くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

男としての恥を知れ、民主党細野豪志!: 女子アナとの不倫騒動をめぐって

2006年09月30日 | Weblog
「不倫は文化だ!」と言い放ったのはかの石田某である。

不倫が文化か、単に人間の性欲のなせる業が否かは、不倫童貞の筆者にはいざ知らず、またここで不倫そのものの是非を論ずるつもりもないが、それにしても、細野豪志という男、見下げたヤツである。率直に言って、同性として、尊敬に値しない輩である。一昔前なら、「女の腐ったようなヤツ」の類といったところか・・・。

相手の山本カタカナ名前とかいう女子アナもしくは電波芸者のことはあえて言うまい。この種の「尻軽」と言われても仕方ないような手合いをいちいち相手にしても仕方すまい。

一方、細野先生に関しては、そうはいかぬ。この卑怯未練な男には一言言わずばなるまい。不倫という名の婚外性行為が発覚したのを受け、民主党執行部に進退届伺を出したとのことだが、まさにここに、この細野という男の狡さ、卑怯さがある。党執行部ではなく、己で己の見の不始末を処断すべきではないのか! それをせず「伺」とは、そこに議員として何とかして生き残りたいとの卑怯未練な心底が見えて浅ましい。

それが証拠に、不倫発覚後のコメントにいわく、深く反省し、信頼を取り戻すべく国政に全力を尽くしていく、とのことである。

が、こんな輩が「国政に尽力」とは片腹痛い。一体自分を何様と思っているのか。自分がいなければ国政が立ち行かぬとでも思っているのでえはないのか。率直に言って、細野レベルの政治家などいてもいなくても国政に影響なし。いやいないほうがかえって国民には良いのかもしれぬ。

まず一つに己の性欲もうまくコントロールできぬ人間が何が国政か。国政云々を言う前に、テッシュペーパー一箱抱えて自分の下半身の面倒に全力を尽くしていれば良いではないか。国政に関心を持つのはそれからの話にしてもらいたい。不倫させるために税金でメシ食わせているのではないのだから。

二つ目に、家族を顧みず、妻を裏切り、我が子を欺いた男が、国政などとおこがましいことを口にすべきではない。家族すら守れぬ男が、国家のために尽くせるはずなどあるまい。妻子を、さらには選挙区の有権者の信頼を裏切った男が、国は裏切らないという保障がどこにあるというのか?女子アナと懇ろになったと同じ調子で、どこぞの外国と懇ろになられたらたまったものではない。

三つ目に、政党政治家としてあまりにも判断が甘く稚拙である。細野先生、昨年の総選挙以来民主党がいかなる状況にあるのかということを知らぬではあるまい。先生が側近として仕えた前原氏が辞任に追い込まれた偽メール事件で党が受けた打撃もご記憶のはず。今ここで先生が不始末をしでかせば、党にどのような損害を与えるかくらい容易に予見できたはずでは?それとも、不倫をマスコミに嗅ぎ付けられないとでもタカをくくっていたのだろうか?もしそうだとすれば、甘いにも程がある。現代の政治において、マスコミをうまく扱えない政治家は、政治家失格である。

細野先生、卑怯、恥知らずでないと言うのであれば、まずは議員辞職し、次の総選挙に再出馬して支援者、有権者の信を問うべきではないのか!? あなたは妻子を含め多くの人々を傷つけ、裏切ったのだ。この事実は重く受け止めるならば、まっずは「仕切り直し」、それでもって見事国政に返り咲くべきではないのか。それが男としてのケジメといものだ。そんな度胸もなくば、所詮あなたはその程度。とても、国政に携わるべき器ではない。国政はあなたのオモチャではないのだから、潔く政治の世界から身を退かれてはいかがなものか。

細野先生・・、あんた男だろ? このまま議員のイス守ろうなんて、無様ですよ・・。

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安部新総裁誕生:政権の行方と今後の政局は?

2006年09月21日 | Weblog
おそらく誰もが予想した通り、安部晋三が自民党の新総裁に選ばれた。25日に三役人事、26日には臨時国会が招集され安部総理が誕生する予定である。

さて、安部新体制、政権の行方やいかに、ということであるが、まず最初に注目しなければならないのが、自民党総裁選での安部氏とその他の二人の候補の得票数であろう。安部氏は大勝したものの、議員・党員票の獲得数は500に及ばず、議員票も300に届かなかった。一方、麻生、谷垣の両氏はともに得票数を三桁に乗せた。

この結果、すなわち安部氏への票が選挙前予想よりも伸び悩んだことが、安部総裁の下での自民党の新体制にどのような影響を及ぼすのであろうかということであるが、一寸先は闇の永田町である。吉と出る可能性もあれば凶と出る可能性もあろう。ただ筆者は、少なくとも党運営という点において、朝日新聞が社説で言うような「不安な」ことにはなるまいと予測する。すなわち得票が予想を下回ったことが安部総裁べの足枷になるというように否定的な見方をする必要は必ずしもあるまいと考えている。

確かに対立候補二人が共に三桁の得票を得たということは、党内に安部氏の示す路線や選挙戦中の安部氏の参院選の候補者選定をめぐる発言への反発があることを示していると見て差し支えあるまい。党内に反安部感情が存在するということは、すなわち安部氏は円滑に党運営を行っていく上において、自身への反発にも一定の配慮なり譲歩を余儀なくされる可能性を示唆しているわけだ。

しかし、災い転じてではないが、誰もが安部氏を支持するかのような状況よりもかえって反対派の存在が明確であった方が、安部氏としては党内運営を行い易くなることも考えられるのではないか。もっとも、これは国民の安部氏への支持率が現在のように高いということを前提にしたうえでの話だが、国民的支持の高い安部氏に目に見えて反対の立場を取るということは、アンチ安部勢力にとって安部氏への政治権力闘争を公然と仕掛けることは容易ではあるまい。つまり、一定の支持率を保つことができれば、安部総裁は小泉時代と同じ手法、すんわち党内反対派に抵抗勢力とのイメージを付加することで、反対派を抑えていくことが可能になるのかもしれない。優勢民営化をめぐって反小泉勢力が、世論を背景とした小泉氏に追い落とされていったつい最近の出来事を前に、アンチ安部勢力も、民意が味方しない限りは、公然と安部氏に対決姿勢で臨むことは容易ではあるまい。であれば、アンチ安部勢力というか非主流派勢力は、安部路線に真っ向から勝負を挑まずに部分的な妥協を相手から引き出すという形でしか対決の姿勢を取っていくことはできまい。

また、アンチ安部精力には折悪しく、来年の夏には参議院選挙が控えている。好むと好まざるとにかかわらず、安部氏が自民党のの広告塔と目されることは必至であり、与党を過半数割れに追い込むと息巻く小沢民主党とガチンコせねばならない。かりに過半数割れなどということになれば、安部下ろしの動きも出てこようし、かりに誰かが安部に取って代わったとして、誰が政権を執ろうと少なくとも次の選挙までの3年間は国会運営が困難なものにならざるをえないくなるのだ。そうした可能性を前にして、果たして党内のアンチ安部勢力はどこまで安部総裁への対決姿勢を取ることができるのであろうか。

党内の参議院議員たちとてそうだ。安部氏の候補者選び発言に反発するのはいいが、それが安部氏の足を引っ張り、世論を安部支持から遠ざければ、それはやがて自分たちに選挙結果として返ってくる可能性もあるのだ。

安部氏の方にしてみれば、来年の参議院選挙は、政権の存続を掛けた大勝負になることは間違いあるまいが、同時に選挙があるがゆえに、選挙というものが世論を無視しては勝てないものだけに、自身への支持率を可能な限り維持することができれば、党内の反対勢力を牽制していくことが可能かもしれない。であるからと言って、国民世論をバックに反対派と党内でバトルを繰り広げるという小泉流をそのまま踏襲するわけにもいくまい。当然ある程度は党内反対派に断固とした姿勢で臨む姿を国民に見せる必要はあるのだが、対決一辺倒では前任者の二番煎じの感が強すぎ(といっても、小泉首相も何が何でも反対勢力との対決でやってきたわけではないのだが、郵政民営化の顛末が国民の記憶の中に強く焼き付けらえてしまったようだ)、それはそれで安部政権の独自色が稀薄との印象を与えるおそれがあるばかりか、「小泉劇場」を5年間見続けてきた国民の支持がその続編のような政権にも集まるとは限るまい。かえって似たような政権仕立てをしてしまえば、世論を倦ませることにもなりかねまい。世論は移ろいやすいものである。

