くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

沖縄県、沖縄県民による歴史の歪曲を許すな!: 集団自決問題をめぐって

2007年09月30日 | Weblog
私は文科省の検定意見を支持する立場にある。

沖縄戦において住民の集団自決が発生したことは否定しえない事実だ。それは悲劇であり、我々はその悲劇を後世に伝えねばならない。文科省もその事実自体を隠蔽、歪曲しようとはしていない。

問題が軍の命令や軍による強制の有無だが、実証史学的な次元において、諸論ありその問題についていまだ明確な結論が見出されていないといわざるを得ない。教科書は学術研究の成果を踏まえなくてもよいのか。もしよいというのであれば、歴史教育とは何なのかということになる。史実とかけ離れたあるいはそうでなくても必ずしも一致しないフィクションまがいの内容を子供たちに教えても良いということなのか。そうではあるまい。歴史教科書の内容はあくまでも現在只今の研究水準に裏打ちされたものでなくてはならない。教科書がそうあろうとするならば、今回の文科省の検定意見は妥当なものと言うべきであろう。

と言えば、「生存者の証言があるではないか」との反論が返ってこよう。実際歴史研究者の中にも、「証言」をもって検定意見を批判する向きがある。しかしながら、ちょっと待ってもらいたい。我々は今既に過去に対する「証言」というものが、必ずしも十分な信憑性をもった「史料」にはなりえないことを知っているはずだ。慰安婦の強制連行を当事者として告白した吉田清治の「証言」が嘘だったではないか。慰安婦証言のなかにも嘘ないしは当時の状況との矛盾が指摘されている。
沖縄戦の集団自決もそうだ。渡嘉敷島のケースをめぐる昨年夏の照屋証言は過去の
軍命令があったとする証言がでっち上げであったことを告白した。もっとも、照屋証言も「証言」である以上、その信ぴょう性は十分に吟味されねばならないが、そくなくとも、過去の「証言」に矛盾する「証言」が出されている。

「被害者が言っているのだから、その証言には信ぴょう性があるはずだ」という反論もあろうが、これまた、一寸待ってもらいたい。被害者が常に真実を話すという前提自体、何らの根拠もないものだ。上述の照屋氏はまさに被害者の立場にいた人物ではないのか。被害者の証言が疑う余地のない真実であるとすれば、被害者の証言をもってして軍命令ないし強制の存在を主張する側は、同時に、被害者の証言である照屋証言を持ってして軍命令の存在を否定しなければなるまい。

また「証言」が「目撃証言」であれば「伝聞証言」である場合もある。伝聞に聞き違い、勘違いはなかったのか? 目撃証言にしても、尋常ならざる状況での目撃談に思いこみや見間違いはなかったのか? 

それ以上に、事件発生からの時間の経過が人の記憶に与えた影響はいかほどか。

沖縄県では検定意見の撤回?をめぐり11万人の大集会だったとか?感情に駆られた集団行動ほど厄介なものはない。それに政権を狙わんとする野党の幹部が出席して集会の趣旨に同調してみせるとなれば、もっと厄介だ。私は菅直人のことを言っている。与党の中にも、山拓のようなのがいる。私は以前この男を「変節漢」と呼び、今もそう思って変わりない。

文科省はひるんではいけない。

心ある歴史学者は、感情的になった蒙昧な集団圧力に屈してはならぬし、影響されてもならない。

今、歴史を自分たちの感情や都合に合わせて歪曲しようとしているのは、「被害者」を錦の御旗にする沖縄県民の方なのだ。集会には沖縄県知事も出席したという。

歴史の歪曲を断じて許してはならない!

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秋田テレビの不敬: 天皇陛下のお言葉の途中で・・・

2007年09月29日 | Weblog
秋田テレビはけしからん!

国体開会式における天皇陛下のお言葉の途中で番組を終えてしまった。陛下のお言葉が3時にかかってしまい、後の番組の都合というものがあるため仕方のないこと、という言い訳があっとして、私はそれにあえて耳を傾けたくはない。

いかに地方の民放とはいえプロではないのか。プログラム上陛下のお言葉が何時頃になり、場合によってはそれが押してしまうということなど、最初から想定できたはずだ。想定したうえで、陛下のお言葉を最後まで放送する対策も打てたはずだ。素人ではないのだ。それくらい難しいことではないはずだ。おそらく最初からいざとなれば陛下のお言葉の途中で番組を切る予定ではなかったのか。

であるならば、不敬以外の何ものでもない。

スポンサーの手前というのであれば、事前にスポンサーの理解を求めることもできたはずだ。あるいは、スポンサーが首を縦に振らず、そうせざるをえなかったと言うのか。

であるならば、スポンサーこそ不敬のそしりをうけずばなるまい。

また、スポンサーの説得に秋田テレビが一体どれほどの努力を払ったのかということしだいでは、やはり秋田テレビは批判を免れぬ。

陛下のお言葉中に大あくびをこいた秋田県のバカ女選手が画面に映し出されていたが、皇室を軽んじることはなはだしい昨今、物事の順逆をわきまえぬ国家、社会がいい目を見ることはあるまい。

とにかく、秋田テレビの不敬は糾弾されねばなるまい。社会の公器が皇室を率先して軽んじては、社会に及ぼす悪影響この上ない。秋田テレビは謝罪すべし!

もしスポンサーに原因があるのであれば、スポンサーもまた糾弾されねばならない。その場合は、スポンサーも謝罪すべし!

