くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

靖国考 その2: 靖国問題の解決策 (4)

2006年06月25日 | Weblog
以上、三つの選択肢に対して、筆者は、次の選択肢を提案してみたいと思う。

筆者は、「選択肢4」として、あらゆる信仰のあり方と無信心をも想定した国立追悼施設を設けることを提案したい。

「無宗教」一本やりではなく、「すべての宗教」プラス「無宗教」の施設である。筆者は「無宗教」を唯一の前提とした追悼施設建設には反対である。理由は簡単で、それでは靖国神社への天皇陛下の御親拝復活と首相による継続的な参拝という筆者の立場と矛盾をきたすからである。平成14年の暮れ、当時の福田官房長官の私的懇談会である「追悼・平和記念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が、最終報告として、戦争犠牲者追悼のための無宗教追の国立悼施設の建設を提案した。こうした懇談会が設けられた背景には小泉首相の靖国参拝をめぐる内外からの批判、反発があったわけだが、率直に言って、この提案「噴飯物」としか言い様がない。筆者のこの懇談会提案に対する批判は、衆議院議員の高市早苗とほぼ同じである。(http://rep.sanae.gr.jp/tusin/
contents.html?id=5)まず、「無宗教の追悼施設」という点からして、論理矛盾を含む。追悼それ自体既に宗教性を帯びる可能性を持つ。また、かりに宗教性を帯びない追悼というものがあるとして、そして提案されたような追悼施設が建設されたとして、宗教性を帯びた追悼感情なり行為といものも現に存在する以上、懇談会が言うような「何人にもわだかまりなく訪れられる」施設足りうるかどかは、はなはだ疑問である。靖国神社こそ国家の追悼施設であるとする立場からすれば、国立追悼施設の建設など容認できようはずもなく、その時点で「何人にもわだかまりなく」受け入れられるはずの追悼施設の建設目的は既に挫折しまうのである。高市氏が指摘するように、追悼対象をそこに訪れる人の心の問題とする曖昧さは、靖国に合祀されていることで内外の批判の原因となっている「A級戦犯」をも追悼対象として排除しないということではないのか。すなわち、新施設を持ってしても、「A級戦犯」合祀をめぐる論争に終止符を完全に打てるかどうかは、疑わしいのだ。更に言えば、新施設が首相や政府関係者の靖国参拝を止めるものではない、といことを忘れてはなるまい。小泉首相のように、新施設建設後も首相が「私的」に靖国に参拝し続ければ、内外での反発、論争も今後も続くということになる。

筆者にとって一つ理解できない点は、戦没者追悼施設の在り方をめぐる昨今の議論が、どういわけか靖国か「無宗教」の新施設かという二者択一論に収斂されてしまう傾向にあるということである。靖国神社ならびにそれへの政府関係者の参拝に批判的な立場から、靖国ではない追悼施設の建設を求める声が上がるのはわかるが、なぜそれが「無宗教」でなければならないのか。中にはおかしな言い分もある。例えば公明党は、米国のアーリントン国立墓地を例にあげながら、「無宗教」の追悼施設建設を主張するが、アーリントン墓地は、無宗教者も受け入れるといだけで無宗教施設ではなく、むしろ多宗教である。あらゆる信仰を想定している。公明党はそのことを理解しながら、「無宗教」という。(www.komei.or.jp/news/daily/
2004/0812_04.html )同党の支持母体の方々との対話の難しさを、個人的な経験として幾度か感じたことはあるが、公明党もまたしかり、ということなのだろうか。(http://dentotsu.jp.land.to/seisaku_koumei.html )憲法20条の政教分離原則に則って、無宗教でなければいけないとする考え方もあるのかもしれない。ただし、忘れてはなるまい。20条は同時に「信教の自由」を保障している。こうした条文を持つ憲法の下で、もし国家が特定の宗教形式によって国家としての追悼を行えば、それは憲法20条第1項はもとより、3項にも抵触することになる。しかしながら、それとは逆に国家が「無宗教」の追悼施設を建設し、国家としてそこで戦没者の追悼を行うことは、「信教の自由」を保障された主権者たる国民への「無宗教」の強要であり、国民「信教の自由」を冒涜することにはなりはしないのだろうか。無宗教への過剰に原理原則論に徹した固執は、かえって我が国の国民感情やそれを裏打ちする伝統や文化、今日の社会情況との齟齬をきたしかねない。政教分離の原則が現実に即して解釈、適用されるべきことは、愛媛県の靖国神社や護国神社における祭祀への公費の支出を違憲とた平成9年の最高裁判決でも示されている。

筆者は考えるのだ、現行憲法において、国家の行為が無宗教である必要はないのだと。昭和52年に津地鎮祭訴訟判決で最高裁が示した「目的効果基準」をもってするならば、国が関与する追悼施設が必ずしも無宗教でなければならない、といことにもなるまい。「目的効果基準」とは、政府ありは政治による行為の宗教的「目的」の有無と特定宗教への助長あるいは圧迫という「効果」の有無を判断するもので、上記訴訟に対して最高裁は、地鎮祭は習俗であり、社会通念上、政教分離に抵触しないとの判断を下している。地鎮祭が宗教行為ではなく単なる習俗か否かといことは異論のあるところと認めざるをえないが、あくまでもこの判決に沿って考えるならば、追悼という行為も宗教行為ではなく社会通念上は習俗とみなすことは可能なのかもしれないし、国や自治体もそうした認識の下に各種の追悼行事を行っているのであろう。毎年終戦の日に武道館で行われる政府主催の戦没者追悼式っでは、会場の壇上中央に「全国戦没者之霊」を記された柱が立っている。昨年8月6日の広島での原爆慰霊祭では、秋葉市長は「御霊」という言葉を使っている。「霊」にしろ「御霊」にしろあらゆる宗教普遍のものではない以上、「特定宗教」に基づく宗教的行為とみなされても致し方あるまい。だが、「全国戦没者之霊
」や被爆者の「御霊」をして、政教分離に反すると批判する者はまずいまいし、されるべきでもあるまい。なぜならば、法的に言うならば、「霊」や「御霊」が特定の宗教に由来するものだとして、それらをもって、国や自治体(広島市)が特定宗教の助長を目論んだわけでもなく、「目的効果基準」に照らして問題がないからに他なるまい。

「目的効果基準]原則を尊重したうえで国家による戦没者の追悼を目指すのであれば、何が何がなんでも無宗教である必要はあるまい。いかなる宗教に対するのと同時にいかなる宗教にも信仰を持たない立場に対しても等距離の配慮をすることで行う必ずしも無宗教ではない国家のよる追悼という方法もあるはずである。いかなる宗教にも、同時に無宗教という「思想」にも分け隔てなく対応した追悼は、宗教的「目的」をもった行為と見なされるべきではものではあるまい。そうではないというのであれば、それはいかなる形であれ追悼という行為そのものが、宗教的目的を持つ行為であると主張するに等しい。だが、終戦の日の戦没者追悼式や広島、長崎での追悼行事を「目的効果基準」原則に悖るものとする批判を耳目にしたことはないが、ということは、追悼という行為も地鎮祭同様、社会通念上の習俗として見なしうるものとして考えて差し支えないということではないのか。ましてや、筆者がここで主張するのがあらゆる宗教並びに無宗教の立場にも配慮した追悼であれば、それは特定の宗教に対する助長ないしは抑圧という「効果」を狙ったものでもないといことにもなる。

多宗教(すなわち、あらゆる宗教)、無宗教双方に配慮した国家による追悼であれば、靖国神社も国家の追悼施設の「一つ」としての地位が与えられ、無宗教である必要はないのだから、現在只今行われている神事を維持したままで存続することができるのだ。国家の追悼施設であれば、首相の参拝はおろか天皇陛下の御親拝も問題なしといことになる。