繰り返しになるが、自民党は国民の眼前で党内抗争をやって安部総裁の足を引っ張っることに忙殺されたままでいられるような状況にはないのだ。3年間に小泉人気で大勝ちした分、普通に考えて負けてもおかしくないのが来夏の参院選なのだ。安部氏自身も「自民党みんなが力を合わせていくことが参院選の勝利につながっていく」と語っているように(読売 9月20日)、安部氏支持派にしろ、反対派にしろ、お互い対決と妥協・歩み寄りを適度に使い分け党内融和を維持しつつ、共にきたる参院選を戦い抜いていかざるをえまい。総裁選が終わり今はポスト安部を視野に入れているであろう麻生、谷垣両氏にしても独自の存在感を党内外に示しつつも、安部氏への批判勢力の急先鋒となり、安部政権を揺さぶれば良いというほど単純なものではあるまい。参院選に負ければ、安部氏が傷つくだけではなく、彼らも党内での勢力を減じてしまうかもしれないのだ。

というわけで、筆者はさほど安部新体制の党内運営を心配はしていないのだ。ただし国民の支持率を高水準に維持できればの話ではあるが。換言すれば、安部政権のアキレス腱は移ろいやすい民意ということになる。

支持率維持のために重要なのはまず組閣であろう。組閣でどう国民の心を掴むか。マスコミはしばし小泉氏の「サプライズ人事」を喧伝するが、振り返ってみれば、小泉人事は意表をついたものばかりではなかった。組閣人事などを振り返ってみると、マスコミに踊らされてサプライズを期待する余りか、「なーーんだ」と期待はずれを感じたこともあったのは筆者だけか。安部氏は、適材適所の党内世代間にバランスのとれた人事を行う意向とのことだが、適材適所にしろ、世代間バランスにしろ、世論へのインパクトを欠けば、出鼻をくじかれるかもしれない。

ただ、組閣人事が世論にインパクトを与えたとしても、その効果は一過性のものでしかあるまい。人事よりも何よりも今後安部政権にとって重要になってくるのは、国会運営であろう。まずは今年の臨時国会。会期中に、より具体的には秋の例大祭に安部氏が靖国に参拝することがあれば、隣国がおきまりのレスポンスを見せ、それに呼応するかたちで国内でも安部氏への攻撃が強まるであろう。ただ、参拝しなければしないで、安部氏支持者の中に失望を生むことになるかもしれなう。筆者としては参拝して欲しいし、就任早々例大祭に行かないでは、

かりにうまくできても、その効果も夏の参院選までは持つまい。ということで、やはり正念場は来年の常会ではないだろうか。小沢民主党も、ここを勝負とばかりに臨んでくるにちがいない。ここで民主党が抱える党内意見の不一致を突くような案件を持ち出して揺さぶることができれば、それにこしたことはない。来年の会期中に小沢民主が党内でゴタゴタを起こし、小沢という今の民主党にとっての唯一の看板が色あせれば、もともと勝機のあるはずの参院選を民主が取りこぼすという自体になるやもしれぬ。そうはならずとも、思うような党勢の回復を実現することはできないかもしれない。さりとて、自民党も公明との連立を組む立場上、例えば集団的自衛権の問題などを見ても、与党間の政策的足並みを揃えるのは決して容易ではあるまい。公明の太田新体制がどう出てくるかにもよるが、大きな変化はまずあるまい。

来る臨時会の会期中または来年の常会の会期中に再び歴史問題や靖国が争点になれば、外国勢力を巻き込んだ形で、自民党の内外に安部政権を攻撃しようとする動きが出てくるやもしれぬし、そうなれば歴史・靖国で安部氏とは一致しない公明党との連立もぎくしゃくしてこよう。だが、かりに靖国・歴史問題で安部が従来からのスタンスを貫いたとして、政権を揺るがすような事態には立ち至るまい。首相の靖国参拝で世論が二分する一方で、半数以上がアジア近隣による靖国問題への干渉を倦んでいるという世論調査の数字も出ている。メディアや野党、与党の一部が騒いだところで、世論が大きく変わりさえせねば、安部には大きな打撃とはなるまい。公明党も靖国・歴史問題で安部と立場を異にするからと言って、おいそれと連立を解消し野に下るような腹づもりなどまずあるまい。公明党・創価学会は権力の中枢に手が届くポジションにいながら、そのような問題ごときでむざむざと、うまみのある地位を手放しはすまい。靖国・歴史問題に関して、安部氏にとってむしろ好ましくない選択はむしろ、政権の座に就くことによって、この問題を巡る氏の従来のスタンスを変えてしまうことであろう。

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自民党総裁選のくだらない歴史論争: 谷垣禎一を批判する!

2006年09月19日 | Weblog
悠仁親王殿下ご誕生に際して、「これで40年は」と皇位継承へのあまりにも脳天気な見識を示した自民党総裁候補の一人麻生太郎外相。皇位継承の問題とは我が国の国柄を決する重大至極な問題であるにもかかわらず、しかも皇室とは縁戚でありながら、このような安易なことを軽々しく口にする人物を首相にしてはならないとその時筆者も思ったものである。

元々、麻生という政治家、決して見るべき政治カンというか政治センスを持っているわけではない。最近の政治家で政治センスの無い代表格と言えば、筆者は、元民主党代表岡田克也氏をその筆頭の一人に挙げる。岡田氏ほど致命的ではないにせよ、麻生氏も大したカンやセンスは持っていないと予てより筆者は見ている。2001年の自民党総裁選を思い出したい。小泉総裁が誕生した平成13年の自民党総裁選を思い出したい。総裁選の最中の外国人記者クラブでの会見で、麻生氏はお得意の英語でもって対応した。本人としてはどういう腹づもりだったか知るよしもないが、それに対して小泉純一郎氏は、一応英語らしきものはしゃべれるが、一貫して日本語で対応した。どちらが世論受けしたかは言わずもなが。小泉氏がそれを読んだうえでの日本語だったのか、それとも会見に応じるほどの英会話力もないからそうせざるをえなかったのかは知らない。ただ、麻生氏が英語を使うことによって得られる効果を読み間違えたのは事実で、かえって小泉氏の引き立て役になってしまったのだ。総裁選が始まってから放映された葉巻をくゆらす姿も、格差社会云々がとかく論じられる世情にあって、麻生氏に追い風になるわけなどないのだ。それくらいの計算力もない、いやそれ以前に政治カン、センスのない人間に総理総裁は務まるまい。所詮器ではないのだ。

麻生氏同様、谷垣禎一という人物も、決して総理総裁にしてはいけない男である、と”改めて”痛感した。谷垣氏の場合、麻生氏以上に、総理総裁の職にふさわしくないとすら思うのだ。

まず忘れてはなるまい、平成12年の所謂「加藤の乱」の際の氏のあの醜態を。安手の政治ドラマか学芸会かと見まごうばかりの男たちの涙。筆者は議員先生方が涙にくれる姿をTVで拝見し、思わず笑っった。そして笑った直後にこちらが泣きたくなった。日光サル軍団のサルたちでもきっと赤面してしまうような猿芝居以下の政治ドラマを芝居ではなく地で演じる低レベルな連中を国民の代表としてまた国家の指導的立場にある人間として持つ日本という国の行く末があまりにも心許なくなったのだ。中でもピカイチに醜態を晒してくれたのが、「あんたが大将なんだから!」の谷垣氏であった。あのような無様な政治的敗北、そこに谷垣という人物の政治家としての能力の限界が示されていたのではないか。あれから6年、氏も財務相の要職を務めるなど、政治的に成長したのかもしれぬが、「三つ子の魂百まで」という。あの年になって成長したからと言ってたかが知れようというものだ。決して6年前に氏が示した「限界」を克服するほどの成長ではあるまい。

そして今回の自民党総裁選においても、谷垣氏は一国の総理にふさわしからぬお粗末な歴史観を披露した。

総裁選が始まって以来、谷垣氏と安部氏に歴史認識をめぐる対立が目についてきた。読売の言を借りれば、「『歴史認識は歴史家に委ねるべきだ』などと争点化」を避ける安部氏に対して、「谷垣氏は戦争責任についても『隣国への配慮』を強調し、安倍氏との違いを打ち出そうとしている。」

