くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

遠見の六代目歌右衛門

2012年04月30日 | Weblog
が見れます。5月6日の日本映画専門チャンネルで。原田芳雄の遺作「大鹿村騒動記」で。

去年、実際に見に行ったときは、エエッと思いました。遠見の佇まいが歌右衛門そっくりなんですから。歌右衛門が女性を演じていたからであって、演じていた女優が似ていたからではない? いや、そうではないと思います。むしろ逆だと思います。偶然なのか、ビデオでも見て似せたのだか・・・。

ほんと、びっくりというか、なつかしいというか。

ただ、意地悪な言い方すれば、村芝居であんなに雰囲気のある素人役者はいません。素人を演じつつ、かつ素人歌舞伎を演じるむずかしさなあんでしょうか。二重で演じなければならないわけですから。
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大河ドラマ「独眼竜正宗」を見て涙、涙

2012年04月28日 | Weblog
昨晩、録画しておいた「独眼竜」を見ました。正宗が小田原参陣を前に生母に一服盛られ、実弟を手打ちにするというあのくだりです。

二話連続で。

涙、涙でした。我が子とお家安泰のはざまで我が子に毒を盛る母親の苦悩を見て涙。生母に裏切られた正宗を思い涙。そしてやむなく弟を自らの手にかけた正宗にまた涙。


もう26年も前の作品です。大ヒットでした。今年も大河はハズレだそうで? 大河はやはり大時代な演出で大時代な演技が求められると思うのですが、今どきの役者にそれは期待できませんね。「風林火山」の後、どうも大河は正道を踏み外してまっているように思います。昨日夕刻中村獅童の「丹下左膳(たんげしゃじぇん)」やっていたとか。本放送で見た記憶ありますが、ありゃひどかった。豊エツの左膳(しゃじぇん)もなあんじゃこれでしたが、獅童のはただのチンピラ。あの人も、顔をつくると古風というか亡くなった実川延若に似たような風貌になって、年齢を重ねるとよい味出すのではと思うのですが、そのためには歌舞伎の方に集中してほしいと思います。

それはさておき、本放送のときは、凄まじい家族の修羅場だなあとおののきながら見ていましたが、涙は出なかったんですけど、やはり歳を取ったということなんでしょうか。


追記 勝新の秀吉 あの間の取り方は、今どきの秀吉にはないですねえ・・。昨年の岸谷秀吉なんて比べたら学芸会。芝居は「間」なんですね、やはり。
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山形勲という役者: 加藤剛主演「剣客商売」をみて

2012年04月28日 | Weblog
報道、ドキュメンタリー、いくらかのアニメ(「ケロロ」が終わったのは痛い)以外は、テレビといえば「時代劇専門チャンネル」の私です。

子供のころからそう。「近代」ってものに違和感を覚えたのは幼稚園に入る前。生理的に受け付けない。中高の時にはクラシックをよく聴いたものですが、今は滅多に。運転中FMで耳にする程度。ミュージカル? X(バツ)。オペラ? 舞台美術は興味がありますが、勘三郎じゃないけど、やはり×。うるさい、の一言。あの発声法がもう、生理的にダメ。


てなわけで時代劇。言葉づかいも時々そうなってしまって、子供に「お父さん、現代に戻ってない!」って言われることがあります。


最近おもしろかったのが、昔の「剣客商売」。あまり原作は読んでない。でも、池波作品は、藤沢周平に比べるとやはり、なんとも人情の機微の描き方がうまいですね。なぜ、藤沢作品が繰り返し映画化されるのか、よくわかりません。藤沢作品ほどではないですが、山田洋次の時代劇も、今一つ。池波作品は、人というものの、人の心理の一葉ならざるところや、その絡み合いを描くのがうまいですね。藤沢、山田作品には、そうした深みがなく、したがってイマイチリアリティーが出てこないのです。

そうそう、その「剣客商売」。大治郎は、正直言って加藤よりも藤田まこと版の山口馬木也の方があっているかも。渡辺篤郎は問題外。あの人は時代劇は無理。柴田恭平同様、力量不足というか、修行・勉強不足。