もっとも、「悪天皇」の秋田県だ。官民そろいもそろって、不細工なことだ。

追記 秋田県民ははたして、この一件を見逃すのだろうか・・・? 県の国体関係   者、秋田県の対応やいかに? 県民の反応やいかに? それによって、秋田
   県の皇室への姿勢が問われるというものだ。しばし、観察してみたい。
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福田内閣: 「安定感」、「バランス感覚」という奇妙な支持理由

2007年09月29日 | Weblog
福田内閣の発足時の支持率が60%近くと、政権にとってはなかなかの滑り出しのように見える。

もっとも、田中真紀子氏に言わせれば、あとは下降線をたどる一方だそうで、わたしも実はそう思っている。今以上に支持率を上げる材料が今のところ見当たらない。その一方で、支持率を下げる可能性の高い難問は前途に山積している。福田総理自身、支持率に関しては政権を取ると決めた時点から覚悟していることとは思うが。

その高い支持率の理由の最たるものは「安定感」、「バランス感覚」だとか。それは福田氏本人の映像からうかがえる人柄や内閣の顔ぶれに因るのだろう。であればこそ、今後の政局運営が荒波をかいくぐるような揺れの激しいものになったとき、それを見ている世論からも「安定感」という政権に対するイメージを失っていくことになるのであろう。野党との間に大きな政策対立を抱え込めば、それもまた、一部の自民党側の政策を支持しない国民からは「バランス感覚」の欠如とみなされることになるのであろう。

「安定感」という支持理由にはわからないでもない部分もある。安部政権がその点において初めから終わりまでひど過ぎたからだ。

わたしにとってひっかかるのは、「バランス感覚」である。結局国民世論の多くは本心我が国の改革というものを望んでいないのではないのか、あるいは改革を望む心はあっても、その過程で不可避となろう「痛み」に絶える覚悟ができていないのではないのか、と思わざるを得ない。改革とはそれが大規模なものであればあるほど、現状を否定しよう変革しようという方向性を持つはずである。しかも改革は社会的な対立、軋轢、摩擦、混乱を大なり小なりをきたすものだ。言いかえれば、改革の過程は国家、社会がバランスを崩す過程でもあり、それはある種の産みの苦しみとして仕方がないはずだ。それを嫌いバランスの安定を求めるということは、結局国民の改革の意欲がないのか、それとも改革は欲すれどもそれにともなう痛みへの覚悟はないということではないのかと暗然たる気持ちにさせられるのだ。

福田内閣の面々、特にあの三役いや四役の顔ぶれを見てみるがいい。あの顔ぶれで自民党が変わるなどとどうして期待できようか。自民党が日本という国を将来に向けて変えることができるなどとどうして期待できようか。例えば、自民党の旧体質の権化のような古賀誠に何を期待するというのだ。もう政界から消えてくれということ以外に何を期待するというのだ。

日本人というのは結局、安定、バランスを志向し、それを最優先事項とする民族、国民なのかもしれない。それは車のデザインの好みを見ていてもよくわかる。押し出しの強い車は売れない。スパイスのきいた車は敬遠される。

今まではそれでもよかったのかもしれないが、このままでは我が国に先はない。明るい未来もない。しかし、かりにそうなったら、自業自得ということだ。なぜならば、事実上、国民自身がそうならざるをえないであろう方向性を求めてしまっているからだ。

我が国がそうならないためには、国民の啓蒙などという悠長なことを言っていられるほど時間の余裕はない。いや、いま必要なのは、国家・社会の変革を望まない、あるいはそれを望みながらそれを実行する勇気を持たない国民の民意というものに抗ってでも、もっと極端にいえば民意を無視してでも、改革を断行できる政権、政治体制の樹立ではないのか。その過程で、なんらかのかたちでの犠牲を払おうとも、おくするべきではない。政治という生臭いものはそもそも暴力と流血と近しい関係にあるのだから。スパイスの効いた、しかも激辛な政治手法が必要なのかもしれない、鼻血や下痢程度では済まないような。
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姓名判断 10: 福田内閣の面々

2007年09月26日 | Weblog
何人か見てみよう。

1.高村正彦
  この人、ヤバイこと何もない? お堅い人ということらしいけど?
  「政治とカネ」とか大丈夫? 何もなくとも、これで上がりだろうなあ・・。

2.町村信孝
  まあ、この人もこれ以上はなし。天下は無理無理。

3.石破茂
  この軍オタ防衛大臣、結構いいね。まだ、活躍するのかな。
  このキャラだから、天下様は無理だろうけど。こういう理屈っぽい
  キャラは広く国民の支持を得るには難がある。特に女性は嫌がるで
  しょ、理屈っぽいの。

4.甘利明
  意外と面白いかも。人材底払い感のある自民党では、今後頭角現すのかなあ?

5.鳩山邦夫
  もうここまで。これ以上上はない。せいぜい党三役? それもないかな。

そして、番外

  武部勤
  元幹事長、偉大なる?イエスマン。流派しだいでは良くもあり、悪くもあり。
  人材が底を尽きた感のある自民党で、福田後に成果再編も含めた動乱があれ
  ば、また活躍の目があるのかな? ただ、常に身奇麗にしていてくださいね。
  おかしなホコロが出て御用なんてことになりませんように。

それにしても麻生さん、入閣固辞は妥当な判断でした。というか至極当然と言えば当然の選択。この選択ができなければ、政治家としてアウトですわ。閣内にいて福田と一蓮托生になる必要などないもない。義理もない。むしろ外で火の粉をかぶらずにいた方がいい。今後のために。それに197票を背景に、閣内よりも外にいた方が、福田へのけん制もしやすい。
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今後につながる負け方: 麻生太郎氏の場合

2007年09月24日 | Weblog
負け方にもいろいろあるが、今回の自民党総裁選挙、麻生太郎氏の負け方は決して悪くはなかった。

一見大差をつけられての敗北のようにも見えるが、内実決してそうではない。

別の見方をすれば、反麻生包囲網にしてやられたとも言えなくもないが、今この時期に時を急いて政権の座につかずとも良いかもしれない。この一事のみをとっても、悪い負けではない。福田政権はどうせ短命だ。場合によっては宮沢政権の二の舞だ。その損な役回りを避けられるだけでも、今回の負けは、運の良い負け方と言える。災い転じて福となる、いや福と'なす'好機とも言える。

福田政権ある限り恥じることのない、おくするすることのない反主流派で行けばいい。麻生氏に一票を投じた100名以上が今後も氏を支援するかどうかはわからない。それは政界においては決して奇異なことではない。しかしながら、福田体制が基本路線的な部分において麻生氏はじめいわゆる党内「保守派」の許容を越えた方向性を示した時、反主流としての氏は今以上の求心力を持つ可能性が出てこよう。少なくとも今日発表された新党三役ならぬ四役人事を見る限り、福田総裁下の自民党が小泉・安倍時代とは異なった方向性を示す可能性は高く、それは保守派との、単に政策上の対立を越えた国家観の、あるいはイデオロギー的対立をも党内に生み出しかねない。

