くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

最近の「渡嘉敷島集団自決事件」報道をめぐって その1:照屋証言への疑問

2006年08月30日 | Weblog
28日の産経新聞は、沖縄戦で起きた所謂「渡嘉敷島集団事件事件」において、軍の強制はなかったとする関係者の証言について報じた。

この集団自決事件をめぐっては、戦後早くから軍の強制説が闊歩してきたが、その一方で、それを疑問視する見方や否定する証言も存在した。しかしながら、戦後日本社会で支配的であったある種の思潮に支えられてか、強制説の影に隠れてきた。

今回、元琉球政府の職員である照屋昇雄氏は、自身が自決を軍命令とする「創作」をおこなった一人であることを認めた。照屋氏によれば、軍が自決命令を下したという事実はなく、戦後自決した者の遺族や負傷者が「戦傷病者戦没者遺族援護法」(昭和27年施行)の適用を受けられるよう自決命令が下されたとする書類を作成したのだという。それには当時の厚生省の役人も関与していたという。この証言が事実を語るものであるとするならば、渡嘉敷島集団自決事件における軍強制説は否定されたと断定して差し支えあるまい。

戦後強制説がまかり通る中、300名以上の命を奪った強制集団自決の責任者として世間の指弾に晒されてきたのが、自決事件発生当時渡嘉敷島で軍務についていいた赤松嘉次大尉(故人)である。

照屋氏は、赤松氏が、島民の戦後の生活苦に同情し、「自ら十字架を背負ってくれた」と見ている(産経8月27日付)。産経の記事は、照屋氏がそう証言する根拠が、援護法の適用をめぐる厚生省との折衝において、軍命令ということであれば援護金を得られるということになり、同省課長が言った「赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた」という説明にあることを示している(同紙同日付)。

一方、この照屋証言を否定する事実もある。沖縄タイムス社が編集出版した『沖縄戦記・鉄の暴風』は集団自決が赤松大尉の命令によるものであったとしている。これが最初に出版されたのは、援護法施行の2年前の昭和25年である。つまり、照屋氏らが「うそ」をでっち上げる以前から、赤松氏による強制説が既に存在していたといことになる。

それだけではない。赤松氏が同意の上で「十字架」を背負ったという点についても、果たして厚生省の課長という人物の言葉をそのまま鵜呑みにしてよいものか、疑問点が残る。産経新聞による照屋氏へのインタビューによれば、この「十字架」云々は、照屋氏が赤松氏から直接聞いたものではなく、厚生省課長を介している。であるならば、この課長なる人物を特定し、もしその人物が物故者でなければ「十字架」の真偽を確認するという作業が必要であろう。事実、照屋氏自身も、産経の記事のよれば、赤松氏はが十字架を背負うことを受け入れたと「みている」にとどまっている。

加えて、赤松氏が「十字架」を背負い続けるつもりであったかどうかという点についても、筆者は確信が持てない。照屋氏はインタビューのなかで、「赤松隊長が余命3ヶ月となったとき、玉井村長に『私は3ヶ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ」と語っている。照屋証言の文脈のなかでこれを聞けば、十字架を背負い続けた赤松氏が、最後の最後になって自らの潔白を明らかにするよう地元関係者に要求したとも解釈できる。だが、小林よしりんの『戦争論3』には、赤松氏は生前(少なくとも昭和45年以降)は「一貫して『集団自決命令』を否定し続けた」とある。(『戦争論3』116頁)。こちらの文脈で解釈するならば、赤松氏の要請は氏の以前からの「自決命令」否定の一環であり、甘んじて背負い続けた汚名を人生の最後の最後に注ごうとしたといのとは話が違った形で見えてくるのだ。

史実を掘り起こすうえで証言というものを証拠として活用する際の難しさが、ここにある。


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これってどうなの? その2:「夜回り先生」のドタキャン

2006年08月29日 | Weblog
「夜回り先生」が講演会をドタキャン。

「夜回り先生」と言っても、ボケて徘徊する先生、ではなくご存知の水谷修先生(50)。

約8000人の聴衆を集めて、本会場以外の複数会場にモニター中継されることを知らされていなかったとして、宮崎市での講演を突如中止してしまったという。いったん登壇したものの、「私はうそつきが嫌いだ」と主催者を批判して下壇してしまったという。

これってありか?、と思うのは筆者だけであろうか? 水谷氏と主催者の側にどのような行き違いがあったかは知らない。

しかしながら、水谷氏と主催者のトラブルは聴衆には関係のないことで、少なくともこの点に関しては日本PTA全国協議会側の言い分に一理あるのではないか。水谷氏の講演を聞きたいと思い足を運んだ多くの聴衆の気持ちを慮れば、ドタキャンという選択にはならないはずだ。かりにモニターでは「生の声」が伝わらないとして、それだけの理由で、聴衆の労と気持ちを踏みにじった水谷氏の行為は大人げないのではない。相手の気持ちへの十分な理解があれば、あるいは自分の講演を聞きにきてくれた人々にいささかなりとも感謝の気持ちがあれば、不満足な条件の下でも、また主催者への怒りがあったとしても、講演を行おうという判断になったはずだ。

筆者には、脚光を浴びその発言が影響力を持つようになった水谷氏に、幾分の驕りなり増長があったのではないかと思う。聞いてもらうというスタンスが、いつしか聞かせる、聞かせてやっているに変わってしまったのではないのか。

子供の気持ちに触れそこに「いいんだよ」と共感する水谷氏が、聴衆の気持ちに思いを馳せることができないといのは実に奇異なことだ。それとも、子供の気持ちは理解できても、大人の気持ちは理解できないといことか。あえて辛らつな言い方をするならば、子供の気持ちへの理解にしても、それは氏自身の手前勝手な思い込みではないのか、と今回の一事を見て思えなくもない。氏は、「夜回り」しているうちに、全国を講演して「回って」いるうちに、いつしかマスコミの寵児となって「猿回し」をさせられ、それに気づかず自分の勝手な思い込みの世界で「空回り」に陥ってしまったのではないだろうか。

