1月中旬から、9日間、ラオスへ行ってきました。
もし興味ある方は、しばらくは、旅行の話にお付き合いください。
今回は、5日目。ルアンプラバンでのお話。画像が多いの重たいかもしれません。
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1月19日。朝6時前。ラオス・ルアンプラバン。
ルアンプラバンの朝の名物、托鉢シーンを見物するために、少し早起き。
まだ町は薄暗いのですが、夜明け前に出発です。
ゲストハウスの玄関には、フロントの男の子が蚊帳の中で寝ています。
6時にはドアを開けると聞いていましたが、まだ施錠されていて、寝ているところを起こしてしまったようです。
ラオスのゲストハウスでは、用心の為なのか、こうして玄関先に寝ていることが多かったようです。
寺院が集まるエリアへ向かい、通りを歩いていると、托鉢セットの売り子さんが寄ってきます。
ごはんと、竹の皮に包まれたおかず(?)をセットで売っていて、
それを手元に置いて、歩いてくる僧侶の前で、正座しながら待ち、僧侶が持って歩く入れ物(?)の中に、手で渡し入れるのが、作法。
どこからやってくるのか、人が集まっている方向を、探しながら歩いていると、
あっ、托鉢の列がやってきたようです。
ブレブレの画像ですが、ちょっと雰囲気ある感じ。
どういうルートで歩くのかわかりませんが、寺院によって、縄張りが決まっているようで、被っている部分もあるようです。
海外の宗教団体のツアーなのか、おそろいの服を着て托鉢を待っている集団もいました。
ただ、托鉢の様子を見ていると、ごはん以外のものでもいいみたいだし、
反対に、ごはんなどは、恵まれない子供たちに分けているようです。
ラオス全体を旅していて、不思議だったのは、たまたまだったかもしれませんが、
貧しい子供たちの物乞いや物売りがほとんどなかったこと。
子供たちに僧侶が恵んでいるように、寺院から、貧困層にたいしての、施しがあるのかもしれませんし、
それは別にして、国民の、仏教への敬虔な姿勢が、心の豊かさとなっているのかもしれません。
朝の托鉢の見学から一度ゲストハウスに戻って、向かったのは、ルアンプラバン国立博物館。
こちらは、ルアンプラバン王国の流れを汲み、1975年まで存在した王家の宮殿を利用した博物館です。
宮殿自体はラオスを植民地化していたフランスの支援によって1909年に作られたのですが、
ラオスを保護しているという印象を植え付けるための、方策だったようです。
居住していた部屋の様子や、各国からの貢物、祭事に使うアクセサリー、
またガレージには、王家が使っていたキャデラックなどの、超でかい車も展示してあったのですが、
なによりもビックリしたのは、敷地内を走ってきた、現役バリバリに動く、こちらのトヨタ車。
ツイッターでつぶやいたら、どうやら1970年代のコロナだとか。ビックリです。
寄り道して、寺院を見ながら、今日は、昨日のリベンジへ向かいました。
この日、僕は、昨日、道に迷った村に、もう一度行ってみたくて、再び、ナムカーン川にかかる、
バンブーブリッジを渡って、対岸へ。
昨日は意味なく道を曲がったのですが、実はまっすぐ行けば、ラオス織りを集めた土産物屋が、
ちょこちょこ並んでいます。トゥクトゥクに乗ってきている観光客もいるようなので、有名な場所だったのかもしれません。
土産物屋の他にも、簡単な食堂もちらほら。
写真のお父さんと子供がいた食堂で、簡単な食事を済ませます。昨日同様、再び、中心街へ。
今度は、トゥウトゥクを使って、市街地を横断して、西側へ。
↓ワット・マノーロム。壁画が、鮮やかです。
↓ワット・タートルアン。ランサーン王国の最後の国王が眠っているそうです。
↓名前はとにかくわかりませんが、とにかく寺院。
寺院から出てきたら、通りの向こう側に、観光客がぞくぞく入っていくベーカリーカフェがありました。
ガイドブックにも、載っているし、これは、もしかしたら、いいかもーと思って寄ってみました。
「ツナメルト」と書かれたメニューはチーズたっぷり、ツナたっぷり。でもって、サラダとセットで34000キープだったかな。
こんなメニューも食べれちゃう幸せ。乾季ということもあるけど、エアコンの効いたレストランは、ここがラオスで初めてでした。
また町中をぶらぶらして、一旦、ゲストハウスに戻ります。
そして、再び向かったのは、昨日の午前中に行った、プーシー。
ルアンプラバンの町中を見下ろせる、丘の上から、今度は、夕陽を眺めます。
山頂自体は、狭いところですが、やはり沈む夕日見たさに、観光客がぞくぞく登っていきます。
みんな、太陽が沈む方向を眺めています。写真を撮る人、音楽を聴く人、歓談している人達…
そして、すこしずつ、沈んでいく夕陽。
太陽の輪郭が欠け始め、放たれていた光の矢が、完全に山の向こう側に沈み勢いを失うと、自然と、拍手が沸き起こりました。
なんだろうな、ただ太陽が沈むだけなんだけど、ありがとう、という言葉がぴったりと気持ちに当てはまります。
ルアンプラバン最後の夜。夜市で、少しだけ自分の欲しかったものを買って、夕食は屋台で。
毎晩、同じ場所で飯食ったり串焼き食ったりしていたので、写真の男の子とは、顔なじみです。
明日は、またバスで長時間の移動。
心残りを感じながら、荷作りをするために、早めに部屋に、戻りました。
ルアンプラバン…いい街でした。いつかまた訪れることが、できるかな。
実際に、そういう回路があるかどうかわからないけれど、
段ボール箱を持って待っている子供たちが、やってきた僧侶にそばに寄ると、
僧侶が食べ物を、おすそ分けする様子を見ると、
きっとそれだけじゃなくて、いろんな面でサポート体制が
あるんだろうなあって想像できましたよ。
さて、日本の仏教界はどうなんでしょうねー。
イスラームでも,信者の寄進でモスク付属の学校や福祉施設が運営されてきたように。
そういうのを見聞きする度に,今の日本の仏教のありようって・・・と,ふと疑問に思うことがあります;;;