くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

辰巳琢郎という「卑怯」な男

2011年03月28日 | Weblog
例の15日のブログの件、21日に事実上の「訂正」が本人によって行われ、若干の反省の弁もあるが、基調は反省よりも弁解。

そういう男なのだということがここに露呈。

そういう男?

いざとなったら逃げる卑怯な男というだ。

京大出の秀才?

頭のできと人間性は別だ。それに真偽のほどもわからぬ情報にとびついてそれをブログで流すなんて、おっちょこちょいというか、浅はか過ぎる。しかもよいとしした大人が。御勉強はできても頭が悪いっていう典型なんだろう、きっと。こりゃ、女房や周囲のスタッフも大変だ。

人間性、しかも決して褒められたものではない部分を露わにするとは、舞台裏を客に見せてしまったようにものpなのだ、そんな役者の芝居を見せられても、興ざめした客は何も感動することはない。

もう役者としても落ちていくしかないね、この人。
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ナベツネこと渡辺恒雄は潔く引退すべし!

2011年03月25日 | Weblog
読売新聞主筆渡辺恒雄は「俗説」呼ばわりした世論に敗れた。

完膚なきまでに敗れたのだ。

世論を「俗説」呼ばわりする人間が大新聞の主筆の座にあって、一体何をしようというのか?

「俗説」まかり通る愚かな民衆を啓蒙しようとでもいうのか。

冗談はよせ、一度は信奉した主義を捨てて「転んだ」男が、民衆を啓蒙だ?

信念とした思想を捨て、その後逆にそれを批判する側に寝返った男のいうことなどに、民衆は啓蒙されたくはない。より率直にいえば、行き恥を晒しながらもそれに臆せず社会の中枢に生きることを恥じぬ男に他者を啓蒙する資格はない。

もしナベツネが民衆を啓蒙するところがあるとすれば、己のような無様な節操のない生き方だけはするな、ということではないのか。

ナベツネは、世論に拒絶されたのだ。この人は「俗」と蔑んだ世論によりNOを突き付けられ、そして敗れたのだ。

ならば、まずは主筆自ら紙面にて自らの自己批判をしてみてはどうか? 自己批判の要を感じぬのであれば、「敗北」を自己分析してみてはどうか? 


そしてそれをもって主筆の座をおり、社会の表舞台から潔く退いてはどうか。それでこそ、世間を啓蒙することができるのではあるまいか。

もしこのまま「第一線」に固執するのであれば、ナベツネは力ずくでも打倒、排斥されねばならない。必要であれば老人だといって躊躇する必要はない。石もて追い払うべきである。

今挙国して「復興」にのぞまんとする我が国にとって「転向」の「前科」をもつ者などの指導力、影響力など少しも欲してはいないのだ。

いや、この国の将来のために是非引退してほしいものだ。

これ以上、この国に仇するのは止めてほしい。

さらば、ナベツネ!
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私の宗教観: 私は無邪気に神仏を拝んでいます。

2011年03月23日 | Weblog
数日前の記事に対してある僧侶の方からコメントをいただきました。

それをきっかけにふと、私の宗教観をここに記しておこうと思うようになりました。

私は自分自身を無宗教とは思っていませんし、無神論者でもない。かといって、この世のあらゆる宗教に対して敬心みたいなものを持っているわけではありません。あの信濃町にある某教団に対しては、どうにもこうにも好きになれない。一神教はどうも私にはなじまない。

結局、私が自然に抵抗なく受け入れているのは、子どもの頃から普通に身近にあった神様、仏様。神様といっても、一神教の神様ではなく八百万の神々ですけど。

何の抵抗もなく、神仏にてを合わせ、何か良いことがあれば、神仏の加護と感謝もします。

教義だとかそんなのは頓着しませんし、念仏唱えたら死んで極楽浄土に行けるとも思っていません。法然上人の「一枚起請文」なんか学校で暗記させられたものですが、あんなのは、死ぬ間際の坊さんの世迷言とは言わないまでも、半分もうろくしてたんじゃない?とか、死の恐怖を前に自分で自分を納得させたかったんでしょ?くらいにか思っていない。

うちの寺の坊主なんか、夫婦そろって「代々木」の支持者。奥方にいたっては支持者どころか党員だという噂も。知恩院もそんなのをよくも野放しにしておくなあと思いますし、そんなアカ坊主に葬式挙げてもらって死んだ爺さん婆さんは果たして成仏したのだろうかと疑問にも思っています。

