んなわけで、最近、あまりブログでの書き込みがアクティブじゃないので、
このブログを、どんな方が見ていらっしゃるか解らないけど、
おそらくこのブログを見ている皆さんが、あまり興味がないだろう、
そして自分もこれまで、それほど関心を寄せていなかったこんな人の、こんなニュース。
「東郷健さん死去 『雑民党』率い同性愛差別撤廃を訴える」(朝日新聞)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0425/TKY201204250637.html
東郷健氏が国政に参加しようとしていたのは、ちょうど自分が子供のころ。
自分の父親は、たぶんというか、おそらくというか、ほぼ絶対ゲイフォビアで、
東郷健氏の話が何かの拍子で出ると、キチガイ扱いで、大変、嫌ったのを覚えています。
自分の価値観と相容れないものを語る時の、嫌悪に満ちた父親の言葉や、その表情には、
子供のころから、随分と、嫌な思いをした気がします。
東郷健氏の、その政治主張をちゃんと聞いたことも理解したこともないけど、
少し過激な、左翼的な思想の持ち主でったことは
たまに話題になった政見放送や選挙公報などで、よく理解できました。
しかし、自分が同性愛者と自覚してからも、父親の影響もあり、どうも、個人的には好きになれない存在でした。
世の中は、当たり前ですが、
大多数の異性愛者の価値観をもとに、社会的な合意がされ、システムが形成されてきた中で、
どうせ、僕らのような異性愛者がガタガタ言ってどうこうしたところで、
そんなに大きく世の中は変えられないし変えちゃいけないと思うけれど、
気がつけば、時代は、いつのまにか、21世紀。
マツコ・デラックスのような、ただの色ものでない存在が、世の中から支持されたり、
区議会議員レベルから徐々にですが、同性愛者やトランスジェンダーの方が着実な政治活動に参画するようになって、
徐々にその僕らのような存在も、少し生きやすくなっているのかなと感じたりします。
そういう意味で、もしかして、東郷健氏は、60年代70年代80年代と、まだ世の中が寛容でない時代に、
異形であることで言いようがない生きづらさを感じる中、そのストレスを過激な主張に昇華して、
社会にナイフを突き付けていたのかな。そう思うと、少し、東郷健氏の気持ちが理解出来た気がしました。
久しぶりに、東郷氏の名前を聞き、昔の思い出や、昨今の同性愛者を取り巻く環境について、
ちょっと頭によぎったのでした。
んなわけで、画像は、練馬区大泉学園町7丁目「あわ家惣兵衛」でリラックまんじゅう。
リラックマの版権を持つサンエックスと和菓子店がタイアップしてつくった商品らしく、
食べるのが申し訳ないくらい、かなりちゃんと可愛く作ってありました。
某ゲイバーで、お客さんからの頂き物でした。
昭和の時代は、そこでしか、出会えることがなかったり、自分を解放することができなかった時代。
そういう場所のとりまく環境も、だんだんと変化している、21世紀だったりします。
人が誰をどー好きになろうが、
人の勝ってだと、私は思っています。
が、なかなかね~、そー思う人の方が少ないのもありますよね~、
私が何故、偏見を持たないかと言うと、
20代初めに飲みに連れて行かれたのが新宿2丁目のバーでした、そこで、見た目は男性なんですけど、、中身は女性と言いましょうか?今でも会員制で営業しているみたいですが、、蠍(さそり)漢字だったかひらがなか(笑、忘れました。
人の生き方に偏見は行けない、、自由ですよね~、だから、私は色々な人と交流して人生を楽しんでいます。
記事に関係ないかもーーーー、すみません
自分らしくとか、性の多様性を!と言って広く訴える人達もいれば、
狭い世界である心地よさを大切にして、違うものを排除しようとする人達もおり、
なかなか、難しいのですよ。