くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

福田総理、大陸でバカをさらけ出すの巻

2007年12月30日 | Weblog
2500年前の文化の原点にたどり着いた。孔子の教えが今でも息づき、世界中で重用されているのは意義深い

以上、福田総理の曲阜の孔子廟でのコメント。

「文化の原点」って、誰にとっての「原点」ですか? 大陸文化ならいざ知らず、
日本文化にとって曲阜が原点? 儒学が原点?(私は儒教とは言わない)日本文化が儒学の影響を受けてきたとことは否定はしないが、「原点」とはおそれ入った。
私見では、日本は、大陸や半島に比べてあの思想の「毒」を身中深く吸い込むことがなかったことが幸いしたと思うのだが・・。

「孔子の教えが今でも息づき」って、どこにでえすか? まさか、大陸には言いますまい?

「世界中で重用されているのは意義深い」って何がですか? 儒学がですか? 御冗談よ。

こうした無学を恥も外聞もなくさらけ出す福田総理、なかなかの度胸ですか。それとも、恥は旅のかき捨てとでも?やじきた道中でもあるまいに・・・。それとも単なる恥知らずかもしれない。

まったく、器でない人間がひょんなことで色気出して総理になんかなるなんど、ろくなことはない。

亡国宰相は早く辞めるべし。せめてそれくらいの分別と恥はわきまえているだろうにに。
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クリスピークリームドーナツ

2007年12月28日 | Weblog
あの行列は理解に苦しむ。

確かに、できたてのシュガーグレイズドは上手いが、それもできたての温かいうちのことで、冷めればどーってことはないドーナツだ。あの柔らかさもオールドファッションのような質感が好きな向きには、イマイチだろう。

シュガーグレイズド以外は特筆するまでもない、ごく当たり前の米国ならどこにでもあるドーナツだ。

私がしばらく住んでいた米国のある町にもクリスピーの店が数軒あったが、同時に
あるチェーン展開のスパーマーケットでも普通に売っていた。

そのどこにでもあるドーナツ屋にあの人波。

理解に苦しみますな。

米国には、クリスピードーナツ以上に日本人受けすると思われる食べ物あるんだけどなあ。大手商社さんあたりが手掛けてみればいいのに・・。

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畏れ多い天皇陛下の大御心

2007年12月27日 | Weblog
先の天長節での御会見において、今上陛下は食品をめぐる問題等に触れられ、国民生活にとっての安全、安心の重要性を指摘された。

当たり前のことと言えばそれまでだが、その当たり前ができていない昨今だけに、陛下のお言葉は重みを持つ。

当たり前のことを陛下に言わしめ、叡慮を悩ませた者どもは、陛下のお言葉を重く重く受け取るべし。

安全、安心を与えるとは、すなわち信頼、信用の醸成、回復にある。信頼、信用は、人間が忠恕をもって相互に交わることによって可能となる。忠恕とは思いやり、誠実を言う。他者を慮り、他社に対してウソ偽りなきようにしようとするならば、偽装、改ざんの類など思いつくはずもあるまい。他よりも、公よりも私を重んじる過ぎるが故に生じる醜悪なる自体。人には不可避にエゴがある。私に勝る重要なものはない。ただ、それを彫刻しようとするところに人に真価が見出される得る。「お国のために」という言葉が日陰者扱いされてきた戦後日本。あるいは「お国」が「私」にすり替えられてきた戦後日本。もう一度自他の関係を見直しつつ、生きていこうではないか。他なくして私はありえない。他者のおかげで私は生きることができる。そう思えば、他を欺き、出し抜きしてまで銭儲けしたいというエゴも幾分は抑えられよう。

大御心に従い、平成21年を生きていきたいものである。
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無理が通って道理が引っ込むの典型: 沖縄戦集団自決問題

2007年12月27日 | Weblog
歴史を扱う教科書において、実証に耐えうるかも定かではないものが、住民感情というエゴに後押しされてまかり通るこの世は非道不義の世に他ならない。

C型肝炎問題での原告団の主張にも幾分言えることだが、筋の通らぬゴネ得がまかり通ってしまっている。それが教育現場でも歴史教科書を通して常態化するとすれば、我が国の行く末やいかに・・。