一方、小兵衛は、藤田まことと山形勲、甲乙つけがたし。剣術家の風貌としては藤田の方が原作にかなっているのかなと思うのですが、親子ほどの百姓娘をのち添えにする小平衛という「オトコ」は山形の方に軍配が。
藤田の小平衛にはそこがどうも違和感としてのみ残ってしまうんです。一方、山形は年の離れた夫婦のやり取りに見せる「手練れ」のもう一つの俗っぽい一面をのぞかせるところが実にうまい。

それにしても、山形勲という役者、私は晩年しか知りませんが、昔の作品を見るといいわき役、悪役ですね。貫禄と品があちますから、大名や大身の武家の役をやらせると実にそれらしい悪役になる。現代劇でも、資産家とか政治家とかそういう役が多かったと記憶しています。

それだけに町人はニンではない。山形の町人なんて、大店の主や大庄屋でも想像できない。ましてや、百姓なんぞ。

その山形が、秋山小兵衛をあのように演じてみせたのには、おどろきました。役者の「腕」なんですなあ・・。

今はああした風格の役者はいませんね。

先日も映画版「病院坂の首くくりの家」を見ていて、入江たか子の雰囲気だけが見終わった後もしばらく余韻どころか強烈な印象として残り続けました。華族さまの出だからといえばそれまでですが、華族出なら久我美子も河内桃子だってそう。前者は公家、後者は知恵伊豆の後裔。確かに品の良い女優でしたが、入江のような・・。とにかく見てもらえればわかります。


思いめぐらせば、何も役者に限ったことではないのかもしれません、政治家、財界人、文化人、学者、はたまた周囲の一般の年寄、大人たち。貫禄のある人っていなくなりましたねえ・・。小ぶりというかあ、薄っぺらというか。戦後社会、戦後教育の所産なんでしょうか。いや、もしかしたら近代化、教育教育の所産?








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松居一代、あなたが悪い!

2012年04月27日 | Weblog
女に手を挙げる男も最低だがあ、手前の亭主を殴るって...。

捨てた方がいいよ、こんな女。色気もへったくれもないし。

一時謝ってもまたやるから。

悋気の強い女を嫁にしてはいけないというのは、古今東西永遠の鉄則ですぞ、船越殿。

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スパモニで笑いをこらえる松尾貴史

2012年04月26日 | Weblog
隣のコメント聞きながら、必死に笑いをこらえていました。

まさか、あのコメントが出てくるとは思わなかった。「かぶってる」って…(笑)。
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長谷川理恵: 神田正輝との破局は1月なのに、妊娠4か月?

2012年04月26日 | Weblog
ん...、勘定合わんのじゃないか?

神田いわく破局は1月。

だとして、それから新たな出会いがあって、肉体関係もって、妊娠しても、4か月にはならないのでは?

少なくとも、昨年末には妊娠するような行為に及んでいたということでは、しかも大の大人が抜き身で?

1月というのは神田が勝手にそう思っているだけで、長谷川的にはすでにそれ以前に? かりにそうだとして40近いオバサンと50に近いオヤジが、出会って間もなくに
抜き身で?

男はさておき、長谷川というのは変わり身が早いというか、実に男性に対してオープンな女性なんですなあ・・。一昔前の言い方すれば、「尻軽女」とか「身持ちが悪い」ということになる。しかも結構年齢の離れた年上ばっか。ファザコンか? 年上好みの女性はそういう人が多くて、しかも、男を絶やすことを嫌う傾向にあると思うのだがあ・。

そういえば、昔の私の・・も。前と別れてすぐ私とで、別れてすぐまた新しいのと。実は二股かけられていたのでは?と疑ったものですが、そうではなく、だれかに寄り添ってなくては身も心もというタイプ。そして、寄り添えるような年上が良いと。当時私20代後半、彼女は二十歳を過ぎたばかり。5歳差でした。その次は10歳だったとか。数年前に近況を聞いたところ、さらに別の男性と結婚し子をもうけながら、離婚したとか・・。こういうタイプの女性はなかなか幸せつかめません。「性(さが)」というやつですね、一人ひとりが持ち合わせた・・。今思うと、哀れというか、一度は男女の仲だったわけですから、幸せにしてあげられなかったことに一抹の申し訳なさを感じます。でも、所帯もったとしても、今頃は別れていただろうなあと思います。一所におさまれないんでしょうね。

長谷川がそういう女性がどうかはいざ知らず、数字が合わない理由が上述のとおりだとすれば、この人も今後もやしんどい人生送りそうですね。でも、その犠牲になるのは生まれてくる子供なんですけど。

神田にとっては、別れてよかったのではないですか? 60過ぎてそんな女性に振り回されるのは大変でしょうから。





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経団連のシンクタンク21世紀政策研究所の歴史認識

2012年04月17日 | Weblog
このままでは我が国は先進国から脱落し、「極東の小国」に逆戻りだとか。

この国をダメにしている原因の一端は明らかに経団連にもあると思うのだが、それはさておき、「極東の小国」とはこれいかに?