元衆院議長のトナミ運輸のあのお爺さんなんかみてると、由緒正しい神社の宮司さんですけど、あんな俗世にまみれた爺さんのダミ声で祝詞上げても、言霊もくそもあったものではないとも思っています。

でも、神仏を否定する気にはなれないのです。けったいな坊主や神主がいるにもかかわらず、神仏というものに対して「畏れ」みたいなものも感じています。

だから手を合わせるし、柏手も打つ。盆、彼岸にはお墓に行くし、自宅には神棚まつってお伊勢さんやその他の御札をはって毎朝拝んでいます。

神か仏というと、個人的には神様の方がしっくりくる。仏の方は、6年間過ごした仏教系の学校での体験から、どうもありがたみを感じなくなってしまったのと、仏の教えはどうも理屈っぽくってありがたみを感じないのです。でも、否定する気にもなれないんですけど。死んだら、自分の葬式は神式がいいなと思っています。戒名なんかいらないです。なんで戒名ってあんなに高いんですか? あれじゃあ、まさに坊主マル儲けじゃないですか? 胡散臭いったらありゃしない。そんなもの要らない。有名人なんかやたらと「院号」付けてもらっていますけど、あんなのも要らない。アホらしい、芸人風情がナントカ院?くらいにしか思っていません。

京都の大きなお寺に行ってありがたいとか神聖なものはなーんにも感じませんけど、伊勢神宮に行くと、なんだか気分も姿勢も改まります。でも、日光東照宮にはなーんも感じません。あの経歴詐称の狸ジジイがなんで権現様?としか思っていません。地方の何でもない神社でも、なんとも言えない気分にさせてくれるところもあります。私には神様があっているのでしょうか?

でも、神も仏も手を合わせ、柏手を。狸ジジイにもです。

ただ、耶蘇はどうもアレルギーが。子どもの頃、外人のシスターに意地悪されたのがトラウマなんでしょうか、それに修道院や協会なんかを題材にした映画のせいでしょうか、どうも「陰湿」なイメージを持ってしまうんです、あれには。もし改宗しないと殺すぞと言われたら、私は耶蘇よりもイスラムを選びますね。とんかつ食べられないのは辛いですが、2年前から禁酒しているので、アルコールはなくても平気。まあ、お金がないので、一夫多妻は残念ながら・・。

ついでにいうと、政教分離なんてあまり厳密にやるもんじゃないと思っています。大嘗祭は国費でしっかりやるべきだと思っています。昭和天皇のお葬式は二部制でしたが、あんなのは馬鹿げている。神式であろうが国家によるものとして行われるべきだと思いました。

以上、とりとめもなく、私の宗教観、なんてえらそうなもんでもないですが。

(追記)私は、あるときから神仏にお願いをするのをやめました。お願いしないで誓うことにしています。都合に良い時だけ
「お願い」なんて選挙の時だけ腰の低い政治家先生みたいで・・。あんな連中と同じにはなりたくないでしょ? 神仏、御先祖様に「私はこうします」と誓えども、願掛けはしないことにしています。ご都合主義で手をあわせることほど神仏に対しての非礼はないと思うのです。

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大相撲ファンの皆さん、黒海を引退の危機から救おう!

2011年03月22日 | Weblog
黒海が自分の親方追手風親方(元幕内・大翔山)の理不尽な要求に追い詰められているとの報道!

このまま黒海を引退に追い込めば、義を見てせざるは勇亡きなり、日本人としてまことに恥ずかしい限り。

皆さん、黒海に救いの手を!
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東北関東大震災と大相撲: 黒海を追いつめる追手風親方こそ協会を去れ!

2011年03月22日 | Weblog
追手風親方(元幕内・大翔山)は、祖国グルジアから帰国命令を受けている黒海に対して、協会の決定に従い日本国内に留まれ、さもなくば引退だと迫っているとか。

これが本当なら、これほど理不尽極まりない言い分はない。

外国人力士に対する嫌がらせ、イジメではないか。

パワハラともいう。

自分の属する国家の決定よりも協会の決定が優先だというのだ。さもなくば、引退しろと。

我々が黒海だったらどうする? これほど難しく辛い決断はない。

それを迫るのがアカの他人ではなく、親方だという。

こんな不人情な親方を持ってしまった黒海が気の毒だ。

そしてこんな冷たい人間が「人情相撲あり」の相撲協会の親方だとは。追手風親方は、果たして親方としてふさわしい人間なのか。

私からしてみれば、黒海に辞めろというなら、まずはお前が辞めろよ!といいたい、この冷血男!
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仁科亜季子さん、あなたが娘さんに対してすべきことは、

2011年03月21日 | Weblog
母娘一緒に子宮頸癌の検査を受けることではないでしょう?