あの党四役人事では総選挙は戦えまい。あの面子を見て、「なーんだ」と思う国民は多いはずだ。それで自民が負けた、下手をすれば下野をしたという事態になれば、福田はオシマイ。それを支えることになる党四役も無傷ではいられまい。特に、参院選の敗戦の連帯責任を麻生に問うた’パンク’古賀は、同じ手口で責任を追及されよう。安倍に対して参院選の敗戦で退陣すべきだったと批判した福田も、衆院選敗戦後の、あの負け方如何では、かりに公明との連立を維持して過半数を死守したとしても、同じことになろう。谷垣、二階もその二人と道行ということになろう。特に、対小沢で役に立たなかった二階などはお役御免でいい。谷垣なぞは最初から問題外だ。そうした状況が到来してこそ、麻生に日の目があたる可能性が高くなる。自民党が政権に踏みとどまろうが、野党になろうが、分裂しようが、麻生には道が残されるであろう。

負けて良かったですね、麻生さん。個人的にはあなたに総理総裁の資質はないと思っていますが、あなたにとっては良い結果となりました。あなたの道は必ず開かれることでしょう。決して総理総裁の道が保障されているわけではないが、まだその可能性は残されている。せいぜい、反主流派として、モノいう反主流派として頑張られますように。党を割ってもいいというお覚悟で。



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福田自民の今後、総裁選を終えて

2007年09月24日 | Weblog
自民党総裁選、事前の予想通り福田康夫氏が、麻生太郎氏に対して、330票対197票で勝利した。

この結果を福田氏の圧勝とみるか、麻生氏の健闘とみるかの評価はさておき、この選挙結果そのものについては驚くには値しないと私は考える。むしろ、少なくとも私が個人的に驚くいたというか興味をもったのは他にある。読売新聞の報道によれば以下のようなことが今回の総裁選で起こったそうなのだ。長くなるが、すべて引用してみたい。

>23日の自民党総裁選では、141票の地方票の行方も大きな焦点となった。
>福田康夫・元官房長官が76票(53・9%)を獲得して麻生太郎幹事長の65>票(46・1%)を上回ったが、大きな差はつかず、麻生氏の健闘の一因となっ>た。全党員による投票を実施した35都道府県連の党員票の合計は、麻生氏がわ>ずかに福田氏を上回っており、組織ごとの決定方法の違いが福田氏には有利に働>いた。
>都道府県別では、福田氏が上位だったのは26道府県、麻生氏は21都府県だっ>た。
>党員投票を実施した35都道府県に限ると、党員票の合計は、麻生氏が25万3>692票(50・3%)で、福田氏の25万613票(49・7%)をわずかに>上回った。ただ、勝敗は福田氏が18勝、麻生氏が17勝だった。

以上の様に、自民党地方支部における投票結果は、福田氏が圧勝したというよりも辛勝であり、党員票の合計ではむしろ麻生氏に軍配が上がったのである。
ということは、福田氏が123票という票差をつけることができたのは、党所属国会議員による投票に因るところが大きかったおいうことになる。

私が興味を持ったのは、この各地方支部の一般党員の投票行動と同党国会議員の投票行動の「ズレ」である。

見方によってはこう言えるのではないか。自民党の国会議員たちは、必ずしも自党の党員の意向に沿ったかたちでの投票行動を取らなかった、あるいは、一般党員の意向に反する投票行動をした国会議員が多かったと。

なぜこのような「ズレ」が同じ党の中で生じてしまったのだろうか。まずおそらくは、地方党員が各支部のボス的存在や党中央の各派閥の意向に配慮ないしは従うかたちで投票するものよりも、また福田氏に期待するものよりも、そうしたボスや派閥の思惑に関係なく、麻生氏に期待して投票したものの方が若干なりとも多かったということであろう。 それに対して、福田支持にまわった国会議員たちは、どうなのであろう。福田氏の政策を支持してというよりも、政策よりむしろ勝ち馬に乗るということに重点を置いたのが実態ではないのか。また派閥の論理で動いたということでもないのか。確かに派閥の力は弱まっている。そのことは今回の総裁選でも証明されたように見える。麻生派以外の各派はすべて福田氏支持に回ったにもかかわらず、麻生派所属議員以外の100人以上の国会議員が麻生氏に投票しているのだ。ただ、であるからと言って、派閥の持つ政治行動への拘束力がすべて消えうせたわけではあるまい。

この「ズレ」は、ただでさえ党基盤が弱体化しつつある自民党にとっては決して無視しえないものなのではないのか。今後福田氏が総理総裁としてとる政策が、麻生氏に投じた党員の意に反するものであった場合、それらの地方党員ないしは地方支部の間に不満がまたり、それがどのような形で表出するか知れない。もっとも、福田執行部に不満を持つ党員が総選挙などで民主党に投票するとも思えない。なぜなら麻生氏を政策的に支持するものが民主党を容易に支持するとは考えにくいからだ。この外への行き場を持たない不満がどこに向かうのか。その行先によっては、自民党の組織力の更なる弱体化は避けられえまい。これを回避するためには、福田氏は、一部保守勢力が恐れるような「リベラル」な方向に舵を取り過ぎないことだ。

加えて福田氏に投票しなかった国会議員が100人を超えたわけだが、そのなかにも、おそらく派閥の論理や自分自身の政治家としての生き残りという思惑を越えた政策的な点から、麻生指示に回ったものも多からず(少なからず?)いると思うが、この議員たちも、今後福田政権があまりに前二政権とは異なった方向性を示せば、当然反発を強めるであろう。そうなればやはり中央からも党の統率が乱れるということになる。

それでは来るべき総選挙は戦えまい。もっとも、世論調査を見るに、福田支持は麻生支持をかなる上回り、自民党の一般党員の投票行動と世論との間にもズレがあるため、一般党員票の行方をあまり拡大解釈的に一般論化することは危険である。ただ、世論がここ数年にわたり、小泉政権におおむね高い支持率を与え、発足時の安部政権にも期待した背景には、それらの政権の政策の方向性に期待し、支持するところがあったからではないのか。確かに世論は移ろいやすい。政策の良し悪しそっちのけで感情論的、印象論的な好悪のみで判断することも多分にある。ただ、同時に過去の二政権への支持には、先にも述べたように保守の側が懸念する福田政権が進むかもしれない政策的方向性とは異なったものを志向してきたからではないのか。もしかりに福田政権がいわゆる「リベラル」路線を取ったとしたら、民主党にとっては迷惑な話になるのかもしれない。福田自民との違いを出すという点で苦労もするだろう。ただ、昨今の日本社会のエトスの流れというものを読み間違えた場合、福田政権は果たして国民世論の広範な支持を取り付けることができるのだろうか。