一寸待てと言いたい。歴史認識問題を総裁選という政治闘争に持ち込むことと、そのタイミングの是非を論ずる以前に、谷垣氏がいう「戦争責任についての隣国への配慮」という言葉に対して、筆者はその意味を理解する能力を持ち合わせてはいない。弁護士資格をお持ちの谷垣先生にこのようなことを言うのはおこがましいことかもしれないが、戦争責任とは戦時国際法や国際条約に照らして追求されるべきものではないのか。と言えば、戦争責任とは法的責任だけではなく、道義的責任をも含むとの反論が聞こえてきそうだが、では道義とは何ぞやと問わねばなるまい。道議などと言い出せば、それこそ主観論のぶつかり合いの堂々巡りになるのが落ちではないのか。かりに多種多様な道徳観、倫理観、価値観の混在するにもかかわらずこの世界に共通の道義が存在したとして、その道義に反する行為が必然的に責任を伴うものだというのか。法として認知し認知されたものを犯せば、そこには罰則を受けるなどの責任が発生しようが、道義的にもとる行為が他者による非難を不可避にするものであったとしても、責任までをも伴うものなのかとなると、これまた喧喧諤諤の結果となろう。そうなれば、歴史カードで対日外交を有利に進めんと目論む「隣国」を利するたけではなかろうか。

筆者は、法的な意味における所謂「戦争責任」なるものに関して、少なくとも「隣国」との関係でいえば、すべて解決積みであるとの立場を取る。負う必要のない責任まで負わされて、余計な身銭を払わされたとすら思っている。日韓基本条約などまさにその好例だ。謝らずともよいことに頭を下げ、くれてやらずともよい大枚をくれてやって、いまだ叩かれ罵られ続ける有様だ。先方は、戦争責任問題のけじめとしての賠償問題はいまだ未解決との立場を取るが、笑止なことである。総理総裁候補たる立場にあって、谷垣氏がかりに法的な意味においても「戦争責任についての隣国への配慮」などと言っているのであれば、それはゆすりたかりの類に与するの行為であると知るべきである。

戦争責任が法的なものにしろ、かりに道義的なものにしろ、それを我が国が一方的に負うべきものではあるまい。我が国は南北朝鮮に対する戦争責任を有しない。戦争状態にあった隣国と言えば大陸だが、大陸との戦にしても、我が方ばかりが法的あるいは道義的に責め立てられるのは片手落ちに過ぎる。松の廊下での刃傷に対する公儀の仕置きへの赤生義士の片手落ちとの憤りを義とするのであれば、大陸や国内の一部勢力の我が国の戦争責任への糾弾もまた片手落ちとの認識を持つべきではないのか。

また、歴史認識への『隣国への配慮』をいうのであれば、同時に己の歴史認識こそ絶対唯一のものとして我が国をその前に跪かせようとする近隣諸国に対しても「我が国への配慮」を求めるべきではないのか。向こうの歴史認識に明らかな事実の誤認や歪曲があることを谷垣氏も知らぬではあるまいし、いかに村山談話に「賛成」しているからと言って、先方の歴史認識にまで諸手をあげて賛同しているわけではなかろう。さもなくば、そのような偏った歴史観を持つ政治家に国の舵取りを委ねるわけにはいくまい。

率直に言って「隣国への配慮」を訴える谷垣氏の歴史観は、それこそ「ガキ」レベルと言わざるをえない。まさに谷ガキなのだ。再び読売新聞によれば、「谷垣氏は18日のJR池袋駅前での街頭演説で、昭和戦争について『日本が中国に軍隊を送り、中国の方がたくさん亡くなったのは事実だ。お隣の国民感情を尊重しなければならないのは、はっきりしたことだ』と訴えた」とのこと。

そもそも読売の「昭和戦争」という名称自体気に入らない。昭和のはじめの20年間に起こった戦争を十把一絡げに「昭和戦争」と呼ぶのであれば、明治にあった日清・日露の戦争は「明治戦争」と呼ぶべきとでもいうのであろうか。因果関係ということで言えば、日清、日露は決して無関係ではあるまい。ただ昭和戦争にしる明治戦争にしろ、そうした大雑把な括り方をし過ぎると「15年戦争」という名称同様、かえって歴史認識に歪みをもたらし歴史を正視することを難しくしてしまう恐れもなくはない。読売新聞は歴史学者ではないからそうした大雑把も許容範囲と言えばそれまでかもしれぬが、いやしくも社会に多大な影響力を持つ大メディアが社を挙げての歴史検証を行う以上、歴史学者ではないから、素人だから、という言い逃れは通じまい。もっとも、転向者のナベツネの音頭取りで始まった歴史検証である。筆者は転向した人間をその利用価値は認めても心底信用はしない。一度転んだ人間が再び転ばぬという保証がどこにあるのだ。転ばれた方から見れば、転向者すなわち裏切り者である。一度一を裏切った人間が再度裏切らぬなどという保証がどこにあるというのだ。ナベツネ氏、代々木に跪きそして背を向けた理由をたしか「文藝春秋」か何かで語っていたが、口の達者なお方だ。口では何とも言えるが、転向者の「言い訳」ことなど信用できるか!その転び歴のあるナベツネのしたことである、存命中にまたぞろころりと踵を返すように歴史認識のスタンスを変え、「○○戦争」なというわけのわからぬ名称を言い立てるやもしれぬ。

話が逸れた。転向者のナベツネや読売のことなどではない、谷垣氏の「ガキ」並みの歴史感について語らねばならない。

 日本が中国に軍隊を送り、中国の方がたくさん亡くなったのは事実だ。

確かに二つとも事実だ。軍を適地の入れたのは向こうではなくこっちだ。より多くの犠牲者を出した(とされているのも)こっちではなく、向こうだ。

だから何だというのだ?(笑) 単純にどちらが軍を進め、どちらがより多くの犠牲者を出したかによって、歴史認識をめぐって配慮する側とされる側が決定されるというのであろうか。そのようなばかげた話は飯を吹き出さずには聞いておれない。かりに谷垣セオリーが正しいとすれば、沖縄に侵攻した米国は、よりも多くの犠牲者を出した日本の歴史認識を尊重せねばならない、一方的に侵攻したドイツの歴史認識を尊重せねばならない、ということになる。では、シンガポール攻略の場合はどうなるのだろう。攻め込んだのは日本軍。一方、より多くの死傷者を出したのも日本軍。この場合、谷垣セオリーをどう適用したら良いのだろうか?街頭演説だからというところを大目に見たとして、「谷垣さん、あなた正気ですか?」のレベルのくだらない議論ということには変わりあるまい。あえて救いの無い拙論とまでは言わないが・・。

総理総裁不適格者のなかでも、「歴史責任に関する政府見解をまとめる可能性について『そんな簡単にはいかない』」(読売 9月18日)とした麻生氏の方が、一寸はまとものような気がしないでもない。

とダラダラと書き連ねているうちに、安部ちゃんが総裁になっていた。安部政権が今後どれほど続くのか知らないが、「ポスト安部」は脳天気麻生か「谷ガキ理論」の「泣き」の谷垣なんてことになったら、世も末である。そうなるくらいなら、安部政権で天下大乱、政界再編となってくれた方が救いがあるかもしれない。




続く
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5年目の9・11 その2: 反米感情とテロ擁護論の妙な関係

2006年09月18日 | Weblog
さて、5年目のその日、複数の知り合い(すべて日本人)と9・11同時多発テロについて「床屋談義」が交わされた。

その中の数人が、米国原因論やらイラク戦争、果ては米国陰謀説まで持ち出して、あたかもテロを犯した側にも理があるかのような物言いをした。

筆者は決して自身をして親米派とか親米ポチを自認するものではない。滞米14年になるが、どうしても馴染めない部分がある。いわく言いがたく肌に合わところがあるのだ。日米関係の歴史的経緯などを考えるとこの国には腹に一物ないわけでもない。日米関係が民主主義という共通の価値観によって結ばれた、あるいは結ばれるべき、同盟関係であるなどとナイーブな理念重視型の外交姿勢などというものは糞食らえとさえ思っている。

筆者のスタンスが親米であるとすれば、それは「米国が好き」という感情的なものや、米国の掲げる自由・民主の理念への共鳴とかによるものではなく、功利的な理由によるものでしかない。おそらくいやきっと現在の米国の政治指導者とて、人種や宗教、伝統の大きくかけ離れた得体の知れぬ相手と共通の価値観を共有しているとか、イデオロギー的な部分においてまで共鳴し合う相手などとは思っていまい。かりに個人的にそう思う人物がいたとして、それは極めて少数派に違いない。日米関係は決して米英の関係にはなりえない、日本人が白い肌と彫りの深い目鼻立ちを持ち(もっとも平井堅のような面立ちもこれまたコーカソイド的な彫り深さとは違うのだが)、キリスト教を、プロテスタントを信仰せずば。たとえ「血」で結ばれることになったとして、人種そして宗教という彼ら価値観の基層をなすものを共有しない限り、日米同盟の基層は常に功利的なものの共有に依らざるをえまい。それに忘れてはならないのは、かりにどんなに米国を嫌悪しよとも、少なくとも現今において我が国は米国との協調は好むと好まざると我が不可避、不可欠なものとして受容せざるを得ないのだ。戦後60年そういう国家体制であり続けてきたのだ。それを変えようとしても一朝一夕になしえるものではない。声高に反米を叫び、ナショナリスティックに自主防衛を主張してみたところで、それが即成就できるものではあるまい(もっとも、筆者は自主防衛という理想は持ってはいるが)。ならば、感情的なものを排除した上で、米国といかに安定的かつ友好的な関係を維持していくかということに腐心せざるをえないのだ。では、功利的な日米関係を安定的に維持していくためには、どうすればよいのか。功利的な意味において、我が国が米国にとって「利用価値」のある存在でなければならない。と同時に我が国にとって安全保障上そして経済上米国に「利用価値」がある以上、日米関係は功利的なギブ・アンド・テイクの関係であり続けるべきであろう。

