くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

綸言汗の如し・・・: 昭和天皇の大御心

2006年07月27日 | Weblog
大いなる衝撃を受けたのは、筆者だけではあるまい。

報道によれば、昭和50年11月以来、靖国神社への御親拝が途絶えたのは、バルカン政治家三木の「公人/私人」発言でも、内閣法制局の国会答弁に原因があるのでもなく、先帝昭和天皇御自らの「A級戦犯」合祀に対する「お心」ゆえであったことを記す故富田朝彦宮内庁長官のメモが発見されたという。

「お心」とは、昭和53年に当時の松平永芳宮司(春嶽の孫)のもと「A級戦犯」合祀への先帝の不快感、である。

筆者には、「衝撃」としか他の言い表しようがない・・。なぜならば、筆者は、「A級戦犯」分祀不要論者である。それに、昭和天皇が昭和50年を最後にお隠れになるまでついぞ靖国を御親拝されなかったのは、状況証拠的に見て、「A級戦犯」の合祀よりも、三木内閣下での(馬鹿げた)「公人・私人」論争や上述御親拝直前の内閣法制局の国会答弁が原因と考えてきたからである。

現憲法下で、天皇あるいはそのお言葉なり思し召しが、政治向きに利用されるようなことがあっては、断じてならない。もっとも、天皇と政治が不可分のものなどというのは、現実に目をつむった空論に過ぎず、実際問題、政治と宗教の問題同様、完璧に分けるといこと事態が不可能なのだ。不可避に灰色の部分があれば、天皇・皇室の存在が、天皇陛下・皇族の方々の意思とは無関係に、政治に何らかのかかわりを持つなり、あるいは影響を及ぼすことがあるということは、皇室外交を例に取るまでもなかろう。天皇・皇族の政治への不可避のかかわりをもって、天皇制度に疑義を差し挟むことは可能であろうが、同時に、天皇・皇族が政治に、たとえ一般国民と同じようなレベルですらも、関与できない現状こそがおかしいとの批判もこれまた可能なはずだ。いずれにせよ、現行憲法の第4条が、天皇の政治的権能を否定している以上、天皇は自らの意思で政治にかかわることはできないし、また、政治家も天皇の内々のお考えを、政治に利用するようなことがあってはならない。故に、今回のメモ(以下富田メモ)にしても、かりにそこに記された昭和天皇の「お心」が真実であったとしても、政治家がそれを国家による戦没者追悼の問題と絡めることは断じてってはらぬことなのだ。

同時に憲法第20条により、政治が靖国神社による「A級戦犯」合祀の問題をどうこうすることは、違憲行為である。例えば古賀誠や小沢一郎などは、バッジをはずして分祀論と論ずるべきなのだが、そんな筋の通し方もクソッ食らえの御仁なのだ。富田メモが出てきたことで、これをたのみに分祀論をぶつ不心得な政治家が更に出てこぬことを願うばかりだ。

しかし、現実にはそうはいくまい。靖国問題は既に内政外交の問題となってしまっているわけで、天皇の「お心」が公になった以上、それが政治問題としての靖国問題に影響を与えぬなどということは、到底考えられぬ。しかも、マスコミが小泉首相をはじめとする政治家に富田メモについてのコメントを求め、それをメディアに載せて発信することにより、政治と宗教、そして天皇との憲法上あるべきではない状況を醸成している以上、もはや、靖国問題は富田メモの存在を無視しては語れなくなった、といことであろう。換言すれば、富田メモによって、政界に限らず、分祀論が今後更に勢いを増すことになるであろう。

もう一つの焦点は、靖国神社の今後の対応であろう。富田メモによれば、昭和天皇は、「A級戦犯」14名の合祀を断行した前出松平宮司に批判的であった。にもかかわらず、靖国神社は「分祀は教義上不可能」という従来通りの主張を堅持していくのか、それとも先帝の「お心」に沿うかたちでの対応を選択するのか。靖国は現在朝敵藩の殿様を南部宮司にいただいている。賊軍の殿様宮司としても、合祀維持か分祀かの選択によっては、再び叡慮に矛を向けるか否かの選択にもなろう。先帝が敬慕した明治天皇の思し召しにより建立され、その多くが先帝を祭主とする大祭において合祀された「神」を祀る靖国神社が、先帝の「お心」にどこまで従うのか従わぬのか、すなわち分祀不可が大御心に優越する教義であるのか否か・・・。