もっとも、「大国」、「小国」の定義というのは曖昧であるし、相対的なものだが、その相対的な意味合いにおいて、日本はかつて「極東の小国」であったのだろうか。

近世・近代を例にとって、近代化に遅れた我が国は確かに欧米列強に比して「小国」であったのかもしれない。国やムガル帝国に比して人口・経済規模も小さかったかもしれない。が、世界規模的に見て、当時の日本は「小国」だったのかといえば、否というべきではないだろうか。


以前、米国の科学史家あ、明治以前の日本が「後進国」であったという認識は対欧米列強という意味においてのみ正しいのであった、地球規模的にみて「後進国」であったという認識は江戸の科学技術史等の実態を無視しており、適切なものとは言えない、明治政府が作り上げた前政権批判のための歴史観や西洋中心の歴史観に盲目的に追従したものに過ぎないと指摘するのを聞いたことがあるが、上記研究所もこれに耳を傾けるべきではないのか。

近世以前にさかのぼっても、果たして日本を「小国」と位置づけることの妥当性については疑問とすべきである。大和朝廷が出現し国家統一に向かう以前ならばともかくも、古代において大和朝廷下の我が国の存在は既に地域勢力というべきものであったという見解にも耳を傾けるべきであろうし、大仏開眼や朝鮮半島、北東アジア、南島との関係からみても我が国を「小国」とするのは大陸との対比でしか有効性を持ち得まい。

某半島においては、近代以前、日本は常に文化的に自分たちの後塵を拝していたという認識が広く共有されているようだが、これまた近世あるいはそれ以前の朱子学的な価値観、世界観が生み出した産物の受け売り、焼き増しみたいなものであり、独善的な思い込みでしかない。劣等感の裏返しとはあえて言うまい。確かに陶芸技法等半島からの技術移転の例はいくつもある。儒学を始め大陸文化の摂取のためには、半島は意識してしかるべき存在であった。が、それが国の大小、優劣、強弱のすべてをはかる尺度にはなるまい。経済規模、経済体制、陶芸、儒学以外の科学技術、医学、文化諸芸、教育水準等を総合すれば、平安時代か室町初期に「毛の生えた」状態に対して我が国が「小国」であったと主張するのは至極困難なことかと思われる。

おそらく経団連も危機を強調するためにあえて「極東の小国」という表現を用いたのだと信じたいが、もしそうでないとすれば、これまた異種の自虐史観の存在を認めねばなるまい。




























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学校現場の「異常さ」といえば・・・:「せめる(責める)会」

2012年04月16日 | Weblog
今現在は知りませんが、かつて私の小学校時分、下校前のいわゆる学活の時間に「せめる会」というのがありました。
並行して「ほめる会」というのもありましたけど。

「せめる」は当時ひらがなでしたけど、「責める」なんだと思います。まさか「攻める」ではない。

どういうものかといえば、級友を教師や皆の前で「誰それ君(さん)が何をした」、「誰それ君(さん)のかくかくしかじかな行為・行動がいけないと思う」と発表するのが「せめる会」なんですけど、後々振り返ってみてゾッとするんです。

まるで文化大革命の時の公衆の面前での批判・打倒集会と同じ。劉少奇たちがやられたやつです。そこに物理的制裁が加われば、まさに文革か連合赤軍の「総括」と同じになるわけなんです。

時にはホームルームの時間をまるまる使って「せめる会」の拡大版もありました。

気の弱い子が「せめられる側」に立たされたら、もう何も言えません。当然泣き出す子もいました。一方的にどういう悪いことをした的に糾弾するわけですから、告発した側の勘違いや思い違い、場合によっては人違い、更に悪くすると尾ひれがついた事実上のねつ造もあるわけです。