その功利主義的な意味においてのみ親米の筆者が、911同時多発テロについてテロリスト側に一理あるとする立場をまったく理解できないというのではない。既述のように、筆者も米国には腹に一物ある。それゆえに、決して上品なことではないが、「ざまあみろ」のような思いが、911テロの際日本人のなかに起きたとして、決して驚きはしない。もっとも、筆者個人としては、あの映像の衝撃にそうした思いを抱く暇もなかったし、衝撃が覚めやった後も、繰り返し報道された犠牲者やその遺族たちの姿に心痛みそのような思いに至ることはなかったのだが。、また米国の歴史的な中南米政策や戦後の中東政策を見れば、嫌悪感あるいはそれ以上の感情を抱くこともあるし、米国の中東政策が対米テロ(しかも大規模にして無差別の)を引き起こさんとの感情をムスリムの中に惹起する一因になったとの見方も否定はしない。

同時に、それが大国の外交というものなのだ、国際関係の現実なのだ、ビスマルクが岩倉使節団に語った国際関係といものはいまだ基本的かつ本質的な部分において何ら変わっていないのだとも思ってみる。それゆえに、米国の中東政策がテロの一因となったとして、それは国際関係における力関係によって不可避に起こりえる感情の所産にすぎないとも思う。過去においても、そして今後も、国際関係の力学が生み出す人間感情、特に強者と弱者の関係において生み出されるそれは、無差別テロという形に限らずさまざまなかたちで発露されてきたのだし、されていくのだろう。では、その力学を変えるしかあるまいが、それができると思うほど、筆者は楽観的でも理想主義的でもないのだ。

ただ、それよりもなによりも、忘れてはならないことがある。911テロの犠牲者の中には大学生1名を含む20数名の日本人が含まれていたことを。米国市民やそのほかの外国人とともに、我々の同胞もあのテロの犠牲になったのだ。つまり、911テロとは他人事ではなく、我がことでもあるのだ。

911テロを米国の中東政策の「自業自得」であるとテロリスト側に理解を示したり反米感情ゆえにほくそえむ連中は、どうも自分たちの同胞が犠牲となったということを看過しているかあるいは軽く見ているらしい。同胞がテロの犠牲になったということに悲しみ怒る前に、米国自らが招いた結果だとか、テロリストたちの反米感情には理解できるところがあるなどという声を耳にしたりすると、テロも怖いが、そうした同胞意識の欠落もこれまたそら恐ろしい。我が国では戦後の経済発展と社会構造の変化にともなう地域コミュニティーの崩壊、喪失が指摘されるが、同胞犠牲者の存在ををさしおいて911テロの原因論をもっともらしく語る連中をみていると、どうやら戦後の日本人は日本人あるいは日本国民としての共同体意識すら失わずとも希薄になってしまっているのではないかと思いたくはないが、思えてしまうのだ。

911テロ発生5年目のその日筆者が耳にした議論のなかでもっともばかげていると思ったのは、米国の対イラク戦争をもってする911テロ擁護論であった。イラク戦争が大義名文薄弱なものであったということは、今更否定するまでもないことと思うが、それを以って何ゆえに911テロを擁護できるのか、筆者の理解力の及ぶところではない。思考が倒錯してるのではないかとすら思えてしまう。まず時系列的にみておかしな議論だ。言うまでも無く米国がイラク戦争が発動し、その後に911テロが起こったのではない。換言すれば911テロはイラク戦争への報復行為ではないのだ。このようなことは子供でも理解できるはずだ。あるいは911テロが「大義なき」イラク戦争と相殺されえるものだとでも考えているのだろうか。もしそのような相殺主義的発想がまかり通るといのであれば、米国人がしばしば言うところの真珠湾あっての原爆投下という理屈を我々日本人は受け入れねばならないかもしれない、筆者は御免こうむるが。

テロは政治の一手段であることを筆者は否定しない。使いようによっては政治的な有効性を発揮することもあり得るとも思う。だが、そのテロが我が国並びに我が国国民を標的にし、あるいは我々を標的にせずとも巻き添えにすることを躊躇しないとすれば、我々は、日本国として日本国民として、我々の生命・財産に危害を及ぼす行為を許してはならないし、断固として対峙せずばなるまい。米国を敵視してか憎むあまりに、他方の敵には憎しみを向けず、それどころか危害を加えられながらも「造反有利」ならぬ「テロ有理」とばかりに原因論を語ってテロリストたちに一定の理解を示す輩こそ、筆者は激しく嫌悪する。911テロは我が国国民の命を奪ったのだ。これは何人も否定できぬ事実なのだ。であればこそ、小泉政権下の日本国政府によるテロとの戦いへの支持は、国民同胞の生命・財産を脅かす「敵」への国家としての当然至極かつ正当な行為であったと筆者は今も信じている。

テロとの戦いはいまだ終わってはいない。我が国同胞の命を奪ったテロリストの首魁と目されるオサマ・ビン・ラディンもまた捕縛されていないのだ。ビン・ラディンを倒してもテロとの戦いは終わらないであろう。それでも我々は戦い続けねばならない、敵が我々と我々の同胞の生命と財産を脅かす限りは。
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5年目の9・11 その1: あの日あの時

2006年09月13日 | Weblog
あれから5年目の9月11日を迎えた。

平成13(2001)年9月11日を忘れはしない。いつも朝4時半に起きるのに、その日に限って寝坊してしまった。筆者は当時仕事柄まだ夏休み。ただし午前中に大事なミーティングを控えていた。筆者の薄給のため共稼ぎする妻と託児所に行く子供を送り出し、TVにスイッチを入れると、いきなり「あの」映像が眼前に現れた。

ワールドトレードセンターには、学生時代、年末に観光でNYCに行った際立ち寄ったことがある。個人的に決して好みの建築物ではなく、「でかいな」とは思いながらも、内も外も「不細工なデザイン」という印象を持ったものだが、摩天楼の中でもひときわ高くそびえるツインタワーの一つからは黒煙が、そしてまさにもう一つにも飛行機が飛び込みオレンジ色の炎を上げ爆発する映像であった。

映像を見た瞬間、驚きはしなかった。まだ完全に目が醒めていないこともあったが、俄かにそれを現実として理解することができなかったのだ。新作映画の紹介か何かと勘違いし、「最近のCGはすごいなあ」と思ったのだ。だが、そう思った直後、TVから聞こえてくるアナウンサーかリポーターの声に、それがまごうことなき現実であることを悟った。あわただしくチャンネルを変えてみたが、どの局も同じ文字通り衝撃的な映像が流れていた。

その日は結局一日中TVに釘付けとなった。予定されていたミーティングは、予定していた場所が筆者が暮らす某州の公共施設であったために万一に備えて閉鎖となり、急遽キャンセルになってしまったのだ。

この一件の他にも、筆者の身の回りに事件の余波が若干及ぶことになった。

事件のおきた週末に予定されていた日本人コミュニティーの運動会が急遽延期となったのだ。

中止ではなく延期であり、結局次の週末に開催となったのだが、そこにいたるまでの顛末がいかにも「日本的」であった。事件に直面し、主催者は何をしたか。独自に思考し判断を下す前に、米国内の他の日本人コミュニティーと連絡を取り、「おたくはどうされますか」と聞き回ったのだ。加えて最寄の総領事館の判断を仰いだ。在外邦人の安全確保を職責とする総領事館に連絡を取るのはよしとして、自分なりに考え判断することなしに、他所がそうするなら自分たちも、という行動の主体性の欠如は我々日本人によくみられることではないだろうか。

