くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

海老蔵で「旗本退屈男」を!

2011年11月24日 | Weblog

海老蔵の「一命」が大コケだったそうな。

実は、私は見ていない。監督が監督だけに期待もしたが、前作「切腹」の陰鬱さが耐えきれず、前作とはまったく違う作品とは聞いていたものの、やはり前作のイメージに縛られてついに映画館に足を運ぶことができなかった。

さて、その海老蔵、大器は大器。そうそう現れる役者でないことは認める。が、課題も多い。特に「台詞」は、親父ほどではないにしても、30代のなんとかせねばなるまい。義太夫を一生懸命やることしかんまいのではないのか。

実は、最近再放映されたTV版「旗本退屈男」を見ていて思ったのだが、あれは原作があるとはいえ事実上右太衛門が作り上げたようなキャラクターである。後年、平幹や息子が演じたが、「御大」とはニンが違うだけにどすひても、今一つ物足りなかった。 やはり、退屈男は基本的にからっと明朗なキャラでなくてはいけない。さもなくば、特にあの「笑い」が無味なものになってしまう。

それに、あの押し出しの強い風貌は、なかなか余人をもって変え難い。息子北大路欽也が息子だけに似ているとはいえ、やはり父親のような役者絵がそのまま3Dになったようなインパクトには欠ける。

その点でいえば、海老蔵を置いて右太衛門の作り上げた退屈男の遺鉢を継げる者はいないのではないのだろうか。

顔的な押し出しは申し分なし。 せいがん崩しで構えた時などは、あの「目」が活きよう。 

踊りは「プロ」であるいから、右太衛門のあの立ちまわりも海老蔵ならできるのではないか。

まあ、課題点はやはりあの「台詞廻し」だろう。あれで「直参旗本三千石・・」とやられても、見ている方はスキッともスカッともしない。むしろ欲求不満がたまってしまいそうになるだろう。

でも、一度だけでも見てみたいなあ、海老蔵の退屈男。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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岩隈久志の歯茎

2011年11月23日 | Weblog

そうそう、岩隈といえば、あの人、笑ったりすると歯茎が姿を現しますが、女性だったら淫乱、男も男女関係の難しい人。

その通りの展開ですね。

それに、彼は「目」がよくないなあ・・。

前から気になっていたけど、顔も名前並にオモシロイですね。

 

 

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姓名判断: 井川意高と岩隈久志

2011年11月23日 | Weblog

大王製紙前会長井川氏、絵にかいたような転落劇ですが、名前にそのまま表れていたわけですね。投機的なことで身を滅ばす人。結果、家庭も・・。そして元々家族との関係は希薄。

そして、不倫騒動の楽天岩隈。「0」を持つ人って芸能界、スポーツ界で成功する人に結構多いのだけど、プライベートや家庭的にはこれがなかなか大変。まあ、岩隈もその一例になるのかもしれません。が、家庭と野球での実績は別物、と行けばよいのですが・・・。結構故障が多いですしね。まあ、因果応報、みたいなことになると思いますよ。どんな言い訳したって、不倫は不倫。司法的には性交がなければ「不貞」ではないそうですが、まあ、司法の外ではそうはいかないと思いますよ。それに「してない」わけもないでしょうし。

 

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新嘗祭として、

2011年11月23日 | Weblog

勤労感謝の日を祝いたいものだと思っています。

名称も変えるべきだと思っています。

宮中行事や格神社での儀礼ではなく国家をあげて新嘗祭を行うべきだと思います。

政教分離に反する。

いえいえ、新嘗祭を「古来からの伝統儀礼」とすれば、儀礼=宗教行為というのは、「必ずしも」なので、解釈的にどうにでもなる話だと思います、要は、政治家の度胸ろ世論のみ。

いっそのこと、憲法をいじって、政教分離の我が国特有の「限界」を明文化すべきではないでしょうか。

「限界」を儲ければ、民主国家としての名折れ?

