まろの公園ライフ

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訃報

2016年10月25日 | 日記

今月に入って訃報が相次いでいる。
直接は関係ない人だが
中には記憶の片隅に残っている人もいる。

ミスター・ラクビー平尾誠二。
とにかくカッコよくて何をやっても絵になる男だった。
そのラグビー人生は今さら説明するまでもない。
伏見工業高校で全国制覇、同志社大学では史上初の大学選手権三連覇。
神戸製鋼に入社後は日本選手権七連覇を達成。
まさに日本のラクビー史に残る司令塔(S・O)だった。

京都・岩倉にあった同志社大学のグランドで
一度だけ言葉を交わしたことがある。
何かのインタビューだったように思うが記憶に定かではない。
ちょうど30人ほどの部員がモールの練習中で
入り乱れてグランドを走り回っていたが
一目見て平尾がわかった。
すべての部員が彼の号令をを中心に有機的に動いていた。
それぐらい抜群の存在感で光っていた。
インタビューで何を聞いたかも忘れてしまったが
そのクレバーなプレースタイルと同様
何よりも「頭のいい人だなあ」が第一印象だった。
先輩でもありライバルでもあった新日鉄釜石の松尾雄治氏が
一目で「ものが違っていた」と言ったのも頷ける。

月並みな言い方だが・・・
日本のラグビー界はこれからが本当の正念場だけに
かけがえのない損失である。
もし平尾が生きていたらと、思う瞬間はこれから何度もあるだろう。
53歳の若さには送る言葉さえ見つからない。

日本を代表する女性登山家・田部井淳子さん。
私はこの人がテレビに出たりすると
条件反射のようにほのぼのとした気分になってしまう。
見るからに人のいい農家のおばちゃんである。
とても世界最高峰のエベレストを登頂した人には見えない。
最近の「山ガール」ブームを受けて
初心者向けの山歩き番組に出演されることも多かったが
人柄そのものの語り口で、随所にプロの登山家の経験が垣間見えて
ついついテレビに見入ってしまうのだった。
エベレスト登頂以来、一切のスポンサーを拒否して来られたのは
ある意味、登山家の矜持だったのだろうか。
余命数ヶ月と宣告されてからも
いつもと変わらぬ笑顔で登山を続けて来られたとか。
合掌。

俳優の平幹二郎氏が急死された。
すでに82歳のご高齢ではあったがお気そのもので
舞台もテレビも現在進行中であったと言う。
私は生来の「新劇嫌い」のせいか
舞台は数えるほどしか見ていないので語る資格がない。
大昔、大阪時代に近鉄劇場で見た「近松心中持物語」の忠兵衛役と
東京グローブ座の「テンペスト」の2本だけだ。
明瞭なセリフ回しと朗々とした声の響きが何よりも特徴で
どちらかと言えば陰影に富んだ悲劇がお得意だったような気がする。
映画やテレビ出演も数多く
人柄を感じさせる格調高い演技が魅力だった。
ご子息である平岳大さんも
独特の存在感を感じさせる俳優さんで声も父上にそっくり。
大化けするのではないかと思っているのだが・・・

演劇界の「巨星」がまた一つ消えてしまった。
寂しい限りである。