話は9・11とは関係ないのだが、主体的判断を放棄した日本人の横並び意識の別例としてあきれ返ったことが、数年前にあった。筆者の暮らす地域に一大活動拠点を持つ某日系大企業が米国での事業立ち上げ25周年記念行事の一環としてディナーパーティーを催した時である。地元関連企業や下請けの経営者たちも招待を受けた。そのほとんどは日本から進出した企業の日本人経営者たちである。こちらの流儀で言えばディナーパーティーは言わずもがなに夫婦同伴。招待された側の日本人のご夫人方は、当然こちら流で自分たちもと、ディナードレスを新たに買うなどして、滅多にない大きなパーティーに嬉々としながらその日に待ちわびていた。ところが、である。パーティー主催者側の社長が夫人を同伴せずに来米することが判明やいなや、その情報は瞬く間に、電話、メールで広まり、横一列、パーティー当日は日本人客は皆ご夫人方を同伴せずの出席とあいなったのだ。もっとも、米国人招待客は、当然のことながらさにあらず。夫人を同伴しなかった本社社長にどのような理由があったかは知らぬが(好くなくとも離婚したとか、男寡という話を聞いたことはないが)、正直言って、20年以上も米国で商売してきたにもかかわらず、しかもこの大企業にして・・・とあきれてしまった。米国人招待客は、夫人を伴わぬ日本人たちを奇異に思い、ジャパンの異質さを改めて感じたに相違ない。もっとも、ジャパンをよく知る者は、驚きもしなかったかもしれないが。その大企業、以前「当社は日本企業ではありません」とのたまったそだが、言葉とは裏腹にどっぷり日本的な一面を25周年という晴れの場で晒してしまったのだ。生半可なことは言うものではない。何でも迎合すればよいとは決して思わぬが、郷に入らば郷に従えということをもう少し真剣に理解した法がいいと思ってしまう。金儲けのために見知らぬ土地に来たくせに、その土地の流儀や人情を理解しようとせぬ日本人って結構多いというのが、少なくとも筆者の周りの現実なのだ。

運動会の話に戻るが、加えて外務省の対応も、これで良いのかと首をかしげるものであった。ワシントンDCにある駐米日本大使館が、「中止するのが妥当との判断であったが、最寄の総領事館は「延期は考慮の必要があっても、取りやめることはない」との見解を下していた。後者が前者に一致しない判断を下したとして、それ自体は外務省の組織的に問題ではないらしい。だが、外務省が保護の責務を負う在外邦人の立場としては、アドバイスを仰いだ相手が異なった判断なり見解を下しては、余計に混乱し独自の判断を下しかねてしまう。確かに、テロの標的になった
ペンタゴンに近いDCにある大使館と、まず標的にはなるまい地方都市にある総領事館とでは、危機意識に差異があったとして不思議ではあるまいが、だからよいって在米邦人への対応がそのように一貫性のないものでは困る。そこは霞ヶ関がしっかりとしたイニシアティブを取るべきであったが、それが無かったということではないのか。もっとも、外務省に在外邦人を保護する意思があれば、の話だが。

運動会参加者の一人であった筆者を腹立たせたのは、主催者の延期説明のいい加減さ、不誠実さであった。予定されていた日の数日前に「都合により延期」とだけ電話連絡が回ってきた。余程の間抜けでもなくば、かりにおおよその理由は見当がついていたとして、「都合によりってどいうこと」と不審に思っても当然で、さすがに是に腹を立てたのは筆者だけではなかった。それからまた数日後に「翌週の週末に開催」との再度の連絡があったのだが、当日は欠席者が例年になく多く、団体競技やリレーの類など会の進行に若干の支障をきたし、舞台裏はてんてこ舞いとなった。欠席者の多くは、安全に確証が持てなかったり、主催者の説明の不十分に不審を持ったためであったと直接間接に聞き及んだ。そこでさすがに一言いわねばならぬばかりに、主催者に対して、延期という決定に及んだ経緯について、参加者に向けて、事前に「都合により」ではなくつまびらかに説明すべきであったし、今更ではあってもあえて説明することでけじめをつけるべきと意見した。すると、意外にすんんりと聞き入れ、関係ホームページ上において運営委員会の話し合いの過程と詳細を掲載してくれたのは、せめてもの救いだった。もしそうした事情説明まで拒否したなら、筆者は今頃幸いに何ら商売上の柵も無いその関係者とは完全に関係を絶っていたことであろう。

続く

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『五体不満足』乙武君の「災難」

2006年09月08日 | Weblog
『五体不満足』の乙武洋匡氏のブログでの発言がネット上で物議を醸している模様。毎日新聞によれば、賛否のコメントが殺到してブログが”炎上”だという。

騒動の発端となったのは、9月7日に乙武氏がブログ上に掲載した「紀子さま出産」。短い文章なので以下に全文載せることにする。

  紀子さま出産
  
  世間は昨日から「めでたい、めでたい」と騒いでるけど……
  ひとつの命が誕生したことがめでたいの?
  それとも誕生した命が「男児だったから」めでたいの?
  どちらにしても。
  これで、また大事な議論は先送りにされてしまうんだろうなあ…。
  (sports.cocolog-nifty.com/ototake/mail)

皇室の慶事に水を差した差さないとかいう以前に、これでは一寸言葉が足りないの感は否めず、誤解されたり、突っ込みを入れられても仕方があるまい。筆者のようなどこの誰とも知れない人間のブログではないのだ。数百万部を売り上げた著作を持つ有名人なのだ。日本国中プロもいればアンチもいるであろうことは、本人も認識しているはずだ。そんな御仁にしてはずいぶんとワキの甘いことをしたものである。ネットだから大丈夫とでも高をくくっていたとしたら、メディアに自らを露出してメシを食う者としては、現状認識が甘過ぎる。

乙武氏も、自らの言葉足らずが「誤解」と「憤り」を生じたことを自覚しているようで、翌7日、「深くお詫びします」との一文を同じくブログ上に掲載している。これまた前文載せてみたい。

  深くお詫びします
  
  2ちゃんねるを中心に、たいへんな反響を呼んでしまっているようです。
  お騒がせして、たいへん申し訳ありません。
  言葉足らずの文章を書いたために、多くの方の誤解と憤りを招いてしまったこ  とを、深くお詫びするとともに、弁明させていただければと思います。
  まず、今回、親王のご誕生を「めでたくない」と考えているように受け取られ  る文章を書いてしまったことを、深く、深く、反省しています。
  むしろ、僕は親王のご誕生を「おめでたいこと」「よろこばしいこと」だと思  っています。それは、性別の如何を問わず、ひとつの命が誕生したことを「よ  ろこばしい」と思っているのです。
  ところが、ご誕生を受けてのマスコミ報道や世論には、少なからず「男の子で  よかった」という風潮が感じられました。そのことに、僕は抵抗を感じてしま  ったのです。
  男であろうが、女であろうが、皇室であろうが、民間人であろうが、命の重さ  は等しく、尊ばれるもの。そう思っていた僕には、内親王がご誕生した時より  もはるかに舞い上がった今回の慶事ムードに違和感を覚えてしまったのです。
  どんな命でも尊いはずだ。
  その結論を急ぎすぎたあまり、ご誕生に対するよろこびの気持ちを欠いた表現  となってしまいましたことを深くお詫びするとともに、みずからの文才のなさ  を恥ずかしく思うばかりです。
  最後に、僕と同様の疑問を感じていた友人からのメールを紹介させてくださ   い。
  「テレビで『親王以外にも今日生まれた子おめでとう!! 』なんてセリフを言  ってくれるアナウンサーいたらカッコイイのになあ」
  思慮が足りず、みなさまにはたいへんご迷惑をおかけいたしましたことを深く  お詫びします。
  (sports.cocolog-nifty.com/ototake/mail)

筆者は乙武氏に対してプロでもアンチでもなければ、「叩いてやろう!」などというつもりもないが、ここに、氏とは見解を異にする点があることだけは、以下に述べておきたいと思う。

乙武氏は「ご誕生を受けてのマスコミ報道や世論には、少なからず「男の子でよかった」という風潮が感じられました。そのことに、僕は抵抗を感じてしまったのです。」と語っているが、筆者は氏とは違い何らの抵抗も感じない。なんとなれば、筆者も「親王様でよかった」と思っている一人なのだ。皇位継承問題について、「女帝はOK,女系は断固反対(女系の天皇などというものはそもそも存在しえない)」の立場をとる筆者にしてみれば、尚更のことである。

たとえ継承問題について筆者とは考えを異にしたとして、天皇制度(皇室制度? 少なくとも天皇制とは言うまい。個人的には国体と呼ぶことを最上とするが)の存続を否定しない日本人ならば、ごくごく自然に抱く感情ではないのだろうか。