靖国がかつて祭主をされた昭和天皇の「お心」にもかかわらず、分祀不可を堅持した場合、天皇御親拝の復活は夢の又夢になるばかりか、現在行われている勅旨代参にも影響を及ぼさぬとも言い切れまい。この点に関しては、遅くとも今年の秋の例大祭にその答えを見ることができよう。また、首相をはじめとする政府関係者は言うに及ばす、これまで8月15日の参拝を続けてきた超党派の国会議員の今後の出方にも影響が出る可能性は大いにあるだろう。現に、最近の朝日新聞の電話世論調査によれば、昭和天皇の「お心」を重視するとした回答者は、「大いに」と「ある程度」をあわせて60%を超えている。退陣間もない小泉氏はいざ知らず、世論を無視できぬ他の政府関係者や政治家にとっては、重い数字ではないのか。そればかりか、この数字は、靖国への一般参拝者の「足」にも影響が出ることを示唆しているのではないか。昨年の終戦記念日にはおよそ20万人の参拝を見たが、今年は果たしてどのような数字が出るのであろうか。昨年度を下回ることの予測は容易かもしれないが、昨年度どころか例年をも大きく下回るなどということになれば、一宗教法人としての靖国の先行きをも懸念せざるをえなくなるのではなかろうか。

靖国神社もいつまでも沈黙を続けるわけにはゆかずば、何らかの意思表示をせずばなるまい。8月15日まで残すところあと3週間である。

はたして富田メモは、退任前にもう一度あると予測されている小泉首相の靖国参拝に影響をあたえるのだろうか? 小泉首相自身は、記者の質問に対して、参拝は自らの心の問題であり、したがってメモが影響を与えることはないとの反応を示したが、筋論としては正しい。もっとも、心の問題である以上、昭和天皇への尊崇の念(小泉氏の「心」にそれがあればの話だが)ゆえに、参拝を取りやめるとい選択もなくはない。これもこれで、一個人の「心の問題」としては、筋の通った選択だ。しかし小泉首相にしてみれば、首相としての有終の美を飾ろうとするのであれば、富田メモ後の参拝の決断は必ずしも記者団に明快に語ったほど容易なことではあるまい。参拝取りやめとなれば、最後の最後まで8月15日参拝の公約を実行しなかったとのそしりを受けるばかりか、最後の最後での腰砕けは有終の美とは程遠い政権の締めくくりである。一方、首相が参拝を断行すれば、皇室典範改正問題で一部からその拙速さが批判され天皇・皇室観を詮索された氏の「尊皇」度が再びそして更に疑われることになり、これもこれで有終の美とは決して言いがたいものになろう。

ポスト小泉の総理総裁候補、特に以前から靖国への参拝を明言している安部普三k官房長官にとって、ことはより重大にちがいない。富田メモは不可避に「縛り」となることは間違いあるまい。先帝の「お心」が政治とは無関係なものであるべきであろうがなかろうが、小泉後継の総理総裁が自らの参拝をどのように位置づけようが、天皇のお考えを無視したかたちでの参拝断行は、その首相にとって政権運営を容易ならざるものにすることは容易に予測できよう。


綸言汗の如しという。昭和天皇の意図されたところではなくとも、こうして大御心が明らかにされた以上、それに一顧だにせぬわけにはいくまい、という。靖国参拝と国家としての慰霊のあり方を考えるならば、尚更のことである。

但し、先帝の大御心を尊重するというのであれば、その意味するところを正確を規して汲み取らねばなるまい。先帝の松岡嫌いは、以前からよく知られるところではあり、それ自体今更驚くべきことでもない。それに、先帝が具体的に言及されたのは松岡、白鳥であり、すべての「A級戦犯」を指してその合祀に不快感を持たれていたとは富田メモからは読み取れない。この点に関しては、メモへの更なる検証が必要であり、性急なすべてに「A級戦犯」分祀要求につなげるべきではあるまい。
すなわち、先帝の大御心の意訳や歪曲は、不敬非道のあるまじき行為は断じてなるまい。