私は、福田政権は一部が懸念するような極端なリベラル路線は取らないと思うし、取りえないとも思っている。さもなくば、福田はバカだ。かと言って麻生氏に近い路線や、前政権の路線を多く踏襲するとも思えない。つまり、福田政権は何ともつかみ所のない政権になるのではないのか。総裁選中の麻生氏との討論を見ていても、福田氏の議論は実に具体性を欠いた。その点は麻生氏も皮肉ったところだが、その具体性の欠如の背景には、派閥横断的な支持を受けたがゆえに迂闊なことは言えないという事情もあってのことだったのであろう。そして、この福田政権を支える党内構造ゆえにも、福田政権が明確な「色」なり「方向性」を打ち出すことができなくなるのではないかと思うのだ。「安定感」だけでは、政権が国民の広範な支持を取り付け、それを維持することは難しい。

そもそも、福田氏そのものに華もなければカリスマ性もない。皮肉にも今は安倍ちゃんの体たらくぶりのおかげで、あの落ち着いた物静かな雰囲気が、「安定感」という精神と肉体の安定を欠いてしまった前任者に比較されて期待を集めているに過ぎない。早晩国民世論はあの「陰」で政策的なメリハリもない総理総裁を倦むようになることは必定。「劇場型政治」に華のない役者に主役は務まりはしないのだ。









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離婚後300日規定と姦通への法的制裁

2007年09月23日 | Weblog
産経新聞など一部は、福田政権の誕生に伴い、離婚後300日規定をめぐる問題に対す’リベラル’の側からの攻勢が強まることを懸念している。

福田政権後の国会の内外での与野党の攻防の中で、果たしてそうした問題が俎上に上るだけの余裕があるのかどうか疑問だが、逆にそれ以上に重要な懸案事項があるだけに、その間隙を縫う形で国民世論の多くが気付かぬうちにことが進められてしまうという可能性もないきにしもあらずであろう。

この問題に関する私のスタンスは以前にも繰り返し触れたが、安易な法改正は、不倫、不貞の類を助長するだけだ。先月の報道であったと記憶するが、既に200人以上の下半身のだらしのない女たちが特別措置申請をしたとか。そういう類の連中に都合のよいように法改正がなされれば、今以上により気楽に避妊もせずに不貞行為にいそしむバカ女、男が出てくるに違いない。

不幸にも、そうした男女の不始末の挙句の果てにこの世に生を得てしまった子供には、何の罪もない。実際は、おそらく何らかのかたちで親の因果を背負って、しかも負の遺産として背負っていかざるをえない宿命を背負わされることになるのだろうが、親の不行跡ゆえにその子たちが法的にも不当に扱われても良い、仕方がないということにはならない。最低限、法的なレベルでは守られなければならない。

ただ、親のことは、子のこととはまったく別議だ。親のしでかしたことは、社会的に糾弾されねばばらない。

しかしながら、法改正の仕方次第では、社会的な糾弾の効果ないし力をそれが弱めてしまい、先にも述べたように不貞、不倫を助長する結果になりかねない。

不貞、不倫の確たる証拠があれば、幸い日本ではそれをした者を配偶者ないしは、配偶者に不倫された側が不倫相手を相手取り民事に訴えるという手段がある。離婚前妊娠ともなれば、それこそ確たる証拠となろう。ただ、離婚前の不倫行為による妊娠は常識的に考えて、また多くのケースでは離婚成立後に発覚するのではないのか?そうなった場合、どうなるのだろう。離婚協議の内容に虚偽があったとして、元配偶者とその不倫相手に対して民事を起こすことは可能なのだろうか?法律に詳しい方、是非お教え願いたい。

私は思うのだ。300日規定が改正され不倫をする側に都合が良くなるのであれば、それはあってはならない。そういうことのないようにするためにも、社会の公序良俗を乱した者への制裁を、不倫の「被害」を受けて側の民事訴訟にのみ依存させたままでは不十分ではないのかと。つまり、300日規定改正と並行して姦通の法的罰則化が必要であると思うのだ。

投獄してしまえとは言わない。そんなことをしても不倫の「被害者」は精神的な面で報われても、特にそれが不倫離婚後の脆弱な生活基盤しか持たない女性の場合、経済的に少しの救いにもなるまい。むしろ慰謝料、養育費を払うものがシャバから消えてしまえば、それを手にすることが困難になる可能性すら出てくる。不貞の結果この世に生まれいずる因果な生命にとっても、親が投獄されてしまうというのは養育上よいことではあるまい。

では、金銭的な制裁を科すというのはいかがなものか。今の不倫をめぐる民事の結果なら数百万だろう。それが適当な金額かどうかは再考せねばならない部分もあるが、制裁に相応しい額の負担が、慰謝料とかとは別途で、不倫により離婚原因を作り出した者を制裁する法的圧力を持たせるべきではないのか。

さもなくば、繰り返しになるが、300日規定の改正だけでは、今後笑うべきではない者が笑い、泣くべきではない者が泣かされる世の中になってしまう。同時に、ふしだらにして不埒な親をもった子供がこの世に増えてしまう。

血は争えない。血は怖い。猥らな親の血を受け継いだ子供も同じ道を歩み、人を踏みにじり泣かせることにならないとも限らない。実際、そういう例を一つならず見てきた私としては、「劣等な血」の増殖と「不条理な涙」の拡散を招きかねない法改正は是非阻止されねばならないと思っている。

もし、福田政権がそれに手をつければ、福田は万死に値する。よもや、そんなことはあるまいが・・・。


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姓名判断 9: 怖いなあ・・、「少年犯罪」の「加害者」たち

2007年09月22日 | Weblog
犯罪のかかわる数字として19がある。本当にこの数字を持った犯罪加害者・被害者が多いような気がする。

例えば少年犯罪の加害者の例でみると、とは言ってもネット上で晒されている名前が本当だと仮定したうえでだが、


1.山口県光市の母子殺害事件の犯人(元少年)
  
