対しても行われている。」
原田常治『古代日本正史』(同志社 婦人生活社 1976)という本があります。著者は、学者ではなく、アマチュアですが、大胆な説を開示したこの本は、知る人ぞ知る存在です。論証が十分でなく、決めつけが激しいので、多分学者の世界からは無視されているのかもしれないのですが、全国を駆け回って本当に多くの神社・遺跡等を調査したものだと驚きます。その中に含まれる面白い発想や発見は、私には小気味よく感じられ、参考にはしたいと思っています。
おととし図書館で借りて読んだのですが、今、検索するとなぜか「貸出不可」になっています。当時すでに多くの人に読まれてぼろぼろだったので、それがさらにひどくなって、貸し出せなくなったのでしょうか。
そのため、手元にないので読書メモなどを参考にしながら書くと、内容的に強烈なのは、現在の多くの神社の祭神が書き換えられているので、それを元に戻せという主張です。特に、ニギハヤヒを祀っていた神社が、今ではアマテラスなどを祀る神社に書き換えられているというパターンが多いです。
それについてはここでは触れないとして、今、石上神宮の話題ですから、そこに絞ります。『古代日本正史』を読んでいて、とても興味深く思ったのが、石上神宮の「鎮魂祭」を行う11月22日夜に、宮中(=皇居)でも同じく「鎮魂祭」を行っているという話です。
著者の原田さんは、宮内庁に電話して(笑)確認したそうですが、実際に11月22日の夜に行っているという回答があったそうです。
その時間が午後6時とのことで、ちょうど、私も、11月22日の午後6時「ぴったり」に生まれたので、なんだかすごく奇遇で、自分が生まれた日時に行われるこの神事に興味津々なのです。
石上神宮のHPによると、午後5時頃から関連の例祭が始まるようです。
以下、石上神宮HPから11月22日の鎮魂祭の流れについて引用してみます。
「当日午後5時、鎮魂にかかわりのある八神と大直日神(おおなびのかみ)を祀る天神社(てんじんじゃ)並びに七座社(ななざしゃ)の例祭が斎行されます。(※祝詞奏上などが行われ、これは午後5時30分すぎ終了)」
「宮司以下神職一同は本社拝殿に進み、鎮魂祭が斎行されます。祭典の内容は概ね玉の緒祭(2月1日実施 ※筆者ツツコワケ補注)と同じように進みます。」
「(前の方省略)・・・宮司の祝詞奏上の後、宮司・禰宜により招魂の儀が行われます。殿内及び周囲の照明が一斉に消され、殿内は結灯台のほの暗い明りだけとなります。
暗闇の中で、衣擦(きぬず)れの音と共に、呪言と鈴の音が微かに聞こえ、殿内に霊気が漲り神秘の世界となります。
御簾が巻き上げられると同時に点灯され、禰宜が十代物袋を取り付けた著鈴榊で参列者一同を祓います。
次に、宮司が玉串奉奠を行います。宮司に合わせて神職以下参列者一同が拝礼します。続いて神饌を撤し、宮司が柳筥に入った玉の緒と洗米を奉書に包み、神職2名を従えて本殿に納めます。最後に、宮司が幣殿の御簾を降ろし、殿内にて参列者に挨拶をして、午後7時前後に終了します。」
「この祭りは、饒速日命(にぎはやひのみこと)の子の宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が天璽瑞宝十種(あまつしるしのみづのたからとくさ・10種の神宝)で、瀛津(おきつ)鏡・邊津(へつ)鏡・八握(やつか)剣・生玉(いくたま)・足玉(たるたま)・死人玉(まかるがへしのたま)・道反玉(ちがへしのたま)・蛇比禮(へみのひれ)・蜂比禮(はちのひれ)・品物比禮(くさぐさのもののひれ)と鎮魂(たまふり)の神業とをもって、神武天皇と皇后の長久長寿を祈ったことに始まると伝えられています。
鎮魂の呪法には、猿女(さるめ)系・阿曇(あずみ)系・物部(もののべ)系などあり、当神宮は『先代旧事本紀』に記された物部氏伝来の鎮魂呪法で、宮廷の鎮魂祭にも取り入れられています。日常の生命力が衰微し枯渇する状態を克服するために、鎮魂(たまふり)がなされ、振り起された生命力に新たな力が宿ると考えた古代人の霊魂観の側面を窺うことができる神事です。」
(http://www.isonokami.jp/saiten/index.html)
「鎮魂」といっても、ここでは死者の鎮魂・レクイエム、という意味ではないのです。太陽の力が弱まるこの時期に、生きている天皇の、魂が元気になるように、振起するおまじないのようなものですね。
そのおまじないのような言葉にもひかれます。
またウィキペディアからで恐縮です。後でちゃんとした出典にかえたいと思いますが・・・
「布瑠の言(ふるのこと)とは、「ひふみ祓詞」・「ひふみ神言」ともいい、死者蘇生の言霊といわれる。
『先代旧事本紀』の記述によれば、
「一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部
(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」
と唱える「ひふみの祓詞」や十種神宝の名前を唱えながらこれらの品々を振り動かせば、死人さえ生き返るほどの呪力を発揮するという。」(wikipedia 十種神宝 より)
この「ふるべ ゆらゆらと ふるべ」という言葉、なにやら神秘的じゃありませんか。
それで、詳しいことは今日は省きますが、それを、まさに今日、この時間に、行っているのですね。
もうちょっと前に書こうかと思ったのですが、昨日までいろいろイベントがあって、やっとPCに向かう余裕ができたのが今なもので・・・
原田氏『古代日本正史』の文章をひくと、
「11月22日の夜、天理市のしゅうとをまつった石上神宮と、養子側の東京の皇居で、同じ鎮魂祭をやっている。神武が養子だったというこれほど確かな証拠はあるまい。」(p.442)
「しゅうと」とは、このばあい、ニギハヤヒになります。いきなりニギハヤヒが出てきてもさっぱりわからない人もいらっしゃると思いますが、今日のところは、説明は省略であしからず。
石上神宮のこの神事「鎮魂祭」には、一般の人も参列可能であるようなネット上の記事をかなり以前に見たことがあります。その後、今でも参加できるのかはわかりません。
でも、前回書いたように、チャボを抱かせてくれたり、若くて親切・フレンドリーな神職さんもいらっしゃったことだし、一般人にも開けた神社なのだろうと思います。
今、18時くらいです。ちょうど今、行われているのでしょうか。
可能ならば、一度参加してみたいですね。この不思議な言葉、本当に魂を元気にしてくれそうな響きを感じます。
やはりまだ終わることができないので、次回に続きます。
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