また、先帝の「お心」を自らの政治的思惑や、思想心情の具現化のために利用することも、これまた断然あるまじきことである。その点、読売、朝日の社説などは、まさにそのあるまじき好例である。両紙ともこぞって、富田メモをもって、従来から唱えるところの靖国ではない戦没者追悼の必要性を主張する。昨年以来の靖国問題をめぐる読売、朝日の共闘には筆者も驚かされるとともに、あきれている。もっとも、読売新聞主筆ナベツネは元は共産党の「転向者」である。一度転向したものが再び転向しないとは限らない。転向とはいわずとも、「転ばない」とも限らぬことを、ナベツネ氏は身をもって証明してくれたわけだ。所詮、転向者などという類の生き物は信用できないのだ。

以前、筆者はあらゆる宗教と無宗教を想定した国家による戦没者追悼のあり方を提唱した。そうすれば、靖国は独自の宗教色を失うことなく国家追悼施設のひとつとしての地位を得ることができるのだ。そうなれば、首相の参拝のみならず天皇陛下の御親拝を仰ぐことも可能になる。富田メモは確かに分祀反対論者の筆者に少なからぬ衝撃だが、筆者の構想をいささかも揺るがすことはない。一部政治家は靖国の国家管理を主張するが、靖国だけがその対象ならば、無宗教化はさけられず、靖国は首を立てには振る舞い。そうなれば、昭和49年の繰り返しに過ぎなくなる。靖国を靖国のままに、憲法にも抵触せずに、国家追悼施設化するには、改憲なくば、我が案にかわるものはあるまい。

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「変態」山拓の変節 その1

2006年07月13日 | Weblog
山拓が「変態」であるかどかはさておき、「変節漢」であることに間違いない!(永井秀和風)

山拓こと山崎拓衆議院議員が、性的な「変態」であるとの世間的認識は、数年前にマスコミを賑わした飲尿、「親子丼」報道に因るものであることは、既に周知のことであろう。

そうした報道のおかげで、山拓氏、平成15年11月の総選挙では、自民党副総裁の地位にありながら、民主党の新人候補に敗れてあえなく落選。ところが、これを「悪運」というのか、間もなくしてその民主党イケメン(でもてっぺんハゲの)議員も、ペッパーダイン大学を日本で一躍有名にした学歴詐称事件で、これまたあえなく議員辞職(それにしても民主党といのは、子候補者選びがショボイ。この前の千葉補選の元キャバ嬢といい、息子がヤク中の某シンガソングライターといい、国籍は日本でも中身は得体の知れない帰化人といい、議員になるや否や昔のあのさわやかな笑顔はどこへやら今では鼻持ちなら無い女の典型みたくなってしまった元テレビキャスター女史といい・・・)。平成17年の補選で山拓は見事返り咲きを果たしたのである。

人間運だよなあ・・・と、今年になって俄然不運な筆者は思わずにはいられない。

それはさておき、代議士を選ぶのに「変態」と「学歴詐称男」という主だった選択肢しかなかった福岡の有権者には、お気の毒という他ない。

山拓が古女房だけでは飽き足らず愛人を持とうが、愛人とどのようなきわどいプレーを楽しもうが、結局他人様の房事のことなど基本的にどうでもよい。80年代の末ごろであっと記憶するが、一時期は飲尿健康法などというものがマスメディアでもてはやされたこともあったことを思えば、何で健康法のための飲尿が良くて、性的快楽のためのそれがダメなのだ!?、ということになりはしないものか。もっとも、筆者にそしたスカトロ系に類するような性的嗜好は一切ないので、山拓氏に対する「他者への想像力」を働かせることはできないのだが・・。

筆者なりに軽~く考えてみると、まあ、単なる代議士か数年ですぐダトンタッチの閣僚くらいなら、我が故郷名古屋の名門名古屋商科大学(亡き親父殿は昔よく言ったものだった、「名商大くらいなら、大学なんか行かんでもいい!」と)に客員として呼ばれた植草「ミラーマン」のように御用にあらなければ、つまり法的に許容される範囲内のものであれば、「変態」も個人の嗜好の問題として、私的生活(プライバシー)の保護という「新しい人権」的観点からも、とやかく言うべきことではないようにも思うのだ。個人の性的嗜好をいちいちあげつらっていたら、「じゃあ、(異性間、同性間(げっ!)の)アナルプレーはどうなんだ!」なんて、際限のない泥仕合になってしまい、その果てには「政治家たるもの、性行為は慎むべし!」なんて極論中の極論も出てきかねまい(まあ、それはないか・・)。