まず、「人様を理不尽に泣かせてはダメだよ」と教えることでは?

「不倫して、他人様の家庭を壊したりしてはいけないよ」と。

違いますか?

お子さん方も当然あなたと元配偶者の方がなさたことについては御存じなんですよねえ?

まさか、変な取りつくろいなんかしていませんよね?

子どもは親を選べないんです。残念なことですが、あなたのお子さんはあなたと松方さんの因果を背負って産まれてしまったんです。理不尽と言えば理不尽。不条理と言えば不条理かもしれないですが、背負った因果に対して、あなたが癌、不倫で得た夫婦関係の破たんという報いを受けたように、あなたの娘さんも「不義の子」という「刻印を」一生背負い続ける。それをさせたのは、
あなたと松方さん。

罪深いと言えば罪深い。

松方さんの元奥さん、お子さん、おそらく元奥さんの御家族、親戚を泣かせ、人に対する恨みの感情を抱かせた罪。

どうでしょう、あなたのお父様半四郎さんはじめあなたの御身内もお心を痛められたのでは?

そして、自分の子供に本来背負う必要のないものを背負わせてしまった罪。

もしかしたら、世間に対して子宮頸癌の予防を訴えるのは、あなたなりの罪滅ぼしなのかもしれません。

でも、罪滅ぼしというなら、「不倫はやめましょう」と世間に対して訴えませんか? 私のまわりでも倫(みち)ならぬ恋をした人、それを繰り返した人、それで結ばれた人が何人かいますけど、どうも結末がよろしくない。いまだ結ばれたままですけど、やはり心のどこかに負い目を負ったままの人もいます。それが証拠に「なりそめ」を絶対自分から話さないし、人に触れられるのをひどく嫌うんですよ。恥じることがないなら、そんなことをしないのでは?

娘さんはどう思っているんでしょうか。母親としてあなたのことを愛していらしゃるには違いありません。尊敬もしているでしょう。でも、同時に一個の人間、女性として「不倫の末に自分を生んだ母」を少なからず複雑な思いで見ていらっしゃるのでは?
ええ、人の心のうちを詮索するなどゲスの勘繰りですけど、真っ当な人間ならそう思うはずですよ。そしてもし娘さんがそうだとしたら、それは精神的に決して快いことではないと思いますよ。そんな思いを我が子にさせてしまっているあなたは実に罪深い。

そして。あなたがもし、自らの「罪科」を悔いているとすれば、きっとその思いから一生逃れることはできないでしょう。その意味で、あなたもお気の毒です。




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セリーグ選手会はナベツネに屈服するのか?

2011年03月21日 | Weblog
老害排除のために、屈してはダメだ!

屈したら、セの凋落は加速するだけだ。

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姓名判断に見るリーダーの有徳・不徳: 東京電力と東北電力

2011年03月21日 | Weblog
まずは一言。当るも八卦、当らぬも八卦。

それに本人がどんなに良い名前を持っていても、配偶者や両親等に悪い名前があれば、その影響を受けてしまう。例えば、男性の方、あなたの細君の名前に「23」画が入っていませんか。女房の23画は、「さげまん」作用が働く。おとこの運気を食うどころか、悪くすると命まで食ってしまう。両親に14画だとか19画だとかあって、子どもは「犯○者の子」なんてことになることもある。その典型例が最後は海外で、しかも塀のなかで自ら命を絶った三浦某。

それはさておき、改めてリーダーの良し悪しが組織、集団の命運を左右するものなのだとつくづく。

以前、わが国の最近の歴代短命政権の主班がどういう偶然か34画という名付けにおいては絶対にさけるべき画数を持っているのだが、目下日本国民どころか全世界の注目を浴びている福島原発を有する東京電力の首脳陣も、名前がよろしくない。

よろしくないというか、率直に言って悪い。

事態が落ち着けば、そのうち会長、社長はマスメディアを通して社会の糾弾の的となり、その地位を負われることだろう。一部で語られている事故の原因が本当なら、場合によっては法廷にその身を晒すことになるかもしれない。

一方、女川原発を抱えながら今のところ平穏無事の東北電力。まあ、今までに女川もトラブルがないわけではない。いや、結構「小さな?」トラブルはあったのだが、今回の震災で大事には至らなかったようである。

そして同社の会長、社長だが、東電首脳とはうってかわり名前が良い。実に良い。

そんなの偶然だ、と言われてしまえばそれまでだ。良い名前なのにロクでもない人生送っている人間もいるではないか! 確かにそうだ。が、ちょっと待て。名前だけで人生決まったら苦労はしない。名前がよくとも無為のままでことがなるわけではない。かそれに上述のとおり、周囲の名前にも影響を受ける。