2.神戸市滝川高校の自殺事件の「逮捕者」やネットで晒されている少年たちにも
  、「主犯格」と言われている少年を含め少なくとも3人。

3.女子高生コンクリート詰め殺人事件の加害者のうちの一人。
  ちなみに、この事件、晒されている加害者の名前が本当なら、皆さん概ね
  よい名前ではないですね、19がなくとも。主犯格と言われている元少年も
  凶数がひとつならず。

怖いですな。当たるも八卦ですけど、イワシの頭もというから、名づけするときには避けたい数字ですな。
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稚拙な政治家たち: 山拓「核実験は良かった」発言をめぐって

2007年09月21日 | Weblog
山拓の北朝鮮の核実験をめぐる「やらせて良かった」発言、確かにそうなのだ。

北があれをやってくれたおかげで、核をめぐる開発・保有済み疑惑について白黒が着いたわけだから。北に核を持たれてしまったということは、確かにまずいことだ。一旦核を保有した国にそれを放棄させることが容易ではないからだ。ただ、疑惑が、疑いようのない事実であることが判明したという点では、我が国としての対応の仕方を確定できるわけで、その意味からすれば、確かに「やらせて」というよりも「やってくれて」良かったのかもいしれない。

しかしながら、常に世論というものの反応に配慮(配慮=阿るということではないが)しつつ発言には十分な注意を払うべき民主国家の政治家にしては、間抜けな発言ではないか。もっとも、山拓という政治家はそうでなくとも既に「間抜け」でえある。数年前に性的なスキャンダルですっかり男を下げ、もはや政治家としてはある種の「お笑い」ネタでしかない。それが今でも政権党の派閥の領袖を務め、冗談だとしか思えないのだが、本人は案外にも本気でいまだ政権への色気を失っていないらしい。この一事をとっても、間抜けとしか言いようがない。その間抜けが更に誤解や釈明を余儀なくされるような発言を不用意にしてしまうということをして、間抜けの上塗りと言わずして何と言おうや。もっとも、既に「上がり」の政治家である。後は引退するか、生命体としての命脈尽きるかを待つだけのシロモノであるから、それほどのおおごとにもなるまいが。

案の定、広島市、長崎市は本日、抗議文書を、市長名で山拓事務所に届けたという。時事通信によれば以下の通り。
 広島市は北朝鮮の核実験に関し「平和的解決に向けた国際社会の外交努力を無に した」と指摘。「(山崎氏の)発言は、核兵器廃絶に向け不断の努力を続けてき た被爆地ヒロシマとして容認できるものではない」と批判している一方、長崎市 は「核実験の強行が被爆地をはじめとして周辺国の住民を大きな不安に陥れ、国 際関係に緊張をもたらした当時の状況を十分に理解した発言とは思えず、看過で きるものではない」としている。

何とも、子供じみたというか、感情に任せた物いいではないか?山拓氏はあくまでも、北の核保有が判然としたという点から見て、という断りをつけたうえで発言をしているのだ。北の核実験ないし保有を容認する、肯定するという主旨の発言では決してない。また、核廃絶という方向性を否定するための発言でもないはずだ。両市の市長とも、北の核保有に対する事実確認ができないままに、疑惑のままであった方がよかったなどとは、よもや思ってはいまい。かつて北の執政党とは友党の関係にあった党の国会議員であった秋葉広島市長ですらも、よもやそうは思ってはいまい。山拓氏としても痛くもない腹を探られたようなある種いんねんじみた反発には当惑しているのではないか。まあ、そうした反発を想定せずに発言したとしたら、それはそれで政治家としての資質、能力の程を示しているわけだが。 

被爆都市の市長としては、自身の市長としてというよりも選挙によってその地位を保たれる立場の者として、地元の民意なり住民感情というものへの配慮を見せるというパフォーマンス的な側面もあるのだろう。民意をはかりながら行動する。これが民主政治においては、いや民主政治でなくともある程度は、政治家として不可避のものである。しかしながら、移ろいやすくまた一時の感情に流されやすい民意というものに、いちいち応えていては、もっとはっきり言うのであれば、阿っていては、それはそれとして政治指導者のあるべき姿ではない。時には、あえて民意に相対し、民意を説き伏せねばならないこともあるはずだ。

両市の市長が、もしかりに本心上記の発言のように山拓発言について思っているとすれば、それは実に悲しいことだ。両市の市民にとっても、我が国にとっても、そして市長たち本人にとっても。感情論でしかものを推し量れぬ首長をもった市民の不幸、国家の不幸・・。能力的に相応しからざる者が自治体の責任ある地位についてしまった悲劇。安倍総理にその例を見るまでもなく・・。

それにしても、山拓といい、この市長たちといい、こんな程度の政治家しかいないのか、我が国には?

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「不浄」な女が土俵に上がるな!

2007年09月19日 | Weblog
不浄な生き物が土俵に上がるなんてとんでもないことだ。

女性蔑視、差別?????

確かに進歩的な方々や今時な方々がお好きな「科学的」な証拠なんかどこにもない。いわば迷信や古い悪弊みたいなもんなのだろうけど、私は、科学万能主義者でもない。そもそも「現代科学」ってのにはだれもが認めるはずの限界が現時点であるわけだから、「迷信」とかで片付けられてしまうことは、もしかしたら「現代科学」やら現在ただ今の持てるだけの人智のの手に負えないだけのことかもしれないのだ。

本当に女性は「不浄」であり、それを土俵に上げてはいけないのかもしれない。

むかしは舞台も女人禁制だったが、歌舞伎座の舞台に上がっていたSKDの末路や、言うも悲しいことに・・。偶然なのか、「不浄」が禁忌を犯したが故なのか、現在ただ今の我々には知る由もない。

「迷信」に「迷信」というレッテルを貼り、十全ではない「科学」なるこれまた思い込みが勘違いも含まれているかもしれないものに依拠して、それを排除しようなんざあ、どうなんだろうね、もしかしたら、目くそ鼻くそを笑う以上に不細工なことかもしれない。

あのオバハン(じゃなくてオネエサン?)の今後、どうなりますことやら、祟りか何やらで不幸の連続・・・。そうでなくとも、「例の人だって」ってことになって今よりも生きづらくなるだろうなあ・・・。これも「報い」か?
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自民党総裁選に見る世論調査と映像のギャップ

2007年09月18日 | Weblog
各紙世論調査では、次期総理総裁として期待するには、福田氏だそうだが、その一方で、TVに映し出される街頭での麻生氏人気。

これを一体どう理解したら良いのか?