沖縄県も許し難いが、腰砕けの文科省も許し難い。そして行政の長たる福田総理の責任はさらに重い。亡国宰相、これにありの感否めない。さて、お次は大陸にていかなる醜態を晒す。小沢民主党同様、握手攻めに歓喜悶絶するのだろうか?
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総選挙は、任期満了までない

2007年12月20日 | Weblog
との見方があるようだ。

自民党内にもそうした観測を容認する向きがあるという。

国会運営という観点からから言えば、現今の状況下で総選挙を行えば、福田に限らず誰が政権の座にあろうとも、国会運営は今以上の困難を伴うことになる。政治がまったくの機能不全状態になる可能性する出てくるのだ。理由は簡単だ。どう考えても、次の総選挙の後も、自民・公明の連立与党が衆院議席の3分の2を確保できる見込みはまずないと見込まれるからだ。参院は既に昨夏の選挙の結果与野党が逆転している。

だが、果たして来年の9月まで解散・総選挙無しにやり過ごすことなどできるのだろうか?

今のところ、支持率急落著しい福田政権に支持率回復の手立てはないように見える。例えば、C型肝炎問題は、おそらく患者と世論を満足させることのできいないものになりそうだ。年金問題もいまだ先行き不透明で、今後の展開を予測することは難しい。野党の揺さぶりしだいでは、どうなるかわからない。独法問題もある。
テロ特はほぼ先行きの目処が立ったとはいえ、政権支持率を浮揚させるためには、インパクトが弱すぎる。

今後も福田政権が世論の支持を回復できるような局面が出てくるとは考え難い。
政治の政界の一寸先は闇という。またぞろ野党側、特に民主党が何かをしでかし、
敵失で自民党及び福田政権への支持が高まるという可能性は否定できない。しかしながら世論への影響力甚大なマスコミは、おおむね民主党には甘い。横峯パパ問題しかり、岡山の身持ちの悪い姫の不倫問題しかり、また最近では額賀氏の宴席問題しかりだ。閣僚や自民党議員や何かをしでかした時に比べて、追及が甘いのだ。

だとすれば、このまま任期満了まで衆院での3分の2を恃みに政権を維持したとして、ジリ貧状態になるだけではないのか。3分の2条項もそうたびたび使えるものではあるまい。確かに憲法上の規定がある限り、それを行使することに法的な問題はない。使用回数に制限があるわけでもない。ただ、世論がどう反応するかだ。頻用すれば、世論の福田政権、与党への見方も厳しくなると考えるのが、常識的ではあるまいか。

野党民主党との話し合い、歩みよりができればいいが、民主党にとっても、世論が対決姿勢一辺倒を望んでいないことは理解していようが、だからといってあまり頻繁に歩みより過ぎれば、やはり世論の支持を失う怖さがあるはずだ。要は、匙加減なのだが、その塩梅を見計らうのは容易ではない。何せ世論は同党所属の虎退治の姫の心と体以上に、移ろいやすいものなのだ。したがって、野党側としては、任期満了を待たずに機を来て解散総選挙に打って出たいはずだ。小沢が即時の解散・総選挙を訴えるのも、まんざらジェスチャーとは言い切れまい。宴席問題でやばい雰囲気になりかけたところを、年金とC型肝炎が救ってくれた。今再び政権与党が苦境に立たされたのを好機ととらえても不思議ではない。解散・総選挙を叫び、世論を喚起できれば、福田政権への更なる圧力となり、任期満了説を吹き飛ばすこともできるかもしれない。

ジリ貧であろうが解散総選挙をぎりぎりまでしなければ、福田政権の命脈は保たれる。しかしながら、そうした選択をもって、自民党の明るい前途を予測することは、よほどの能天気でも、難しいであろうし、首を洗って待たされる議員たちは、座して死を待つような状態を望むであろうか。小泉チルドレンたちにとっては、少なくとも後2年近く飯の食い上げにあることはないのだから、良いのかもしれないが、それもまたいずれ来る死期が一時的に伸びたに過ぎないし、あるいは毒酒を飲んで渇きを癒すことになるのかもしれない。福田政権にとってではなく、与党議員たちにとって、任期満了が良いのか、それともころ合いを見計らっての解散・総選挙に打って出るのが良いのか。いずれにせよ待つは茨の道、泥濘であろうが、どちらがましかということになる。