あらゆるという意味での多宗教となれば、靖国以外の宗教形式の追悼施設も必要となるが、何もすべて新たに建設することはあるまい。正直言うと、元々筆者は、靖国と千鳥が淵以外に、他のいかなる宗教と無宗教者を対象とした施設を新造する必要があると考えていた。ところが、あるところでこの考えを開陳したところ、何も新たに建設するには及ばないとの指摘を受け、次のように考えるようになった。国内の諸宗教から意見を聴取し、場合によっては各宗旨宗派が持つ既存の施設を国家が追悼施設として認定すれば良いのではないだろうか。もし新たな追悼施設を求める声があれば、適地を選定しアーリントンのようなさまざまな宗教と無宗教を想定した追悼施設(かならずしも墓地である必要もない)を設ければ良いのではないか。

新たな追悼施設では福田元官房長官の私的懇談会の提案したものと変わりないではないかという批判が出るとすれば、それは誤解である。懇談会が最終報告で取りまとめたものは、純粋に国家による唯一の追悼施設であると同時に「無宗教」なのであるが、筆者のいう新施設は国家の追悼施設たる靖国や千鳥が淵では網羅し切れない追悼のあり方を補うためのものという位置づけである。だが、そもそも、国家の追悼施設が一箇所でなければならないという必然性がどこにあるというのか。米国も国立墓地はアーリントンだけではないし、それが国内最大規模といわけでもない。筆者の記憶が正しければ、米国内の国立墓地のち埋葬者数で最多は、ロードアイランドの墓地のはずだ。英国もまたウエストミンスター寺院など複数の追悼施設
を持つ。


以上のように、筆者は、あらゆる宗教だけではなく無宗教をも対象とした、かつ一箇所ではない靖国神社をも含んだ戦没者に対する国家追悼施設の設定を提案してきたが、加えて以下の点にも触れておきたい。

それは、追悼の対象をどのように規定するのか、という問題である。

まず第一に、日本国民のうち、軍人、非軍人のいずれかあるいはどちらも追悼の対象にするのか。お国のために戦い死んでいった軍人ないし戦闘員を「英霊」と呼んでも、空襲や戦闘に巻き込まれて死んだ非軍人ないし非戦闘員を「英霊」とは呼ばない。例えば、東京大空襲や広島、長崎の犠牲者をそうは呼ばないように。では「英霊」でなくば、殉国者ではなく国家として追悼するに値しないのか。そうではあるまい。戦地に赴かずとも市井にあってお国にためにと思いながら日々をすごすち、空襲に遭い死んだ人もいるだろう。こした人々が「英霊」とは差別化され、国家による追悼対象から排除されてよいものだろか。あるいは、国策としての戦争に反対の気持ちを持ちながら、戦災に巻き込まれて死んでいった人もいたかもしれないが、こうした類の同胞を追悼対象から排除してしまってよいものか。筆者はそうは思わない。現に靖国神社の「英霊」も広田弘毅の例に明らかなように、軍人限定というわけではないのだ。筆者は、殉国という行為が国民としての尊い行為でるとの観点から、戦没者を追悼顕彰するための国家施設の設定を求めるのであるが、「殉国者」という範疇を軍人に限定することなく、非軍人にも拡大することに何ら躊躇しない。さもなくば、広田やその他の非軍人の「英霊」を靖国の「御祭神」から分祀あるいは排除を主張せざるをえなくなる。

ただ、戦争で無くなった戦闘員と非戦闘員を単一ではない複数の追悼施設において追悼するのは良いが、どの施設を国家の追悼施設に認定するかによっては、施設間の追悼姿勢にズレが生じるが出る可能性がある。例えば、靖国神社と広島の平和記念公園がともに国家が認定する追悼施設になったとする。言うまでもなく、両者の追悼対象は異なるのだが、違いはそれだけではない。前者は明治天皇の大御心に沿って建立され、そこに祀る戦没者を「英霊」と位置づけるのに対して、後者の慰霊碑には「過ちは繰り返しませぬから」の碑文が刻まれている。「過ち」の意味するところは、かつて広島では「日の丸」「君が代」の実施率が極めて低かったことから考えても、容易に理解することができよう。原爆投下という行為とともに、先の大戦自体が肯定すべからざる「過ち」であるとの歴史観がそこにはあり、その戦争の責任の所在を「ある方向」に求めるがゆえに、「日の丸」、「君が代」には抵抗感があるということなのだ。「過ち」が米軍による原爆投下に限定されるか、あるいは「負けてしまって残念」、「次には必ず勝ちますから」的な意味合いのものとして解釈されるようにならない限り、靖国との間の隔たりは大きすぎる。この歴史観の溝をどう乗り越えていくかという問題への対応は、既存の追悼施設を国家のそれとして選定、認定する際に、小さかならぬ問題となろう。

次に、非日本人戦没者をも日本国による追悼の対象とするのか。我が国においては、靖国神社、千鳥が淵、そして各地の護国神社や戦没者追悼式もそうであるように、かつて日本国民であった人々をも含めた日本人のみを追悼の対象としてきた。それに対して、既述の福田元官房長官の私的懇談会では、追悼対象の特定化を避けているが、それゆえにそこには旧敵国の将兵も含まれるうる。ドイツのノイエ・ヴァッヘ(国立中央戦争犠牲者追悼所)に至っては、追悼対象をドイツ国民か否か、軍人か文民あるいは民間人かの区別すらしない。もっとも、そこで追悼する犠牲者とは、「ナチスの配下における犠牲者」である。この点からして、そもそもノイエ・ヴァッヘが、筆者が考えるところの殉国としての戦没者を追悼顕彰する施設とは大差があり、ここで持ち出すことすら無意味なのかもしれない。追悼施設の趣旨しだいなのであろが、自国に準じた者に対する国家による追悼に主眼を置く筆者にとって、追悼の対象に元日本人は含まれても、非日本人までもが含むことはまったくの「想定外」のことである。もし他国の「戦争犠牲者」を追悼したければ、別施設を設ければよいだけのことだと思うが、是非ともそこにおかしなイオデオロギーないし歴史認識を持ち込むことだけはよしにしてもらいたいものだ。


ところが、多宗教にも無宗教にも対応した国家追悼施設に靖国神社を位置付けたとしても、それだけでは自動的に解決しえない問題がどうしても残ってしまうのである。

続く
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靖国考 その2: 靖国問題の解決策 (3)

2006年06月08日 | Weblog
解決策を語る前に、「靖国問題」に対する筆者の考えを改めて明らかにしておきたい。筆者は、靖国神社をして我が国の国家追悼施設として位置付けるべきであり、そこに内閣総理大臣が参拝すrだけではなく、願わくは天皇陛下の御親拝が復活されんことを、と考えている。