可能性のいくつかとして、
  1.世論調査の仕方に問題があり、調査結果は実態と乖離している。
  2.TVに映し出される麻生人気は、画像報道にしばしばありがちな 疑似現実
    であり、映像こそ真実を伝えていない。
  3.TVに映し出される麻生人気は都市部の現実を映し出しているだけで、格差
    と疲弊に苦しむ地方での麻生人気は決して高くない。世論調査の結果との
    間に矛盾した印象を与えるのはそのため。
  4.麻生人気は、アキバがそうであったように街頭演説が事前に知らされた結
    果、麻生支持者が集まった結果あのような状態になっただけで、実は
    あの場限りの特殊な状況に過ぎない。
などなど。

もっとも、映像の力は大きい。小泉総理総裁誕生の際もそうであった。しかしながら、某TV番組のコメンテーター氏が指摘していたように、麻生氏にかつての小泉氏のような「発信力」があるかどうか疑問だ。確かに麻生氏の演説、福田氏のおもしろくもない平板なしゃべり口調に比べて、内容はさて置き話術としての面白みはあるのかもしれない。ただ、「自民党をぶっ壊す!」のようなパンチのある言葉が出てこない限り、今の自民党内での絶望的劣性と世論調査結果に出た数字を覆すことはできまい。まあ、それでも、今回福田との違いを演出できればできるほど、負けても今後につながる負けとなるのだろうけど・・。

それにしても、福田氏のあの曖昧模糊、具体策を含まない言葉の数々はなんなのだ。拉致問題は自分の手でと言っておきながら、日朝交渉の詳細を知らないから具体策は今後? 大見えきっておいて、中身はこれからというのは、これ「羊頭狗肉」と言わずして何といようか。いや、場合によっては、「羊頭腐肉」か「羊頭人肉」かもしれぬではないか。これが福田スタイルなのか、それとも他派閥から支援を受けたがためにいまだ短期間の間に政策調整が付いていないがための「曖昧戦術」ということなのか・・?

前者であるとするならば、福田スタイル、早晩国民、マスコミの指弾を受けることになろう。後者ならば、結局福田色を打ち出せず、かえって悪い意味での旧来の自民党政治への先祖がえりを世論に印象付けるだけに終わり、やはり早晩世論の支持を失うことになろう。

結局、あの演説ぶりといい、あの曖昧なしゃべりのスタイルよいい、今時というかこれからの政治家でもなければ、総理総裁として一国を指導していくタイプでもないんだよなあ・・・。所詮、家の中で前掛け着けて台所に立っていればいい「女房」が、いきなり裃二本差しで表に出てくるようなもので、うまくいくはずもないのだ。いかにも時局が自らを総理総裁候補に押し上げたかのような口ぶりだったが、まあ幾分時局というものもあったとして、正確にいえば、時局が氏のもともとあったスケベ心をくすぐった結果の今回の出馬ということなんだろうが、馬の脚がいきなり、生じめつけて主役を張ったところで、無理なんだよなあ・・・。

福田さん、分際をわきまえないといけないよ!
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福田康夫は総理総裁の器にあらず その2

2007年09月17日 | Weblog
「まあ出ようと思った」

本当にそう言ったのであれば、冗談じゃない。

総理総裁をそんな気持ちでやられて一番迷惑を被るのは国家国民だ。甘い気持ちで政権握ったボンボンの次は、隠居してもおかしくない爺さんが適当な気持ちで、自身も認識している「難局」に立ち向かおうと言うのか?冗談じゃあない。あなたには無理です。お高いと言われているプライドがズタズタ、体もボロボロで失意と汚辱のうちに政権の座を降りることは必定。晩節をそのようなかたちで汚さずとも、さっさと政界を引退し、孫でも膝の上に抱いているのが一番かと? それがあなたにとっての、国家国民への最大の貢献です。

だが、この「まあ出ようと思った」、おそらく、きっと本心ではあるまい。一部報道によると、安部政権後の以前から既に政権への思いはくすぶっていたそうではないか。難局であることからそれなりに前途多難は覚悟していたのであろうけど、同時に「喜々として」自身を推す党内の声を耳にしていたのではないのか?

そうだとしたら、本当に嫌な性格の爺さんだなあ・・。自分でもいう「陰」な人間の典型だ。男は「陽」、国家指導者も「陽」であるべきだと思うのだがなあ・・。
国民世論も早晩この「陰」な指導者を倦むようにはなるだろうけど。「陰」は所詮日陰の者、舞台裏にいるのが役割なのだから。分際をわきまえず位人臣を究めようとは・・・。

その福田氏、靖国参拝についても、「相手がいやがることをあえてする必要はないのではないか。配慮しないといけない」と言ったとか?

これも冗談じゃないね。相手が嫌がることがボツならば、クジラやめましょうよ、白人どもが文句言うから。グリーンピースが怒っているから。豚肉食うのやめましょう、世界に数多いるムスリムたちが忌み嫌うから。あなたも、総裁選に出るのやめましょう、ある調査によれば28%くらいの人しかあなたを総理に相応しいとは思っていないんだから。つまり残りはあなたに対して直接、間接に「NO]と言っているんだから。

福田氏の言い分でいくと、そうなるんですが、そういう結局墓穴を掘るようなことは言わない方がいい。

結局福田氏の靖国をめぐる判断基準は「相手」様のご言い分、ご判断だそうな。じゃあ、その「相手」様とは?言うまでもなく、「中国様」、「韓国」様ということになる。そうした隣国「様」のご意向に配慮して判断すべしということは、換言すれば、少なくとも靖国に関して、福田氏は、我が国は国家主権を放棄して判断すべき問題だということになる。主権の不可侵を我が国はその隣国「様」方に対しては放棄するということになる。相手の主権への侵害を許容するということになる。

自国のために殉じた者たちを祀る場をめぐる問題、またその祀り方(「祀る」に語弊があるのであれば「慰霊」か?)をめぐる問題を、自国ではなく他国にお伺いを立てて判断する。もし福田氏がそうするべきと信ずるのであれば、その隣国「様」方の慰霊の在り方についても御意見を申し上げて欲しいものです。それが主権国家対等の原則に沿った行動かと?