与党議員たちの間に後者を選択したいとの意思が高まった時、福田ならびに党執行部はそれを押さえつけて任期満了まで次期総選挙を引き延ばすことができるのだろうか。

現在のC型肝炎問題に見るように政権運営では指導力、独自色を発揮できず、国会運営はご覧の有様、加えて党内運営もままならない、ということになれば、福田政権は更に支持率を下げ、任期満了までなどと悠長なことは言ってられなくなるのではないのか。そうなれば、ジリ貧どころかドカ貧状態での解散・総選挙に追い込まれる可能性すら出てくる。


さあどうする福田政権。
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福田内閣支持率低下、驚くには値しない

2007年12月17日 | Weblog
日経の調査によれば支持率が43%にまで落ちたとか。

当然と言えば当然の結果。私的には予想した通り。防衛省の問題に、年金問題(の再燃)、C型肝炎問題等、福田内閣発足当時には予期していなかった問題続出のなかで、43%はまだ「よし」とすべきところではないのか?

支持率は年明けをはさみまだ下落するだろう。

テロ特の問題は年初に解決するのだろう。衆院再可決をもって。かりにマスコミが批判的に世論を煽っても、世論はさほど煽られることはない、と私は見ている。某泡沫野党首脳は、NHKの討論番組で、参院の決定を無視するのは国民への冒瀆みたいなことを語気強くほざいていたが、「護憲」を標ぼうする政党が何を言うか!としか言いようがない。さすがに一時は福田内閣に高支持を与えた世論はこの点のバカ丸出し、政治的こんたん丸見えの節操のない低レベルな煽りには乗るまいと予測するのは、甘いのだろうか・・・?

テロ特問題への世論の反応にかかわらず、内閣支持率は下がり続けるだろう。年度末には年金問題が再焦点化する可能性もあるし、福田首相自身の認識はさて置き、世論が自民党の「公約」の存在を信じて疑わぬ限り、年度末に向けて再び年金がかまびすしくなる。長妻先生のメディア露出はまだまだ続く。同時に、舛添という政治家いや人間の軽さ、節操のなさ、あやしさがますます浮き彫りになる。メディアの匙加減では、独法問題にも今以上に注目が集まるかも。福田内閣ではこの問題どうしようもできないだろうし、どうにかする気もないだろうから、支持率的にはますますマイナスベクトルが働くだろう。

加えて、首相自身の世論感情を汲まない、ややもすれば逆なでするような記者質問への反応、言動。おそらく、あれが福田という「人間」をあらわしているのだろうが、政治家なら演技くらいしろよと・・。今の調子では、「私は薄情者、庶民の人情の機微などいささかも解さないのでござい」と何躊躇することなく公言しているようなものではないか。官房長官時代はあのクールな受け答えが受けていたが、官房長官時の手法が宰相になっても通じると思っていたとしたら、福田氏もいわゆる政治脳の乏しい人としか言いようがない。官房長官時代の時も、あれは演出とかではなく、素のままだったのだろうなあ、きっと・・。

福田内閣はいずれ終わる。ただ、その先には総選挙がある。福田内閣がジリ貧状態になった時点での解散・総選挙では、自民にとってマズイ。ならば、そうなる前に
、と考えても不思議ではあるまい。どうせ負ける選挙、どうせ議席を大幅に減らす選挙なのだ。傷を少しでも軽くするためのタイミングを見計らうことが、自民にとっては来年の政局上の最大の焦点になってくるのであろう。

ところで、マスコミの中には福田内閣を選挙管理内閣と見る向きもあるが、今後に成り行きによっては、テロ特や予算で区切りがついた時点で、福田内閣総辞職、そしてポスト福田で対選内閣を発足させる、というシナリオはないのだろうか・・。まあ、ないな。選挙で勝つためあるいは負けを少なくするための内閣を作るなら、その顔は今のところさしずめ麻生太郎氏しかいまいが、今の党執行部や麻生総理総裁誕生を阻んだ面々が党の手綱を握る限り、それはあるまいなあ・・・。でも、福田で選挙やって議席減らすよりはましだと思うけどなあ・・。そもそも、森氏をはじめとする面々、福田主班で選挙管理内閣になると本当に考えていたのだろうか?言いかえれば、福田が選挙のカンバンになると?選挙にらみでポスト安倍を考えるのであれば、福田ではなくむしろ麻生だったと思うのは、私だけだろうか?
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冷たい物言いをする人ですねえ、福田総理って・・・

2007年12月12日 | Weblog
クールとか醒めてるっていうんじゃなくて、文字通り冷たい。 つまり
冷血ってことです。

情で天下国家を動かせるか!? そうかもしれません。総理の御尊父氏は、「人の命は・・」という一国の指導者としては何ともおセンチな名言(迷言か)を吐いて、世界に恥と迷惑を晒されたお方。親の失敗を繰り返すまいということかもしれないが、あの無表情であの物言い。人情とか温かみとかを感じる国民は一体どれほどいるのでしょう。

そもそも、総理総裁の器が備わってなった人ではないからね、芝居すらもできないんだろうけど・・・。

しかし、あの内閣ロクな人間いないなあ・・。総理はじめ、恥知らず官房長官に、パフォーマンスだけ厚労大臣。加えて媚中党首脳部の面々。
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この類を恥知らずと呼ぶ - 町村官房長官

2007年12月12日 | Weblog
「選挙ですから」

産経新聞に言わせれば、「正直者」だそうな。ものは言いようであるが、勿論皮肉ってるのである。ただ、私に言わせれば、政治家によるこの類の発言に、皮肉で返すのは甘過ぎる。かりに正直者であるとすれば、その前に「バカ」をつけねばなるまい。

それにしても、町村という政治家、よくもここまでぬけぬけと言いのけたものである。国民をほとほとバカしして見下しているのか、それともいかんともし難く開き直ってのことなのか。さもなくば、政治脳がどこか欠損しているのか。

適任ではないと思うが、どうあれ官房長官を務める身、内閣の要役である。政治脳がどうにかなっていることもあるまい。だとすれば、やはり、国民をみくびり、上から下にしかものを見れない救い用のないエリーティストということであろう。

自党の選挙公約の不履行を「選挙だから」で片付けるこの態度。良く言えば度胸がある。無理してよく言えばの話であるが。普通に考えれば、恥知らずにも程がある。「選挙なんかだましてなんぼだ!」と言っているようなものだ。その選挙で国会議員の職を得たのだから、「政治なんかだましてなんぼ!」と公言しているに等しい発言だ。逮捕されたミートホープの社長が一時開き直ってあたかも責任を消費者に転嫁するような発言をしていたが、それを町村氏のケースにあてはめれば、「騙される有権者が悪い!」ということか。そういえば、あの社長も、町村氏も北海道出身。まあ、地域性とまでは言わぬが、こんな政治家というか、人間もいたものなのだなあ・・・とつくづく。政治家だからそうなのかもしれない。

劣性な人間というに尽きる。質が悪すぎる。

こんな人間に何時まで議員バッジ付けさせて飯を食わせておくのだ?

でも、選挙区、北海道か・・・。ムネオを国会に返り咲かせたあそこね・・・。
ラッキーでしたな、町村先生。

ん? 先生と呼ばれるほどのバカでなし?

いえいえ、先生、あなたはバカ以下。私のようなバカも恥は知っていますから。
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嘘つきは政治家のはじまり - 橋下弁護士出馬に思う

2007年12月11日 | Weblog
これ、橋下弁護士のことですってなことにならなければ良いのですが。

大阪府知事選に出馬の意向なしと言っておきながら、出馬の意向を固めた?

常識的に考えて突然翻意したとは思えない。市会議員やそこらならいざ知らず、いかに知名度があるとはいえ、府知事ともなれば思いつきで出馬できるものでもあるまい。そもそも、思いつきで出られてはたまったものではない。表向きは出馬を否定しながら、実は水面下で出馬に向けて動いていたということであろう。

政治の駆け引き、きれいごとでは済まされまい。諸方面への十分な根回しや調整なしにいざ出馬というのも、これまた政治の現実においてはありえまい。清濁併せのむ、これなくして政治の世界では生きていけないのも、これまた事実なのであろう。

その点から見れば一方的に批判を浴びせるのも酷かもしれないが、世間の目を欺いた、ウソをついたと云われても状況的に致し方あるまい。

選挙の行方、政治家としての資質はさておき、子だくさんの橋下氏。弁護士、政治家としてではなく、人の親として幾ばくなりとも今回の出馬劇に恥じるところはないのであろうか?橋下さん、親として子供に堂々と背中を見せられますか?

もしやましいところなど些かもなしというのであれば、出馬表明の際に、「不出馬」から「出馬」に転じた仔細を、いつもの弁舌で持って雄弁に語っていただきたいものである。いや、そうあって然るべし。 
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船場吉兆はもう終わった、

2007年12月11日 | Weblog
と昨日の謝罪?会見を見て思った。

なぜそう思ったのか? 

あの女将の態度、言葉である。「父に申し訳ない」と。記者がどのような質問をしたかは知らないが、かりに「亡き先代に対して」と尋ねられても、ただひたすらに、お客様に対するお詫びの言葉に徹するべきだった。先代はどうでもいいのだ。
それは湯木家の内輪の問題だ。だまされ、裏切られた客には関係のないことなのだ。かりに「父に対して」といった後も、「それよりも何よりも今はお客さまに対して」と付け加えるべきだった。

女将なら、それくらいの機転を利かせて欲しかった。

機転以前に、心底そう思い、そう言って欲しかった。

他にも、この女将は女将失格だなあ、頭の悪い人だなあと感じたのは、息子に向かって横から受け答えの指図をしていたこと。ぜ~んぶマイクに拾われていたのだ。あれでは、こいつら本当にすまんと思っているんかいな?と思われても致し方なし。

40過ぎて子供のようなしぐさで両手で涙をぬぐい、母親に横からいちいち指図されているようでは、あの長男も、それだけの器なのだろうけど・・。バカ息子ゆえの
親の過干渉なのか、女将失格、母親失格のバカ女ゆえのあの息子なのか?

船場吉兆はもうおしまい。他の店に更なる迷惑をかけないうちに、暖簾を下ろした方がよいのではないか。これ以上暖簾を出しながら恥を晒し続ければ、今以上に「父」の名声に泥を塗ることになる。そのうち、料理人としては立派だったが、子育ては駄目だったと評されかねない。

船場吉兆はこれにておしまい。これこそ亡きご尊父様へのせめてもの罪滅ぼしではありませんか、女将?
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死刑氏名公表は当然

2007年12月09日 | Weblog
私は死刑廃止論者ではない。それどころか積極的肯定派だ。

死刑に限らず人が人を裁くことには、当然冤罪という取り返しのつかぬ過ちが生じる恐れもある。志布志事件などは実に悪質なケースだ。ただ、人間集団があり、その中で社会全体ないしは他の構成員の生命、財産を脅かす悪徒が不可避に存在する以上、人が人を裁くという行為もまた不可避である。そして人がミスを犯すということも不可避である以上、人が人を裁く場合に生じ得る過誤は、社会・集団の安寧を保つためにはある種やむを得ず払う覚悟をせねばならぬコストではないだろうか。

人権というものに軸足を置く立場からは批判は覚悟だが、世の中には「要らない人間」、「生かしておいても仕方のない」人間というのもいる。例えば今回死刑執行が明らかになった藤間。まだ生きていたのかと驚いた。あの類の人間を生かし続けることに一体何の意義があるのか?人権というものを至上の真理として仰ぐのであれば、いかにあのような凶悪犯だりとても、人権尊重の対象でなければならず、死刑すなわち人の命を絶つという究極の人権侵害は許されざるものである、という主張はあるのかもしれない。しかし、人権思想を掲げれば我々個人ならびに社会の安寧、秩序がおのずと保障されるというものではない。一方、まれな可能性として、かりに我が国死刑にかわり終身刑が制定されたとして、何らかの事情で受刑者が五獄外に出るという可能性がないわけではあるまい。脱獄という可能性がゼロとは言い切れぬ。例えば、上記の藤間が脱獄したとしよう。世間の不安ひとかたならず、再犯の恐怖におびえずばなるまい。こうしたリスクや起こりうる不安を人権保護のためのコストと言うなら言えば良いが、私はそのようなコストは払いたくない。コストを払うなら前述のコストを私は選択したい。終身獄につないで無駄飯食わせてまで生かしておいて何になるというのだ。何の役にたつ。何のためになる。我々は害虫、害獣を駆除するではないか。人間様だけは別格などという無責任なオレ様主義、「人間様万歳主義」はよしてもらいたい。