ただ、総理大臣ともなれば、あるいはそのイスを目指さんとするならば、個人の自由や嗜好の問題として単純には片付けられないのではないだろうか。執務室で青いドレスにシミプレーのクリントン氏がスキャンダルに見舞われたように、元首ではないにせよ、一国の総理たる者、またその地位を目指さんとする者は、政治家としての能力以外の部分でもその「資質」を求められるのは致し方あるまい。その点、山拓氏は、(性的)社会通念上、「アウト!」なんだろうなあ・・・。

それよりも、山拓氏は、政治家としても総理・総裁の器にあらず!、といのが筆者の見解である。筆者の言わせれば、山拓氏は「変態」ならぬ「変節漢」以外の何者でもない。と言えば、政治の世界で変節なんて日常茶飯事のことじゃないか、と反論されるのがおちであることは百も承知している。故角栄氏をして「遠見の富士」と言わしめた(山拓氏とは異なった特殊な性的嗜好をお持ちとの噂もある)大勲位氏も、「風見鶏」の異名をとりながら、総理・総裁のイスを手中に収めたのみならず、そこに5年も居座ることができたのである。この一例を取っても、「風見鶏」=変節のどこが悪い!、というのが政治の世界の常識なのだろう。むしろ、変節くらい平気の平左の神経の持ち主でなければ、政治の世界に生きることはできないのかもしれない(それに、変節漢の類は、政治の世界に限らず、どこの世界にもいるものだ)。そうとは分かっていても、どうやらいまだ政権へに色気を捨てきれない山拓の「変節」には腹が立つ! というか、やはり、「変態」ってことも、筆者のアンチ山拓意識に影響しているのだろか・・。昔から「けったいな髪の生え際したオッチャン(去り行く髪に未練がましいところに、その人物の人柄が出る、との思うのは筆者だけだろうか。例えば、大勲位氏なんか、あのバーコード(今はそのバーコードすら抜け落ちたようだが)がそのまま氏の人格を表しているように思うのだが・・。名付けて『禿げ方鑑定術(ズバリ当たるわよ!)』)」とか、「華の無い政治家だなあ(役者には『華』がないと、といのは故大成駒の言。一寸受け売りで芸能人と政治家は『華』が無いと・・、と思うのは筆者だけ?)」とは思っていたが、「嫌い!」というほどの相手でもなかったのだが・・・。

今は、はっきり言って、「嫌い!」な政治家の一人である、野中広務(って、もう政治家じゃない、ただの市井の爺さんか・・)とか、そのうちに靖国の神罰が下るであろう古賀誠、「媚中」二階、どうせ政治センスないんだから再登板なんかしなくていい民主党の岡田元代表、市川房枝支援していたという過去を見ただけで政治家としての限界はとうに見えているどうせ「三つ子の魂」で死ぬまで中身は中間左派の管直人、「マネシタ」の大量生産品みたく揃いも揃ってどこか似ている松下政経塾出(なんなんだろう、あの人達に共通して感じてしまういわく言い難い「嫌~」なものって)、そのうち現象出て仏罰必至の公明党議員、まあ水に落ちたチワワを打つというシナ人的趣味はないが、あの郵政反対派の新井某、こんな胡散臭い神主いていいのかと思ってしまう綿貫民輔等々同様。(それにしても嫌いな政治家多いなあ・・・。じゃあ、好きな政治家は?(自問自答) 「・・・・」)

どうせ総理・総裁になんかなれっこない山拓氏。どう考えても近未来に「山拓待望論」なんて出てきそうにないのに、それが分かってないのか、分かっていても髪型同様諦めが悪いのか、いまだに幻というか妄想の「山拓政権」に色気を捨てきれない山拓氏。古希を迎えて(昭和9年生)夢追うのが悪いなんて決して言わないが(筆者は年齢差別には反対!)、もう少し自分と自分を取り囲む状況を見ないとねえ・・・、山拓先生。万々が一にも総理総裁のイスをし止めたとして、先生の「変態」イメージは結構定着しているどころか、マスコミやネットのおかげで再ブーム到来で、低支持率短命政権というオチでしょう。まあそれでも、政権取れないよりは良いのか、国民ではなく、本人にとってみれば・・。一政治家のオナニーに付き合わされる一億国民はたまったものではないのだけれど・・。

で、話を戻して、どうして山拓が嫌いなのか? 変節漢だからである。では、なぜ山拓氏を変節漢とそしるのか?

続く。

追記: 一点のみ、山拓弁護論。どういう経緯があったにせよ、一度ならず情を交
    わした男との房事をマスコミに喋り捲る女ってのも、何なんだろうか
    と・・。まあ、異性との過去を恥も外聞もなく公にするのは、女性だけで
    はないが、山拓氏も一寸気の毒かと。情を交わしたが故にこそ、一度感情
    の糸がもつれると、そういうことにもなってしまうかも、しれないが、こ
    れも一種の「痴情のもつれ」というのだろうか?いずれにせよ、婚外性交
    渉をもってしまった山拓氏の身から出た何とやらでもあるわけで・・・、
    って弁護になってないか(笑)。
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靖国考 その2: 靖国問題の解決策 (5)

2006年07月12日 | Weblog
最近、仕事が忙しくて、ブログの更新がおぼつかない。帰宅が遅いわけでもないのだが、疲れてしまって家で何もする気になれない今日この頃なのだ。

さて、筆者は、前稿「靖国問題の解決策(4)」の最後を、かりに無宗教をも含めたあらゆる宗教的信条に対応可能な国家追悼施設を設け(必ずしも新規の建設という意味ではない)、その一部として靖国神社を位置付けることによって、天皇、政府関係者の同神社への「公式」な、すなわち国家による追悼行為としての、参拝を可能にできたとしても、克服できない問題があると述べて締めくくった。

この「克服できない問題」とはまさに、所謂「A級戦犯」合祀問題である。「A級戦犯」が合祀されている限り、それを理由としたしかるべき立場にある人間の靖国参拝に対する批判が止むことはあるまい。更に言えば、合祀が続く限り、靖国参拝が内外の思惑により政争の具にされることは不可避であろう。

では、この問題に処方箋は無いのか。

率直に言って、即効性のある処方箋など分祀の他あるまい。

だが、靖国神社側が分祀に応ずることなどまずありえまい。かりに分祀の将来的な可能性があったとして、以前にも述べたように現在の南部宮司の在職中にそれは絶対にありえないというのが、筆者の見方である。たとえかりに「A級戦犯」のご遺族が分祀に同意されそれを靖国に求めたとして、それに応ずるか否かの判断は靖国側にあるわけで、遺族の意思が絶対のものであるわけではない。それに、そもそも以前から分祀に対しては拒否を貫ている東条家がそうやすやすと態度を変えるとも思えぬ。

「A級戦犯」合祀問題に対する筆者の立場も、「分祀に及ばず」、である。

もっとも、所謂「A級戦犯」の全員ではないが、東条や板垣などの一部には複雑な感情がないわけでもない。東条を例にとるならば、この人の天皇、国家への赤忠は疑うべくもなく、その人柄に対する印象も決して悪かろうはずもない。東京裁判というその正当性が怪しまれてしまるべ法廷の「犠牲者」との見方にも幾分同調しないでもない。しかし、そもそも論で言えば、敗戦という事態に立ち至らねば、その「不当」な法廷に引っ立てられるようなことにはならなかったのではないのか。国策の最高決定機関たる内閣の首班として、国策を過った自業自得ではないのか。そればかりか、神武創業以来未曾有の恥辱を天皇、国家、国民、そして我が国の歴史に与えることとなった事実を前にして、どうして東条を「偉人」としてその「威徳」を仰ぐ気にはなれぬ。

しかし、だからと言って、東条の合祀されている靖国などに頭を垂れられぬ、ということにはならないし、分祀されるべきとも考えない。筆者としては、東条ら当時の国家指導者たちの招来した結果よりも、彼らの志が国家のためにあったことに重きを置きたいと思う。すなわち、結果の如何に拘らず「A級戦犯」も殉国者であることに変わりなくば、二礼二拍一礼をもってその御霊の安らかならんことを祈ることを拒みたくはない。筆者の感情は死者を未来永劫恨みぬくような陰な執拗さを持ち合わせてはおらず、またそれは日本の精神風土のなかに育まれてきた民族感情の一端(注: すべてとは言ってない)ではないかとも思うのである。

そもそも、「A級戦犯」という十把一絡げな合祀批判自体、「A級」と呼ばれる人物を一人一人見てみるとおかしなことだと思うのだが、かりに何らかの意味での「責任」の有無を合祀の基準とするのであれば、合祀の適性を疑問視されざるをえなくなるのは何も「A級戦犯」にとどまるとは限るまい。自らの判断や指揮の間違いにより部下あるいは戦友を死に至らしめた将兵もその「責任」ゆえに分祀されるべきと論争が起こらぬとは言い切れまい。所詮、「責任論」を軸に語合祀の適性を論じたところで、「責任」の定義や多少に明確な線引きなどできるはずもなく、堂々巡りの泥仕合となるのが落ちなのだ。せいぜい、「A級戦犯」に対する「責任論」の明確な根拠といえば、東京裁判での判決ではないのか。