さりながら、水谷氏も、「先生」とは言いながら、完全無欠であろうはずはない。
辛らつな批判を浴びせた後で、今更かもしれないがが、

「いいんだよ、先生、誰でも過ちはあるから」

と慰めてあげたい。
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これってどうなの? その1:「純情きらり」ならぬ「不純どんより」

2006年08月28日 | Weblog
NHKの朝ドラ「純情きらり」、正直言って単調なドラマ仕立てでつまんね。

でも、毎晩(米国での放映は現地時間の夜)夫婦で見ている。米国にいて見れるTVドラマって、ビデオをレンタルしない限り、テレビ・ジャパンしかたがない。べ現地の番組は、報道、ドキュメンタリーくらいしか見ないから。

それにしても、主人公の桜子、姉の亭主に横恋慕、このどこが「純情」なんだ!今日からタイトルを「不純どんより」に変えたらどうなんだ、ただでさえ陰気くさい話が延々続いているんだから。

その「陰気臭さ」の原因の最たるものが、ドラマの基調となっている歴史観であることはいうまでもあるまい。「戦前戦中暗黒史観」ってやつ一色で、反戦平和主義の主人公やその家族・仲間たちは、みなつら~い悲惨な思いをして生きている時代の犠牲者。昔の「おしん」なんかもそうだったけど、どういうわけだか、戦前戦中ものドラマの主人公はみ~んな体制に順応しない(できない?)平和主義者ばっか。大河ドラマの主人公が「いい人」ばっかみたいなのと同じで、筆者は正直言ってうんざり。そのうち、戦前戦中は「神州不滅」と「滅私奉公」を信じ、戦後も日本がすべて間違っていたわけではないと信じ続ける女性(あるいは男性)を主人公にした朝ドラって出てこないものだろうか。

どこまで続く「戦後史観」の泥濘ぞ・・・。
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親として、心痛むこと

2006年08月26日 | Weblog
最近、親として心痛む出来事が多い。

今に始まった話ではないが、幼児虐待の数々、秋田の二児殺害、そして今週に入ってシュレッダー事件に愛媛今治での中1自殺等。

上にあげなかったなかにも気になるのが、奈良に始まり、今週もあった再婚家庭での子供の放火事件。奈良のケースでは、父子の関係が大きく取り沙汰されてきたが、筆者は、それよりも事件の背後にあるより大きな要因は継母の存在ではなかったのか、と事件当時もそして今も考えている。「なさぬ仲」によってつくりだされたものが一因ではなかったのかと。そして血肉分けた父親が子供たちを救ってやることができなかったからではないかと。あくまでも憶測に過ぎぬが、そう考えると、放火により自分の肉親・家族を死に追いやってしまった二人の少年をかわいそうにも思う。

シュレッダー事件。幼い子が指を九本失ったなどと聞くと、こちらの心もシュレッダーで切り刻まれたように痛む。ニュースを見るたびに、「それはもういいから!」と耳を塞ぎたくなるほど辛い事件だ。筆者の周りには、「小さい子の手の届くところに、あんなものを置いておく親が悪い」という声が多い。筆者もまったく同意である。親として我が子を守ることへの想像力が欠けているといわざるをえない。

ただ、より正確に言えば、「親も悪い」と筆者は思う。「も」ということは、他にも責任を負うべき者たちがいるということだ。それは、言うまでもなく、シュレッダーの製造した企業である。一部報道によれば、子供が指を挟むといことを安全対策のうちに想定していなかったという。もしそれが本当であるならば、実に恐ろしいことである。何が恐ろしいのか。まず一つに、企業の無能さが恐ろしい。「キチガイに刃物」というが、そんな無能集団がシュレッダーという刃をもつ危惧を製造し、それで金儲けしていたことが恐ろしい。「無能に刃物」を持たせても作らせてもいけない。

二つ目に、子供を守り損ねえた親同様、企業の想像力の欠如が恐ろしい。もっとも、無能な人間に想像力を期待すること自体、猫にワンと鳴くことを要求するくらいばかげたことかもしれないが、せめて人並みのIQがあれば、子供がシュレッダーに近づく可能性を予見できないものだろか。ましてや日本の住宅事情、特に幼い子を持つ若い夫婦の住宅の一般的事情を考慮に入れれば、子供とシュレッダーとの距離を想定した安全対策など、脳ミソに汗をかくまでもなく、予見できたはずだ。それもできない人間集団・・・、そんな企業が存続しているとこと自体不愉快なことだ。

「想定していなかった」という企業側の説明を、それが報道通りだとしたら、筆者は疑っても見る。つまりウソを言っているのではないかと。つまり、想定はしていたが、コスト上の理由で子供対策の安全措置をあえて付けなかったのではないかと。

「想定していなかった」はウソで、子供を指を挟む可能性があることを認識しながら、「まさかそんなことは」という甘い想定に安住しようとしていたのではないかと疑ってもみる。もっとも、この「甘さ」は、今回のシュレッダー製造企業に限ったことではなく、日本社会に今も昔も蔓延している。米国にいて思うのは、日本人のあるいは日系企業の危機管理には、共通して「まさかそんなことはあるまい」とい甘さが存在する。こちらが、万が一を指摘しても、「まさかそんなことは」で一蹴されてしまうことが、これまで何度あったことか。「この国では、法的責任を追求されて、洒落にならないほど巻き上げられますよ」と言っても、「まさか」に甘え続ける。

さかのぼって、60数年前、日米開戦となれば数年を経ずして我が国の船舶数は壊滅的な状況に陥るとのシミュレーションに対して、「まさか」で開戦に踏み切った結果を、我々日本人はいまだ歴史の教訓として生き続ける。これは、おそらく日本列島の甘い生存環境によって醸成された民族的な疾患ではないかとすら思えてしまう。

加えて、日本企業(社会?)の人権意識の相対的未熟というものも、この事件の背景にあるのではないだろうか。米国に進出する日系製造業の中には、必要な製造機器が現地で調達できないため(使いなれなかったり、あるいは求められる性能を満たすだけの機器を作ることができる業者が米国内にないなどの理由で)、日本から輸入といかたちで持ち込む場合があるが、米国の安全基準に達せず、安全措置の付属を要求されることがしばしばである。消費者という「人」の安全への人権的配慮があれば、想像力を働かせるまでもなく、当然のこととして十分な安全措置が取られたはずだ。


