くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

民主党の政治オンチ

2007年05月31日 | Weblog
安倍総理、松岡前農水相の葬儀に参列できず。

その理由が何と、民主党にあったとは・・・。民主党が当初予定されていた党首討論の延期を拒否したためだとか?

その結果、総理夫人が弔辞を代読。

世論がこの一件に実際どう反応するか(したか)はいざ知らず。総理の葬儀参列を阻むことに世論がどのような反応を示すかもしれないということに民主党は、小沢代表は思いをはせることはなかったのだろうか?

一方の自民党側、誰の判断かは知る由もないが、弔辞代読を政府あるいは党関係者ではなく、総理夫人にさせるというところ、心憎いはからいですな。

民主党の政治オンチって今に始まったことではない。前々代表の岡田さんの時なんか本当にひどかったからね。2005年の郵政解散直後の岡田氏の発言が報道で流れた直後に私は、民主党の敗北を確信したものだが、代表がわかっても党のオンチぶりは変わらないと・・・。

これじゃあ、ダメわは、この党。

そして小沢一郎も、ほんと終わってるね。以前からもう賞味期限切れとは思っていたけれど。

政界再編しかないね。民主が割れて、時限付きの保守大連立しかないよ、もう。
その時、小沢は排除でいいよ、民主が武村を排除したみたいに。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太く短く良い人生だったと思います by 松岡未亡人

2007年05月30日 | Weblog
「良い人生」って誰にとって? 亡夫が謝罪した国民にとって、ではあるまい?

疑惑の渦中にあった政治家の女房が口にする言葉じゃないわなあ・・・。

その夫が稼いだ銭で飯食っていた女房の言うべき言葉ではない。

死者に鞭打つのを善しとはすまいが、だからと言って事の真相がうやむやにされてよいというものでもあるまい。

まさか、松岡遺族、「弔い合戦」とか言って、補選出馬?そりゃないだろうし、有権者も同情だけで国会送り出すなんて政治民度の低い愚行は犯すまいよなあ・・。
でも、あのそのまんまを知事に選んだくらいのレベルだからなあ・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松岡問題追記

2007年05月29日 | Weblog
マスコミの松岡氏自殺を安倍叩きに利用せんとの魂胆見え見え。 特に朝日、毎日。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍ちゃんの強運、野党の不運

2007年05月28日 | Weblog
なぜ強運かって? そりゃあ・・・・、それその。
野党も下手に動けば、逆に叩かれるもんね、目下の状況。
もっとも、安倍ちゃんも、打つ手を誤ればまずいことになるだろうけど。
意外と良い運持ってるのかもよ。

これ以上は言わないでおこう。

合掌
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

離婚後300日問題: 姦通罪の復活を!

2007年05月22日 | Weblog
私は安倍総理の基本姿勢を支持する。

離婚前妊娠、しかも離婚時婚姻関係にある男性の子供ではない・・。こんなことがあって良いはずがない。これを不倫と呼ばずして、何と呼ぶ?

不倫にはダブル不倫というケースもあるようだが、強姦とかならいざ知らず、どういう事情であれ婚姻関係にありながら、他の男を情交し妊娠したふしだらな女が救済に値するのか?

できてしまった子供に罪はない。しかし、生まれてくれば、親の因果を背負わされる。不義の子としての。それ自体気の毒なことだ。何がどうしてやがて子供の出征の秘密が世間に知られ、本人の知るところとなるか知れたものではない。その時は、子供も苦しむにちがいない。その子がまともな論理観の持ち主であれば。

それでも生まれてくる子に罪はない。

ただ、子供に罪がないことと、不倫の果てに妊娠をした女の問題とは別儀だ。

このような女が大手を振って生きていくことができるような社会でえあってはいけない。日本がそのような社会になるのであれば、「美しい日本」などというのはウソだ。

不倫の末に身籠った女も、身籠らせた相手も、社会的に制裁されねばならない。いや社会的制裁というのはあいまいなので法的に制裁されるべきだ。さもなくば、安倍首相の言うように安易な救済措置は、婚姻制度に対する影響が懸念される。

現行の法制度でも不倫をした男女に金銭的な負担を課すことで、事実上の制裁を加えることは可能だ。ただ、それを望む場合、裁判という手段に訴えなければならない。

裁判を経ずとも、不倫の男女に法的制裁を加える。そのようにしなければ、安易な救済措置や300日規定の改正は、離婚前妊娠に「お墨付き」を与えるようなものだ。そうさせないためにも、姦通罪を復活させるべきなのだ。

それでも、生まれてくる子供に罪はない。ただ、姦通罪の前科をもった両親の元に生まれたという可変ではない所与の条件、これをもし宿命というのであれば、この宿命を背負おうのは致し方ない。

但し、生まれてくる子供がかわいそうなので、何らかの措置をとか法改正をというのは本末転倒だ。

生まれてくる子供がわかいそうならば、離婚前妊娠などという行為をしなければ良いのだし、させないようにすべきいなのだ。それこそまず第一になさっるべきことではないのか?

姦通罪の復活を!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍総理の小細工

2007年05月09日 | Weblog
幕末から明治にかけての政治史に見るがごとく、長州人というのは、政治的に如才無い。だから歴史上の長州人が、概して好きではない。

安倍総理もやはり長州人の負のDNAを受け継いだらしい。小手先の細工が過ぎるというものだ。

いや、英霊をバカにしている。

行くなら正々堂々行くべし。

行かぬなら、行かぬで、「首相になっても参拝」と大見得切った手前、変節の説明責任を全うすべし。

間男が旦那に見つからぬように女の寝床から抜け出すような(たとえが下品ですが)供物など一国の総理のすることではない。

思えば、安倍政権は、出足から躓いた。それとも、ボタンをかけ間違えたと言うべきか。こちらから中韓に赴くべきではなかった。後知恵で言っているのではなく、訪中・訪韓が実行に移される前からそう考えてきた。その後のAPECで、首脳会談を日本側から呼びかけ、相手方の出方を待ては良かったのだ。

同時に秋の例大祭にも、参拝すべきであった。就任早々、公約の反故は無様だ。

参拝の結果、呼びかけにも拘わらず中韓首脳との会談が実現しなかったならば、それはそれで良い。それを選択したのは向こうであり、少なくとも、安倍政権は、関係改善の意思表示をしたことになる、ただ、安易な妥協なしにではあるが。

日本国内外を問わず、日中韓の関係の悪化の原因論を、小泉総理による靖国参拝に求める傾向がある。中韓首脳が訪日するのではなく、逆に安倍総理自らが向こうに出かけて行き、しかも以前からの公約であった首相としての靖国参拝を、時期的にほぼ並行して放棄したことは、国内外において、日本政府も、安倍総理も、前任者の参拝が関係悪化の原因と考えていたのだ、と認識されたとしても致し方あるまい。

事実、マスコミは、安倍内閣成立以前から、そしてそれ以後も「小泉総理の靖国参拝によって悪化した・・」と言い続けてきた。安倍総理の上記の行動はそれを総理として、政府として追認したに他ならなかったのだ。

それに加えて今回も、温家宝の訪日から遠からずやってきた春の例大祭に参拝せず。

私に言わせれば、日中、日韓関係の悪化の一因は、きわめて国内的な問題である(某小泉氏のように内政問題なんて言いませんから、そんな言い方したら、政教分離云々って突っ込まれますもん!)靖国参拝に、中韓が主権の所在をわきまえず干渉したことに問題があるに他ならない。であればこそ、断固安倍総理は参拝すべきである。

靖国不参拝によって、そしてこちらから中韓と歩み寄ることで、日本は何を得たというのだ。中韓の対日外交姿勢に何らかの変化が現れたというのか。そう見えなくもないが、根本は変わっていない。それを如実に示したのが、温家宝の国会演説であった、あの言われ放題の。あの演説は奇しくも、中国の対日基本姿勢が、従来のものを踏襲していることを何らの躊躇もなく示している。日本よ、そちらの動きしだいでは、これからも歴史問題から逃れることはできないぞと警告しているではないか。言い換えれば、我が国(北京政府)は、決して歴史カードを放棄したわけではないと示唆しているに他ならないのだ。

韓国はどうか?今回の供物問題で、抗議はしてきたが、いつものようにあの国「らしく」感情的にかみついてはこなかった。その理由は分からぬが、現政権が積極的に対日関係を改善しようとしているとは思えぬ。むしろ、ここにきて再び韓国人の民族DNAの中に潜在していた事大癖が頭をもたげて、旧宗主国様に右ならえしてあえて大事にはしないというだけではないのか?

安倍政権にはもう期待していない。一旦ボタンをかけ間違えた政権が、軌道修正をするのは無理と見る。これからも政権が存続する限り、小手先で前言ないし理想と現実の政策のディスクレを糊塗することに努めつづけるのであろう、今回の供物のように。

かと言って、ポスト安倍にめぼしい人材なし。大宏池会などと冗談のような話を本気で実現しようとする動きもあるが、そこから次期は出まい。となると、麻生外相くらいしかいないということか・・。あの人のNPTの会議で「はだしのゲン」を使うことを決めた張本人だとか? そこからすると、これまた期待外れのような気がしないでもないのだが・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史への謝罪: 英国女王訪米をめぐって

2007年05月04日 | Weblog
歴史ないしは過去への謝罪要求というものに、しばしば行き過ぎのきらいがあるように思えてならない。

英国女王エリザベス2世の16年ぶりの訪米を前に、米国内において先住民すなわちインディアンらが英国女王に対して英国の過去の行為に対する謝罪を要求しているという。

今回の訪米は単に16年ぶりというだけではなく、バージニア植民地への入植開始から400年の節目でもある。英国による北米大陸への入植は、既に16世紀後半にエリザベス一世の寵厚かったローリーによって試みられてはいたが、その時は失敗に終わった。バージニアへの植民もそれが軌道にのり後に合衆国初期の歴代大統領を排出し「バージニア王朝」と呼ばれるように米国独立前後の次期政経において重きをなすようになるまでは、苦難と試行錯誤の年月が続いた。その始まりから400年、白人中心の視点から米国史を振り返れば、ある種の感慨があっても不思議ではなく、それがまた独立戦争、英米戦争という抗争の時期もあったにせよ、歴史、伝統、文化、価値観において共有するところの少なくない英米両国が「絆」を再確認する機会という意味において、今回の英国女王訪米は意義があるのだろう。

一方において、非白人、特に米国先住民や白人の北米入植に伴い連れてこられた黒人奴隷らにとっては、バージニアへの入植の開始は、筆舌には尽くしがたい苦難の歴史の始まりであった。

しかしながら、それが英国女王への謝罪要求を正当化する根拠になりえるであろうか。

私はそうは思わない。


確かに、大雑把に言ってしまえば、上述したように、白人入植の歴史すなわち原住民にとっては苦難の歴史であり、彼らはいまだその歴史に終止符が打たれたとはとても言い難い状況に置かれている。

だが、白人入植者と原住民の歴史的な関係を単純に「侵略対被侵略」の文脈に置いて理解することは妥当ではない。確かに白人によるあるいは合衆国政府による入植行為ないしは対原住民政策は幾多の原住民の命を奪い、そして彼らの生息地を辺境にと追いやり、更には彼らとの約定をたがえ、つには所謂resavertionに押し込めることとなった。米国に限ったことではなく、カナダでも行われたことだが、原住民に対する同化政策には、同じく非白人として振り返って怒りを覚えずにはいられないものもある。その一方で私は、常に白人入植者を侵略者あるいは加害者として理解することは、原住民の受けた否定すべくもない惨禍を過大視してしまうことになる恐れがあると思うのだ。

例えば、入植者が原住民の土地を奪ったというが、果たしてそう言い切れるのだろうか。そもそも原住民に土地の所有観念などなかったではないか。彼らにしてみれば、土地ないし大地は人間に属するものではなかったのだから。確かに原住民たちが暮らす集落を襲い家屋を焼き払い、そこを奪う行為はこれを侵略ないしは加害行為とされても致し方あるまいが、原住民自身が所有していると認識していたわけでもない土地に白人入植者は入り込み占有したとして、これを侵略あるいは収奪と呼ぶべきか、私にははなはだ疑問だ。

更に言うならば、今から400年前の歴史を、現在只今の価値観でもってとやかくし、けしからん、謝罪しろと騒ぎ立てることは、感情的には多分に同情するところはあっても、ある意味それは歴史を「裁く」行為ではないのかと、私自身は一線画したいところである。謝罪要求に賠償要求が付随するともなれば、尚更のことだ。

白人の側も、謝罪の言葉をそう安易に口にするものではないと思う。米国にいるとわかるが、原住民の歴史的悲劇について、白人たちが同情ないしは憐み、謝罪めいた言葉を口にするのを耳にする。が、ある時、私の中に意地悪が頭を持ち上げ、「では、あなた方はその謝罪の気持ちをどう行動で示すのですか。言葉は行動を伴わなければ無に等しい。謝罪の言葉だけでは、現在進行形で苦難を味わっている原住民にとっては何の救いにもならないでしょう。あなた方がどのようにその気持ちを具体的な態度、行動で示すのですか。」と尋ねてみた。相手は複数の白人たちであったが、彼らは当惑した表情を浮かべるだけで、何も答えることはなかった。当惑したのは、明らかに私の英語が理解できないからではなく、答える術がなかったからである。言葉はタダだ。ただそこに行動を伴わせろと要求された時、彼らに何ができるというのだ。自分たちが所有する土地を明らめ、原住民に「返す」とでも言うのか。それとも「収奪」したものを金銭で贖うとでもいうのか。いずれしろ、彼らがそこまでの行動に踏み込むことなどありはしまいし、できもしないのだ。上っ面な謝罪の言葉は、その場しのぎか偽善でしかないのだ、所詮。

謝罪・賠償を要求する方も、当節の価値観という「追い風」を背に、相手方の贖罪の気持ちにつけいるようなマネはよしたがいい。行き過ぎれば、ゆすりたかりの類ち変わりがなくなる。

振り返れば、我が方も、60年前やらの過去をもって謝罪だの、賠償だのと責めさいなまれっ放しだ。まったく関係のない国の議員や議会までもが、口をはさんでくるから、尚更始末が悪い。

だが、もしかりに60年前のことであろうが、400年前のことであろうが、過去に対する謝罪と賠償が正当なものとして世間で、あるいは国際的に認知されうるのであれば、我が国に、隣国に対して元寇の謝罪と賠償を求めようではないか。南北朝鮮に対しても、元寇に加担したことに対し謝罪と賠償を要求しようではないか。当時モンゴルの侵入に屈して属国化し、不承不承加担させられたのだと言われても、こちらには関係のない話だ。自国を防衛できなかった責任は朝鮮にあり、我が国の責任ではない。我が国は徹頭徹尾被害者でしかない。

もっとも、我が国において、そのようなことを戯言でもなければ口にする恥知らずはいまい、以下に昨今の日本人が堕ちたとはいえ。

それにこちらが元寇を持ち出せば、向こうは文禄慶長の役を持ち出すこと間違いなし。そうなれば、歴史をめぐる謝罪・賠償合戦の泥沼に陥ることは目に見えている。今でも既に泥沼なのだ。これ以上はすまい。

過去を、それも随分時間のたった過去を、謝罪ばかりか金銭的な償いのネタにすれば、そこに侵略、収奪とはまた別に新たな理不尽が生じることをわきまねば、浅ましいことになってしまうと思うのだが・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高校野球特待生問題 その2:  それに見る「赤信号」精神

2007年05月03日 | Weblog
「なぜ野球だけがだめなのか」

という問いかけがなされる、高校野球特待生問題。

それに対する高野連の回答は「高校野球は教育の一環、フェアプレー精神で行われている」。実際に高校野球が教育の体をなしているのかどうか、フェアプレー精神あるものが実在するのか否かはさておき、はたまた、高野連がそれを口にする資格があるのかどうかもさておき(今回の騒動の高野連の対応への私見は、本題の「その1」を参照)、少なくとも「なぜ高校野球ではだめなのか」という問いに対する答えにはなっている。

ただ、問いかけは、「なぜ野球だけが」なのだ。要するにポイントは「だけ」の部分なのだが、それを高野連に問うてどうすると、私は思ってみる。

高野連にしても、「なぜ野球だけが」と問われても困るだろう。高野連という組織としては、上記の方針なのだと明言しているわけだし、他の競技のことは無関係で返答のしようもあるまい。

むしろ問うべき相手は高野連ではなく、他の競技組織に対してではないのか、例えば、「どうしてフィギュアスケートではよいのか」と。

「だけ」が付くところに、「他の競技では問題視されていないのだから、野球も認めればよいではないか」との含みがあるからなのだろうが、特待生制度の是非や要不要を論ぜずして、ただ単純に「他競技もそうなのだから」という理由のみで高野連の方針が今問われているとしたら、それは「赤信号みんなで渡れば怖くない」と同じレベルの発想だ。ことの是非よりも、皆がしてるかどうかが判断の基準になってしまっては、無理が通り道理が引っ込むことにもなりかねない。

この際「野球だけが」という問いかけをマスコミも引っ込め、今回の一件をアマスポーツにおける特待生制度の是非やあり方をめぐる議論の契機として欲しいものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高校野球特待生問題 その1: 高野連の責任逃れ、脇村会長は辞任すべし!

2007年05月03日 | Weblog
脇村春夫高野連会長、「子供にも責任が・・」は一寸「子供」を突き放し過ぎでは? いやそれ以上に、高野連のあるいは自身の責任逃れに聞こえなくもないのだが?

10代半ばの子供に相手に「金を受け取ったのだから、故意でなくとも責任」がというが、常識的に考えて、の本学生野球憲章を逐一読んでいる学生なんていやしないだろうに? 確かに読んでない方にも責任がある、知らなきゃ何してよいというものでもない、というのも一理ある。脇村会長の言うとおり、金銭を受け取っているのだから、憲章違反の「動かぬ証拠!」と言えばそのとおりでしかない。だが、懸賞も十分に読んでいなかったであろう子供が、大人から金銭を渡されて、その正当性を一々詮索するだろうか?そこまで子供に求めるのは「浮世離れ」というものだ。

もっと言えば、甲子園に行く学校の所謂「偏差値」というものを見てみたらいい。概して進学校ではない学校がほとんどではないのか?そう言った類の学校に行く子供たちの学力を推して知るべしだし、ただでさえ活字離れの昨今である。学力の決して高かろうはずもない子供らに「憲章を読まなかったのか!?」と今更席責任を追及するのも、「おい、おっさん現実見えてねーな」としか言いようがない。

もっとも、脇村氏のような学力と学歴・経歴のお持ちの方には、高校球児の頭のレベルなど理解できるはずもあるまいが。

子供の責任を問う前に、やはり大人の責任を問わねばなるまい。
それは子供に金を渡した側の責任だけではない。金を実際に受け取ったはずの子供の親の責任も問わねばなるまい。産経新聞によれば、野球特待生の子を持つ母親が、「経済的な問題から今後も高校に通わせることができるかどうか」と嘆いているとのことだが、嘆く前に自分の不明と我が子になした仇に苦悩するしかあるまい。大人なのだから、それこそ、憲章を知らなかったではすまされない。

そして脇村氏をはじめ高野連の責任も問わねばなるまい。氏は、「高校野球は教育の一環」と主張するが、果たして高野連は憲章内容を子供たちに、球児たちに十分に周知させるための「教育」活動を十分に行ってきたのだろうか? 企業の経済活動に限らず、教育も結果を問われる、時には問答無用に。結果論から言えば、今回の騒動は、高野連の教育活動が不十分であった証左でしかないのではないのか。

「子供に責任がある」と公の場で子供を責める言葉を吐く前に、自己批判をすべきるはないのか?自己の責任はそっちのけの御仁に、子供の教育などできようはずもないのだが。大人がこうでは子供が、球児が可哀そうだ。

そして同じ大人として、こんなレベルの連中がいることが恥ずかしい。

脇村さん、引責辞任しなさい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憲法9条は平和に貢献? 

2007年05月02日 | Weblog
朝日新聞の世論調査によれば、78%の回答がそう答えたとのこと。

ある一面そう言えるのかもしれない、同条が日本の平和に貢献したと。これまで60年間、日本がいわゆる「戦争」と呼ばれるもの、あるいは「戦闘」の類に巻き込まれたことはない。これを9条の「おかげ」と理解することは可能かもしれない。

だが、別の一面において、9条があったがゆえに、あるいは9条の縛りを受けたがゆえに、我が国に平和を損ねたという言うこともできるのかもしれないのだ。

例えば、北鮮による我が国国民の拉致の問題。北朝鮮の工作船、工作員の出入りを許した原因を探った場合、それが9条に行きつくのだという議論は可能なはずだ。不審船への海保による攻撃(撃沈)は小渕内閣の時初めて行われたわけだが、それまで不審船の発見、遭遇という事態がありながら取り逃がしてきた背景には、9条の縛りがあったためというのは、比較的容易に実証できようし、また実証を待たずとも自明なことと言って差し支えないのではあるまいか。

更に言えば、9条の存在ゆえに、北鮮に舐められてきたのではあるまいか。

つまり、9条の存在は我が国の平和に対して、功罪両面をなしてきたと評価されるべきであろう。

しかも、朝日が問うたのは「我が国の平和への貢献」であって、国際平和への貢献に対する評価ではない。戦後の我が国が国際平和に貢献してこなかったとは決して言わないが、9条に限定した場合、この条項がどう具体的に国際平和に貢献したのかと考えてみれば、むしろ、9条が我が国の国際平和への貢献にとって手段という点において手かせ・足かせになってきた部分もあるのではないのか。言いかえれば、9条がなければ、或いは9条が現行のような内容でなければ、我が国は、国際平和への貢献という点でより多くの活動の選択枠を得られたのではないだろうか。

「我が国の平和への貢献」を問うことを無意味とは決して言わないが、それだけに終わってしまっては、かえって、我が国が相変わらず「一国平和主義」の自閉の殻に閉じこもっていることの証左にしかなるまい。

9条の貢献度もいいが、9条の限界についても多いに世論に問うべきであり、世論もまた思考し、論ずるべきなのだ。ただその流れと盛り上がりが何とももどかしい・・、と感ずるのは私だけではあるまい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする