くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

イオン不買運動?: 本当だとしたら、岡田克也というのは、国賊だな。

2009年10月29日 | Weblog
本当ならの話だが、陛下に対して、恭順って、何さまなんだ。

植木屋だな?

三重のべべ屋の倅が何さまのつもりだ?

親の育て方が悪いから、こんなガキに育つのだ、岡田屋!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女性の社会進出、日本は75位=世界経済フォーラム

2009年10月28日 | Weblog
一面、バカげたランキングであると思う。

それぞれの国の女性がどの程度社会進出したいと思っているのか、要は各国の女性の社会進出意欲の有無、強弱によっても、このランキングは左右されるはずである。

と言えば、女性の社会進出意欲が低いことが問題という反論が帰ってくるのだろうが、では、いわゆる「社会」で出るということが、主婦として「家庭」におさまることよりもベターであるという論拠が示されねばなるまい。それに「家庭」と「社会」はべつものではない。「家庭」を守りながら、マネッジしながら「社会」に貢献するということは当然できるのである。戦争でいえば、「前線」あるいは「戦場」に対する「銃後」のようなものだ。「銃後」の守りなくして「前線」は戦に専らすることはできない。

このランキングは女性が「社会」に出ることを是としたうえでの、ランキングでしかない。となれば、女性が「家庭」にとどまる傾向にある国のランキングは当然低くなる。

しかも、女性の社会進出を是とする国というのは欧米に多い傾向がある。ということは当然のことながら欧米諸国と旧共産圏か現在も共産主義体制下にある国が上位に来て、非欧米諸国は総じて下位に置かれる。つまり欧米の価値観を前提とした、ランキングでしかないということだ。ちなみに共産主義思想も西洋文明の産物である。

要は、女性が「家庭」にいたいと思うことを、かりにそれが本人の意思、自由選択だとしても、それを評価しないランキング、ということになる。もっとも、すべての家庭にいる女性が自由意思でそうしているなどというつもりはない。が、少なくとも、このランキングは、そうした自由選択の結果家庭を選んだ女性を社会に出ている女性よりも低く見る、そうした視点からのランキングでしかない。

我が国には、「家庭」にいながら「社会」に出る「パートのおばちゃん」という存在もいるが、これは社会進出としてこのランキングではみなされているのだろうか。「パート」は少なくとも家庭外での活動のはずだが・・。

だが、このランキング、別の一面から見れば、やはり重大に受け止められねければなるまい。

女性の社会進出がすすんでいないということは、我が国はいまだ女性という人材を有効活用できていないということを意味する。男女に資質の違いがあり、それが優劣の原因になる場合はあるが、それによって男性が女性よりも優れていることを意味することにはならず、男女の優劣はケース・バイ・ケースでしかない。つまり、大雑把には、総じて、男女の能力差はないと考えるべきである。にもかかわらず、我が国は女性に能力を発揮する場、機会を十分に提供できていない。
家庭の主婦のなかには、自分の意思でそうしている人もいれば、働きたいのだが、働く条件が整っていないためにできない女性も多くいるのが現実だ。今の我が国の状況は、フルタイムで働こうとした場合、女性に家庭あるいは結婚・出産が仕事かの二者択一を迫るようなある意味「過酷」な社会なのである。

しかも、少子高齢化で、労働力は減少する。にもかかわらず、国内の人事はいかしきれていない。

にもかかわらず、移民を議論する間抜けもいる。別に中川(女、クスリ)とは限らず。

相変わらずの欧米中心的な価値観の横行、押し付けには反発を覚えるが、同時に、考えさせられるランキングではある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は人の「映し鏡」: 長門博之、悲しい芸人の性・・・

2009年10月27日 | Weblog
あそこまでするかね?と思っていた人は少なくはないのだろうか。

老いさらばえた女房の姿をTVにまざまざと晒し、しかも、最後を饒舌に語る。

妻を愛していたことは疑わないことにしよう。それにしてもである、愛していたら、妻のあのような姿を万人に晒すものか?晒されて喜ぶ女性は万に一人もいないはずだ。

なのになぜ?

最愛の妻を失って悲しみに打ちひしがれているはずのなのに、なぜあそこまで喋れる?

あえて、ひとの腹のうちを探るようなマネはすまい。が、「なぜ」はつきまとう。

あえて、あれは演技なのだ。今まで浮気や何やらで散々に女房を裏切ってきた男のことだ。あれも女房をダシにした商売の一部なのだ、とは決して言うまい。

かわりに思うのだ。芸人とは悲しいものだと。まさに自らの身を鬻ぐ行為だ。自分のプライバシーを売り、それでメシを食う。どんなもっともらしい理由づけをしたところで、一般人がならみたら、「そこまでするか?」なのである。

おそらく、長門と言う人は、他の芸人のなかにもそういう傾向があるのかもしれないが、仕事つまり芸人であるときと、プライぺートの区別を失くしてしまっている、いや持っていないのではないのか? だから、私生活を晒し、妻の死に際してもマスコミに対して芸能人として「過剰」と思えるほどに饒舌にサービスしてしまうのではないのか?もしかしたら、長年の芸人生活で「演じる」自分と「演じていない」自分の区別が自分でもつかなくなり、本当の自分が自分でわからなくなっているのではないのか?

これはたぶん、長門等芸人だけに言えることではあるまい。我々一般人も、仕事の時の自分と私生活での自分の区別ができているのであろうか。あるいは、どちらが本当の自分といえるであろうか。どちらも本物かもしれないが、逆にどちらも演じているだけなのかもしれない。

某フランスの文豪の言葉ではないが、芸人に限らず、私たちは絶え間なく「人生」という舞台のうえで自分自身を演じているのかもしれない・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北村隆司、この人も言語明瞭意味不明・・・・: 岡田外相の「陛下のお言葉」発言をめぐって

2009年10月26日 | Weblog
以下抜粋。この人、一体何が言いたいんだ? 陛下のお言葉がどうあるべきだというんだ? 菊のカーテンからの解放だの、英国王室がどうだの言っているが、で何だと言うのだ? 誰が噛み砕いて教えてください。長ったらしいだけで、意味不明なんですが?

岡田外相の「天皇お言葉」発言は当然だ!- 北村隆司
2009年10月25日14時14分 / 提供:アゴラ

岡田外相が、国会の開会式での天皇陛下のお言葉について「ほぼ毎回同じ内容で閣議決定されている」と見直しを提起された事は、当然の提言だと思います。

ところがこの発言に対し、鳩山首相や福島社民党首を始めとする民主党の幹部や自民党の大島幹事長など、与野党を超えた批判が起きたと知り腰が抜けるほど驚きました。「君臨すれど統治せず」の英国型皇室を目指した新憲法下の日本の皇室のあり方は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く(第1条)」と定め、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ(第3条)」と規定し,第7条で国会召集(お言葉)も国事であると明確に定めています。

もし、これまでの内閣が「天皇のお言葉」を「見直しもせず」黙認してきたとすれば,天皇の「国事」をないがしろにした怠慢です。お言葉が「宮内庁の役人」の作文である事を疑う人はおりませんが、この作文が「内閣の助言と承認」を得てなされたのかどうかは定かではありません。ですから、内閣の主要な一員である岡田外相の「見直し」提言は、当然あってよい事で、これを「政治利用」などと言って批判するのは全くの見当違いです。中でも鳩山首相の「天皇陛下の気持ちを推し量る事は出来ない云々」発言は、首相に天皇の意向を確かめる責任と権限があるだけに笑止千万な発言です。

それでは、国民から程遠い存在の宮内庁とは、どのような組織なのでしょうか? 

宮内庁は内閣府の組織の一部で、その長官は内閣総理大臣が任命権者です。これまでの歴代長官を見ますと、全て旧内務省系の官僚トップの指定席で、天皇陛下や皇室には関係のない官僚の渡り先である事は明白です。

宮内庁の歴代トップが、旧内務省の系譜を引く官僚だけに「天皇の御名による詔勅」の再来の危険性を防ぐ為にも、内閣の助言と承認を欠く事は出来ません。「天皇のお言葉」を巡る論争を機会に、内閣も原点に戻って憲法の規定を忠実に守る習慣をつける事は大切だと思うのです。

岡田発言に対する「お言葉を政治的にあれこれ言うのは極めて不適切だ」とか、「行き過ぎた発言で、民主党のおごりを感じる」と言う感情的な批判は、国民にとっても天皇家にとっても不幸な事で、宮内庁の役人を益々フリーハンドにする危険すらあります。人間天皇のお言葉を「詔勅」の様な「宮内庁の聖域」にさせてはなりません。

「お言葉見直し」反対論の前提として、報道機関は、「中立的行政機関」などという、あたかも「役人は中立だ」と言っているが如き表現を使っていますが、憲法第65条は「行政権は内閣に属する」と明記しており「中立的役人」は存在し得ません。

政党として届けていない事が政治的中立を意味するとは限りません。自己の利益を追求する組織は、みな政治的であり、残念ながら内閣から独立して省益を追及するようになった「霞ヶ関」は、どの政党より大きな日本最大の政治組織だといえます。「霞ヶ関」の一部である宮内庁、とりわけ「宮内庁の渡り役人」は、天皇の名を巧みに利用して、自己に対する批判を避けて来ました。勿論、歴代長官の中には誰もが尊敬できる立派な方も居られましたが、ここで申し上げたいのは個人の資質ではなく、官僚と言う法規上の身分と役割です。

以前、皇太子殿下が「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言され事件ほど、宮内庁の時代錯誤的な保守主義に苦しめられる皇室の苦悩を示したエピソードはありません。

殆ど庶民と同じライフスタイルを享受される、北欧やオランダ、ベルギーの王室まではいかないまでも、宮内庁によって作り挙げられた鉄のカーテンならぬ「菊のカーテン」から、皇族方を解放する事も内閣の使命ではないでしょうか?

皇太子発言を根に持ったのか、羽毛田長官は「皇太子殿下は、約束したにも拘らず、天皇、皇后両陛下をご訪問になる回数は増えていない。両陛下も心配されていると思う」と、皇太子ご夫妻のいじめにかかりました。天皇、皇后両陛下や皇太子ご一家に確認する術を持たない国民は、羽毛田長官と真偽を巡って論議することすら出来ません。これは、外部の人間が確かめる事の出来ない話を持ち出して他人を責める、旧内務省のやり方そっくりの、誠に卑劣な中傷です。

この種の問題は、天皇家に自由に接触できる立場にある長官自身が、天皇家に個人的に具申するのが本当の忠誠心でしょう。私には長官の皇太子一家への中傷には、宮内庁の政治的意図を感じます。自分の意志を表明できない立場に置かれた皇太子に向かい、このような個人中傷をする「思い上がった意地悪長官」は、必要ありません。

その後も、羽毛田長官の意地の悪さは納まらず、侍医に代って天皇陛下のご体調が優れないのは「ストレスだ」などと発言して、再び皇太子夫妻に圧力をかけました。健康状態は「プライバシー」の基本であり「人間天皇」を宣言された天皇や皇太子一家にも「プライバシー」の権利はあるはずです。ましてや、医師でもない宮内庁長官が、口にすべき問題ではありません。

「天皇のお言葉」のモデルになった英国の議会召集は、国王陛下が宮殿から国会議場に向かう壮麗な騎馬行列もあり、沿道に多くの見物客が集まる恒例の行事で、実際に見られた方も多いと思いますが、長年に亘り崩さない掟があります。

厳しい政治的中立を求められる英国王室ですが、国王陛下が読み上げる「王室スピーチ」は、時の政権内閣が書いた施政方針です。国王はこの施政方針を一切抑揚をつけないで読み上げる事で、施政方針から中立であることを鮮明にしている事になっています。この様に、英国の王室は、時の政権の施政方針を代読しながらも、伝統の掟により中立性を維持してきました。

「王室スピーチ」を国王陛下が読み上げる間、出席した議員は静寂を保つのがルールとされ、国王のスピーチ中に賛否にかかわる発言や発声は慎む掟があるそうです。世界に認められた「君臨すれど統治せず」の伝統を堅持する英国の例に習い、日本でも官僚に頼らず、内閣が結果責任を負う「天皇のお言葉」が聴ける日が近いことを願っています。              

ニューヨークにて 北村隆司
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

↓、レコードチャイナ(Record China)、理解不能・・・・

2009年10月25日 | Weblog
以下抜粋。特に「最後の問題」以下、私にはまったく理解不能です。それこそ、行間を読めとでも?w

もっとも、マニフェストと法律を単純比較すること自体、浅はかと言わざるをえませんが。

中国人に民主主義を講釈されるというのは、池田大作先生に政教分離の原則を講釈されるようで・・・。w

<レコチャ広場>岡田外相の「お言葉批判」、世論の反発は的外れ=中国に笑われる、民主主義根付かぬ日本
2009年10月24日07時08分 / 提供:Record China

写真拡大
23日、レコードチャイナ・ライターによる個人ブログ「全人類の中国分析2」は、岡田外相による天皇陛下の「お言葉批判」に対する世論について分析した。写真は皇居。2009年10月23日、レコードチャイナ・ライターによる個人ブログ「全人類の中国分析2」は、岡田外相による天皇陛下の「お言葉批判」に対する世論について分析した。

以下は同ブログから。

【その他の写真】

23日午前の閣議後の閣僚懇談会で、岡田外相が国会開会式での天皇陛下の「お言葉」について、「政治的な意味合いが入ってはいけないなど、難しい問題はある」とした上で、「陛下の思いが少しは入った言葉がいただけるような工夫を考えてほしい」と発言したことについて、批判が広がっている。

西岡武夫参院議院運営委員長(民主)も、「極めて不適切な発言だ」と岡田外相を批判した。インターネット掲示板には、岡田外相に対する多くの激しい批判が次々と書き込まれており、同様の論調で岡田批判を展開するブログ記事も、後を絶たない。

岡田外相を擁護するために論じるつもりはないことをはじめに断っておく。またその発言の内容が有益なものかどうかも、ここでは議論しない。

まず、岡田外相は「政治的に中立であること」を前提とした上で、「陛下個人の思いを聞きたい」と言ったことに注目したい。

その発言には問題が潜んでいるが、多くの日本人が批判しているような、天皇に対する不敬だとか、そんなことではない。天皇が個人的な思いを語ることは、国会の性質と機能に符合しないことが問題なのである。

国会に参加する国会議員は皆、「国会議員」として語る。個人として思いを吐露することなど何の意味もなさない。もちろん国民のある層の思いを代弁するために、たとえば母親として、農業従事者としての気持ちを紹介することはあろう。だが国会に立つ以上、すべての発言は国会議員としての発言なのである。

同様に、天皇陛下の発言も、天皇としての発言だということを私たちは忘れてしまいがちだ。天皇陛下は、天皇である以上、政治的な制限を受けながら、発言をせざるを得ないことを覚えておく必要がある。

また、もうひとつの問題点は、尊敬する筆者の恩師に教えられたことだが、日本人はいつも行間を読もうとする、ということと関係がある。

総選挙期間中、ある報道番組でその司会者が、「マニフェストは行間を読まなければならない」と何度も繰り返して発言していたという。日本人は小学生の頃から行間を読み、登場人物の「心」や出来事の「意味」を推し量ることを訓練されている。しかし、ある種の「契約」であるマニフェストで行間を読めとは何事か、というのである。

契約書を交わす時に、契約書の行間を読む者はいない。少しでも懸念材料があるなら、一字一句にこだわり、すべて明文表現する必要があるのである。表現されていない事柄は、行間にどのような意図や願いがあろうとも、法律的には何の意味もなさない。

岡田外相は、天皇陛下のお言葉がいつも同じだからといって、そこに陛下の思いが何も表れていないと思った。しかし、もっとそのお言葉を何度も読み返してみよ。

時事通信が報じたところによると、天皇陛下は「国会が、当面する内外の諸問題に対処するにあたり、国権の最高機関としてその使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します」と述べたという。この言葉に言い表されている内容が、どれほど重要であるか、理解しているのか。毎回同じだから、読む行間のネタが尽きたのか。そうではなく、目の前にある一字一句にどんな意味があるか、しっかりと考えよ。

天皇としての立場にある者が、「国権の最高機関としてその使命を十分に果たし、国民の信託に応える」ようにと、国会に対して希望する(要請はできない)ということは、日本という国のあり方を最高度に表す行為ではないのか。

そして、あえて行間を読むならば、天皇陛下の思い、願い、公人としての自分と個人としての自分の葛藤、そしてそれらを超えて使命を果たそうとする姿をみることもできる。岡田外相にはそれが読み取れないのだろう。

最後の問題は、何度も繰り返しているが、日本人に民主主義が根付いていないことの恐ろしさである。

感情論でいとも簡単にみずからの言論の自由を放棄してしまい(筆者が言うのは岡田外相のそれではない。岡田外相は政府に属する人間であり、言論の自由を制限する側である)、何も考えないで「天皇万歳」と唱える。そこには天皇陛下への尊敬はない。ただ自立できない依存型の個人が、天皇制を隠れ蓑にして責任逃れしているだけだ。

日本には自分で民主主義を勝ち取った歴史がないから、日本人はそれを大事にしない(できない)のであろうが、これを克服しなければ、数十年後、いやもしかするともっと早く、日本は痛い目にあうことになるだろう。

中国には、これを見ながら笑っている者たちもいるのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田克也という政治家の限界

2009年10月25日 | Weblog
以前から私は、岡田には政治センスがないと言ってきたが、またそれを自ら証明するような一件がありました。

そう、「陛下のお言葉」発言。

あれを言って、彼にとって何の政治的メリットがあるのか。鳩山政権にとってどうプラスになるというのか、そんなことくらい小学生とい言いませんが、中高校生でもわかるようなことではないでしょうか? そこのところを判断できない岡田の政治音痴は、もう持って生まれた才能の部類であって、後天的にはどうしようもない。

まあ、救いがない男、ということです。

それ以上に、あの男の国家観の悪さってのも、また透けて見えたんじゃないですか?あの人は政治センスもなければ、国家観も悪い。およそ、国政に身を置くべき人間ではありません。将来は総理になんてことを期待している人もいるようですが、あの男をそんな地位につけたら、国家に仇をなすでしょう、きっと。

本当に、救いのない男です。早く政界から足を洗って、カエルと戯れていれば良いんですよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

押尾事件: 変死女性の両親に思うこと

2009年10月24日 | Weblog
変死事件発生以来、顔は晒さないまでも、たびたびマスコミの取材を受けているようだが、私的には「どうなんだろう・・・」って思ってしまう。

娘を「悲劇的」なかたちで亡くした親の気持ちと言うのは、同じく子の親として察しもつくが、それにしてもである。

この変死女性、決して世間様に知られて自慢できるような娘ではない。水商売で、しかも違法ドラッグの常習者で、更には妻子ある男と不倫関係にあった。まあ、死者にムチ打ちたくはないが、世間一般常識で言えば、「ロクもない女」の類だ。

それがおとなしく普通に死ねばいいものを、あんな物騒なというか厄介な死に方をして世間周知のところとなった。

そんな娘に育ててしまった親が、それによってメディアの注目を浴びるのは仕方がないのかもしれない。不出来な子にしてしまった不出来な親の自業自得なのかもしれない。

でも、あの女性に兄弟がいたら、その子の将来はどうなる。いや、もう既にハンディを背負ってしまっているのではないのか? 「あの押尾事件の・・」というのがこれからも付きまとう。

親類縁者にとっても良い迷惑だ。岐阜県飛騨市というのがどれほどの田舎か、行ってみればわかる。そんな田舎であんな日本全国誰でも知っているような決して自慢できるようなものではない事件の当事者の親戚ともなれば、やはり肩身は狭い。田舎の狭い社会では、尚更だ。

あの親はそこまで考えてTVなんかに出まくっているのだろうか?娘の死の真相を知りたい、というのはわかる。娘の無念をはらしたい、というのもわかる。

だがその前に、娘が不倫関係にあった際に押尾とはまだ法律上婚姻関係にあった矢田に対して、「娘がご迷惑を」の一言くらい、カメラの前で言えないか?

それ以前に、あそこまで夫婦そろってペラペラ喋るかなあ、自分の娘の不始末そっちのけで。世間様にご迷惑をっていうのがまず最初に言うべきだろうに。なんせ、違法行為の末の死なんだから。生きていりゃ、押尾と同じ犯罪者だ。ただ、死んじまったから法の裁きを逃れただけ。そこんところ、あの両親わかっているのかなあ?

率直に言って、あの両親にして、あの娘という気がしなくもない。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「被害者」としての擬似レイプ体験:同性に肉体関係を迫られた「苦い」体験

2009年10月23日 | Weblog
大学生のとき、ひょんなことで知り合い酒を一緒に飲んだ相手から、いきなり。

しかもしつこく。

当然ことわりました。「病気が怖いの? ゴムがあるから大丈夫」って、そういう問題じゃない!

結局「貞操」は死守したけど、精神的にキズを負ってしまった。相手に対して憤るというよりも、自分を責めてしまう。何か自分に落ち度があったのではないかと。
男性として男性を惹きつけた自分は、何か異常なんではないかと。数日間ブルーなままでした。その当時、彼女もいなかったから、しかも誰にも言えず、ただ自分で自分を否定してしかうような思考ばかりで・・。

後になって、レイプされた女性がそういう心理状態になることがあると知りました。自分に落ち度があったのではないかというやつです。「そんなふうに思ってはダメ!」なんていうレイプ被害者救済団体の公共広告が路線バスの側面に貼られているのを、アメリカなんかでは見たこともあります。

そんなことがあってからしばらくは強硬なアンチ・ゲイでした。さげすみと憎しみというやつです。

伏線もあったと思います。子供の頃から女の子に間違われたり、学生の頃は町中でそっちの世界の人っぽい人に声をかけっらえたり、着替え中のところを隠し撮りされたり・・・。そういうことがあるたびに、周りからはからかわれたりはしましたが、それくらいでは少しも傷つかなかったのですが、さすがに、上述の件が・・・。

ほんと、ブルーになるってのはこういうことなのかっていうくらいに、落ち込みました。

もちろん、今はまったく大丈夫。こんなところにも書けるくらいの笑い話です。今の私の姿を見て、ホモの方々に「人気?」があったなんて、誰も想像もつかないでしょう。

でも、まじめな話思うんですよ。この擬似レイプ体験を通して。昔三浦朱門と言う人が、「男はレイプできるくらいの体力があった方が」なんて発言をして世の糾弾を受けましたが、レイプは問答無用にいけない、許してはいけないと思います。被害者は、体も精神も壊されてしまうんですから。あれは絶対許してはいけいない。
男の猛々しい性欲は不可避なものです。私自身男ですからわかります。若いころはいつも「やりてー!」って思ってましたから。でも、男らしさをいうのであれば、それをしないことこそ男らしさです。大学生のレイプ事件が時々報道されますが、加害者の将来を本当に思うのであれば、厳罰をもって罪の重さを知らしめるしかないと思うのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BL(ボーイズラブ)初体験: 「愛の言霊」

2009年10月23日 | Weblog
初体験といっても、BLを初体験したわけではありません。

そもそも、そういう趣味もありませんし、ボーイではなくオヤジの部類ですから、明らかに。

まあ、大学生のころは、華奢で「貞操」を犯されそうになったり、言いよられたりしたことはありましたが・・・。ちあみに、肉体関係を迫られた一件については、別稿で。

初体験というのは、BL映画をひょんなことから見たんです。「愛の言霊」。なんでも、原作はコミックだとか?

正直言って、驚きました。何かって、とても自然に感情移入できました。男女の恋愛模様とそれほど変わらない。もっとも、架空の設定ですから、モノホンのゲイの方々から見たら、「そりゃちがう」なんてことになるのかもしれませんが、映画での男女関係ならぬ男男関係が現実でもあるのであれば、同性愛者同士の恋愛関係というのも、意外や我々ストレートと類似しているんかなあと・・・。見ていて、年がいもなく、胸がキューンとなるような、そういえば、あの年ごろ味わったことのあるような思いをふと思い出しました。なつかすい・・。

ちなみに、私は同性愛を称揚したり、あえて肯定的にとらえたりはしていません。所詮は社会的少数派、「日蔭者」、だと思っています。でも、その存在を否定したり、ましてやかつてのナチのような弾圧を主張するつもりもありません。生き物が再生産を繰り返し種の保存につとめようとする本能を持っているという前提に立てば、非生産的な人間関係だと思います。社会や国家に貢献するところは何もない人間関係です。同性間の性行為がHIV等の病気を伝染させる媒介的役割をはたしているとすれば、やはり勧められたものではない、我が子がそういう種類の人間になったら、親としてそれほど悲しいことはないでしょう、きっと。でも、存在するものは否定できない。それを社会は受け入れていくしかないし、その人たちを破滅的な方向に追い込むようなことはあえてしたくはないです。

さて、映画に戻りますが、上述の「へえーそうなんだ」と同時に、映画としてもなかなかよくできているなあと感じました。役者もなかなか自然で。でも、あのベットシーン?は大変だったでしょうねえ、いくらプロとはいえ、仕事とはいえ。男同士で体絡ませてってのは、・・・・、きびしいものあるなあ・・・。

で、よくみると、主役の二人、どこかで見覚えがある。そう二人ともTVの戦隊ものの出演者。かたやボーケンジャー、もうかたやゴーオンジャー。最近の戦隊ものはイケメン揃いで、若手の登竜門。BLものはブサメンでは話になりませんから、戦隊イケメンが出ても不思議ではないのですが、知っている顔が予期せぬ場面に出てきてビックリしました。

ところで、BLのマーケットってやはり、若いイケメン好きの女性方なんでしょうか。でも、彼女たち、もし自分の彼氏が実はゲイあるいはバイだなんて知ってしまったら、どうするんでしょうか。受け入れるのか、それとも彼のもとを去るのか・・・。BL好きの方々に聞いてみたいものです。

男の子も興味あるんですかね、BL。同性愛の末路ってよくよく考えるとさみしいものあるように思うんですけど?たとえば、この映画の主人公たち。大学生の設定ですが、卒業後、オヤジになってからどうするんだろうなんて考えるとネガティブ思考になってしまいます。

ある年齢に達すれば、周りは結婚(もちろんイセイと)を促すでしょうし、いつまでも独身は社会的にも肩身が狭い。で、カミングアウトするんでしょうか? かりにそうれをして、家族的にもかなりの波風立つでしょう?親は嘆き悲しみとか。「そうなの」とすんなり受け入れてくれる親なんて現実そうはいないでしょう?
家族に同性愛者がいるなんて、兄弟なんかの将来や結婚にも差し障りませんか?社会的にも、同性と同棲しているなんて会社なんかにしれたら、どうなんだろう・・・。「こいつ、ホモ?」って思われるのは避けられない。若いうちはお互い見た目も良く惹かれっていられるけど、オヤジになって容色衰えてもいつまでも恋愛感情保てるのかなあ・・・? なんて、考えてると、主人公二人の前途が気になりますね。

そそ、所詮フィクションなんですけど・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トヨタ最大の弱点=スタイリング、下手をすればいずれ命取りに

2009年10月21日 | Weblog
エコ技術、脱石油技術の重要性は言うに及ばす。

しかしながら、今後かりに脱ガソリンエンジン車という方向に向かった場合、新たな方向からの自動車産業への出資は必至となる。

既にその動きは、始まっている。

その時に、問題になるのが、デザイン力、パッケージ力。

エンターテイニングでなければダメだろう。

そして、それこそ、昔からのトヨタの最大の弱点。

トヨタ車にはっとさせらることは滅多にない。ほとんど、無難なデザイン。そして時にはブサイクですらある。

プリウスあのつまらない色気も減ったくれもないデザイン。それに続く最近の新車もそうだ。

トヨタがいつまでも、こんなパッケージングで勝負するのであれば、必ず致命傷を負うことになるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民再生のためには「小さな政府」?

2009年10月15日 | Weblog
自民再生のためには、という議論は下野後繰り返しなされてきた。

もっとも、おもしろいことに、とうの自民党自体からはそうした議論があまり聞こえてこない。谷垣新総裁誕生で、と思っていたが、今のところ見かけどおりに実に華のない総裁を演じておられる。

それはさておき、自民再生のためには、保守と小さな政府を打ち出せすべきという議論がある。

「保守」はいいとしよう。民主が湯浅なんておかしな明らかに「左」を囲い込んだりして、左旋回しているなか、保守を打ち出すことは必要だ。もっとも、その「保守」の定義付がダメだと、救いようもないのだが。また、谷垣総裁にそれができるとも到底思えないのだが。

一方、「小さな政府」というのはいかがなものか。この先、日本経済に光がさすなんてことは当分ないだろう。今の日航は、明日の日本国だ。いずれ日航は潰れる。と同様に、日本国のデフォルトの可能性も決して低くはないと見ている。そんな状況のなかで、「小さな政府」は受けないだろう。生活が苦しくて、しかも先行き見えないのに、しかも、今まで「小さな政府」っていうのがよその国でどういう政治をしてきたかってのを知ってしまった以上、今更それを支持しろと言う方が無理というものだ。

それ以前に、「大きな政府」か「小さな政府」なんて二者択一的発想自体、どうなんだろうと思う。もっと、柔軟であって良いのではないのか。時と場合、物事によって「大きい」的対応、「小さい」的対応があっていい。世論的に単純二分法がわかりやすい。そりゃそうだが、より複雑なのをどうかわりやすくするかってのが、政治の腕ってもんだろう。最近の政治はそれをあまりにも怠り過ぎているというか、その腕がないのだよなあ・・。

まあ、少なくとも弱者対策とか、格差是正に取り組もうとする場合、「小さな政府」ってのは無理だ。無理過ぎる。よほど景気がよくなって、世間が楽観的にならんとそれは無理だ。そんな状況はまず当分やってこない。

そもそも、今の自民党は「大きな体」の「小さな脳ミソ」がいまだに幅を聞かせている状態だ。落選した中山某によれば「像」だそうな。それは像に失礼だろう、象の方が頭良いぞと思うのは私だけか。そんな自民党に、何を期待するというのだ。小さい脳ミソの生首が自民党本部前に晒されるくらいのことにでもならんと、あの党には何もできんよ。

・・・でも、民主の命脈も見えてきたからなあ・・・。4年なんて絶対持たないから、あの政権は。自分で破裂弾に火つけちゃったし、元々爆弾抱えてたのが、遠からず破裂するかもしれないし・・。民主も、自民もダメってことになったら、一体、どうなるのだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羽田ハブ空港化問題: 千葉県と無理心中は御免蒙ります

2009年10月13日 | Weblog
一部マスコミは「徹底議論」をなんて言ってるが、今更だろう。

成田がダメとは言わんが、成田だけではどうにもこうにも立ち行かないということだ。そんなの以前からわかっていたことだ。

過去のいきさつから千葉県や成田周辺はお怒りのようだが、千葉県だけのために、日本の国益が損なわれるようなことがあってはならない。極論すれば、日本のために千葉が犠牲になることはありえても、その逆は100%ありえない。

国際線なんかめったに利用しない田舎者ばっかいるところに国際空港があるってのも、おかしな話だが、成田空港というのは実に不便なのだ。第一ターミナルなんて改装後も使い勝手が悪い。

国内線との乗り継ぎのことは言わずもなが。

第一のあのトイレ。あんな狭いトイレ、外国人にはたまったものではないよ。あんな狭いトイレ先進国の空港ではありえない。これだけを取っても成田なんてのは「国辱」空港なのだ。

羽田だけで事足りるということにはならない。やはり関空の整備・強化というのは不可欠なんだろうが、予算的制約がある以上、羽田を優先するのは当然だ。

千葉県なんか吠えさせておけばようのだ。とくにあの三流芸人知事、ほら吹きケンサク。あの「犬」は吠えさせておけばいい。餌をくれてやれば、そのうちしっぽを振るようになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳩山幸もKYか?

2009年10月11日 | Weblog
北京で買い物なんて報道されていたが、そのうち世間の鼻につくようになると、バッシングされるだろうなあ。

庶民は節約、節約ってときに、夫の公務に随行してお買いものではねえ・・・。

マスコミが報道するってことくらい分ってるだろうに、最初から。

こういう小さいことが積もり積もってやがてバッシングになる。元々、すねに傷のある女なんだから。

夫もや夫の取り巻きも、何の計算で女房にあんな行動をとらせるんだか?

既に世の中、特にご婦人連中では、夫人の人気って高くないのでは? 某番組によるとファッションの評判はイマイチのようで?確かにセンスはよくない。それにくらべて夫の公務にかこつけた見せつけるような世間一般離れした御振舞い。

まあ、このご婦人がどうのこうのという以前に、もう鳩山内閣は虎の尾をふんじまってるから、どうせダメなんだけど。

一部の評論家は4年間は解散しないからなんて言っているが、そうは世の中甘くはないわな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横粂議員はKYか?

2009年10月09日 | Weblog
「太田総理」見ていて、そんな印象受けました。

今晩の横粂先生を見ていて、特に落選中とはいえ政治家としてまた一人の人間としての先輩たちを前にあの態度、好感度アップってことにはならないでしょ、まず?
そこんとこを計算できないようじゃあ、政治センスっていうのも知れていて、今後先が思いやられます。それ以前に、なんで「あいのり」だったんだ?って思うのだが・・。

たぶん、というかよほどのことがない限り、次の選挙、小泉Jrに完敗するでしょうな。比例復活も難しいかもよ。

どう見ても、大化けしない限り、これから政治家としてやっていくのは無理でしょうな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二階堂ドットコムは不敬だ!!!!!

2009年10月09日 | Weblog
何が「天応陛下」だ!。バチあたりはどっちだって?(爆)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする