くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

もう一件、亀田問題ー切腹

2007年10月14日 | Weblog
吉本の芸人が、切腹コールを批判とか?

たかが一人の学も無く、教養も無く、それ以前にまともな家庭環境も無い「ガキ」を相手に、大の大人が切腹コールは確かに大人げない。できもしないことをわかっていて相手を追い詰めるやり方は卑怯だ。大人が子供を相手にしているのだから尚更だ。今時の大人やマスコミの程度というものを如実にあらわしているのかと思うと嘆かわしい。

ただ、「ガキ」の方も、切腹などするつもりなど端からなかったはずだ。できもしないはずだ。侍の時代ですら、実際に腹をかっさばいた者はさぼどいなかったという。あの四十七士にして、扇腹すらいたというのだから。できもしないことをメディアの前でのうのうと言ってのけるこの「ガキ」も甘えていたのではないか。言葉のあやでは済まない。少なくとも亀田一家に関してはそれでは済まない。今までさんざんに言いたい放題、したい放題してきたのだ。亀田の一言一句は、誰もが注目し、誰もがそこに付け込もうとする。そんなこともわからないほど「ガキ」だったというのか?いや、そうではあるまい。多少何を言っても許されるという甘えと、そして奢りがあったのではないのか?

結局、どっちもどっっち。世間を舐めた「ガキ」と、その「ガキ」を追い詰めて楽しむ恥知らずな大人たち。そしてその「ガキ」を育てたどうしようもない親父と、その一家を今までさんざんに持ち上げ、増長させ、メシのたねにしてきたマスコミ。

どいつもこいつもどうしようもないヤツラばかりだ・・。

私は吉本というのが大キライだ! 下品このうえない芸と呼ぶに値しない「芸人」を排出し、TVを通してその害悪を社会に垂れ流す。あのパンツ一丁の「そんなの関係ねい」など、見たくもないのに目にした時には吐き気がする。が、今回の一件、吉本の腐れ芸人にしては、なかなかまともなことを言うと思った。
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亀田一家につける薬

2007年10月14日 | Weblog
なんかあるわけがない。

三つ子の魂まで。

二十歳を前後したあの兄弟を今更叩いたところで、どうにでもなるものでもあるまい。あれがあの兄弟、一家の性根。もうちょっとやそっとでは変わりますまい。よほど手痛い目に会わない限り。いや、それでもダメかもね。

親の因果が子の因果。

あの親の子に生まれてしまったのがそもそもの始まり。子供は親を選べない。そもそもにして、そこが因果なのだよなあ・・・。親父も自らの親としての不徳の致すところを自覚すれば良かったのだが、もう今では遅すぎる。それに、あの親父が前非を悔いることもあるまい・・・。あの兄弟にとって不運は、母親も母親だ。子を選べぬ子の不幸の典型、亀田兄弟。


亀田兄弟、一家にもう救いはあるまい・・。

ついでに、


屁たれ

それ浅井慎平のことを言う。持ち上げた世間も反省? 「世間」というあいまいないい方をすな! 世間という十把一絡げで問題の所在をあいまいにすな! TBSとはっきりと言ったらどうなのだ。TBSに出してもらって餌貰ってるから、それが言えない。銭にためなら白を黒とでもいうこの人の性根を見るような気がするね。いい年こいて、こうはなりたくないものだ。これからは「屁垂れの慎ちゃん」、あるいは「TBSの犬」と呼ばせてもらおうか。一体、カメラのぞいて世間の何を見てきたのかね、この人。世間の薄汚い処世術を見極めたってか?
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トルコに見習おうではないか!

2007年10月14日 | Weblog
米下院外交委員会が第1次世界大戦期のオスマン・トルコ帝国によるアルメニア人迫害を「大虐殺」と認定する決議案を可決し、トルコが猛反発している問題で、イラク戦争への悪影響を危惧する米政府は善後策に追われている。ライス国務長官は11日、トルコ首脳に下院本会議での決議採択阻止に全力を尽くす方針を伝えた。(毎日新聞)


↑の件、今年の3月にもここで触れたが、我が国の慰安婦問題をめぐる対応と大違いではないか? 大使の一時召還までしたとか。アルメニア人虐殺は、第一次大戦の最中から終戦の後まで引き続きおこったと言われている。「言われている」。同じ敗戦国のトルコと、日本。ここまで歴史への対応違うかねえ・・。

今回の沖縄のゴリ押しと文科省の腰砕けといい、まったく情けない話です。対する、トルコ政府、ライスから前掲記事にあるような言質を引き出すとは天晴至極!
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中田英寿はアホか?

2007年10月08日 | Weblog
朝青龍問題について以下のコメント。

朝青龍の責任を認めながらも、その後の相撲協会の対応については「出場停止ではなく、一緒に巡業に来てファンサービスに努めさせるなど、みんなで楽しめるやり方もあったのでは?」と疑問も呈した。

そもそも朝青龍は怪我を理由に、しかも診断書まで提出して、巡業辞退を申し出たはず。怪我をしているしかも腰の骨を損傷している力士が巡業でファンサービス??? そもそも、この発想何とかならんですか?

もっと間抜けなのは「みんで楽しめる」処分の「やり方」とは一体何ぞや? 「処分」とは楽しむものなのか? そもそも、真偽のほどもわからぬ診断書を出しておいて巡業をさぼり、母国に帰国した者への処分が「楽しむ」べきものなのか? 相撲協会員に属する者として、その看板を背負うものとしての責任放棄、しかも虚偽の可能性もある理由ももってした職務放棄に対する処分を「楽しめ」と?

中田英という男、どこか判断基準が狂っていないか? こういう人間が、メディアで大口叩いて社会に影響力を及ぼして欲しくはないものだ。

中田さん、永久に世界各国ほっつき歩いていてください。w 
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「うん子」騒動の馬鹿らしさ

2007年10月07日 | Weblog
以下、騒動の顛末。

横浜市神奈川区の市立小学校の男性校長(57)が、父兄や地域の人たちに配布した「学校だより」(10月号)で表題を「うん子」とするなど不適切な文章を載せたことが五日、明らかになった。保護者らから市教育委員会などに厳しい批判が寄せられているという。

 学校だよりは、表題を大きな文字で「うん子」としている。その内容は「はい」という気持ちのよいあいさつが児童から返ってこない現状やあいさつの必要性を説明。その一方で「(児童に)『分かったのかな』と聞くと『うん』。もう腹が立ってきて『うん、じゃなくてはいでしょ』と言うと、やっぱり『うん』。おまえは『うん子』かと怒鳴りたくなるわたしのこの気持ち分かってもらえますでしょうか」と書いてある。そのほか児童に対して「どついたろかという気持ちになってしまいます」などという不適切な表現もある。

 この文章に保護者らから「子どもたちがかわいそう」「安心して子どもを任せることはできない」などと批判が相次いでいるという。

 この問題は五日の市会決算特別委員会でも取り上げられ、仁田昌寿氏(公明党)が「人権意識に欠けた内容。適切な対処を求めたい」と質問。押尾賢一教育長は「誠に遺憾で不適切。実態を調査し、適切な対処をしたい」と述べた。中田宏市長は「言葉をわきまえて教育にあたっていただきたい」などと語った。

以上、バカげた騒動。どいつもこいつもレベル低すぎ。

まず第1に、わきの甘い校長としか言いようがない。内心そう思ってもそのまま言葉にしかも活字にするか?そうした場合どのような反響が出るかを想定する想像力も無かったのか? こういう程度の人間が校長では学校全体の危機管理、安全管理もおぼつくまい。まさに、こんな校長がトップの学校に保護者としておちおちと子供を預けてはいられない。

ただ、保護者たちも保護者たちだ。「子どもたちがかわいそう」「安心して子どもを任せることはできない」はわかる。ただし、上記の理由においてである。おそらく、そういった保護者たちは、私と同じ理由で「かわいそう」と思ったわけではあるまい。私にしてみたら、そんな校長のいる学校にめぐりあってしまったことで、子供がかわいそう。そして、そんな親の子供に生まれてしまったことで子供がかわいそうだ。小学生になって「はい」も言えない子供に育ててしまった親たち。校長や学校を叩くのもいいが、その前に自分自身の子育ての在り方を振り返ってみてはどうか。もっとも、こういう噛みつき型の親に限って、自省とか自己批判とは縁遠い人が多いのだが。そしてそういう親の子供に限って「うん子」だったりするものなのだ。

最後に、マヌケな校長ではあるが、弁護の余地もあると思う。校長の「はい」と言えない子供が少なからず存在するという現状認識は正しい。そしてそのような基本中の基本の躾は学齢に達するまでに身に付いていてしかるべきものだ。つまり、一体親は何をしていたのだということになる。校長の失言以上に、そちらの方が深刻な問題ではないのか。その指摘の仕方があまりにも稚拙で低脳過ぎただけのことではないのか、この校長。もっとも、保護者の側からも反論は出よう。「問題の所在を認識しながら学校は手を打ってこなかったのか?」と。確かにそうかもしれない。問題の所在を認識した校長は果たしていかなる対応策を講じてきたのか。批判するだけでは評論家だ。校長、教員の役目は保護者のしつけを評論することではないはずだ。つまり校長が子供や保護者に向けた批判は、そのままブーメランとして学校側にかえってくる可能性のあるものなのだ、たとえ「はい」程度のしつけの第一義的な責任が保護者にあったとしても。