愛媛今治での中1男子の自殺、新聞で遺書を読み、泣けてしまった。「いままで育ててくれてありがとう 母さん父さん」のくだりは辛すぎる・・・。「ありがとう」というくらいなら、何で死んだ!、と今更言ってももう遅い。親として、この子の両親に思いを馳せてみれば、これほどむごいことはあるまい。我が子も守ってやれなかったばかりか、その子に「ありがとう」の言葉を残されて先立たれてしまう、しかも自殺というかたちで・・。

我が子を失った親は、我が子は亡くなったあとも、その子の年を数えると言う。筆者の周りにも、我が子を失った人たちがいた。筆者の祖母は、終戦後二人の子供を立て続けに病で失い、気がふれんばかりに嘆き悲しんだという。母は筆者を産んでから二度の流産を経験している(ただ母はその悲しみを筆者の前ではみせることはなかった)。米国に着てからも、病死、事故死で子を失った親たちを見てきた。齢90を越える祖母を含め我が子に先立たれた親たちは、いまだ死んだ我が子の年を数えているのだろうか・・。

今治の場合、単に我が子に先立たれただけではなく、その原因が人生に絶望しての自殺である。この残酷な事実を両親は、これからずっと「重荷」として人生を送らねばならないとすれば、親としてこれ以上の過酷があるのだろうか。

学校でのいじめが原因とのことだが、我が子が同じ境遇に陥った時、親として我が子を守り切れるのだろか、と自問自答してみる。親子とはいえ別人格だ。子が何を思い考えているのか、察し切れるわけなどない。「親の心子知らず」というが、「子の心親知らず」でもある。子が心に死を決した時、それに気付ける自信がない。そうなる前に、いじめの事実に気付くことすらできないのではと不安になる。子供を四六時中親の目の届くところに置いておkなどということは不可能だ。学校に行ってしまえば、校内にいる間は100%不可能である。そこで我が子の身に何かが起こっているとして、それをどう知ることができよう。

かと言って、学校や教師も校内での生徒の人間関係や行動を完全に把握することなどできはしない。大人の目を盗んでいじめや悪さをするくらいの知恵を、子供は持っている。見て見ぬふりをする事なかれ教師がいないわけではないが、見ようとして見えぬ場合も残念ながらある。それでも学校や教師はメディアなどに叩かれる、場合によっては徹底的に(その一方、メディアを徹底的に追求する手段を我々は持たぬが)。

我が子を守ることの難しさ・・・、最後には我が子の安全無事を願うしかない、筆者もそんな無力にして無能な親の一人である。
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靖国考 その2: 靖国問題の解決策 (4)への補論

2006年08月24日 | Weblog
以前、靖国問題の解決策として、筆者は靖国神社を含めたあらゆる宗教ならびに無宗教をも想定した国家追悼施設の設定を提案した。

ところが、知人より、筆者の案では憲法89条違反になるのでないかとの指摘を受けた。すなわち、国家追悼施設と認定された既存の宗教施設(例えば靖国神社のような)以外の宗教施設の新たな建設、あるいは、既存の施設の維持や修復が必要のための経費が国家予算によって賄われることになった場合、憲法89条、すなわち公金・公的財産の支出・利用制限に抵触するのではないかということである。

この疑義に対する筆者の回答は、「抵触せず」である。

89条の問題を語る場合、平成9年の愛媛玉串訴訟に対する最高裁判決を見ねばなるまい。愛媛県による靖国神社(ならびに護国神社)への玉串料等の名目での公金支出に対して、最高裁は、高裁の合憲判決を退け、憲法20条3項とともに、89条違反との判断を下すとともに、次のように論じている。(以下http://page.freett.com/shikoku/
tamagushi.htmより引用・抜粋)

 (明治憲法下での信教の自由が置かれた状況に言及したうえで)信教の自由を確 実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、  国家といかなる宗教との結び付きも排除するため、政教分離規定を設ける必要性 が大であった。これらの点にかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるに当 り、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性 を確保しようとしたものと解すべきでる。

これだけを読めば、筆者が主張するところの追悼施設構想は、国家と宗教の完全分離に矛盾をきたし、違憲、ということになろう。

ところが、同判決は、次のようにも論じている。

  しかしながら、「中略」、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離 を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。さらま  た、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理 な事態を生ずることは免れない。政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教と の分離にもおのずから一定の限界があることを免れず、政教分離原則が現実の国 家制度として具現化される場合には、それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照 らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前 提とした上で、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本 目的との関係で、いかなる場合にいかんる限度で許されないこととなるかが、問 題とならざるを得ないのである。

つまり、憲法が本来理想とするところを我が国社会にそのまま具現化することは、現実的に不可能だというのである。そうした認識のもと、最高裁は次のように政教分離のあり方を規定する。

 右のような見地から考えると、憲法の政教分離規定の基礎となり、その解釈の指 導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するもので はあるが、国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするもので はなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、その かかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を越え るものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。

以上のように最高裁が規定するところの政教分離原則にそって言えば、国家による戦没者追悼が非宗教的なものである必要性は必ずしもない。同判決が愛媛県の行為を20条3項違反と判断したのは、県が特定の宗教団体の、その団体にとって重要な宗教上の祭祀にかかわりを持ったからである。

これに対して、筆者が主張するあらゆる宗教ならびに無宗教をも包括した国家による追悼のあり方は、すべての宗教を差別せず、且つ無宗教という信条をも排除しないという点で、憲法20条1項が保障する信教の自由を侵すものでもなければ、同条3項が禁ずるところの特定宗教の援助・助長や干渉、抑圧にはならないのである。

しかも、死者の追悼は、我が国においては、社会的・文化的に「相当とされる限度」の行為であるはずだ。愛媛県の公金支出が違憲の判決を受けたのは、それが20条3項違反、すなわち「相当とされる限度」を越えた行為への公金の支出であったからである。これに対して、筆者の案は、繰り返しになるが、あらゆる宗教及び無宗教をも想定した死者の追悼であるがゆえに、20条1項に抵触しないばかりか、特定宗教団体の援助ないし疎外行為でもないがゆえに同条3項にも抵触せず、しかも、それであるがゆえに、かりに公金の支出があったとしても、それは「相当とされる限度」の行為、すなわち戦没者追悼、のための、諸戦没者追悼施設の維持・管理のための支出、すなわち「相当とされる限度」の支出、となるのではにdろうか。もっとも、実際の公金支出に際しては、金額の分配や分配された公金の各追悼施設における使われ方など、十分な配慮を要する点はあるが)。

筆者の言い分に危うさがあるというのであれば、あえて、公金を支出しなければ良いのだ、と極論してみる。靖国をはじめとする既存の戦没者追悼施設ならびにそう認定されることを希望する既存の施設に対して国家認定を与えるのみで、そこに公金の支出を何が何でも付随させる必要はあるまい。

では既存の施設では戦没者なりその遺族の信心・無信心を満たせない場合はどうするのだ、との声が上がる可能性もあろうが、その場合は、彼らに用地だけ提供すれば良いのだ。用地の供与なら、箕面忠魂碑訴訟の例にあるように、問題ではないはずだ。狭い日本にそのような用地などないではないかという反論もあろうが、ないことなどありえないし、墓地、墓苑の類のような広い用地が必ず必要と言うわけでもあるまい。土地がなければ上に積み重ねればよいだけの話なのだ。

国民の多様な信条や信仰を信教の自由の下に尊重しつつ、追悼という、それ自体不可避に宗教性を帯びているといわざるを得ない行為を、国家が戦没者に向けて行う時、無宗教では国民感情との乖離が大き過ぎ、特定宗教形式でとなれば明らかに違憲となる。ということであれば、あらゆる宗教プラス無宗教というスタンスに対して等距離を保ちながらの国家としての追悼のあり方を模索する以外に方法はあるまい。そのためには、筆者の主張するところが良策と思うのだが・・。

追記: それにしても、この愛媛玉串料訴訟の判決文を読んでいると、高橋久子(元労働官僚にして女性初の最高裁判事)の冗長なだけで子供の屁理屈のような言い分には呆れるばかりで、それが子供の言い分ではないだけに不快感すら覚えるのは筆者だけか。
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8月15日への陰鬱にして複雑な思い その2

2006年08月16日 | Weblog
その1では話題が随分と逸れてしまった。

本題に返り、8月15日、今年のこの忌々しい日を語るうえにおいて、小泉首相の靖国参拝を触れぬわけにはいくまい。8月15日参拝の公約を掲げて総理総裁の座についてから5年、自身の任期切れを間近にして、ようやくそれを果たした。筆者的には、昇殿参拝はしたものの、二礼二拍手一礼の形式を踏まなかったことへの不満は残るものの、まずはよしとしよう(なんて、一国の総理大臣閣下に無礼が過ぎるか(笑))。最後の最後とはいえ、また過去四年間8月15日をはずして参拝するという姑息を重ねた挙句とはいえ(小泉首相ご本人もその点では忸怩たるものがあるはずだ)、少なくとも公約を果たしたという点において、最低限の評価はしてもよいかと思う。

世論の反応は、各紙世論調査やYahooなどのネット上の調査に見るとおりである。その結果への驚いた人もいれば、驚かぬ人もいたであろうが、筆者は前者の立場であった。昭和天皇のお心を記した富田メモが出た直後に朝日かどこかの調査によれば、参拝反対が賛成を大きく上回っていた。これは昨年10月の小泉首相参拝後の調査において賛否が拮抗していたとはいえ、賛成が若干上回っていたことを思い出せば大きな変化で、筆者は15日に小泉首相が参拝したとして、富田メモ報道をきっかけに参拝反対へと大きく舵を切った世論が再度賛成へと方向転換することはあるまいというのが筆者の事前予測であった。ところが、である。筆者の予測は見事にはずれた。賛否両論拮抗はしながらも、世論は再び小泉参拝支持へと傾いた。

今回、マスメディアは醜態を晒した。産経を除く主要紙はこぞって、富田メモに勢いづいてか、小泉首相の参拝反対、靖国に変わる国家追悼施設の建設の論陣を張った。15日以前、朝日新聞は、反対多数を理由に参拝中止を訴えた。ところが、世論は、大手メディアの「煽動」には乗らなかった。毎日新聞なぞは、無様なものだった。小泉参拝への反応に関する記事で、参拝支持派よりも反対・批判派の声をより多く紹介してみせたが、それはかえって報道と世論調査の乖離をさらけ出してしまったのだ。靖国問題の「元凶」の一人であり、今更この問題でとやかく言えた立場ではない中曽根大勲位(厚顔無恥という点で、この人物に勝る者を筆者はいまだ見たことがない)が、マスコミをして「小泉以下」と批判したそうだが、まさに朝日、毎日をはじめとするメディアの世論音痴や世論誘導の失敗は、彼らが少なくとも靖国問題に関して、政局同様世論への鋭い嗅覚を持って5年間政権を維持してきた小泉首相に及ばぬことを露呈してみせたのだ。小泉首相に限らず首相の靖国参拝を支持する筆者にとっては、小気味の良いことであった。

しかしながら、今回の小泉首相の靖国参拝に関しては、実は、筆者の心中には複雑なものがある。

そのわけの一つとして、小泉参拝が天皇陛下御親拝の復活のきっかえをつくるとは到底思えないからである。かりに小泉後継の総理が参拝を継続したとしても、同じであろう。繰り返しになるが、筆者の靖国への考えは次のようなものである。殉国者に対する国家としての追悼を考えたとき、幕末維新以来の約250万を数える殉国者を祀る靖国神社が無視されてはなるまい、と筆者は思う。もしその歴史的経緯を理由に靖国という存在に対する忌避感が存在するとすれば、それは筆者が共有すべき歴史感情なり歴史認識ではない(かといって、遊就館の歴史認識に前面的に賛同するわけでもないが)。もっとも、靖国のみをもって戦争に倒れた先人の慰霊が事足りるとは考えてはいないし、改憲なくして、現行憲法下において今のかたちのままに靖国”のみ”を国家護持なり管理することも、残念ながら、法的に無理があると考える(なぜ”のみ”なのかについては、以前に論じたので、ここでは割愛)。ただ、我が国における殉国者・戦没者の慰霊において靖国神社の存在が不可避に大きい以上、それへの国家・国民の統合の象徴たる天皇陛下の御親拝があってしかるべきではないのか。天皇の存在を欠いた国家による追悼など不完全なものと言わざるをえない。つまり不完全ないしは不自然な戦没者追悼が昭和50年以来31年にわたって続いているということだ。しかしながら、富田メモのごときものが出てきた今となっては、小泉首相とその後継者がいかに靖国への参拝を継続し繰り返そうとも、天皇陛下が靖国に御自ら足を向けられることにはなるまい。もっとも、富田メモ並びにそれをめぐる日経の報道については、桜井よし子氏あたりから疑義も呈されている。筆者も新聞報道による抜粋のみをもって冨田メモが記すところの昭和天皇の大御心の全体像を安易に断定すべきでもあるまいし、メモの史料としての信憑性についても今後十分に検証される必要がある。歴史学者である秦郁彦氏は、靖国をめぐる今後の焦点が、天皇御親拝問題に移ると予測している。かりに富田メモが秦氏の言うようなに信の置けるものだとして、その上で御親拝の復活を模索する方向性を取るのであれば、A級戦犯を分祀する以外に道はあるまい。かりに、合祀の状態のままの靖国に天皇陛下の御親拝を仰いたところで(今上陛下ご自身からそれをお望みになることはあるまいが)、いささかも皇運に報いる結果とはなるまい。

二つのわけは、筆者の予想に反して8月15日の靖国への参拝者数が昨年を大幅に上回ったことにある。筆者の記憶ちがいでなければ、昨年は20万人を越えたはずだ。それに対して、今年は約26万を及んだという。たとえそのすべてが靖国の存在や小泉首相の参拝を肯定・支持しているからというわけでもなかろうが、参拝数の増加のみを単純にみるならば、靖国肯定派の筆者としては、本来喜ぶべき結果であるはずだ。マスメディアが参拝反対で騒ぎ、”若干一部”のアジア諸国がそうした日本国内の「スキ」につけ込むかのように外交問題として嘴を挟ねば挟むほど、それへの反発をも含めた反応として、国民意識の中に靖国の存在感が増し、参拝者が増えていく状況は、アンチ靖国の内外勢力にとっては、皮肉な結果かもしれない。そもそも、筆者は、”一部”の外国による小泉首相の靖国参拝への反発や批判は、内政干渉ではなく(なぜなら小泉首相の靖国参拝は政治の問題ではなく首相自身が主張するような個人の「心の問題」であるなら、政治とは関係のない問題であるはずで)、小泉氏という個人が日本国の主権のうちに属する存在であり、また靖国をめぐる「外」との軋轢の背景に歴史観のみならず宗教観の違いがあるとすれば、これはそうしたものをも含めたうえでの国家主権への侵害に該当する行為であると考えている。筆者は、国家主権すなわち国家のそこに属する人間による統治権の行使とは、単に政治的なものだけではなく文化や宗教などを含めた価値観などをも含めたより広範なものを対象とした自主権として解されるべきであると考えるのだ。(また話が逸れた!)しかしながら、富田メモ報道後という状況において参拝者が昨年を大きく上回ったという結果を、筆者は単純には喜べぶことはできない。富田メモに記された先帝のA級戦犯合祀へのお気持ちすなわち大御心が報道されるや世論が首相の靖国参拝に大きく傾いたことをして、いまだ我が国において天皇あるいは昭和天皇の権威ないし影響力というものの存在が無視し得ないものであることの証左と見ることができるかもしれない。ところがその一方で、その大御心の存在にもっかわらず8月15日には昨年以上の参拝者が靖国に足を運び、小泉首相の参拝への支持が不支持を上回り富田メモ報道時の世論調査結果が覆ってしまったのだ。一臣下に過ぎぬ首相の行動が、国民意識のなかにあって、大御心以上の影響力を持ってしまったという見方もできはしまいか。この一事のみを捉えるならば、天皇の権威ないしは存在感の低下のあらわれということではないのか。もっとも、民意なり世論というものは今も昔も(そしておそらく将来においても)移ろいやすい。だが、以下に移ろいやすいとはいえ、三権の長の一人に過ぎぬ首相の行動が、歴世我が国の頂点にあり現在国家国民の統合の象徴たる天皇の大御心に勝る国民への影響力を持ったということは、たとえそれが一時なりとも、筆者には、以前にも増して天皇抜きのナショナリズムというものの可能性あるいは既に存在というものが、特に皇室への関心の低さが指摘されている若年層に、高まりつつあるのではないかと危惧せずにはいられない。

もう一つのわけは、武道館での全国戦没者追悼式典における参列者たちの「お行儀」の悪さである。テレビを見ていて気付いたのは筆者だけではあるまい。式典の間中、いたるところ形態デジカメでの撮影が行われていた。昨今、式典中のカメラ撮影というのは決して無作法なことではないようで、筆者の暮らす地域にある日本人学校の入園、入学、卒業式も、学校関係者や来賓の祝辞そっちのけでわが子の写真を取り続ける親たちを見て、「このバカ親たち!」と腹を立てたものだが、今回追悼式典をTVで見ながら、少なくとも筆者の個人的な価値観のなかではいまだ「無礼」、「無作法」の類の行為が世代を超えてまかり通っていることに、気付かされた。日本人の質の低下の一端を示すものに他ならないと思う。そもそも式典の趣旨は写真撮影ではない。そのことすらも理解せぬかはたまた理解しながらも「撮りたい」という個人の欲望を抑えきれず優先させてしまうのか、はたまた個人の欲望を優先させることに何らの躊躇も感じぬのか、いずれにせよ、情けない話ではないか。全国戦没者追悼式典に関して言えば、言うまでもなく天皇皇后両陛下のご臨席を仰いだわけだが、よもやあのバカども、両陛下に向けて無遠慮にカメラを向けたわけではあるまいな・・・。

日本は大丈夫か・・・?、との少なからぬ不安を感じた8月15日、であった。
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「国恥」河野洋平の破廉恥

2006年08月15日 | Weblog
死者に鞭打つをよしとせぬは、我が国の伝統精神のひとつといっても過言ではあるまい。墓を暴き遺骸を辱めるに躊躇せぬどこぞの隣国とは明らかに異なり、主観的には我が国の「美風」とすべきものであろう。

しかしながら、あまねくすべての日本人がこの精神文化を共有するわけではないことを、河野洋平衆議院議長が示してくれた。

15日、政府主催の全国戦没者追悼式において三権の長たる河野洋平氏は、追悼の辞で、「戦争を主導した当時の指導者たちの責任をあいまいにしてはならない」とのたまった。毎日新聞は、「第二次世界大戦に関与した日本の指導層の戦争責任を否定したり軽視したりする論調が高まっていることに不満を示したものとみられる」とする。

政府与党の重職を歴任し今三権の長のイスに座す河野氏が今更知らぬはずはあるまい。政府主催による追悼式は独立回復の年、すなわち昭和27年に、始まって以来、氏の指摘する戦争責任を有する戦時指導者たちも、そこでの追悼対象だといことを。式典の追悼対象たる「零位」に対して面と向かって「責任をあいまいにしてはいけない」と言ってはばからぬ氏の行為をして、死者に鞭打つの行為と呼ばずして何と呼ぼうや。いまだ筆者は追悼の対象を非難する追悼の辞なるものを知らぬだけに、抑えがたい怒りすらおぼえる。戦時指導者の責任を問うこと自体は氏の自由であるが、あの場においてそれを口にするは、破廉恥以外の何物でもあるまい。

こういう御仁であればこそ、同じく死者を辱めて恥とせぬどこぞの国にシッポを振ることをも惜しまず恥ともせぬのであろう。

毎日によれば、河野議長は更に、沈没時戦艦大和に乗り込んでいた将校に触れ、「新生日本の『目覚め』を信じ、さきがけとなることを願って犠牲を受け入れた若い有為な人材たちに思いをはせるとき、指導者たちの責任をあいまいにしてはならないと思う」と述べたという。国家の指導的立場にあるものの責任論としてはごもっともかもしれぬが、それをあの式典でいうべきではないはずだ。理由は既述のごとし。

河野氏は、「我が国の平和と繁栄は先輩世代の犠牲の上に築かれた」と語っている。この「犠牲の上の繁栄」という言葉、いささか感情論的なところもあり、戦後の我が国の平和と(少なくとも経済的な)繁栄の原因をすべからく先人の犠牲に求めることはできまい。それはさておき、その「犠牲」となった「先輩世代」も、よもや、氏のごとき破廉恥漢が、戦後の「平和と繁栄」の世に現れ、位人臣を極めるなどとはゆめゆめ思いもしなかったのではないだろうか。

かくのごとき人物に憲法が規定するところの国権の最高機関の長としての地位を与える今日の日本は、果たして戦没者が「目覚め」を期した日本であるのだろうか。
筆者は、死者の御霊を前にその死者に批判の言葉を向ける河野という人物を国の恥、「国恥」、とみなし、戦没者に対してこのような人物をのざばrせておく我が国の今日の無様をただ恥ずかしくそして申し訳なく思うのみである。
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ハーシーチョコレートワールド

2006年08月15日 | Weblog
子供のために、8月13日から一泊二日の家族旅行。

たったの一泊? 

我が家は毎年年末に日本に二週間ほど一時帰国することにしているが、これが一大イベントなのである。まず家族4人分の航空運賃に新幹線など日本国内での移動費用、そして日本での諸費用(宿泊は筆者と妻の実家)をあわせてウン十万。薄給の身にとって、このウン十万を貯蓄に回せたらと、思わないでもない。ただ、米国生まれながら「ぼくはジャパニーズだから」、「(一時帰国を)日本に帰る」といいながら毎年心待ちにしている長男(2歳の次男は何も理解していないはず)や待ちわびる親や家族のことを思えば、「必要経費」と思ことにしている。

それに6歳と2歳では今のところ年の差があり過ぎ、二人が同時に喜べる観光地となると、みつけあてるのになかなか苦労する。上のことを思えば、今年はディズニーワールドにとかディズニークルーズツアーにとも考えてみるが(もっとも夏にフロリダやカリブのクルージングに出かけることは決しておススメしない)、下がまだそうしたものを楽しめるだけの知能的、身体的発育を遂げていないのだ。

というわけで、夏は経費節減でこじんまりと車で行ける範囲の手近なところで済ませることにしている。

今夏の目的地は、ペンシルベニア州ハーシー(Hershey)。

ハーシーと聞いてピンとくる人は結構いるのではないだろうか。、ハーシーとは、M&Mやキスチョコなどの製品で日本でも知られる世界最大(?)のチョコレートメーカー、ハーシーズのある町の名である。うちの親世代なら、進駐軍からもらったチョコレートのメーカーということで知っているかもしれない。

そこには、チョコレート工場に隣接して、チョコレートの模擬工場や遊園地、植物園などがある。筆者が暮らすところからは東に車を走らせ、アパラチアを越えて、6時間以上かかるのだが、ワシントンDCやフィラデルフィアなどの東海岸の都市からならおそらく1-2時間で行ける距離なのだろう、ペンシルベニアナンバー以外にもメリーランド、ヴァージニア、ニュ-ジャージーナンバーの車がほとんどであった。

午後現地に到着した初日は、チョコレート模擬工場(ディズニーアトラクションのように、自動運転のカートにのって、チョコレート製造の工程を豆の栽培から製品の完成までを見せてくれる)を見学しておしまい。大人から見れば他愛のない子供だましのアトラクション(無料だから仕方ないか)なのだが、子供は大喜び。

翌日は、午前から午後にかけて遊園地ハーシーパークへ。筆者が暮らす周辺には自動車で1-2時間の距離で大規模遊園地が三箇所もあるのだが、小さな子供にとっては、指をくわえて見ているしかない年齢・身長制限のある乗り物が多い。それに比べてハーシーパークは、6歳も2歳もともに楽しめるものが数多く、子供たちもご満悦(一方、親は疲労困憊)。