だが、その東京裁判の判決をもってして「A級戦犯」の合祀の是非を論じたとしても、サンフランシスコ平和条約で我が国が講和の条件に受け入れた軍事裁判そのものないしは判決が、靖国神社による「A級戦犯」合祀を阻止する法的拘束力を持ちうるものではなく、同時の講和条約にも合祀をして条約違反とする根拠など何もないはずだ。それに、小泉首相が靖国に参拝したからといって、あるいは国が靖国を直接の管理下においたり国家追悼施設に認定したからといって、それを即東京裁判の否定や講和条約への挑戦を意味するものと断定するのも没論理な暴論に過ぎない。

内外の批判のなかには、アジア諸国民の感情云々というものもあるが、ある国ないし文化圏における行為が他国や異文化圏の感情を害するとの理由で抑制されうるとするならば、旧欧米帝国諸国において「過去」を想起させるものは、その犠牲となった諸国民、民族の感情を害するがゆえに排除されるべきであるという議論がまかり通ることになろう。もしくは、我が国は中国共産党に対して、共産主義は一国における革命で事足りるとするものではなく、また前世紀に共産革命の美名の下に中国はじめ世界各地で行われてきた「過ち」を知る我が国に不安と脅威を与えているため、共産主義の標榜を放棄することを要求できるのかもしれない。と、ここまで言えば、「感情を害する」の類のばからしさの程が知れよう。

「A級戦犯」を合祀しそこに参拝するのは、ヒトラーを祭るようなものとのたまった一人に、確か中国の外交部長李肇星がいたと記憶する。こうした単純(バカ的)な日独同罪論を恥も外聞も無く口にする御仁も御仁でその見識を疑うが、李氏に関しては、内容も知らずに他国の歴史教科書をご批判なさるほどの人物であれば、これ以上叩くのも「武士の情け」に悖ることにもなろうが、合祀に対する氏のような物言いを許す環境があるというのもこれまた事実なのだ。「A級戦犯」とヒトラーを同列に論ずるなど、所謂「南京事件」をアジアのホロコーストと呼ぶに等しく臍で茶が沸くような言い分であり、いちいち相手にするのも馬鹿らしくなる(もっともそうした怠惰が、国際社会で自らの立場や正当性を主張するうえでは、良くないのだが)。ニュールンベルグの法廷で裁かれたナチス・ドイツの指導者に下された判決と「A級戦犯」へのそれとの差異もこれまた、日独同罪論の法的根拠薄弱を露呈していると言わざるをえまい。

かりに、「A級戦犯」合祀が他国の国民感情に触れることがあったとして、一独立主権国家が誰をどのように追悼しようが、それはその国の自主統治権、すなわち主権に属すべきものであり、そこに踏み入ろうとする外国勢力に対しては断固としなければなるまい。米国外交史研究において、National Secrity Schoolに属する学者のなかには、米国の安全保障観には、米国の信奉する"core value"の保全が含まれているとの見解がある。安全保障が国家の主権行為であることは言わずもがなで、価値観の(形成と)保全が一国の主権の範疇とすれば、我が国が、どのような宗教観あるいは歴史観を持ち、どのようなかたちで死者を追悼しようとも、それは我が国の主権に属する問題であり、それが国際法に照らして抵触するものではない限り、他国からの一切の掣肘を受ける筋合いのものではなく、かりに(現にそうなのだが)そのような事態に立ち至りなば、断固自国の主権を保持するの決意のもとに行動する他あるまい。


すなわち、「A級戦犯」合祀問題をめぐっては、国内でも論争は別として、他国からの政治的な物言いに対しては、国家主権への干渉として、断固として跳ね除けるのみならず、国際社会に向けて公然主権侵害の不当不義を批判すべきである。その点、平成13年の靖国参拝を中国に配慮して8月13日とした小泉首相の判断は、主権侵害への意識の薄弱ともとれる「姑息」の(しかも無残な失敗に帰した)策であり、その一方で、近年「心の問題」として外からの批判に対する姿勢は、妥当なものと評価すべきと筆者は見る。ただし、小泉閣下!、「内政干渉」というのはまずい。「内政干渉」などといえば、閣下自らの言われるところの私的参拝は「政治行為」であると認めるようなものではありませぬか。

国際社会において、もの言わぬは美徳にあらずして愚者の所業と、日本人は改めて肝に銘ずべきである。言い換えれば、国際情報戦略の一環として対外広報戦略により一層尽力すべきである。数年前、米国において、小泉首相御自らご出演の日本観光PRのTVコマーシャルを見たが、あれではダメ。あのような味も素っ気もない宣伝では、だめなのだ。まさに我が国の官製対外広報活動の稚拙、ここに着まわれりの一例であり、在外邦人として痛く情けなく思ったものだ。整形前のノムヒョンが出ていた韓国のCMの方がインパクトがあった。アジア近隣の靖国批判には、断固「主権侵害」をもって反駁せよ。そして首相・政府関係者による靖国参拝が講和条約の否定とは無関係であることを説くべし。靖国参拝がいまのままであり続けようとも、筆者の願うように靖国が国家追悼施設に位置づけられようとも、合祀問題に秘策なくば、これらの対外的主張を断固堅持し、かつより声高に表明することを根気と忍耐をもって持続する他はない。

もうひとつ忘れてはいけないのは、処刑された7名の所謂「A級戦犯」の死は、国内的には「公務死」ということになっている。それは、日本国憲法が定めるところの国民の代表機関にして、国の唯一の立法機関にして、そして国権の最高機関たる(三権分立論から見て「最高機関」という言い回しには問題があるのだが・・)国会が昭和28年の決議をもって決したところのものなのだ。「戦犯」遺族の生活の球状を救うための恩給の給付を可能にするための便宜上の措置であったとの言い分もる。確かにそうした背景がなかったわけではないが、一旦国会で「公務死」扱いと決した以上、それに注釈を付けて、あたかも但し書き付きの決議でるかのような含みや解釈を入り込ませるべきではるまい。そして国会議員たるもの、この決議を尊重した上で、「A級戦犯」合祀問題を考え、もの言うべきではないのか。

最後に、靖国を国家追悼施設とするにあたり、一点のみ、内外に生ずるやも知れぬ疑念を払拭する必要がある、と指摘しておきたい。それは遊就館の扱いである。筆者は靖国神社が国家追悼施設の地位を獲得するにあたっては、「A級戦犯」ではなく遊就館を靖国神社から分離させなければいけないと考えている。賛否や好悪は別として、遊就館は特定の歴史認識によって色取られていることは否定できない。筆者は個人的には、その歴史認識に概ね賛同するが、全面的にというわけにはいかない。一部あまりにも自己弁護的に過ぎ、自己批判の精神に希薄な点は受け入れがたいと感ずる。英霊を顕彰し、その威徳に報い護国と祖国の更なる雄飛を期すのでのあれば、歴史の偉業を称揚することはもっともなれど、我が国の近代史は成功のみの歴史ではないはずだ。成功のみならば、国土を焦土たらしめ、300万余の同胞を失い、神武創業以来未曾有の異民族支配を蒙ることはなかったはずだ。英霊の遺書に涙し、近代における我が国の悲運と苦悩に涙するのはいいが、それで国家の行く末を靖んじられるほど、この世の中甘くはあるまい。国家の更なる繁栄を英霊に誓うのでれば、英霊の偉業に倣うばかりではなく、犯した錯誤をも直視し、そこからも学ばねばなるまい。自己弁護や己れの悲運に涙して精神を充たすは、負け犬の所業に過ぎないというものだ。遊就館の歴史認識や展示の仕方には、傷をなめあう負け犬臭さがなくもない。筆者の遊就館への見方はさておき、あのような特定の歴史認識を持つ施設をも含めて国家追悼施設とすれば、日本国としてその特定の歴史観を肯定するということを不可避に意味することにならざるをえない。靖国を国家施設化することと、歴史認識の問題は別儀であるべきで、そこを混同すれば、靖国問題は留めようのない泥沼にはまり込むどころか、それこそ今以上に外交問題化するのは必至だ。靖国の国家護持を実現し、天皇、首相の参拝を国家追悼行事化するという目的を遊就館の一件で損ねるという木を見て森を見ずの愚策を犯してはなるまい。

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