今更だが、もう少しへりくだった言い方できなかったものだろうか。「はい」もいえない「うん子」とそのようなクソがきを作り上げた保護者の問題はその通りなのだ。正しい! ただそれを露骨にかつある意味挑発的に批判して物議をかもすくらいなら、その前に本校としては問題に対してかくかくしかじかの指導を行っているが、家庭の協力も仰ぎたいくらいの言い方ができなかったものか。

学校教育現場のお粗末を露呈してしまった一件でした・・・。

追記 うちの息子の通う学校もイマイチなんだよなあ・・・。学校からの配布物を
   見ているとよくわかる。しばしば説明が足りないのだ。昔から子供がその
   学校に通っている家庭にとっては問題なかろうが、初めて我が子を通わせる
   側にとっては、「???」なことがあり、そのたびに担任や学校に確認しな
   ければならない。そういう手間って、家庭ばかりではなくイチイチ対応しな
   ければならない学校・教員自身にとっても手間なことだと思うんだけどな
   あ・・。
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沖縄様

2007年10月04日 | Weblog
沖縄様のご意向にはだれも逆らえぬらしい。

沖縄様の感情が、事実の有無よりも何よりも優先するのだそうだ。白も黒かのような勢いだ。このままいけば、沖縄様の御威光は、太陽を西から上らせることもできるようになるのではないか。

沖縄様のかつての宗主国であらせられた中国様のご意向は更にその上を行くに違いない。

その中国様が、服属国のうちでも沖縄様よりも上位に位置づけた朝鮮様の御ご意向もまた沖縄様の上を行くに違いない。

残念ながら、沖縄様の宗主国のもう一方であった日本は、今ではかつての属国に頭が上がらないらしい。首相をはじめ大層な気の使いようだ。

無理が通れば道理が引っ込むとはまさにこのことで、無理押しゴリ押しでできた歴史教科書でもって教育された子供たちは一体どのように育つのだろうか・・。

ここまで理非局直正せぬようになってしまっては、世も末というものだ。

天慮というものがあるならば、沖縄様の傲慢不遜、横暴非道に一罰を!
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カリフォルニア共和国

2007年10月03日 | Weblog
日本人にとってアメリカのなかでも西海外はもっとも親しみのある地域に違いない。

しかしながら、長年中西部に暮らした筆者から見ると、西海岸、厳密にいえばカリフォルニア州というのは特殊な土地柄である。より厳密にいえば、同州の都市部は。

良くいえば、新しいものへの取り組みが早いというか、先進性があるということなのだが、悪く言えば、しばしば極端かつ性急に新しい方向に走る傾向にある。アメリカという国自体、禁酒法に見るように極端に走るような傾向が無きにしもあらずだが、今回の同州内の二都市がアパート、マンションなどでも全面的な禁煙を条例化したというケース。嫌煙家の私ですら、自治体がそこまでやるのか?と個人的には思えてしまう。

個人的には私は西海岸都市部のリベラルな連中が生理的に好かない部分もある。そういう連中に限って、高学歴、高収入で「新しもの」好き。ただ、彼らの「新し者」好きにはエリート臭がプンプンするのだ。上から下に者をみて、自らの信奉する価値観やライフスタイルこそ優越したものだと思いあがる傾向にある。彼らからみれば、中西部の百姓やブルーカラーなどは、啓蒙の対象なのだ。そして自分たちの考えを理解しなければ、「西海岸に比べて○十年遅れている」とほざく。

卑近な例が、ビール。西海岸のインテリ連中の間には、マイクロ・ブリュワーのビールを好む傾向があり、大手の大量生産モノをのむのは分不相応だそうな。そして大手の馬ションビールが大手をふるう中西部は・・・ということになるのだ。

東海岸のエリート、インテリどもも似たような傾向にある。

というわけで、東西両海岸都市部の高学歴・高収入層が好みそうな雰囲気と臭いをプンプンとさせて出馬したジョン・ケリーは、東海岸の良家の出で資産家ではあるが、リベラルなインテリというイメージとは程遠いジョージ・ブッシュに三百万票以上の差で敗れた。当初接戦と言われたがふたを開ければ意外な大差であった。中西部の中では高学歴・高収入層が多く比較的リベラルが強い都市部に暮らしていた私は、当初からブッシュ勝利を疑わなかった。なぜなら、肌で「田舎者」たちがケリーが醸し出す「臭い」を理屈抜きに生理的に嫌っているのを感じたからである。彼ら「田舎者」たちのすべてとは言わないが、彼らの相当数は、そうした富も社会的地位も兼ね備えたエリート・リベラルたちが、自分たちとは違う世界に住み、自分たちに対して上から下に向ける視線を感じ取っているのだ。

西海岸の都市部の住人たちは、そのあたりの自分たちの特殊性というものを先進性、優越性ととらえたり、あるいは無頓着であったりするように見受けられる。西海岸に住んだ経験のある日本人も、西海岸の大都市部が米国のすべてのように思いこんでいる御仁は少ないないのではないか。

私は以前から西海岸的な価値観や現象が全米的には特殊なのだ、勘違いするなという意味を込めて、西海岸の都市部のトレンドがあたかも「是」であろうかのような前提でものをいう連中には、「カリフォルニア共和国」という言葉で相対することにしている。

あの気候、環境、住宅事情や大都市部の交通事情を除けば、住んでみたい土地だ。マイノリティーの私には住みやすい土地だ。転居を考え一旦は職を見つけたこともあったが、住宅事情を最大の理由に断念したこともある。

ただ、あの都市エリート連中のリベラルにはどうしても拒絶反応を起こしてまうのである。もっといえば、彼らのあの中華思想的な「おれ様スタンダード」的な発想にどうにも我慢ならないところがあるのだ。まあ、それはアメリカ全体に対して程度の差こそあれ言えなくもないのだが。

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沖縄県民は横暴だ!

2007年10月03日 | Weblog
被害者感情で歴史が確定されては、たまったものではない。

それがまかり通るならば、中国様の言ったことはそれが白髪三千丈的な水増しの内容であろうとも、デッチ上げであろうとも、否定してはいけない「史実」として認定せねばならぬことになる。

「被害者」の「証言」が絶対の真実であるという前提がまかり通るのであれば、刑事裁判も、検察にとっては今よりは随分楽になるだろう。ただ、冤罪や不当な量刑が増えるだろうが。

被害者感情があたかも絶対のものであるかものような、沖縄県、沖縄県民の物言い、横暴にして傲慢、これほどの不愉快はない!何様のつもりなのだ!
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沖縄にこそ歴史歪曲の策謀あり!: 沖縄戦集団自決問題をめぐる奇妙な現象

2007年10月03日 | Weblog
文科省は、「軍による強制など一切なかった」、「軍命令は皆無」という趣旨で
修正意見をつけたわけではないはずだ。

事象をめぐり諸説あるなかで、一部の学説等に偏重することで、それに反対の立場をとる学説や見解を生徒・学生の眼前から葬り去り、あたかも集団自決がすべからく軍の強制や命令によるものであったかの印象を与えることを避けようとすることが目的のはずだ。

所謂「南京事件」をめぐる記述でも同様の配慮での検定がなされたはずだ。

沖縄戦集団自決の場合、それがどういうわけだかいつしか話がすり替わってしまっていないか。あたかも文科省が事実を隠蔽し歪曲しようとしているかのような批判になっている。繰り返すが文科省の検定意見は、軍の関与・強制は一切存在しなかったとの断定に基づいているものでないということなのだ。あくまでも対立する諸説が存在するという「事実」に基づき、教科書出版社に対して誤解を招かない記述、一方に偏らない記述を求めたに過ぎない。それがここに至って、文科省=歴史の歪曲者的な見方が大手をふるってはいないか、特に沖縄では?

これこそ事実の歪曲ではないのか。無知や誤解によるものであったとしても国の教育行政を大きく揺さぶりかねない問題である以上、看過できない。ましてや、これが何らかの政治的思惑や思想的な背景をもって意図的に行われているものだとしたら、断固としてそのような卑怯卑劣なやりくちは許容されるべきではない。

文科省の検定方針は正しかったのだ。学術研究の水準を踏まえた適正なものであったのだ。であるならば、誤解や悪意による批判に屈してはいけない。ここでいたずらに屈しては、今後同じようなことが、国境を越えて起こるであろう。南京事件、慰安婦・・。

これは単に文科省だけの問題ではない。福田内閣の問題だ。行政府の長として福田総理の対応が問われているのだ。

11万人の「数の横暴」に屈してはならない。反省し頭を冷やすべきは、沖縄県、沖縄県民とそれに賛同する、あるいは扇動する者たちなのだ!

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沖縄集団自決検定問題、福田内閣の対応を見守りたい

2007年10月02日 | Weblog
渡海文部科学相は1日、報道陣に対し、「沖縄の人たちの気持ちも考え、何をするべきか、何をできるかを考える必要がある」と述べ、できるだけ早い時期に結論を出す考えを示した。


歴史は感情で書き換えるものなのか? これで検定変更がまかり通れば、ゴネ得がまかり通ることになる。集団エゴがまかり通ることになる。

あしき前例を作るなかれ。

さあ、福田内閣、文科省の対応やいかに?
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