死刑囚は刑が確定し執行されるまでの間、無駄飯を喰らい続ける。そしてそのエサ代は我々国民の血税から出る。被害者家族のいくばくかの血税も、家族を手にかけた相手の飯となる。死刑囚の飯代等必要経費が死刑囚自身の完全自己負担ならともかくも、我々の血税のいくばくたりとも使われているのであれば、我々はどの死刑囚がいつ処分されたかということを知る権利はあるはずだ。我々の税金が使われているからと言って、国家機密にかかわる情報まで開示せよなどという子供じみたバカげた要求をするつもりはない。だが、死刑氏名公表は国家の存亡にかかわるような機密の類では決してないはずだ。

死刑囚家族の感情を慮ってというが、では、被害者家族の感情はどうなる。この点をめぐる議論ばかりは、所詮見解の相違を持って、堂々めぐりに終始してしまいしうだ。理屈をもって一方が他方を論破することは、いずれの立場を採ろうとも、困難至極であろう。なぜなら、それが感情に根ざした問題だからだ。感情とは理屈では屈しえぬ難物であることは、今更言うまでもあるまい。特に世の亭主方は女房殿との日ごろのやりとりで十分承知のはずだ。利口な女房方は、女としての自身に何としても理屈と折り合えぬ性があることを自覚しているはずだ。私が自身の感情に依拠してこの問題に対する立場を決めるとすれば、やはり被害者家族と感情を共にしたいと思う。

国際的にはEU等が死刑廃止に躍起のようだが、欧州人の偽善というか木で鼻をくくったような高慢ちきな自己完結ぶりには反吐が出る。帝国主義の昔より変わらぬ
上から下に見たような意識が感じられて、それこそ感情的に受け付けぬ。人権を縦にとり死刑廃止を叫ぶのであれば、過去のみならずいまだに欧州の外で直接間接に繰り広げる非人道的な行為の数々をまずは止めてみてはどうか? 

「欧米か!?」がうけたが、「欧米では」という主張にいまだ弱い日本人は相当数いると見受けられる。「欧米では女性の年齢を聞かないものよ」なんて勝ち誇った顔でいう女性方もいるが、「ここは日本ですが?」、「聞かれて恥ずかしくなるような歳まで生き恥晒すなよ!」と内心思うのは私だけだろうか?。 それはさておき、EUがどうだからと言って、我が国がそれに安易になびく必要はない。現在ただ今の世論は死刑存続派が圧倒的に優位だ。今はそれでいいのではないか?
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官房長官失格ですよ、町村さん

2007年12月07日 | Weblog
町村官房長官、この人で総理の女房役というか、内閣のチーフスポークスマンが務まるのだろうかという懸念が当初から無いわけではなかったが、やっぱり適材ではないように思うのは私だけだろうか?

独法問題をめぐる報道がここ数日メディアを賑わしているが、昨日の対応もあれは対世論的にはマイナスでこそあれプラスにはならないのではないだろうか?

独法が今のままで良いと思っている国民は少数派のはずだ。であれば風向きも渡辺喜美氏に好意的な方向に行くのだろうが、その中で、あの仏頂面であの物言い、しかも渡辺氏への電話の内容は氏に暴露され・・・。

官房長官のメディア対応、メディア移りが世論の内閣支持にも影響するであろうことは、現在総理の座にある福田氏の官房長時代を振り返ってもわかりそうなものだ。福田氏は官房長官としての高評価あってこそ、今の地位を仕留め得てのではないのか?父親は北海道知事にして、東大出の官僚出身政治家。常識的に考えて世間の人情の機微に疎くても仕方がない育ち、経歴だ。そのような御仁をまあよくも女房役にしたものだ。政治家なら女房の人気不人気が決して小さな問題ではないことくらいご存じのはずでは?