科学的な説明など到底できない。少なくとも今のところは。


でも、かりに偶然だとしても、あまりのも恐ろしい偶然ではないだろうか、リーダーの「悪名」ゆえの我が国の近年の苦境と福島、女川の吉凶。


(追記)
私の職場の「リーダー」が実に良い名前の持ち主で、事実「強運」が服を着たような人生を歩んできた。ところが、この方もそろそろ退任が噂され始めた。年齢からいっても少しも不思議ではないが、早くてあと1年。うまくいってもあと3年。どうも最近影響力が低下しつつあるようにも見えるから、上の方は「あと1年」と踏んでいるのではないだろうか。でも、この「福の神」みたいな人をあまりぞんざいに扱わない方が良いのではないだろうか。今の調子の良さは現トップの知名度と発想力、リーダシップによりところが大きい。それをポイと手放してしまった後に後悔しても、もう遅い。それにもう既に後任が決まっているのであれば、その方の名前が気になるところである。




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東北関東大震災: 宗教団体はどんな支援をしていますか?

2011年03月21日 | Weblog
仏教系、神道系、キリスト教系、わが国には新旧様々な宗教団体があるのだが、この際各団体、宗教法人の被災者支援活動をチェックした方が良いかもしれない。

例えば、奈良県にある某宗教団体。私はかつてそこの熱心な信者さんにお世話になったことがあるので、悪い印象はまったく持っていないのだが、あそこの巨大な本部の周囲にはこれまた巨大な宿泊施設があるのだが、一体あそこにどれだけの被災者がひさしを借りることができるだろいうかと思う。

私の実家が属する浄土宗宗本山知恩院には和順会館という宿泊施設があるが、そこが被災者を受け入れたとは聞かない。

ナンミョー系の信濃町のあの巨大団体も、名誉会長自ら何か行動取らないのかねえ? まあ、もう死んでいるなんて話もあるから
リーダーシップ取るにも取れないのかもしれないけど。それとも「仏罰」とか「ゲンショー出た」とか言いますか、被災者に対して?

神道系は何してるんでしゃろ?


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「日常」という幸福

2011年03月20日 | Weblog
大震災被災者の一人ならずもが口にした言葉、当たり前であることの幸せ。

人は普段それに気付かない。いや、最後まで気付かないのかもしれない、それが失われもう二度も戻ってこなくなるまで。
幸せはまたいずれ訪れる、と信じたい。でも、一旦失われた幸せがそのまま昔のままに戻ってくることはない。失われた時は、求めて求めつくせるものではない。

これは何も予期せぬ大災害で出くわしてしまった人たちばかりの話ではない。

「日常」を捨てた人。ある日「こんなに楽しいことがあったんだ」と気付き、あるいは勘違いして、「日常」を倦み、ついにはそのすべてかなぐり捨ててしまった人。

その結果、果たして幸せは待っていたのだろうか。

いや、待ってはいなかった。大震災被災者にはきっと幸せが待っている、に違いない。でも、その人には待っていなかった。待っていたのは孤独と絶え間なく襲ってくる苦しみ。

それを因果応報というのだろう。

「日常」を捨てるとは、ゴミを捨てるのとは勝手が違った。「捨てる」ことにより、他者の恨みつらみを負ってしまった人。
世間の好奇と蔑みの渦中に我が身を陥れてしまった人。せいぜいできることといえば、自分を「悲劇の主人公」にしたたてて、治作自演の「悲劇」を少しでも耳を傾けてくれる人に語るだけだった。でも、世間はそれほど甘くはない。耳を傾けるからといって
同情してくれるとは限らない。同情したふりをして心の中は、ただ他人のゴシップ、不孝に興味深々なだけで、「悲劇」は人づてに広がり、「悲劇の主人公」は「喜劇の主人公」になり果てる。いや「喜劇」というのは、他人から見てというのであって、本人にしてみれば更なる「悲劇」の始まりでしかない。

そんな人にもやはり幸せは訪れるのかもしれない。理解し受けとめてくれる人がいた。でも、その相手が「日常」を捨てるきっかけ、原因だったとしたら、果たして、本当に幸せは訪れるのだろうか。