しかも長男がお兄ちゃんぶりを発揮して次男をよーく世話してくれた。

以前にもここに書いたことがあるが、今年は思いがけなく仕事のうえで、精神的にも金銭的にも苦しい境遇に陥ってしまうこととなった。ここ2-3年、思いがけずトラブルに見舞われることが多すぎる・・。今回のことでは、人様の人情に触れることもあり、有難い思いをした。ただ、そうしたお世話になった方々には申し訳ないのだが、正直言って実に不本意な日々を送っている。

そんななかでも、子供の喜ぶ顔を見ると気も休まり、改めてこの子達のためにも自分がしっかりせねばとも思ってみる。このままでは終わるまい、ここが辛抱のしどころとも思ってみる。

二日目の夜10時少し前に帰宅。妻と交代で運転してきたもののヘトヘト。常用の腰痛薬も切れ掛かり腰も重い。翌日からは、また仕事。それでも、子供たちが満足してくれたことに、筆者自身も喜びを感ずることができて、子供たちに感謝、感謝。

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8月15日への陰鬱にして複雑な思い その1

2006年08月15日 | Weblog
61回目の終戦記念日(終戦の日)。

終戦とはいものの、正確に言えば、負けた日なのだ。しかも肇国このかた未曾有の大負けとそれに続く約7年の独立喪失。この負けの後遺症をさまざまな点でいまだ引きずり続ける我が祖国、日本。戦後61年とはいうものの、確かに、いまだ「戦後」は終わっていない・・。

この日を「国恥記念日」と呼ばずして何と呼ぼうや・・・。

だが、「負けて悔しい」とか「今度こそは」という声を耳ししたことがほとんどない(まったくではないが)。逆に「結果的に負けて良かった」などという声を聞くと、「コイツと同じ民族の血が自分の中にも流れているのか」と怒りを越えて情けなくなる。あるいは、一部の個人の心のうちには負けて悔しいとの思いがあっても、それを口に出せないの社会状況が今日の日本にはあるのかもしれない。事実、数年前ある場所で、「負けて悔しいという声が聞こえてこない現状こそ異常ではないのか」と言ったところ、想定内のことではあったが、驚かれ奇異の目を向けられてしまった。「平和が大事」、「戦前の体制がいけない」的な言説があいも変わらずメディアを通して流布する現状において、それは已むをえぬことかもしれないのだが・・。

屈辱の日を迎えて、晴れやかな気分になる者などいまい。

それでなくても8月に入れば、ピカドン報道、(悲惨な)戦時体験番組のオンパレードだ。朝は朝でチャンネルひねればNHKの「純情きらり」が「戦前中=暗黒時代」一色のストーリーを見実これでもかと言わんばかりに展開する (ちなみ筆者の暮らす地域では、放送は現地時間の夜なのだが、それにしても面白みのない朝ドラである)。戦後の国民文化になってしまった観すらるこの陰鬱な八月のTV番組の数々、一体何時まで続くのだろうか。

そのくせ、赤軍の満州侵攻とそれによって生じた悲劇については、ピカドン2発や戦時のその他の「悲劇」に比べて実にあっさりした扱いというか、なかばスルー状態なのが、日本のマスメディアの現状でもある。NHKによれば、戦時満州に在住していた邦人の悲劇は、満蒙開拓団という国策が生じた悲劇だそうだが、果たしてそう言いきれるのだろうか。確かに、ソ連の侵攻なくとも、終戦後日本憎しの現地人(満人、ちなみに満人=満州人、満州族、満族ではない)の襲撃を受けたであろうし、現に引き上げや残留孤児をめぐる実状は、『大地の子』のような美談ばかりではなかったそうだ。子供狙いで大人だけが殺された挙句、残された子供は売買されたり、若い娘や夫と生き別れた日本人女性が嫁の来手もないような貧農になかば略奪婚まがいに現地人妻にさせられたなどということもあったそうだ。ただ、赤軍の中立条約違反を犯した侵攻が無ければ起きなかった悲劇もあったはずだ。公称約60万(実はそれをはるかに上回るという説は以前からあるが)のシベリア抑留も起こらなければ、引き上げの悲劇も実際以上のようなことにはならなかったはずだ。

NHKと言えば・・。米軍基地再編をめぐっての討論番組が以前あった。額賀防衛庁長官をはじめ、森本敏、小林よしりんに、日大のあまり舌鋒の冴えない先生(名前失念)、それに沖縄や厚木基地周辺住民(と称する人々}が参加。司会は以前朝の「おはようにっぽん」の三宅アナ(ちなみに筆者の高校の先輩にあたる)。討論の内容はおおかた視聴前の予想通り。落ちつきはらい理知的に語る額賀に森本に対して、相変わらずのすっとんきょうな声で観念論の小林(注:筆者は必ずしもアンチよしりんではない)、そして感情論の住民連中、という構図。あと、日大の先生も(笑)。驚いたのは、住民の皆様のマナーの悪いこと、悪いこと。自分たちのアンチ、すなわち額賀、森本、よしりんが喋っている最中にヤジり続けるのだ。幸いマイクは三氏の声を漏れなく拾ってはいたが、見ていて、聞いていてウザイことこのうえなし。で、司会の三宅は?これがあえて連中をたしなめもせずば、制止もしなし。「なんなんだ、これは・・・?」と思いながら思い出したのが、2004年の米国大統領選挙の副大統領候補のTV討論会。共和は現職”ヒューマンハンター”ディック・チェイニー(わかる人はわかるはず)、かたや挑戦者は民主のジョン・エドワーズ。討論形式は、各テーマごとに時間制限制で、両者が先攻後攻で入れ替わることになっていた。予想通り、テーマのひとつに同性婚問題が出され、エドワーズが、チェイニーのレズの娘のことを持ち出した。見ていて筆者、「こいつ、手段を選ばんなあ・・・」。ネガティブキャンペーンの中傷合戦が当たり前の米国大統領選とは言え、本人ではなく家族をエサにするとは「きたないヤツ」。その後、何のテーマだったか失念したが、それが時間切れとなり、司会は次のテーマを先攻のエドワーズにふった。ところがエドワーズ氏、「ところで先ほどのテーマについて」と司会を無視して話題替え。筆者、「おいおい、。そりゃ禁じ手だろう。司会者静止しろよ!」 ところが、司会者氏、何もせず、エドワーズを放置したまま。ご存知のように先の大統領選挙、マスコミは概ねケリー・エドワーズ陣営びいき。特にその傾向は、候補者討論会が始まってからより露骨にはないっていたのだが・・。NHKの場合も、少なくとも三宅アナの司会ぶり、喋っているうちに感情がヒートアップしちゃった沖縄の基地周辺住民のあばあちゃんに対しては、前にしゃがみ込んでうなずきながらお話を聞いてあげていたのに、額賀氏や森本氏へのヤジや妨害にはお構いなし。これもこれでありですか、三宅さん、NHKさん!?

後日、「サピオ」連載中の「ゴー宣」においてよしりん曰く、あの住民連中は、いわゆる「プロ市民」の皆様とのこと。案の定である。よしりんは、それでも、「わし」のようなものを出演させたNHKを擁護してたが、まさか天下のNHKともあろう者が、連中が「プロ」だと知らずにスタジオに呼んだとは、筆者は思えぬのだが・・。

終戦の日について書くつもりが、いつのまにかNHK叩き。それにしても、上述の討論会といい、戦争関連の報道番組といい、「純情きらり」といい、どうなってるんだNHK! (今更のことではないのだが・・・)

続く。



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原爆忌への疑問

2006年08月09日 | Weblog
今週、広島、長崎が61回目の原爆忌を迎えた。

原爆がもたらした惨禍がどれほどのもので、またその悲劇が現在進行形のものであることなど、ここで改めて述べるまでもあるまい。

いかなる理由をもってしても、原爆投下という無差別攻撃が戦時国際法に反する戦争犯罪であることも、またしかり、今更いちいち論ずるべきことでもあるまい(と思っている米国人は極めて稀ではあるが)。

さて、この原爆忌、一体何時まで続けるのだろうか。いや、永遠に続く(続けるつもり)のだろうが、より正確に言えば、一体何時まで今の形式で続けるの?、というのが筆者の疑問とするところなのだ。

まずもって、どうにもこうにも陰気臭い。この陰気臭さは、8月15日の武道館での戦没者慰霊式典にも通ずるものがあるが、この季節の蒸し暑さとあいまって、筆者には正直なところ「うんざり」なのだ。上述したように、原爆の悲劇は61年を過ぎた今も現在進行形である。お祭り気分でやれなどというつもりもないが、だからといってあの陰気臭さのままというのは、いつまでたっても敗戦の惨めさを引きずるっているような気がして、なんだか負け犬の傷をなめ合うような行為にも思えて、筆者としてはどうもいただけないのだ。

筆者が被爆地における原爆忌の式典に共感できないもう一つの理由は、演出のわざとらしさにある。明らかに大人の手によるものか多分に大人の手が加わったであろう作文を炎天下、子供に読ませるあのクサくありきたりな演出にはあきれるしかない。おまけに、今年はハーフの子供(合いの子は今時差別用語? ハーフも? ならば、ハイブリッドとでも言うべき?(笑))まで登場させる「心憎い(笑)」演出まで飛び出した。ハーフがいけないとは決して言うまいが、一体あの人選は誰がどのようにして決めるのだろうか・・・。

「平和宣言」の「政治臭」にも毎度うんざりさせられる。既に読売新聞の社説が指摘したように、米国を批判しても、北朝鮮の核開発は批判しない秋葉広島市長の「平和宣言」とは一体どうしたものか。朝鮮労働党の友党であった日本社会党の元代議士であれば、やむからぬことかもしれないが、広島市民を代表する立場からの宣言としては、バランスを欠いたものといわざるをえまい。また、広島・長崎両市長ともに、中国の核軍拡については言及なしで、お構いなしと見えるが、これまた一体どういうわけなのか。

「安からに眠ってください。 過ちはくりかえしませんから」 

筆者はこの言葉が以前からあまり好きではない。追悼碑建立時広大教授だった雑賀忠義教授によるものである(雑賀って、孫市の子孫?)。建立まもなくして、広島を訪れたパール判事の批判を機に、「主語論争」なるものを引き起こした。雑賀氏によれば、「過ち」を犯したのは、日本(人)や米国(人)に特定されるものではなく、全人類を指すとのことだが、かりにそれはよれでよしとして、一体「過ち」とは何なのか。原爆投下のみをさすのであれば、その動作主は米国であり、全人類に「過ち」の責任を共有させることは事実認識上問題があるといわざるを得ない。原爆開発をも含めた広義での原爆投下を「過ち」とするのであれば、そこには結果として開発成功にまではいたらなかったものの原爆の研究開発を行っていた日独も含まれえるし、碑文完成当時既に核保有ないしは保有途上にあった、または保有意図を持っていた英ソ仏中などの国々も含まれるべきではあろうが、それでも「すべての人」ないしは「全人類」に「過ち」の責任を負わせるには無理がある。あるいは原爆投下を含めた戦争という人類同士の殺戮を「過ち」とするのであれば、それもまたそれで、筆者の受け入れるところではない。確かに戦争は忌むべきものである。避けうべきは避けるにことしたことはない。しかし、やむを得ずまさに「自存自衛」のために矛を取らざるをえぬ場合もあるわけで、「過ち」としての戦争が自衛行為をも含むものであるとすれば、それは人類や人間集団たる国家の生存権否定の思想にもなりかねまい。

時代とともに、ヒロシマを取り巻く環境が変化してきた。また碑文を目にする人によって、必ずしも雑賀氏とは思いを同じくしない、人それぞれの思い思いの碑文の解釈がなされるのであろうし、またそうであっても良いのではないか、と筆者は思ってみる。雑賀氏の碑文に込めた思いに、解釈が一元化されなければならないといのであれば、それはある種の教条主義である。しかも、ある意味きわめて政治的なメッセージとも受け取れるものが、ただひとつの解釈以外のいかなる解釈も排除するという前提で公共の場所におかれるとすれば、それはそれで行政による思想の強要、思想統制という問題をもはらんでこよう。

筆者なりにあの碑文を解釈するならば、「安らかに眠ってください。次は決して負けませんから」となる。

被爆者への同情と鎮魂の思いとともに、戦争に負けることの惨めさが、毎年原爆忌を迎るたびに我が胸に去来する。
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