町村氏に将来的な野心があるや否やは知らぬが、あれでは国民世論に町村待望論が出てくることなど望むべくもあるまい。下手をすれば、これで「上がり」の政治家になってしまうだろう。

もっとも、独法問題に関して言えば、国民世論など「そんなの関係ねえ!」というお考えなのかもしれない。官僚出身者として官僚の心情には精通していようし、シンパであったおしても驚くべきでもあるまい。また安部政権の末路を見て、官僚機構の虎の尾を踏みたいとも思うまい。町村氏の場合、北海道の地元での地盤は盤石だ。永田町で生きていくためには国民世論ではなく官僚の意向に敏感であれば、少なくとも政治生命を断たれることはないとの目算もあるのだろう。

ただ、霞が関を見方に付けるだけで政治家としての更なる栄達を望めるわけでもあるまい。

それに今のスタンスのままでは氏自身はさることながら、主である総理のためにはなりますまいよ。

チャンスがあれば、内閣改造して首をすげ替えたら、福田総理? 森御大が首を縦にふらないですかね?
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ゲテモノショー化しつつある今年の紅白歌合戦

2007年12月05日 | Weblog
たぶん見ないな。

相変わらずろくすっぽヒット曲もないのに出場し続けるクスリで前科持ちのオカマが白組に。

そして、初出場でトランスジェンダーが紅組に。

紅白もしだいにフリークショー化してきてしまっている。こんな昔の夜店の見世物小屋みたいな番組、子供がいるのに見せるわけにもいくまい。私自身、オカマやトランスG見ながら年を越すような酔狂ではないし・・。かと言って、格闘技見ながら年を越す無粋もたまったものではない。

さて、大晦日、どう過ごそうか? 9時までは子供につきあってアニメかな?そしてその後は・・・?
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無節操な日本

2007年12月04日 | Weblog
今の日本、日本人、節操がないにも程がある。

朝青龍問題。いまだこれまでの一連の疑惑は何ら解明されていない。騒動の発端の腰の骨折のから最近のウランバートルのバーでの暴力沙汰報道まで、真偽・真相は何ら明らかならず。しかるに相撲協会も、横綱審議会も、マスコミも何も追及せず。巡業に詰めかけた観客も、朝青竜を見て大喜び。そのうちまたあのドルジはしっぽを出すぞ。その時はまた手のひら返して叩くのか? その時、相撲協会はどうする? また背に腹は代えられぬとクビをつなぐのか? それ以前に北の湖や高砂に志向できるほどのIQあるのか? 横審はどうする? あの獅子頭女史はもう吠えないのか? 今更吠えられまいが・・。そして相撲ファンはどうする?

流行語大賞 逮捕歴ありのスネ傷知事やら、オカマの他愛もない言葉が大賞だあ?
スネ傷知事の芸の師匠も前科持ちながら、今では「世界のキタノ」だそうな。
凶状持ちや同性愛者、本来社会の日陰者であるべき連中が世の脚光を浴びる当節。
これでいいのか? 

ゴールデンタイムのTVにオカマが雁首添えるこの世の中、これで本当にいいか? あんな番組家族で見るやついるのか?

最後に福田首相。独立行政法人の統廃合、民営化をめぐり、簡単じゃない発言。
「私には指導力がございません」と言っているようなもの。「政治家として無能でござい」と言っているようなもの。よくも恥も外聞もなく言えたものだな。さっさとおやめになればいい。もともと馬の脚が白塗りして見得切り様なものなのだから。分際ではないということですよ。

生易しいやり方じゃあ、この国は救われないな・・。
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不倫の因果応報: 玉置浩二離婚の場合

2007年12月02日 | Weblog
玉置浩二が三度目の離婚。一部報道によればプッツン女優石原真理子による不倫関係の暴露が夫婦関係に溝を生じたのが原因だとか。

また、玉置の最初の離婚も石原との不倫が原因だそうだ。

まさに不倫の因果応報、ここにありという例ではあるまいか? 人の倫を踏み外した玉置は、それにより最初の妻を裏切り泣かせ、またその不倫が三度目の離婚として我が身に20年以上もたってから降りかかかった。

すべて自業自得、己が業による因果応報。恨むなら己の不徳と犯した過ちの重さを
知るべきだ。

2人の間に子供がいないのが幸いであったというべきであろう。

そして不倫相手の石原はあの通りの無様である。

不倫の末に結びついた男女の末路は、哀れなものに終わる場合が多いように思われる。時代劇俳優松方某と女優に仁科某の結婚生活しかり。奪い奪われするは、人を裏切り踏みつける行為に他ならない。そして因果の糸に絡み取られ、やがては悲しみ苦しみが我がものとなる。

細川ふみえなんかも、いずれそうなるだろうなあ・・。

まあ、自ら選んだ「けもの道」。同情するには値しない。せいぜい、この世を苦界として余生を生きることだ。

合掌

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