相手の嫌がることはすべきではないと真に思うのであれば、中国様に対して、「資本主義を敵視する共産主義を共謀することはおやめください。ですから中国共産党という党名も変更してください。我が国も資本主義国ですから」くらいお願いしてみたら?できない相談なとは分かっていますけど。

慰霊の在り方という、その国家、民族の心情・信条や、文化、伝統の問題を他国に言われて決める、他国の顔色をうかがって判断すべし、と平気で言ってのける人間が国家のかじ取りをする? そんなことがあって良いのかねえ・・・? 米国の学者なんかに言わせれば、自国の信ずる価値観を守るということも、米国にとっては安全保障の一部だそうだが、それは何も米国に限ったことではあるまいし、我が国もそうあるべきなのではないのだろうか? 

個人的には、安部総理の掲げた「価値観外交」はもろ刃だと思っていたが、「価値観」ないし「信条・心情」というものに国家が依って立つというのは、程度問題であれ、ごく自然のことなのではないのだろうか。その部分の自主性、すなわち主権を放擲し、他国の価値観ないし歴史認識に自国を委ねようという、福田氏の思考には異常を感じてならない。

また、媚中・韓政治家が首相になるのか・・・。

まあ、「人の命は地球よりも思い」といいのけて、結果他国に御迷惑をおかけした
老人ボケ宰相の息子だからなあ・・・。トンビは鷹を産まないと。かたや東大、大蔵省、かたや早稲田(しかもあの時代の)、ただのサラリーマンだからねえ・・、さしずめトンビが生んだ雀かね?

安んぞ燕雀、鴻鵠の志を知らんやとか。雀に国運を預ける気にはならないなあ・・、少なくとも私は。
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刑事裁判での精神鑑定について、どなたかお教え願えますか?

2007年09月16日 | Weblog
畠山鈴香事件、弁護側は精神鑑定を要求とのことですが、この事件に限らずよく弁護側が求めるところの精神鑑定、これって意味あるのですか?

ド素人として、とても疑問に思うんです。

公判中に精神鑑定して、過去を遡って犯行時の精神状態を本当に知り得るのでしょうか? 精神鑑定とは、それほどまでに、科学として方法論的にも確立され信用に足るものなのでしょうか?

どなたか詳しい方、お教え願えませんか? 素人的には、胡散臭く思うのですが。

ついでに、今回の裁判、裁判官が畠山被告自身に犯行時の精神状態を質していますが、これって、何の意味があるんですしょうか? 二件のうち、自分の娘「殺し」に関しては殺意を否定して、犯行時の精神状態を盾に検察側と争おうという被告に、そんな質問して、「犯行時、私の精神状態は健康そのものでした」なんて答える被告はいないでしょう、常識的に考えて?

素人には不思議なんですよねえ・・・。どなたかお教えいただければ幸いです。
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一寸気が早いかもしれないが、総選挙は何時だろう?

2007年09月15日 | Weblog
「最後の将軍」福田総理総裁の誕生も確定したとみて良いのだろうが、次の最大の関心事は、解散・総選挙の時期ということか?

勢いに乗りたい小沢民主としては、勢いの下火にならぬうちに、できるだけ早く一気呵成に福田政権を追い込みたいのではないのか?

ただ、タイミング的にどうなのだろうかという問題も出てくる。テロ特、予算、かといって年明けになれば半ばには常会だ。ならば、年末、12月の 半ば以降か?

いやいや、何が何でもテロ特反対の、何でも何でも政局にしてしまおうというのが、小沢民主党だ。向こうさんの思惑としては、年末を待たずということではないのか?

いずれにしても、福田自民党は敗北する。敗北という言葉に語弊があるのなら、議席を大幅に減らすと言っておこう。前回で勝ち過ぎた分、減らすのは必至、不可避だ。要は、夏の参院選同様負け方、減らす議席の数をどこまで抑制できるかの問題だ。

福田政権では、ダメだろうなあ・・・。もう今からでもマズイっしょ? 安倍政権誕生の時と同じパターンの各派閥我も我もの福田支持表明。こりゃ、国民からみたら「またかの関」ですわな。まあ、一番のオマヌケは額賀の出馬断念、福田支持表明だが、福田さんも、山拓、谷垣、古賀の三派領袖と一緒に会見するってのもまずかったなあ・・。「絵」的にぜんぜんうまくない。あれじゃあ、「相変わらずの自民党」ってイメージしか国民には持たれない。今の国民traditionalな自民党なんか求めていませんから。新しい指導者でどう変わるのか、そこを見ているんですから! そこらへんのパフォーマンスを間違えると、ダメなんだろうなあ・・・、もう間違えてるけど。

加えて一寸気になっているのが、小泉氏の福田支持表明。今回出馬しなかったのは妥当な判断だと思うが、あえて福田支持する必要もあったのだろうか?麻生氏が小泉路線への批判的な立場を取るという点では、麻生支持表明なんてありえないのだろう。町村派や福田氏との旧知の関係からしても、福田支持は当然至極なのかもしれないが、自らの「影響力」というものを理由に、それが実際に有ろうがなかろうが、それを理由に、今回の総裁選では表立って態度表明しないという立場を取るというのも選択としてあったのではないのだろうか?もっとも、これは、小泉氏が福田後の政界再編を視野にいれつつ再登板の可能性を完全否定していないという前提での、今回の支持表明の良し悪しであるが、もし再登板を考えているのであれば、今国民世論に福田支持者というイメージを与えることは果たして好ましいことなのか。誕生して果たして十分な国民の支持を得られるかどうかいまだ判然としない政権担当者を、どうせ総選挙で負ける人を、場合によっては自民党政権の幕引き役をする人を支持して、それが今後の小泉氏への国民の支持にプラスにつながるとは思えない。

今後の十分あり得るシナリオとして、福田政権誕生、解散総選挙、自民敗北下野=民主党政権誕生、福田自民党総裁辞職。

そしてその後は? 敗北・下野で自民党が消えてなくなってしまうことはあるまい。分裂という可能性はあっても、自民党という看板自体が消えることはあるまい。となると、福田後の総裁は誰?という問題が出てくる。今更、山拓やら、谷垣、ましてや額賀なんてことはあるまい。となれば、結党以来の危機となるであろう状況で、残る目ぼしいコマは、麻生か、小泉かということしかないのではないのか?これ以上に党再建、国民の支持の回復という役目を担える「役者」はいまい。
ここに、今回あえて総裁選に敗れることでかえって麻生にとっての日の目というものが出てくる「可能性」があると思うのだ。ただ、その前提として今回の総裁選で出馬して福田に敗北するというプロセスが条件となるが。ただ、麻生じゃあ、役不足なんだろうなあ・・・。若く見えても年齢は小泉よりいっている。となると、やはり小泉氏の再出馬を願うしかないんだろうなあ・・。今回福田支持でミソをつけても、小泉しかいなくなる。そして小泉独裁の自民再建しかあるまい、というか、自民という看板だけを残した新しい保守政党への脱皮をはかるしかあるまい。

ただこの自民党の劇的な改組は、政界全体の再編の一コマでなくてはならない。すなわち、政権についた民主党も政権担当能力の欠如やらマスコミの手のひらを返したような攻撃でボロを出し、対外関係特に対米関係でも追い詰められ、ついには党内の不協和音が隠しおうせない状況に。その時に、表に出ない首相・党首の小沢が禍する。自分の口で大してしゃべらないくせに、表に出てこないくせに、剛腕で手練手管だものだから、余計にことをこじらせ、結局民主政権が瓦解、党自体も「壊し屋」小沢の本領発揮であえなく・・。そこに小泉自民や小泉自民からはじき出た保守系等との合従連衡、離合集散が始まるか、それとも、大連立か? 私的には一時的な救国大連立、そしてそれが当初の目的を達した後に、袂をわかち総選挙というのが理想なんですがね・・。その結果、以前よりもそれぞれの党内の純化がなされたかたちでの自民・民主の保守二大政党制に移行しないかなあと・・。二大政党制が長く続くべきシステムとは必ずしも思わないが、今のそして近い将来の日本には必要な過渡期なのではないかと思うのだ。

まあだけど、このシナリオ、甘いわな。無いわな。
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麻生さん、出馬辞退しちゃあダメですよ!

2007年09月14日 | Weblog
「政権下げチン男」こと(あるいは「政権厄病神」?)額賀福志郎が出馬辞退で福田支持に回ったとか? どうせ、青木あたりに押し切られたんっだろうな。もともと津嶋派内部も額賀で一本化できていないようだったし。それを押し切ってでもということをしないところに、この人の政治家としての胆力の無さ、限界がある。もっとも、はじめから運に見放されたような人だけどね。

となるといよいよ福田vs.麻生の一騎打ちか、党内氏派閥が支持を表明している福田優位の流れが確定的となり、麻生も出馬断念か?

まあ、このままなら福田の圧勝なんでしょう。そして、まずそうなるんでしょう。

だからと言って麻生さん、出馬断念はいけませんぜ! 今勝ち目がないからと出馬断念では、あなたにとって、次につながらない。むしろ討ち死に覚悟で打って出て、総理総裁への熱意を周知させてこそ、次につながる可能性も出てくるというものだ。今矛を収めれば、国民世論の間でも、男を下げるだけですよ。自身の意図はともかくも、男性フェロモンを全然感じさせない福田なんかと違って、べらんめえのどちらかというと男っぽさがイメージとして定着している麻生氏なのだから、ここで不戦敗は、男がすたる。逆にヘタレイメージができてしまう。たとえば、「加藤の乱」の時の泣きの谷垣さんの無様なこと。あんなみっともない泣きっ面を全国に晒して、何の得にもならないから。ヘタレキャラは谷垣一人で十分。にの轍を踏むことなかれ、麻生さん!

私個人としては、正直、あなたをそれほど高くは買っていませんよ。小泉さんに敗れたときの総裁選、外国人記者クラブで英語でインタビューに応じていましたね。一方、小泉さんは日本語オンリー。ここに、あなたと小泉という人の政治センス、政治カンの優劣がはっきりと出ていました。センスばかりは、どうにもならんですものね。「はだしのゲン」の問題もそうだ。あなたいつから反日・売国政治家になったのかと思いましたよ。

でも、福田さんよりは買っている。福田さんてのは、これからの人ではない。もう「終わる」人。年齢的には大してかわらないけど、森や古賀、青木なんかと一緒に、日本国の明日のために、消えていくべき人。つまり、不要な人材。いわば、ゴミですわ。それもリサイクルも効かない粗大ゴミ。ただの迷惑。

麻生さん、あなたはまだ今後、政権交代=自民下野、民主政権瓦解、政界再編の時に、もうひと頑張りできる人のはず。その「これから」につないでいくためには、今負けるを承知でも出馬せねばなりませんよ!

戦わずして福田一本化、福田政権誕生では、自民党にとっても不幸だ。次の総選挙での負けがより悲惨なものになるでしょう、きっと。そうなればなおさら、上記のシナリオが現実味を持つのでしょう。でも、そのときあなたの受けるダメージも大きいですよ。少しでも、今後のためにあなたにとってのダメージを小さくするのであれば、今はあえて出馬すべきなのです! 孤軍奮闘、矢折れ、刃尽きてこそ、そこに国民世論はあなたへの評価を更に見出すことでしょう。福田政権発足時にはそうはならなくとも(まあならないでしょう)、福田はいずれポシャるのですから、その時にこそ、あなたの今の敗北が生きてくるはずですよ!

損して得取れではなが、今の負けは明日の勝利!


ちなみにひとつ気になることがあります。あなたがいち早く安倍後継に名乗りを上げたことに対して、勝ちを急ぎ過ぎたとの見方もありますが、そうなんですか?福田擁立をめぐる党内の動きに対して、目論見違いをしてしまったのですか?

そうだったのなら、これまた、政治センスないなあ・・。

私は、てっきり安倍後継はあなたの本心では無いと思っていましたが。つまり、今やっても思うようにはいかないどころか、短命政権でハイ終わり。それをさけるためには、上手に政権が回ってこないようにするしかない。幸いにして党内にアンチを抱え且弱小派閥の長であるあなたが出馬宣言すれば、当然アンチらは対抗馬つまり福田を押し上げてくる。そうなれば、勝ち目はない。勝ち目がなければ、安倍後継という「選挙管理内閣」イコール「敗戦処理内閣」をやらされ、事実上政治生命が「上がり」にならずに済む。自民党がその結果どうなろうが、麻生太郎という政治家の「明日」はまだ残る可能性がある。私はその可能性のためにも、あえて福田をおびき出しておいて、ババをつかませようとしたのかと・・。

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