どこの国に、なかなか徹頭徹尾な政教分離なんかあり得るんでしょうか? 宗教そのものを否定するか雛的な態度をとる国家ならともかくも。

神道が我が国の諸宗教のなかでも特別な地位にあり特別な扱いを受けるのは、致し方の無いことなのでは? それを嫌う人は国体に対しても批判的なのではないのでしょうか、実は。

 

 

 

 

 

 

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時代劇専門チャンネルで放映のNHK大河「獅子の時代」: 会津人には・・・

2011年11月19日 | Weblog

私は純潔の会津人ではない。

クオーターである。親がハーフで、その私はさらに÷2なのだ。

でも、子供の頃からよく会津の話、戊辰の戦やその後の苦労話を聞かされたものである。

何年か前には、飯盛山で腹を切った一人の血縁の方と会ったことがある。

もっとも向うは上級士族。

こちらは藩祖保科正之が会津に報じられるのに伴い他所から移り住み名字帯刀を許されて会津侯の禄を食んできたとはいえ、士族ではなく、白虎隊の別働隊に参加した先祖も、所属部隊は「寄合」であった。 会津の戦いには参加せず、他の佐幕諸藩を応援すべく遠隔に派遣されていたのである。戊辰の戦に敗れた後は、自ら謹慎し「帰農」したというが、元々「農」ではなく、家産は十分にあったので、それをてこに維新後は商売に成功し、更に財をなしたとのこと。皮肉にも薩長藩閥政府が進めた「文明開化」のおかげで会津に移ってきた以前からの先祖代々の家業が大いに役立ったのである。

会津の人にとって、秩父宮妃が会津松平家から選ばれたことは、大いなる名誉回復だったそうな。

「獅子の時代」。本放送時にはまだ小学生だった。会津とのつながりは既に知っていたが、自分自身の体に「朝敵」の血が流れているとは思いもよらず。個人として期せずして着せられた汚名をそそがねばとの思いがいまだに自分の心のかたすみにあるのかもしれない。

歴史をひもといて、幕末維新のドラマには惹かれるし、薩長のなかにも好きな人物がいる。

なかでも西郷はやはり別格。というか、自分のなかでいまだ評価の定まらない人なのだ。私の小さくひ弱な「手」ではつかみきれない御仁なのだ。

それ以外では大久保の冷徹断固とした姿勢には、大久保が登庁するやいなや静まり返ったという内務省の職員ならずとも気押されたような気持ちになる。内国博覧会の際に撮影された集合写真の多くのには、曰く言い難い畏敬の感情を禁じ得ない。

維新後些か生彩を欠いた木戸だが、新政府にあって彼の先見にはやはり伊藤も認めた「頭の良さ」を感じざるを得ない。

個人的に敬してやまない乃木大将も長州人なのだ。

一方、井上馨だけはどうしても好きにはなれない。

だが、会津を取り上げたドラマには、どうしても涙を禁じ得ないのだ。

ということで、ここ数日録画した「獅子の時代」を深夜に一人で見ている。家族と一緒では見られないのだ。涙、涙の姿を子供たちに見られたくはならいからである。

ただ、毎回観終わって思うのは、自分のなかに会津人の気骨がそのかけらほども残っていないことである。会津の血を受け継いだとはいえば、育ったところは戦国以来弱兵の地で、戦前もそこ出身の舞台の弱さは国民の間に広く語られるところであった。そんな土地柄に生まれ育ったせいか、私は生来ヘタレなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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TPP問題: 百姓どもとその親玉の声には耳をふさごう!

2011年11月19日 | Weblog

食料という「人質」をとってTPP反対を叫ぶ百姓ども。実に見下げた連中である。

ちなみに私は「百姓」を差別用語とは思っていないので、マスコミ主導の言葉狩りには組しない。

そして、その親玉ともいべきJAは反対キャンペーンをテレビ宣伝まで駆使して行っている。

今更、何を言っているのか、こいつらはと思う。

日本の農業なんてとっくに死にかけているのだ。

そんなもんに焦点をあててTPPの是非なんて馬鹿上げている。

私は、百姓どもや農協と一蓮托生なんてまっぴらごめんである。

ならば、TPP賛成なのか。それについては別稿で。

 

 

 

 

 

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宮内庁の健康管理体制はどうなっているのか?: 敬宮内親王殿下に続き陛下もマイコプラズマ?

2011年11月19日 | Weblog

マイコプラズマ肺炎は、発熱時にはそれと気づくことは難しい。

発熱すれば最初から高熱になるので、当然一般家庭でも子供が発症した場合、市販薬で事足りるとは思うまい。まあ普通の親なら即病院に連れていくであろう。

が、咳がない時点で、マイコプラズマ肺炎と気付くことは難しいだろう。とは言っても最近の「流行」を考えれば、機転のきく医者なら「もしや」と疑い検査を思いついても不思議ではあるまい。

そこまで機転の利かない医者、あるいはよもやと思いながらも「回転」を良くするために面倒な検査を避ける医者をいるのかもしれない。医は仁術というが、やはり医者にとっては食っていくための算術でもあるのだ。

いずれにせよ、発熱時に発見されなくとも二日もすれば咳こむようになるから、これはおかしいということになる。 咳が出て発熱なら普通の風邪にもよくある症状の順序だが、発熱してから日を置いて咳が出るというのは奇妙である、と素人でも思わなくもないはずだ。事実、私はそれで子供のマイコプラズマを発熱3日目に確認した。2日目の夜から咳こみだし、一向に熱が下がらないので、「これはおかしい、」普通のかぜではない」と思ったのだ。

24時間体制での看護が施され得るであろう天皇、皇族なら、ましてやプロによる看護であれば尚更その点は迅速に対応ができてしかるべきはずだ。

ところが、先日の敬宮様にしろ、今回の陛下にしろ、マイコプラズマとの診断が下るか、または疑いがもたれるまでにいささか時間がかかり過ぎてはいないだろうか。 陛下なぞ、発熱されてからもう随分経つ。

敬宮様のときは、私など素人でもニュースを聞いていて宮内庁発表の前々日の夕刻に家族とニュースを見ながら、「マイコプラズマじゃないのか?」と話をしてものである。

担当医の質・能力の問題なのか、はたまた宮内庁という役所の官僚機構上ゆえの対応の遅さなのか。

日本国中で何人にも代え難く大切な方々である。マイコプラズマぐらい、迅速に適切な治療を行って欲しいものである。

これも、我が国の危機管理体制のぜい弱さの一面ということなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

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障害者と性の問題: 社会のために、そして障害者本人たちのために

2011年11月07日 | Weblog

本日ある書店にて目撃した光景に、考えさせられてしまった。

雑誌を立ち読みしていた(すみません)私の背後で、一人の男性がもう一人に「破いてしまっただから、買わなきゃだめですよ」。 それに対してもう一方は何か言っていたよだが、良く聞き取れなかった。

が、明らかに言われた方は、知的障害者であった。

ちらと見たところ、どうも知的障害者の後者の男性が写真誌か何かの袋とじ写真を破り開けて見た後に、再び本棚に戻したらしく、それを見咎めた前者が「破った以上は買え」と注意したらしいのだ。

障害者の男性はその後「すみません」を繰り返してその場を立ち去ってしまったため、もう一人は写真誌をすぐ目と鼻の先のレジに持っていき、事情を説明していたが、どうもその後も障害者は店内を歩き回っていた様子で、私が店内の別の場所で目撃したところでは、障害者の写真を持った店員が尾行するかのように彼のあとを付けていた。どうやら防犯カメラがとらえた障害者の映像を印刷したもののようであった。

この「事件」に出くわして、私がまず最初に考えたのは、私だったらどうしたかであった。もし私が障害者の行為を見咎めたら、どうしただろうか。いや、どうsべきだったのか。見逃したのか、それとも上述の男性のように一言いうべきだったのか。

今私が思うのは、やはり見逃すべきではないということだ。どうやらあの障害者は自分のしたことの非を理解できるだけの知的能力を持っていたように見受けられた。であればこそ、男性にとがめられ「すみません」と言ったのだろう。しかも、その場から「逃げる」という知恵も持ち合わせていたのだ。判断能力という点において、不足はないと思うのだ。

もし能力が十分でないとすれば、何故そのような人間を一人歩きさせていたのか。親など家族の責任が問われてしかるべきであろう。

さもいなくば、書店としては軽微な損害とはいえ、同様のケースが繰り返されればたまったものではない。

それとも障害者と共生するための社会的コストとして寛容に考えるべきなのか? 障害者に「不正」を働いているという自覚がある場合は、その類ではなきと思う。それに今回のケースは、私見では判断能力なしとは見えなかった。 謝罪し、しかも「逃走」するばかりか、ぞれ以前に袋とじを開ければ・・という知恵・知識すら持っていたのである。まさか、これを本能のなせるわざで片付けるわけにもいくまい。

その本能という部分に関連して、更に帰宅後考えたことは、障害者の性という問題である。障害者といえども、性的に正常である場合、その処理が問われざるを得ない。欧州などでは障害者の性処理をボラティアが「請け負う」制度を持つ国もあるとか。一体どのような考えでそのようなボランティア活動に参加できるのか、いろいろな意味で興味のあるところだが、そうした制度の是非はさておき、障害者の性処理を放置しては、それが「不幸」な出来事につながる可能性も否定できまい。

今回の男性の場合も、性衝動のなせるわざではなかったのか。 袋とじをこじ開けるという行為で済んだからよいようなものの、そ衝動が生身の女性に対して向けられたとすれば、これは弁償しろしないというレベルでは済まない話になる。