忘れてはならないのは、今回の親王様誕生は、皇室においては41年ぶりのこと。天皇家、東宮家、幾つかの宮家とあって過去40年以上も男子の出生が無いというのは、決して普通なことではるまい。我々一般国民のレベルでも、自分のとこだけではなく、三四親等のうちに40年以上も男子が誕生していないなんて家はそうそうあるまい。それに加えて今回の41年ぶりの慶事は隣近所ではなく皇室でのことである。将来日本国・国民の統合の象徴になられるであろう方のお生まれなのだ。男子のご誕生に、またまたの女子ご誕生よりも、国民が歓喜として、何ら奇異とすることではあるまい。

また、もしお生まれになったのが内親王様であったなら、皇位継承に対する国民の不安感がより高まることになったであろう。男系男子の皇位継承のみを認めない現行の皇室典範の下、皇位継承者がここ40年一人も増えていないというということは、将来必ず皇統断絶の危機が訪れるであろうことは、誰にでも容易に想像できることだ。しかも、それを回避するための策としての皇室典範改正も、今年の常会への改正案の提出が見送られるなど、先行きが見えてこない。このような状況下で、天皇制度を否定しない国民が、皇室の将来に不安を抱いたとしても、何ら不思議ではあるまい。その不安の中での親王様ご誕生は国民感情に差し込んだ一筋の光のごときものだったのではないだろうか。もっとも、今回の親王様ご誕生によって皇統の将来的な危機が回避されたわけではない。「これで40年は」などとコメントした自民党総裁候補の某もいた。その某氏、妹君は某宮家の若宮様のお妃、すなわち皇室とは縁戚関係におありの方なのだからより一層驚きなのだが、皇統の行く末がそのような能天気なことが言っていられる状況でないことに変わりはないのだ。

乙武氏は、「男であろうが、女であろうが、皇室であろうが、民間人であろうが、命の重さは等しく、尊ばれるもの」と思うからこそ、「内親王がご誕生した時よりもはるかに舞い上がった今回の慶事ムードに違和感違和感を覚えてしまった」とのことだが、親王様ご誕生に「内親王がご誕生した時よりもはるかに舞い上がった」からといって、国民の多くが氏のいう命の重さの等しさや尊さという考えを共有していないということではあるまい。斯く言う筆者は、人の命に軽重や尊卑は「ある」と思っているが・・。

果たして、天皇陛下や皇族の方々と、筆者のようなド平民の命が現実の社会において等しく重く尊いものとして扱われ得るであろうか。とても不謹慎な例だが、例えば、今回お生まれになった親王様と筆者の子供が川か海で溺れているとしよう。そこで、一人しか助ける余裕がないとしたら、あなたはどちらを助けますか。日本国民として父親として筆者にとっては究極の選択ではあるが、一般の国民の多くにとっては必ずしも究極というほどのものでもあるまあいし、普通に考えて、アンチ天皇・皇室でもなければ親王様をお助けることを選択するであろう。こういう例をあげると、だから天皇制(度)などというものは、君主制などというものはということを言い出す御仁も出てこようから、かわりに、親王様とウチの子を最近人気の「ハンカチ王子」とそこらの見ず知らずの同年輩のイケメンではない高校生としよう。さあ、どちらを助けますか。イケメン優勝投手をやっかむ野郎どももがいるとしても、同じく答えは明々白々ではないだろうか。それでも、「どんな命でも尊いはず」なんて言っていられますか?確かに尊いには尊いのだろうが、その尊さが等しくないってのが、現実なんじゃないのだろうか・・・。

最後にもう一つ、乙武氏にご意見申し上げたい。氏は、「深くお詫びします」という9月7日の文章を、次のように結んでいる。

  最後に、僕と同様の疑問を感じていた友人からのメールを紹介させてくださ   い。
  「テレビで『親王以外にも今日生まれた子おめでとう!! 』なんてセリフを言  ってくれるアナウンサーいたらカッコイイのになあ」
  思慮が足りず、みなさまにはたいへんご迷惑をおかけいたしましたことを深く  お詫びします。

筆者は、上述のように乙武氏と考えを異にする部分はあっても、今回の「筆禍(と言うほどのものとは全く思わないが)」が詫びるような類のものだとはいささかも思わないのだが、氏が「深く」詫びるというのであれば、なぜ見方を同じくする友人のメールを紹介する必要があるのだろうか。こうした行為を「詫び」とは言うまい。詫びるならば、自身の言葉でするべきであり、他人の、しかも自分の立場を擁護するようなメールを紹介すれば、「あなた本当に詫び気があるの?」との疑問を呈されても仕方あるまい。「詫びる」ことを選択したのは乙武氏自身であり、「深くお詫びします」と言った以上は、詫びに徹する潔さを持つべきであったと思うのだが・・・。

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慶祝親王殿下ご誕生!その2: 消えぬ皇統断絶の不安

2006年09月07日 | Weblog
親王殿下ご誕生の喜びを享受する我々日本国民は、この喜びこそを皇恩として認識しなければなるまい。そして、受けた皇恩にいかに報いんとすべきかということに思いを巡らすべきではあるまいか。

かつて新井白石は、皇統存続に危機感を抱き閑院宮家の創設に尽力するが、これをして皇恩に報いんがためのものと、筆者の記憶ちがいでなけれれば、「折りたく柴の記」に記している。白石の報恩はやがて光格天皇の即位をもって皇統の危機を救うことになる。ちなみに白石の天皇・皇室観については、研究者の間にも諸説あるが、筆者は、上智大のケイト・ワイルドマン・ナカイの説を支持するよりもむしろ、白石は彼なりの朱子学的思弁と歴史認識において尊皇家であったと考えている。しかしながらその尊皇思想が実際の政治に具現化された時、他の受け入れるところではないことが明らかとなる。より具体的に言えば、朝鮮への外交文書(朝鮮国王から将軍への国書への返書)に将軍をして家光の時代からの「大君」にかえ「日本国王」としたためた際、他の朱子学者などから批判を受けたのである。白石にとって、将軍が大君と称することこそ問題であった。なぜなら李朝「経国大典」によれば、大君とは朝鮮国王の王世子以外の王子を指す。すなわち将軍が大君を称することは自らを朝鮮国王の下位に位置づける行為に他ならなかったのである。また、将軍が国「王」を称することは、正名論的に見て妥当な選択であり、天「皇」との君臣関係に矛盾するものではないはずであった。ところが、批判者は日本において古来からの慣習である「王皇同義」をもって、将軍が国王を称するを僭状としたのである。批判者の中には、ともに木下順庵の下で机を並べた雨森芳洲もいた。こうした批判にはさすがの白石も手を焼いたらしく、芳洲らを「生学生」となじりさえしている。

男系相続による皇位継承はこのまま行けば断絶の危機に直面する可能性が非常に高いのだが、メディアと通して見える今日の政界に、白石はいないらしい。41年ぶりの親王殿下のご誕生が、国家・民族のこの上ない慶事であることに違いあるまい。しかしながら、それによって将来的な男系による皇位の安定的継承が確保されたわけではない。皇統断絶の危機到来が幾分、しかも数十年というほんの瞬時だけ先延ばしがされたに過ぎないのだ。しかも不敬を承知であえて言うならば、今回お生まれになった親王様が確実に無事成人され皇位につかれたり、あるいはかりに皇位につかれたとしても男子の継承者に恵まれるという保障はどこにもないのだ。そのような事態に立ち入った時、皇族の人数は減り、皇位継承の裾野はすっかり狭くなってしまっていたでは取り返しがつくまい。気がついてみれば皇位継承者がいないという事態が発生する可能性も否定できないのだ。

ところが、まことに嘆かわしいことに、今日の我が国の政治指導者のなかには、そうした危機意識が欠如していたり不十分に見受けられる諸氏がいるようだ。親王殿下誕生に際して、中曽根大勲位は(もっともこの御仁の場合、「元」政治指導者であってもはや国民の代表たる国会議員の地位を失った以上、民主国家の政治史指導者と呼ぶにはふさわしくはないのだが)、「皇統維持という面から当分、皇室典範改正の必要がなくなったという安心感が全国民の皆さんからおこっていると思う。当分、この問題は解消したと考えていいと思います」とコメントしている。(読売 9月6日)何の根拠をもって、大勲位氏、皇室典範の改正が当分不要になったとの安心感が「全国民」の間に広がっていると思うのだろうか。ただの手前勝手な思い込みか、それとも何らかの思惑があって、「全国民」という言葉をメディアを前にして弄ぶことによって、あたかも世論誘導しようとの魂胆でもあるのか。妹が三笠宮家に嫁いでいる、すなわち皇室と縁戚関係にある麻生太郎外相にしても、「(皇室典範改正の議論については)少なくとも40年くらい先の話で」と述べている。(産経 9月6日)紀子妃ご懐妊の報があるまでは、政府内外の反対論、慎重論にもかかわらず先の常会への改正案提出を目指していた小泉首相も、「しばらくは静かに見守るのがよい。来年の国会に出すというような話じゃないと思います。」と語っている。(朝日 9月6日)

これら政治指導者たちのご意見をいかに見るべきなのだろうか。日本という国家、決して危機管理のお得意な国家とは言えまい。例えば、日本に帰国するたびに、日本の空港のセキュリティーの甘さには驚かされるというか、「こんなんでいいのか」と不安にさせられる。大勲位にしろ、麻生氏、小泉首相にしろ、彼らは単なる能天気なのか。本当に皇統の危機は当分の間回避されたと思っているのだろうか。もしそうだとすれば、国政を預かり国運を左右する立場にある者としてあるまじき油断ではあるまいか。はたまた日本人が過去の失敗で見せてきた根拠のない楽観主義への逃避なのか。あるいは将来的なシナリオへの想像力が絶望的に欠如しているということなのか。それとも、皇位継承の危機が完全に払拭されたわけではないことを理解しながらも、親王様ご誕生を好機とばかりに皇室典範改正という厄介な下手をすれば自らの地位を危うくしかねない問題から逃避しようというのではないのか。

いずれの場合にしろ、そのような政治指導者たちに国家のあり方や行く末を委ねる我が国の行く末に心許なさを感じるのは筆者だけであろうか。ましてや自らの存廃という命綱を政治に握られている皇室の方々の心細さはいかばかりのものであろうか。確かに安部官房長官の言うように、皇室典範改正問題は、慎重にことを決せねばなるまい。ただし、慎重であるべき即ち問題の先送りや徒に議論に時間を掛けることと同義ではない。時間がたてば立つほど、皇位継承のあり方をめぐる選択の幅は確実に狭まっていくのだ。慎重にという安部氏にしても、政権をほぼ掌中にし、政権の出だしに取り扱いの難しい皇室典範問題に取り組みたくはない、という「保身」の気持ちがあるのではないのかと勘ぐってもみる。

アンチ天皇サイドも、今回の親王様誕生には「バンザイ!」に違いない。皇位継承者が増えたことで、皇室典範改正への動きは鈍化する。鈍化すればそれだけ将来的な皇位継承が直面するであろう危機の可能性も高まる、彼らの目の黒いうちは無理として、いずれ宿願の天皇制度の廃止は、廃止しようと運動せずとも、皇統断絶により自滅してくれることを座して待てば良いのだ。

親王様のご誕生は確かに慶事には違いない。だが、それによって皇統の存亡の危機が払拭されたわけではない以上、また政治指導者たちの頼りなさをみるにつけ、「天皇あっての日本」と信ずる筆者は不安で仕方がないのだ・・・。
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慶祝親王殿下ご誕生!その1: 秋篠宮妃男子をご出産

2006年09月06日 | Weblog
筆者のなかでサイレンが二度鳴った!

サイレンと聞いてピンとくる方は、それなりの年齢か、さもなくば結構な歴史好きかと思われる。昭和8年12月23日、待ちに待った皇太子(現天皇)がご誕生になった際、サイレンが二度鳴らされたという。内親王様ご誕生の場合には、サイレンは一回ということになっていた。

今更言うまでもなく、秋篠宮妃におかせられては、9月6日午前、親王様をご出産された。父君秋篠宮殿下のご誕生以来41年ぶりの親王殿下のご誕生である。

皇孫殿下に幸多からんことをお祈りするとともに、国民の一人としてお喜びを申し上げるたい。このそこはかとなく湧き起こってくる「喜び」の気持ちこそが、皇室と我々国民のつながりというものなのだろうかと感ずるのは筆者だけであろうか。
筆者的には、日本人として、また自身の子供の誕生を味わったことのある者として、ただひとえに嬉しい限りである。


続く
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これってどうなの?その3: 「純情きらり」の安直なストーリー立て

2006年09月05日 | Weblog
NHKの朝ドラ「純情きらり」、櫻子の横恋慕もさいわいにして先週をもって一線を越えず不倫未遂に終わり、辛うじて、題名「純情」、中身はドロドロみたいな羊頭狗肉なストーリー仕立てにならずやれやれ(もっとも、天下のNHK様が伝統の朝ドラで不倫芝居を放映はずもないのだが)。

と思いながらの金曜日、「つづく」の後の今週のあらすじを見ていると、何とあの味噌屋のぼんが復員ではないか!てーことは何かい、戦死の公報もないままに死んだと決め付けておいて(もっとも櫻子だけがそう思い込んでいたわけではないが)、一時とはいえ自分の姉婿に心を移し、ぼんが帰ってきたら今度は結婚、味噌屋のおかみに納まるってか?もしそうだったら、そりゃなかろうぜ、櫻子さんよ~。あんまりにも、手前勝手の御都合主義が過ぎやしないかい?女にも(って言ったら今時「さ・べ・つ」なんですよね?)意気地ってもんがあろうものだが、あんたにはそれが無いってか?いくら終戦直後の背に腹はかえられないご時勢で、ドサクサ紛れもOKっていう時代の風潮に乗っかっちまったのかもしれないが、そりゃあんまりだ。そんな生き方してたら、良い死に方しないよ。聞くところでは、換骨奪胎されてしまった原作では、主人公、結婚間もなくにしてお亡くなりに、ということだが。

そういえば、原作が元の姿をほとんど残さないくらいに書き換えられてしまうもう
一つの例に「けものみち」なんてのもあった。清張存命中ならあんなひどいドラマできなっただろうにねえ・・・。

ま、櫻子が節操の無い女かどうかはいずれ判明するとして、それよりも気になったのが月曜日の放送(ちなみに筆者の住む米国では日曜の夜)。終戦後、戦時中から事務員をしていた学校の代行教員になった櫻子、ピアノで弾いたジャズ風にアレンジした曲に対して、空襲で家を焼いたアメリカを憎いと思ってはいけないのかとの男子生徒の問いかけに即答することができなかった。日を経て生徒にした答えが、戦時の教育指導に関して自分は教師ではなかったがと断ったうえでの生徒への謝罪と、憎んではいけないとの答え・・・・。なんなんだこれは!!!! 憎んだらいけない、音楽は楽しいでは、子供だましにも程がある。まあ、確かに相手は子供だが、その子供だましを見せられる視聴者を舐めているのか!と言いたくなる。なんで、戦時中に教壇に立ったわけでもないあんたが謝らにゃならんのよ!?他の教員や校長がそうしてくれと頼んだり、命じてってか?そいうのを大きなお世話、僭越っていんだよなあ・・・。しかも、戦時中はごめんなさいって、まさに「戦後史観]的発想の産物なんだよなあ・・・。

おまけに子供も子供で、その説明に納得してしまったらしく、水曜日の放送では、「先生またジャズ弾いて!」だって。この話運びの安直さには、腹が立つのを通り越して、笑わずにはいられない。

このドラマ、視聴率取れてるの、ところで・・・・?
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「変態」山拓の変節 その2

2006年09月02日 | Weblog
その1を書いてから随分と間が空いてしまった・・・。

その間に、小泉首相は終戦の日に靖国を参拝し、「濡れ落ち葉」加藤紘一は期せずして焼け太り、昨日安部官房長長官が立候補を表明したことで、自民党総裁選の候補者3名が出揃った。

一方、我らが(?)山拓先生は早々に総裁選不出馬の賢明な判断を下された。個人的には、了見違いに出馬されて、見事散華される姿を是非拝見したかったのだが
・・。

もう山拓なんかど~でもい~!のだが、その1を書いたからには、一応その2を書いて、区切りを付けねばなるまい。

山拓の「変節漢」たる所以の一つに靖国問題への対応がある。

また靖国問題? 靖国問題とは国家観にかかわる問題であると考えるが故に、筆者はこの問題には執拗である。

昨年11月上旬の産経新聞にいわく、山拓氏、同年9月の総選挙において「神道政治連盟」との間で戦没者追悼のための新施設建設に「断固反対」の「公約書」を交わすことで、「連盟」の選挙での推薦を取り付けたにもかかわらず、それから2ヶ月後、つまり参産経の報道のあった直前に、新追悼施設建設を目指す「国立追悼施設を考える会」を発足させ会長に就任したのである。

これほどの露骨な変節を変節と呼ばぬは、黒を白と言いくるめるに等しいのでは、山拓先生?

政治の世界で公約の反故など、日本に限らず世界中の日常茶飯事と言えば、その通り。ただ、それをそのままにやってのける山拓氏、性癖とともに、やはり総理・総裁にふさわしい人品を欠いた人物ということではないのか。民主政治の国家において、政治指導者足らんとするのであれば、公約を遵守し正々堂々王道を歩んではいかがか?それくらいの度胸なくして、総理・総裁などとは片腹痛い、山拓先生!