私もに女子生徒の告発によって「責められる」側に立たされたことがありますが、まったくの無実無根。事実、私は彼女が指摘した「事件」の現場にはいなかったのですから。気が強いわけではないが弱いわけでもない私は反論し、幸いに私のアリバイを証明できる級友もいたので、潔白が証明されたのですが、私がいわゆる今時の言い方をすれば切れて、告発者に向かって「この場で謝れ!謝らなければ絶対に許さない!」とまくしたて友人たちも同調したものですから、相手の女の子が泣いちゃって、かえって担任に私が「責められる」はめに・・。

話がそれますけど、女子のあのチクリ癖って何なんでしょうか。うちの子や友人たちも時々、女子が事実でないことを担任に言いつけて怒られたなんて話をしているのを一度ならず耳にしたことがありますが、これって「メス」の習性なんでしょうか。

今思うと、あれはいったい何だったのかと。特に拡大版はありゃ魔女狩りかリンチに等しい惨たらしい行為で、それを教師が主導し子供たちにさせていたのですから・・・。何十人もの級友がいっせいに自分ひとりに言葉でもって襲いかかってくる恐怖、悲しさ、悔しさはいかばかりのものかと。中には集団心理に駆られて、あることないこと言いたてた子もいたと思います。だって、大人だってそうなんですから。子供は時に大人よりも残酷なことを無邪気に言い、やらかしますから怖いです。

私のいた学級が、担任が特殊だったのでしょうか。それとも、あの時代の教育指導方法のトレンドみたいなものだったのでしょうか。まさか、学生運動の余波みたいなものだったとか。でも、もうそんなのはすっかり「過去」になっていたと思うんですけど・・・。でもそうでもないかな? 某人気学園ドラマを再放送でみていると「そういう時代だなあ・・」って
思うことあります。主演の教師役俳優のセリフいちいちが時代めいていて。もっとも、その俳優病気になる前には毛沢東礼賛をラジオでやらかしていましたけど。先月も久々に同ドラマのパート2をみていたら(あの「加藤」が出てくる版です)、学芸会で生徒が特攻服を着てステージに姿を現したのに校長が動揺し、閉会のあいさつで自分の戦死した兄の話を持ち出して延々説教。それが1時間ドラマのストーリーの一部なんです。はしょりなしです。当時は何も考えずに見ていました。いえ、厳密にいえば「ありえねー」とか「東京の下町ってこんな貧乏人ばっかなん?」なんて思いながらみていましたけど、まさかああした思想的な刷り込みが行われているとはねえ・・。あーいやだ、いやだ。

70年代末から、80年代はじめ、他所の地域や学校でも「せめる会」などというものがあったんでしょうか。

ちなみに、「せめる会」はイジメを助長する結果となり、拡大版でつるされた一人は翌年転校していきました。
私の母親がその子の母親と仲が良く、その子の弟は私になついていたんですけど、助けてあげようとか、守ってあげようとかしたわけではなく傍観していただけだったので、申し訳ないといか、気の毒なことをしたといまだに思い出すたびに心が痛みます。小学校のことは懐かしい思い出で、いまだに同窓会や飲み会、ゴルフコンペなんかがあり、少人数で6年間を過ごした者同士の「絆」みたいなものを感じますけど、その裏には彼女のような目にあった子もいたのです。しかもその原因の一端は教師が作り上げていたという・・。

学校は当然ながら必要だとは思いますが、そのありようしだいでは子供を傷つけるもろ刃の剣にもなり得ることを現場は言ったいどれほど自覚しているのでしょうか。私の体験が特殊例であること、そしてそのような指導方法が今現在は存在しないことを願うばかりです。

























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皆さまのご理解を賜りたく

2012年04月16日 | Weblog
先日まで健康不良が続きしばらく更新できずにいましたが、その間数週間の間に同じ名前でコメントをくださる方あいらしったのですが、内容も確認せずにおりましたところ、どうも複数の方が同名を使ってコメントをくださっているようなのです。しかしながら、お一人はホンモノで、その他の方々はニセモノと思われるのです。というのは、コメントの内容に歴然とした違いを見てとれるのです。ありていにいえば、ニセモノさんのコメントには実に公開を躊躇せざるを得ないようなものもあるのです。ホンモノさんには申し訳ないのですが、ほぼ毎日複数の同名さんからのコメントを開き見るのも面倒ですので、今後は無条件削除とさせていただきます。ちなみに現時点で公開させていやだいているコメントは、すべてニセモノさん以外の方からの者と判断したうえで公開させていただいております。

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橋下市長提案、学力テストの結果公開をめぐる教育関係者の「後ろ向き=事なかれ主義」 その2

2012年04月15日 | Weblog
初等教育レベルでの能力別指導には賛成でも、落第には反対というのが私の立場だあ、その一方で、学力テストの結果の公開の是非をめぐっては、学校ごとの結果を公開すべきであるとの立場をとる。

保護者としては、実にありがたいことである。おそらく、大雑把にいって、結果と学校区内の家庭の経済事情、保護者の学歴・職業がおおよそパラレルすることになると思うが、家庭をもち、子供を持ち、あるいは今後家庭や子供を持つことを考え、「どこに住もうか」と思案する立場からすれば、捨てがたい情報である。

実は、かくい我が家も米国在住の際、公開された学校評価(テスト結果ではない)を参考に住み家を決めたことがある。大学も含めて米国の学校評価システム、規準には首をかしげるものもあるが、実際に住んでみて我々の選択は正しかったと思っている。まちなみや買い物、医療関係施設等の利便性から好印象を受けた地域であっても、学校評価は低くその地区に住む知人や教員を務める米国人の知人に聞いてみて、なるほどそういうわけなのかと納得することもあった。学区域が広いだけに、自分たちが見知っている区域はよくとも、その他に低所得者地域があったり、最近ヒスパニック等の移民の流入が多い地区はあるとなると、やはり学校のレベルは思わしくないことになるのだという。

そういえば、学力テスト結果の公開は、競争を助長する、あるいは格差を助長するということになるだろうが、実態を知らされていないがゆえに「ババ」をつかまされるかもしれないこちらとしては、子供の将来にも影響を及ぼす問題であるだけに、たまったものではない。

事実、競争を過熱化させるだとかいう批判が存在するわけだが、そもそも競争の何がいけないのだろうか。人は産声あげて生まれてから、骨になるまで好むと好まざると他者と競合せざるを得ない。いかなる政治社会体制であろうが、公正化否かの問題はさておき、競争は不可避なのだ。将来のことは知らぬ。人類の英知とやらで人と人が競い合うことを酷浮くした社会が出現するのかもしれないが、現在只今、そして近未来において無競争社会が出現するとは到底思えない。現状を無視して競争を排除した環境に子供を置いて、一体それが彼らの将来にどう役だつというのか。そもそも、学校とは、公教育とは何のためにあるのか。浮世ばなれした「理想主義」に思考を犯された「生きる力」に欠けた人間を増産することが目的なのか。その結果、国や社会は立ち行くのか。

「過熱化」という。かつては「受験戦争」、「受験地獄」などという言葉もあった。が、そもそも何を持って過熱化とおいうのか。私自身、他者と合否をめぐいって競っているという意識はあったが、「戦争」だとも「地獄」だとも思わなかった。たしかにそう思った人もいるかもしれない。受験ゆえに命を絶った者もいた。それは実に悲しいことである。が、いくばくかの例のみをもって、「戦争」だとか「地獄」だとか煽情的な言葉をもてあそんだのはマスメディアであって、教育現場がそれに乗せられてどうするのだと思う。いや、実際乗せられてしまったのだ。「ゆとり」だとか言い出した自民党文教族や文科省ですらそうか?もしかしたら、学校現場とマスコミの間にはある種の共犯関係があったのでないのか。前者が後者に煽られたというよりは、両者の間にはイデオロギー的、あるいは社会状況認識面において共有するものがあり、前者には後者による受験、教育制度批判を歓迎する向きもあったのではないだろうか。受験指導という負担から逃れたいというイズムだとか教育哲学とはかけ離れた教員としてというよりは一個人、一家庭人としての願望、打算もあったのかもしれない。

しかし、お手手つないでみんなでゴールインの結果、「ゆとり」の結果、今現在一体我が国に何が起こっているのか。

その結果、学校や教員の負担が減ったとは言わない。その点については大いに同情し、社会として教員の「職責」について議論する必要があると思う。保護者として学校や教員におんぶにだっこの怠慢ああったのではないかと自己検証・批判する必要もあるだろう。

が、学力テストの公開反対には、保身の魂胆があると思う。二言目には子供への配慮を理由に反対論をぶつが、結果が思わしくないのであれば、そこをケアしてこそプロというものだ。個人、全体の底上げもまた教員の力量が問われる。塾というものが存在する以上、純粋に教員の力量がテスト結果に反映されるわけではないという点も踏まえねばならないが、かりにそうだとして、テスト結果すなわち教員の指導力判定という側面は決して否定できない。学校・教員はそlれが怖いのではないのか。個々の現場教員のみならず、管理職も結果によって自分たちの指導力を取られるし、更に教育委員会も指導力を問われることになる。皆、関係者はそれが怖いのではないだろうか。

学校や教師が「子供」をタテに論陣を張る際には、それを鵜呑みにしてはいけないというのは、本件に限ったはなしではないが、こうした腰のひけた連中が教壇に立つ限り、公立から私立への動きは止められないだろう。もっとも、今年等は私立中学受験者数が前年比で数パーセント落ち込んだというが、これは公立が再評価されたかわではなく、もっぱら経済状況によるものである。その点は、公立学校側も承知のはずだ。まあ、それはさておき、我が子を他人に託する
立場としては、相手側の腰の引け具合に不信と不安を抱かざるをえないのであり、彼らを叩きなおすためにも、学校ごとの結果公開にまで是非是非生みこんでいただきたい。閉鎖的な学び舎や学級王国はいろいろな意味でもっと可視化されるべきであり、テスト結果の公開はその良いきっかけになるのではないかと考えるのである。





























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橋下市長提案、学力テストの結果公開をめぐる教育関係者の「後ろ向き=事なかれ主義」 その1

2012年04月12日 | Weblog
落第制度、私は反対である。アメリカには幼稚園から既に落第制度はある。子供があちらのキンダー在学中、一人だけやたらとだたいの大きい子供がいると思いきやキンダー二年目であった・・。

大人にとって耐えられることも子供には耐えられないことはある。大人になってみてなんであんなことにという些細なことでも、子供の精神に負荷をかけることがあるし、場合によってはそれが身体にも影響を及ぼす。悪くすれば登校拒否。

落第制度にはそうしたリスクがある。落第はやはり心身ともに落ち着いてくる高校からで良いのではないかと思う。
それに落第というのは発想的に後ろ向き、ネガティブ思考過ぎないだろうか。かわりに、「できないやつを落とす」ではなく「できるやつを上げる」という方にエネルギーを集中させた方が良いように思う。ありていにいえば、底辺よりも社会の上部をなす可能性を秘めた人間の育成により集中せよということだ。具体的には飛び級あるいは進捗の差が大きく出る科目によっては、習熟度別クラスの導入。まあ、どれもこれもアメリカでは既に当たり前に行われている制度だ。もっとも、あの国はしばしば禁煙や中絶問題で見られるように極端に走る傾向ああり、9歳で大学進学などという事態が、ドラマの世界だけではなく現実世界でも起こり得るのだが、いかに天才的能力があるとはいえ、頭と心身の成長はパラレルではない。その好例がウォーレン・サマーズだ。20代でハーバードの助教授職についた秀才であるが、人格的にはいまだ未熟というか感心しないところがあり、それが同大学長時代の問題発言となり、その職を追われることになった。クリントン政権で財務長官に就任した際も、一部には彼の人格が災いすることを危惧する声もあったとか。そういえば、IQが200を超すともいわれたコンドリーザ・ライスも人格的な問題を指摘されたことがある。政権、国務省内では人望が実に低かったとか。そうした極端な飛び級は論外として、個々の能力にもう少し前向きかつ柔軟に対応する制度はあってしかるべきだと思う。

ただし、クラスが細分化されればそれだけ、カネがかかることは確かで、その点財政事情に配慮せざるを得ないという制約は当然ある。教育目的の増税なら反対はそう出まいという推測は必ずしも正しくはない。教育のためであろうがなんであろうが身銭を切るのは嫌だ、ましてや他人の子供のためにという輩は結構多い。現に、我が子や孫のことなどさておき、自分自身の年金や福祉の保護に汲々としいている高齢者たちが少なからず存在するのである。個人的には嘆かわしい、あさましいと思うが、そうした連中でも等しく一票を持つ以上、「愚か者は捨て置け」というわけにはいかないのが民主政治の現実である。

それはさておき、落第だとか飛び級、能力別クラスに対して、教育現場は何を考えているのか。教育現場といっても当然のことながら考え方は多様である。現に私立などでは既に昔から能力別クラス編成をやっている。私もそれを経験した。脱線するが、進学塾もそうだ。某塾など数週間おきにクラスはおろか座席も変えられる。高校での落第は当たり前のことだ。中高一貫の私立なら中学レベルでも落ちこぼれには高校進学不可という措置があるし、それ以前にそれとなく転学をすすめる。

だが、こと落第となると、子供の心への影響、ケアの問題をタテに反対論が出てくる。上述のように私も、小学生、中学生レベルで落第という現実に直面した時、子供がどこまでそれに精神的に耐えうるか、疑問とするところである。子供の発育には遅い早いがある。小中では「並」のできだった同級生が東大に現役合格したと聞いて驚いたことがある。
それは極端な例かもしれないが、小学校の高学年になってから、中学になってから伸びる子もいる。そうした秘められたポテンシャルを精神的にダメージを与えることによって潰してしまう危険性は確かに怖い。人は大人になっても「ほめことば」によって奮起したり、伸びたりする。子供ならばなおさらである。逆に大人の一言がナイフでえぐるように子供の心を傷つける。教師の一言が子供を登校拒否に追い込んだその瞬間を私は目撃したことがある。確かに自分のデキるのを鼻にかけたいやなやつで、教師も鼻を軽く折るつもりだったのであろうが、「お前は本当は大してできないんだ」と一言にその子は周囲には察しもつかぬほどの衝撃を受け、突如心身に異常をきたすようになったのである。かくいう私も別の理由で教師の対応に身体が拒絶反応を起こしてしまいプチ登校拒否になったことがある。気持ちは学校に行きたいのに体が逆の反応を示したのだ。新しい担任の姿勢にショックを受けたというよりも、他者を否定したような言動・行動を許容できなかった、許せず、たまりたまった不満が新学期開始から2カ月ほどたって身体の異常となって突如噴出したというわけだ。

子供の心のケアは難しい。ましてやプロの教師にも。しかも、以前にもここで何度か書いたと思うが、日本の教師は忙しすぎる。負担が大きすぎる。なんで学校や教師が校外のことまであれこれしなければならないのか。下校指導しかり、不審者情報が入ったり事故がおこれば、通学ルートを子供に付き添う。生徒・学生が学外で問題を起こせば、マスコミにたたかれ、学校が謝罪する。私にしてみたら、校門を出たら、そこはもう一義的に保護者の管轄、責任の範囲のはずだ。共稼ぎで大人がいない?それは個人の都合であり、学校ではなく各家庭が対応すべき問題だ。各家庭の台所事情まで学校に斟酌してもらおうなどという料簡が「甘い」のだ。甘え以外の何物でもない。家庭や社会が学校、教師に過度な職責を追わせている現今の状況において、ましてや何かあればマスコミが先導して社会的な糾弾大会を始める昨今において、更に落第した子供の心のケアまでやれというのは、無理というものである。

教師にも個人生活があり、家庭があり、妻子がいることを忘れてはなるまい。

続く













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国家の体面、対外イメージ: 在外公館等の在り方について

2012年04月08日 | Weblog
かつて、外務省たたきが盛んであったころ、某国駐日大使館の建て替え計画に対して、贅沢すぎるだのどうのという批判がマスコミによって行われたが、在外公館やそれに類する建造物はやはり国家の体面や対外イメージを損ねないものであるべきだと思う。

そもそも、国内の庶民感覚で贅沢か否かを論ずるのはほとんど無意味であると思う。

ならば、豪壮華麗なものほど良いかといえばそうでもあるまい。派手すぎて現地一般民衆の反発をかえって食うかもしれない。日本国を代表する施設であるにもかかわらずコテコテの西洋風でもかえって他国のあざけりをまねこう。

かといって、簡素すぎたり、老朽化したものを後生大事に使い続けるというのも、よろしくあるまい。

というのは台湾出張の際、台北で知人の日本人企業駐在員宅を訪問する際、日本人学校の校舎のみすぼらしさに驚いた。道路を挟んで発つアメリカ人学校の新しさを立派さとのコントラストで余計にみずぼらしく見えた。知人に聞いたところでは、既に築30年近く、あちこち老朽化が目だつそうで、おそらくもう改築では済まないだろうとのこと。

私も、あれはマズイと思った。今も700人ほどの子供が在籍だとか。築30年、日本国内なら改修して使用継続ということになるのかもしれないが、国内と同じ判断基準を適応すべきではあるまい。国も企業も金がないのはわかるが、あれでは台湾国内において我が国の斜陽を助長するだけの効果しかもたらさないのではないだろうか。

















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がれき受け入れ拒否すなわち「絆」の喪失という解釈はいかがなものか?

2012年04月07日 | Weblog
札幌市が受け入れ拒否表明だとか。

まあ、札幌市長は「左巻き」な困った人であるし、札幌市自体ヘンなところがあるくせのある町なのだが、それでも、個人的に「拒否」は理解できなくはない。

なかには、問答無用とおっしゃる「閣下」もいれば、どこぞの外国人ジャーナリスト氏は「絆」の欠如、喪失と結論付けたが、「閣下」の聞く耳もたぬの姿勢も、外国人氏の分析も、ちょっと待てと思う。

確かに、一部にがれきを自らの心情の道具にしている運動家たちが存在することは間違いない。那覇での「雪」の移送をめぐる一件で暗躍した連中と同類、同系列なのであろう。

私はそういう連中とはおそらく政治信条等もま逆にある人間、市民社会だとかの在り方についても随分と考えに隔たりのある立場にいるというご理解していただいたうえで、以下お読みいただきますよう。


私は上述のとおり、「がれき受け入れ拒否」はある程度、無理からぬことと思うのです。そして、自治体や住民をそうさせた原因の多くは、絆の有無、強弱ではなく、やはり東電、政府にあると思うのです。政府や自治体がいかに安全性を訴えたところで、いかに風評を批判し打ち消そうとしたところで、そもそも民衆は政府を大して信用はしていないのです。いや、ほとんど信用していないのでしょう。そして、そうなった原因は政府、政権与党の自業自得。風評という点については、マスコミにも少なからぬの責任はあるでしょう。この件に限らず、いったん失った信用を回復することは決して容易ではないというのは世の常。放射能、放射性物質という極めてやっかいなものがからんでの不信をくつがえすことは、他の例に比べてもより困難なものかと思われます。

そうしたことを考えれば、拒否したからといって、絆の欠如だとか、不人情だとかいうのは言い立てるのは、受け入れ自治体および住民に対して、究極の選択を迫るようなもの。住民に放射性物質への不安、不信がある以上、万が一我が子に我がまごにと考えるのは当然。これこそ真っ当な人の情というもの。それを手前勝手だとか非難することこそ、
酷というものです。しかも民衆をそうさせてしまったのは民衆自身の手前勝手さではなく、政府にあるとなれば、
強制力をもってすればよいというのも、いかがかと。


かといって、がれきは各地に分散させて処理するしかないというのが実情なわけで、行政の側としては、民衆の感情
にいちいち配慮などしていられないというにもわからなくはない。

でも、それをもって日本人が質的におちたかのような外国人の皮相的な観察や評価を鵜呑みにはしたくないものだと思います。さもなくば、それこそ別のかたちでの「自虐」ですよ。






















コメント
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お久しぶりです。

2012年04月02日 | Weblog
実は台湾出張後、体調を崩してしまいました。まだ、完全ではないです。

さかのぼれば昨年末以来、何かと忙しく自宅にまで仕事を持ち帰らざるを得なくなり、徹夜が続くうちに昼夜が逆転してしまいました。厳密に言うと、昼に寝ていたわけではなく、帰宅、夕食、入浴を終えると即気を失ったようにカウチの上で爆睡してしまい、目を覚ますと午前1時とか、1時半。そしてそのまま朝まで仕事をして出勤。当然昼寝などなしにまた夜まで勤務して、帰宅、爆睡。結果、ここ3カ月ほどの睡眠時間は平均して3時間あるかないか。

ついに、あちこち以上が出始めてしまいました。で、今必死に生活パターンを正常化させようとしているところですが、相変わらず夜中にばっちり目がさめて、仕事ということになってしまいます。


40過ぎてこんな生活していてはいけません。

というわけで、ブログも更新できていませんでした。

特にコメントをくださった方々にはお詫び申し上げます。






コメント (2)
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