「日常」を捨てた人を相手の家族は容易には受け入れてはくれない、世間がそうであったように、相手の家族にとって自分の身内が間違った人生の選択をするのではと心配するのは、当然のことだ。世間もまたざわめきだし、それが相手の家族の耳に入って、結局、手にできると思った幸せは逃げていってしまうかもしれない。いや、もともと訪れない幸せだったのかもしれない。「日常」という幸せを壊した原因が幸せのきっかえになるなってことを期待すること自体そもそも馬鹿げているのかもしれない。

かりにその人が再び幸せを手に入れたとして、その後にまっているのは「日常」なのだ。それも以前と大して変わらない。かつて「あたりまえ」に疲れ自分自身の一部すらも捨てた人が、新たな「あたりまえ」に一体いつまで耐えられるのだろうか。

その人の将来には、「淋しさ」しか待っていないのではないだろうか、と他人ごとながら知人の歩んでしまった「道」のたどりつく先を憂うのは私一人ではない。

今ならまだ「捨てた日常」に戻れるかもしれない。でも、それにその人は気づいているのだろうか。もう時間はあまりないと思うのだが・・・。





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「打倒ナベツネ」なくして日本の復興はない!

2011年03月20日 | Weblog
おれはナベツネじゃねぇから、って泉谷しげる、あんたはエライ!(←古い?)

ナベツネを倒せ!

ナベツネの首を取れ!

この「転向者」の社会的影響力を完膚無きものにしてこそ、日本の明日はある!

ミスターよ、「我が巨人軍は永遠に不滅です!」と言ったのはあなただ。でも「日本なくして巨人軍なし」だ。巨人軍の永遠を信じるならば、ナベツネの太鼓持ちみたいにへらへらしてんじゃないよ! 爺に「No]といえ、ミスター!

仙石が「赤い官房長官」なら、ナベツネは「赤いフィクサー」、同じ類の下郎だ! 一度左走った人間は、死ぬまでそこから完全には抜け出せない。

「アカは死ななきゃ治らない!」ということだ。
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三宅久之氏が「ナベツネ引退」を要求!

2011年03月20日 | Weblog
なーんてことになったらおもしろいんだけど。

「そこまでいって委員会」あたりで、いつもあの「チャーミング」な元参院議員のお婆さん(オバサンだと思っていたらいつのまにか婆さんって歳になってたんだよなあ・・。こちらも歳食うはずだわ)にやっているようにナベツネに噛みつかんもんかねえ。

三宅氏とナベツネ、なかよしさんみたいだけど、というか三宅氏がナベツネの顔色窺っているだけ?かもしれないが、この際、「反旗」を翻したら面白い。

まあ、爺さん同志のガチンコなんて軍鶏のつつき合いよりも迫力ないかもしれないが、どっちかが先に三途の川渡って待ってればいいじゃないか。

三宅氏も、TVカメラ前にヌード頭を晒して(パンツはいていないのと同じくらい恥ずかしいぞ、ある意味)腕組んで偉そうにしているくらいなら、ナベツネに一言言ってみろって!

それこそ死に際の「最後の御奉公」というものだ。

それとも何かナ、セ開幕問題、三宅氏もご同心か?

じゃあ、あんたも引退だ!



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浜岡原発

2011年03月20日 | Weblog
ホントに怖いのは津波じゃなくて、立地だと思うんだが・・・?
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東北関東大震災: 不明外国人500人

2011年03月20日 | Weblog
500人のうち、「本当」に地震のせいで不明になったのは何人なんだろう・・。
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仁科亜季子の子宮頸癌のCMにウンザリ: だって、不倫の末の因果応報でしょ?

2011年03月19日 | Weblog
もういい加減にして欲しいね、同じCMばっか。ストレスになる。

なかでも、矢野明子の歌声と仁科亜季子母娘のCM。

娘はさておき、仁科の癌、私は己の所業の因果応報だと思っています。人を泣かせ苦しめた結果。それも一人ならず。

仁科が何をしたかって?

そう松方弘樹との不倫、結果としての略奪婚。松方は当時で3億の慰謝料を払ったはずですが、金銭で解決する問題ではないです。他人の家庭をぶち壊したのですから。たしかに仁科一人の責任ではなく、妻子を捨てた松方も悪い。この人も良い晩年は過ごせまい。ただ、仁科が他人の家庭にもろ手を突っ込んだのも事実。

3億もらっても妻子の仁科への恨みは消えるはずもなく。

人のおんねんを背負った二人の結末は?  

離婚。

その前には仁科の癌。

正直、ざまーみろと思った人もいたのでは? そんなこと思っちゃいけないことですけど、人にそう思わせても仕方のないことをしたのが仁科本人。


もっとまともな人いなかったのかねえ。 
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