はたまた最近の山拓氏、北鮮のミサイル発射に対する額賀防衛庁長官をはじめとする政府関係者などの敵基地攻撃論に対して、憲法違反との批判を行ったいるが、古希を迎えて「ボケ」が入りだしたか、靖国問題と同様の「変節」か。確か先生、武力攻撃事態法制定当時、与党自民党の副総裁の地位にあったはずでは?

ま、事実上もう終わった政治家を叩くのはもういいか。支那の方々ではないので、水に落ちた犬は叩くまい。自分の下の処理もおぼつかない時点で、(シナのスパイ女と懇ろになったという)故橋龍ともども政治家として失格だが、政治家である以前に、一人間としてもう少し筋を通していただきたい、山拓先生!

70の齢にもなって・・・。

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最近の「渡嘉敷島集団自決事件」報道をめぐって その2: 人の生き様

2006年09月01日 | Weblog
誤解しないでもらいたい。

筆者は、なにも照屋証言を全面否定し軍命令はあったのだ!、などと言いたいのでない。座間味島の集団自決同様、軍命令など実際はなかったのではないかと筆者も考えている。加えて史実としての怪しさがかねてから指摘されてきたものが、史実としてまかり通り、それによって苦しめられてきた人間がいた(いる)という事実に心の痛みを感じずにはいられない。それどころか、思い込みや捏造・歪曲、あるいは歴史検証への怠慢に胡坐したままに赤松氏にような個人を糾弾してきた者達への怒りすら禁じ得ない。

それはさておき、この一件のみをとっても、人の生き様の一様ではないことを痛感せざるをえない。

あくまでも照屋証言が真実を伝えるものとの前提としてでの話だが、赤松氏が戦後長く渡嘉敷島住民を慮り「十字架」を背負い、世間の糾弾に甘んじ続けたとすれば、その生き様に胸熱くなるの感を禁じえない。氏をしてここまでの自己犠牲を選択した理由はいざしらず、軍の地元住民への暴虐の責任者というレッテルを貼られてまで、それに従容と数十年を行き続けた氏の強さには感服せざるを得ない。人は斯く生きることのできる強さを持つ生き物なのかと・・。筆者に真似のできるわざではない。

意を決して「真実」を語った照屋氏にもいくばくかの評価を与えたいとは思う、いくばくかではあるが。座間味島では、島民女性が、真実を明らかにした島民女性が、それによってかえって周囲の避難に晒されたという事例もあったそうであるから、照屋氏も証言をするにあたってそれなりの覚悟と勇気が必要であったはずだ。しかしながら、戦後61年を過ぎ今更の感は否めまい。照屋氏は「共謀者」であった玉井村長(個人)と「この話は墓場まで持っていこう」と誓い合っていたという。また余命幾許もない赤松氏からの要請にもかかわらず、真実を明らかにしなかったのは、援護法の適用を受けている人々への影響を懸念してのことであったという。

言葉がきつすぎるとの批判は甘んじて受けよう。だが、あえて言いたい(よしりんなら「ごーまんかましてよかですか」となるところか? ちなみに筆者はお国言葉でいえば、「ごーまんかましてもええきゃ?」になる)。照屋氏をはじめとする渡嘉敷島の人々は、人を食らうことを選択し、それによって戦後数十年を生きてきたことに他なるまい。背に腹は変えられぬという。かつてアンデスの山中でおきて飛行機墜落事故で、生存者は人の死肉を食らって命を繋いだことがあったが、筆者はそれを非難はしない。当時の渡嘉敷島住民の置かれた状況も人倫や人としての誇りなどとはいってはおれぬものだったのかもしれない。いや、きっとそうであったのだろう。何が何でも軍命令というシナリオを捏造してでも、国の援助という生きていく糧が是が非でも必要だったのだろう。しかしながら、武士は食うわねど、とも言う。そんな極限的状況を経験したことのないから偉そうなことはいえぬが、渡嘉敷島の住民が極限的な苦境を通り越した後も赤松氏を「餌食」にし続けてきたことに、筆者は納得できないものがある。他人を犠牲にしてでも生き延びたいというのは、誰もが持つ根源的な欲望に違いないが、それにしても・・・、と思わずにはいられない。

照屋氏は「悪いことをしました」と手を合わせてきたというが、それは自己満足というものだ。手をあわせて救われるのは、赤松ではなく照屋氏自身に他ならないからだ。

照屋氏だけではない。真相を知る渡嘉敷島住民の中から、真実を明らかにしようという声が戦後数十年の間に起こることはなかったのだろうか。かりにそういう気持ちがあったとしても、それが行動に移されることがなかったのは、それによって国の援助という「打ち出の小槌」を失うことを恐れたからのではないのか。あるいは、それゆえにこそ、真相を明らかにすることをためらわせる「圧力」なりそれに類する「雰囲気」のようなものが島の社会にあったたのではないのか。換言すれば、島ぐるみの共犯関係が、赤松氏を犠牲にし続け、真実を隠蔽してきたのではないのか。もっとも、繰り返しになるが、沖縄戦そして戦後と辛酸の限りを嘗め尽くしたのであろう島民の方々の労苦に十分な共感を示せるだけの人生経験を筆者は持たぬから、えらそうなことは言えぬが・・。

沖縄戦を直接経験していない渡嘉敷島の住民も、赤松氏を「喰らって」生きてきたことを忘れてはなるまい。彼らの父母あるいは祖父母が赤松氏という犠牲をもって国の援助を得ることで、自らの命を保ち、家族を養う戦後生活の基盤を構築することができたのだということを忘れてはならない。

赤松氏に対してだけではない。渡嘉敷島は、歴史の捏造によって公金を得ることで、これまで日本国民をも欺き続けてきたことになるのだ。

いささかなりとも、赤松氏に対して、また長年にわたって欺き続けてきた国民に恥じ入る気持ちがあるのなら、ただ単に手を合わせるだけではなく、また照屋氏のみに任せるのではなく、贖罪の行動を起こすべきではないのか。

照屋証言が真実とするなら、渡嘉敷島と歴史の捏造と公金の事実上の詐取に加担した厚生省(現厚生労働省)も責任の一端を認めるべきではないのか。ところが役人というものは、特に学歴エリートで人を下に見て生きてきた高級官僚という類の人間は人情の機微といものに疎い者達のようだ。マスメディアの官僚出身政治家に関して「人情の機微に・・・」との人物評を紹介したものを見たことがある。また、一昨年の東南アジアでの津波の被害を受けた邦人への在外公館の気の利かないといか冷たい対応に関する記事をも読んだことがある。もっとも、マスメディアの情報操作や捏造というものは既に周知のことであるから、そうした人物評なり記事を鵜呑みにすることには用心を必要とするのかもしれないが、厚生労働省審査室長山内忠淳氏によれば、「軍命令がなかったという話も聞いているが、再調査はしない」(山内忠淳・審査室長)とのこと。お役所にはお役所の都合といもののあろうが、公金詐取にもかかわる問題に「再調査はしない」とは、納税者ないしは国民を馬鹿にした言い草だ。それ以上に、集団自決の強制の事実の有無は、赤松氏並びにその家族の名誉にかかわる問題ではないのか。もっとも、再調査しないことは、援護法の適用を受けてきた渡嘉敷島住民への人情のなせるわざなのかもしれない。ただし、中央官庁として一つ大きな問題を忘れてはなるまい。椿原泰夫氏(稲田朋美衆院議員の実父)の指摘するように、軍命令事実の有無は、国家の名誉にかかわる問題のはずだ。そのような問題を、国家行政にかかわる官庁が「再調査」せずとは、何事と言うべきか。(www.jiyuu-shikan.org/faq/daitoasensou/okinawa.html)

人の生き様と言えば、照屋証言に対して、大江健三郎、岩波書店、そして沖縄タイムズの諸氏が、今後どのように対応してくるのか、興味のあるところである。彼らの対応の如何にもまた、人としての生き方が投影されてくるに違いない。

吉田松陰の歌に、かくすればかくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂
がある。泉岳寺に立ち寄った際のものだという。

渡嘉敷島の住民や厚生労働省がしてきたことはさしづめ、かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ人身御供、でったのではないか。

人として斯くあるべしとの思いを、そのまま実際の生き様に投影することの容易ならざることなど誰でも知ってはいるはずだ。しかしながら、それを「已むを得ない」、「仕方が無い」と自分への言い訳にしてしまうところに、人としての弱さがあることも、これまた認めんわけにはいくまい。

一個の人として、男として、日本人として、そして子の親としての生き様をもう一度自分自身に問いかけながら見つめなおしてみたいと思う。




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