では、こうした筆者の願いを今後現実のものとするために、どのような解決策が考えうるであろか。筆者は、以下の四つの選択肢を考えてみる。

選択肢1:小泉首相に続く歴代総理が、現状のまま靖国神社参拝を継続する。
小泉首相は、自らの参拝を「私的」なものと位置づけ、内外、特に東アジア近隣諸国からの執拗な抗議、批判に対しては、それを「内政干渉」、「心の問題」として突っぱねてきた。ポスト小泉の歴代総理もこうした主張をもって、靖国参拝を継続するというものである。しかし、この選択肢は以下のような問題を抱える。
1)個人の「心の問題」に参拝の正当性を求める以上、今後同じく「個人の心の問
  題」として靖国不参拝の首相が出てくる可能性も当然予想され、筆者を含め
  て、首相の継続的参拝を求める立場にしてみれば、心もとなさは否めない。
2)小泉首相の「個人」の「心の問題」との主張が、内外の批判を押さえ込むほど
  の説得力を持っていない現実を前に、同じ主張が繰り返されても、それに並行
  して内外の批判、反対論が消えうせることもないであろうし、憲法第20条を
  めぐる国内における訴訟が今後も発生する可能性があり、福岡でに例のよう
  に、裁判所が「傍論」といかたちの政治的発言を差し挟んでくる可能性も否定
  できまい。それを一部マスコミなどは「違憲判決」と呼ぶが、傍論に法的拘束
  力はない。
3)内閣総理大臣という立場と無関係な「私的」参拝である限り、首相の参拝は
  国家による追悼行為とはなりえない。
4)首相の参拝が政治外交論争のテーマであり続ける限り、天皇陛下の御親拝復活
  が見えてこない。
5)私的、公的に拘らず、「A級戦犯」合祀問題を抱える靖国への首相の参拝は今
  後も内外の批判に晒され続けるであろう。こうした批判、特に外国からのそれ
  に対しては、「内政干渉」との立場から断固屈しなければ良いとの議論もある
  り、小泉首相自身「内政干渉」との反批判を行っているが、アジア近隣のみ
  ならず米国の政界にも批判的な見方があるなかで、「内政干渉」との姿勢をど
  こまで堅持することができるであろうか。そもそも「私的参拝」に対する外か
  らの批判を「内政干渉」とすることは、論理矛盾であろう。さもなくば、首相
  の「私的参拝」は、政治行為だと認めるようなものである。また「内政干渉」
  論は、言うまでもなく、国内での批判への反批判とはなりえず、歴史認識、主
  教、文化・伝統など多角的観点からの合祀問題をめぐる論争が今後も続くこと
  になろう。国内の批判が国外からの批判と共闘を組むという現象は既に見られ
  、それゆえに、内政干渉との批判が近隣諸国の小泉靖国参拝批判、中止要求が
  已まない一因ではないのか。

選択肢2:所謂「A級戦犯」を分祀させ、首相の靖国参拝への内外の批判を減ずる
ことで、参拝の継続を可能とし、更にはそれを御親拝の復活に繋げていく。これによって国外からの批判をかわすことが可能になる。例えば、「靖国考 その1」で触れたように、例えば、米国下院の一部に「A級戦犯」をめぐる政府の対応を批判する声もあるが、こうした批判は靖国神社の存在そのものや、首相の参拝そのものを批判してるわけではない。国内の批判のなかにも同様の傾向を認めることができる。彼らが批判するのは「A級戦犯」の合祀されている靖国への政府関係者の参拝である。であるならば、分祀によって、内外の批判を封じることができるか、少なくとも減じることはできるであろう。しかし、この選択肢にも問題と限界がある。
1)政府の判断で分祀を行うことは不可能である。なぜなら、それは一宗教団
  体への政治の介入ということになり、憲法第20条に抵触する。かつては野中
  広務氏、最近では麻生太郎外相や与謝野馨氏、古賀誠氏など一部政治家が分祀
  の必要性に言及しているが、政治家のこうした発言もまた違憲の恐れがあると
  見なされうる類のものではないのか。
2)靖国神社が分祀に応じるかは甚だ疑問とすべきところである。とりもなおさ
  ず、靖国神社はこれまでも繰り返し、分霊はあっても分祀という宗教的行為は
  宗教法人たる靖国神社には存在せず、一度合祀された御霊を他へ移すことはで
  きない、と主張している。過去において靖国に分祀の例が一つもないのであれ
  ば、それでも分祀をしろという主張は文字通りの横槍であり、一宗教法人の
  宗教活動の自由への侵害にもなりかねまい。靖国が「分祀」に応ずることはな
  いであろうと思われるもう一つの理由をあげるならば、現在の宮司が南部利昭
  氏であるということである。南部氏は、陸奥南部家の第45代当主、世が世
  なれば20万石の殿様であるが、重要なのは、氏が大名の末裔であるといこと
  ではなく、戊辰の戦における奥羽越列藩同盟の一つ、すなわち「朝敵」藩の当  主末裔であるということである。靖国は幕末・威信の騒乱以来の殉国者を祀る  場であるが、そこに所謂「朝敵」、「逆賊」の類は合祀されていない。故に、  左幕の立場で「官軍」と刃を交えた諸藩の戦没者は合祀されてはいないし、維  新最大の功臣大西郷もまたしかりである。靖国における殉国の判断基準は、天  皇の「私」ではない「公」的存在としての視点のみにあり、いかなる理由があ  るとも、天皇のいる側に刃を向けた者は、靖国への合祀資格を与えられないの  だ。例えば明治天皇の私的感情からすれば、西郷は「逆賊」であろうはずもな  く、若き帝の西南戦争中の不可解な行動には、西郷への同情があったとすら感  じられる。しかし、そうした天皇の西郷への私的な感情は靖国の合祀基準から  は排除される。そうした靖国の歴史的背景のもとで南部氏が分祀に応じた場   合、「朝敵」藩の藩主の末裔であるがゆえに、氏はより一層の非難を分祀反対  派から受ける恐れがあろう。分祀はありえないとするのは、南部氏が宮司に就
  任する以前からの靖国神社の一貫した立場であるが、南部氏の出自に発する
  「個人的な事情」が、分祀の可能性を更に低くしているのかもしれない。
3)「A級戦犯」を分祀しさえすれば外からの批判をかわすことができると考える
   のは、甘い了見かもしれない。遡れば、昭和60年の中曽根「公式」参拝に  対する中国の靖国批判は実は一貫性を欠いていた。換言すれば、北京政府の靖  国批判は、「二枚舌」的ですらあったのだ。中曽根「公式」参拝に対して、外  交部を通じて「A級戦犯」合祀こそが問題であると言ったかと思えば、国内で  は、「1000人以上の戦犯」が合祀されている靖国への参拝がけしからんと  のたまった。これは「A級」だけではなく「BC級戦犯」の合祀もけしからん  ともとれれば、靖国そのものがいけないとも取れる。平成13年における小泉  首相の首相としての最初の靖国参拝が最終的に8月15日ではなく13日にな  った経緯にしても、昨年八月号の「文藝春秋」の記事が真実であれば、少なく  とも靖国問題をめぐって、中国が信用にたる相手ではないと見なさざるを得な
  い。韓国も、仮にA級戦犯が分祀されたとしても、まずそれで納得することは  あるまい。それが証拠に、韓国政府は、今年5月2日に訪韓した「親子丼」山  拓に対して、潘基文外交通商相は、国立追悼施設建設の動きが遅いことを批判  しており、このことは韓国が分祀後も、首相や政府関係者が靖国に参拝を続け  る限りは、「干渉」を続ける意思のあることを示唆するものと受け取るべき   であろう。

選択肢3:靖国神社を「国家護持」ないしは「国家管理」とすることで、国立の追悼施設と位置付け、天皇、総理、閣僚の参拝を可能足らしめる。この案については、既述の通りいかんともし難い限界がある。つまり、
1)昭和44年以来5度にわたり国会に提出されすべて廃案になった靖国法案が明  らかにしているように、靖国神社を国家のものとするには、それを非宗教施設  化することで、憲法第20条への抵触を回避するしかない。たとえば他国に例
  を取ればわかるように、欧米の主要国も純粋に政教分離を実践しているわけで  はないのだ。大統領就任式で聖書への宣誓が行われる米国しかり、または厳   密な政教分離を実施する国と一部で勘違いされているフランスしかりである。  英国では連合王国の元首にして、英連邦の象徴たる英国女王(国王)は、英国国  教会の首長である。しかしわが国においては、過去の政教分離をめぐる判例、  たとえば愛媛玉串料訴訟にみるように、それら欧米諸国のような政教分離のあ  り方などなど望むべくもなく、靖国に宗教色をとどめたまま国家護持ないし   管理を目指すならば、憲法20条ならびに89条にそれを許容できるような解  釈を与えるしかあるまいが、まずそれはありえまい。
2)非宗教化することで国家護持ないしは管理に置こうとしたとして、靖国神社の  同意なくば、それは実現しない。本来の宗教色を残したままならいざ知らず、  非宗教化では、昭和49年に廃案となった法案が出された時そうであったよう  に、靖国神社が首を立てに振るとは到底思えない。
3)靖国を国家の護持ないし管理の下に置いたとして、それによって「A級戦犯」
  合祀に対する内外の批判が止むわけではない。むしろ、今のように小泉首相や  個々の政治家がではなく、政府として合祀問題に向き合わざるを得なくなるで  あろう。つまり、靖国を国家に取り込むことは、国家として合祀か分祀のいず  れかの選択をせざるをえなくなるということである。合祀を続ければ、それは  国会意思とみなされ、政府は内外の批判に対して、それを無視することもでき  ずなんらかの理論武装を含めた対応が求められるであろう。一方、国家管理  (護持)化と同時に、分祀が行われた場合も、それはそれで国内において分祀反
  対派の批判を受けるであろう。また、分祀は刑死した「A級戦犯」を「公務
  死]扱いにすると決した昭和28年8月の国会決議との整合性とい点からも危
  ういものがあり、「外圧」に屈して国民の代表機関の決議を曲げたなどの批判
  も避けられまい。
4)国家の下に置けば、天皇陛下の御親拝も再開されるのだろうが、「A級戦犯」
  合祀問題を抱えたままで、陛下の御親拝を仰ぐことは、陛下ならびに皇室をも
  合祀をめぐる論争に巻き込み、内外の批判に晒すことになり、皇威を損ねるこ
  とになりはしないだろうか。万一陛下や皇室が内外の批判の対象にでもなれ
  ば、そんな批判など無視して粛々となどとは言っておれまい。

続く。
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靖国考 その2: 靖国問題の解決策 (2)

2006年06月05日 | Weblog
問題の一つは、戦後における靖国神社の法的地位と憲法より生ずるものである。昭和21年以来、靖国は一宗教法人であり、これを国家の追悼施設として扱うことは、憲法20条の定めるところの政教分離に抵触する恐れがある。であるからこそ、昭和48年に国会に上程され、翌年審議未了のまま廃案になった国家護持法案も、靖国を国家管理に置くためには、その非宗教施設化を前提としたのである。筆者は我が国における政教分離のあり方については思うところがあるが、それについては後日としたい。

二つ目の問題は、靖国神社に合祀されている「戦没者」が国家による追悼の対象としては限定的なことである。靖国神社は千鳥が淵などよりは数的にも多くのまた多岐にわたる戦没者の御霊を祀ってはいるが、それでもやはり限定的であり、一般市民・非戦闘員を含めた「戦没者」を網羅的に合祀の対象としているわけではない。靖国問題を論ずる際によく持ち出される米国のアーリントンは国立の施設であるが、これも南北戦争以降の「戦士」を埋葬者としているように、国家追悼施設としては限定的なものといわざるをえない。欧米の例を以ってして自らの論に説得力を持たせようとする明治以来の悪癖が我が国にはいまだに見られる。例えば、女性に年齢を聞くべきではないと主張する際に、「欧米では」という言う没論理的なアレである。ただ、「欧米では」も万能の神通力を持つわけではないので、アーリントンの例が我が国の世論に対してどれほどの説得力を持つかは疑問である。また、6月1日付毎日新聞によれば、同紙のインタビューに対して与謝野経済財政担当大臣は、戦没者異例行事としては、毎年8月15日に日本武道館で天皇陛下をお迎えして行われる戦没者慰霊式があり、「それ以上付け加えるものは何もない」と答えたという。といことは、与謝野氏にとっては、慰霊の対象とされるべき「戦没者」は、大東亜戦争における戦没者のみ、ということであろか。もしそうだとしたら、このような視野狭窄的な発言を恥じも外聞もなく行う与謝野という政治家の見識を疑わざるをえない。こういう類の政治家は、もう一度選挙で落とされるべきである。草葉の陰で日露戦争の際「君死にたもうことなかれ」と詠んだ祖母晶子が「君戯言を言う無かれ」と泣いておられるやもしれぬ。

三つ目の問題は、所謂「A級戦犯」の合祀問題である。筆者は東京裁判を開廷以前から清瀬一郎などが既に指摘していたように重大な問題点を含み著しく正当性を欠いた裁判であると考える。確かに我が国は、第一次大戦後、他の戦勝国とともに敗戦国ドイツの廃位された皇帝ビルヘルム2世を戦犯法廷にかけようとしたことがある。この国際法廷が実現しなかったのは、ビルヘルムの亡命先であるオランダが中立を理由に皇帝の引き渡しを拒否したためでるが、この一事がある以上、我が国が勝者による敗者への裁きに対して声高に批判することに、幾分の説得力の欠如を認めざるをえまい。また、この点は既に裁判の中で英国の検事コミンズ・カーが指摘したように、我が国は「戦犯」の処罰を含んだポツダム宣言を呑んだのである。しかしながら、それらの事実をもってしても、東京裁判には肯定しがたい欠陥があった。宣言には、戦勝国が敗戦国側の「戦犯」を裁くとも、敗戦国側の「戦犯」のみを裁判の対象とするとも明記されていない。しかも、東京裁判であげられた三つの罪状のうち、通常の戦争犯罪以外の二つ、すなわち「人道に対する罪」と「平和に対する罪」は、事後法であり、「罪刑法定主義」にも反する。かりにそうした問題があったとしても、サンフランシスコ平和条約があるために、我が国が東京裁判の否定するには限界があるのも、これまたその通りといべきであろう。同条約第11条は次のようになっている。

Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.(www.chukai.ne.jp/~masago/sanfran.html )

このように、我が国が東京裁判の"judgements"を受け入れてしまっている以上、この後に及んで、東京裁判を不当だ、無効だといことは、戦後の日本が独立国たるの国際承認を得るための基礎となったサンフランシスコ条約を否定することになり、国際信義上問題があると言わざるを得ないばかりか、外交的にも何ら我が国を利するものではあるまい。ところが、"judgements"という語句の解釈をめぐっては、政府見解が裁判全般を指すとするのに対して、青山学院大学名誉教授の佐藤和男は、同条文の規定が、あくまでも日本政府による「刑の執行の停止」の阻止を狙ったものとし、こうした見解は国際法学会の常識であるという。(www.nipponkaigi.org/reidai01/Opinion3(J)/history/sato.htm )
かりに刑死した7名の所謂「A級戦犯」にしても、近代法理に照らして、彼らは「刑死」とい形で刑を全うした以上、彼らを現在進行形で戦犯扱いすべきではあるまい。国内的にいえば、全国約000万人の署名を背景に昭和28年8月のほぼ全会一致で可決された国会決議により刑死した「A級戦犯」7名の死は「公務死」とされている。これが困窮を極めて遺族への救済措置、つまり「公務死」認定することで遺族への年金支給の道を開こうとしたものではあるが、国民の代表機関にして国権の最高機関である国会(筆者は「最高機関」に関しては、三権分立に反するものと考えるが)において決せられて「公務死」となった以上、「戦犯」呼ばわりされ続けるべきではあるまい。かりに刑死した政軍の顕官たちが「戦犯」だとしても、そのことが靖国から彼らを合祀する宗教活動の自由を奪うことはできないのだ。とはいうものの、「A級戦犯」合祀の問題は、既に国内の政治問題のみならず外交問題化してしまっている。このような事態に立ち至った原因のそもそもが中曽根大勲位であり、元凶たる人物がいまだいけしゃあしゃあと靖国問題に口を挟む厚顔無恥ぶりには、腹立たしさを越えて、位人臣を極め齢90にもならんとするこの人物の人格の薄っぺらさに、哀れを感じざるをえない。ともかくも、大勲位を今更批判したところで、靖国問題が対外問題になってしまっており、その焦点が「A級戦犯合祀問題」であるという事実は変更することができない以上、何らかの対応が求められざるをえない。

では、どのように「靖国問題」を解決したらよいのだろか。

続く


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