昔から「断種してしまえ」という結論も選択の一つであり得たのかもしれないが、今どきそんなことを公に言いでもしたら、袋叩きにあいかねない。だが、ではどうすべきなのか。

率直に言えば、男性は上述の行為により自らが「性犯罪者予備軍」であることを証明したのではないのか。ならば、この自制心の疑わしい「予備軍」をどう社会的に扱うべきか、公共の福祉という観点から言えば、「断種」なり「隔離」は今現在でも選択の一つとして考慮されるべきものであると思うのだが・・・。

昔知人から聞いた話を思い出す。近所の軽い知的障害を持つ男性が兄嫁の妹と結婚することになった。どうやら男性の両親が兄嫁の側に持ちかけた「縁談」だったらしのだが、兄嫁の家族がその際に持ち出した条件が「パイプカット」であった。子供ができた場合に万一のことがあってはとの考えであったらしい。

海外ではパイプカットしたのに女房が妊娠したため大騒ぎになり、DNA検査までしたところ、正真正銘夫の子だったというケースもあるらしいが(とそのパイプカット氏の弟から直接聞いた)、場合によっては知的障害者にパイプカットを施すという選択は「あり」なのではないだろうか。

一件残酷に見えて、実は、社会や家族のみならず、本人にとっても幸せなことではないのか。

ただ、このパイプカットにも限界はある。なぜなら、それが性欲までをもカットしてしまうわけではなく、知的障害者の性犯罪の可能性を減じる手段にはなり得ないからである。

障害者と性の問題、個人として社会としてしっかりと向き合うべき問題なのかもしれない、いやそうに違いないと思った一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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昨晩の勘三郎闘病記を見ての雑感

2011年11月05日 | Weblog

いやー、小山三の元気なのはまことにうれしい。あの役者は歌舞伎の宝、いや日本の宝だと思う。末長くお元気で。

中村屋はやはり愛嬌のある役者である。それに何と言っても巧い。その点はまさにオヤジ譲り。先代勘三郎という人は、器用であるだけでなく、実に「芝居は間が大事」であることを教えてくれた役者である。それにあの眉による感情表現の豊かさは、今も懐かしい。場合によっては、「河内山」など兄先代播磨屋よりも納得のいく演じ方もあり、「松浦の太鼓」などでは、あの「間」による芝居の巧さは当代播磨屋も及ばない。

中村屋が病気になったと聞いたときには、先代も中年期に大病をしているだけに心配したものだが、どうやら回復しつつある様子。

長子勘太郎もなかなかに巧い役者である。この人は、顔全体のつくりに神谷町との血のつながりを感じさせると同時に、大伯父の先代播磨屋の若いころの面影をもとどめている。と、以前初代吉右衛門20代の頃の顔写真を見て思ったものである。

七之助もそれなりに腕を挙げている様子だが、ちらと移った「浜松屋」の弁天はいただけない。ひい爺さんの台詞回しを見て、よく研究して欲しいものである。どうも、発声にも問題があるように思えた。

鶴松も一寸見ない間に大きくなったし、ちらっと見てもやはりタダものでもない。この子のためにも、小山三と中村屋には長く元気でいてもらわねば。

中村屋一門には是非是非頑張っていただきたい。

ところで、中村屋に新宅、あの外観、いささか無粋でがっかり。まあ、他人の家のこととやかくは言いたくはないのですが、やはり「見せる」商売だけにご自宅もそれなりに気を配っていただきたかったです。

それから今時ちょっとヤバい映像もありました。旧宅でのパーティーの場面。どなたか見た目に明らかに酔い気味だったのでは?あの事件があって、あの場面はどないなもんでっしゃろ?

 

 

 

 

 

 

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「黙れ!」、だから石原都知事閣下は捨てがたい

2011年11月04日 | Weblog

「黙れ!」

私もその通りだと思います。

インタビュー等に応えて手前勝手なことをほざいているやつらに対する不快な気持を表現するに、これに勝る言葉はありますまい。

今時の世論を気にしてビクビクしている政治家どもに比べて、ここが閣下の格の違いですね。

よくを言えば「黙れ、下郎ども!」まで言って欲しかったですね。まあ、さすが閣下でもそこまで言えませんかね? なんでもかつて麻生某は「平民の皆さん!」とやらかしたとか? まあ立花家のお血筋の方から見れば、確かに炭鉱地域の有権者なんて「平民」と呼ばれただけでも感謝しろってのが本音でしょうけど。

 

 

 

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