くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

福田自民の今後、総裁選を終えて

2007年09月24日 | Weblog
自民党総裁選、事前の予想通り福田康夫氏が、麻生太郎氏に対して、330票対197票で勝利した。

この結果を福田氏の圧勝とみるか、麻生氏の健闘とみるかの評価はさておき、この選挙結果そのものについては驚くには値しないと私は考える。むしろ、少なくとも私が個人的に驚くいたというか興味をもったのは他にある。読売新聞の報道によれば以下のようなことが今回の総裁選で起こったそうなのだ。長くなるが、すべて引用してみたい。

>23日の自民党総裁選では、141票の地方票の行方も大きな焦点となった。
>福田康夫・元官房長官が76票(53・9%)を獲得して麻生太郎幹事長の65>票(46・1%)を上回ったが、大きな差はつかず、麻生氏の健闘の一因となっ>た。全党員による投票を実施した35都道府県連の党員票の合計は、麻生氏がわ>ずかに福田氏を上回っており、組織ごとの決定方法の違いが福田氏には有利に働>いた。
>都道府県別では、福田氏が上位だったのは26道府県、麻生氏は21都府県だっ>た。
>党員投票を実施した35都道府県に限ると、党員票の合計は、麻生氏が25万3>692票(50・3%)で、福田氏の25万613票(49・7%)をわずかに>上回った。ただ、勝敗は福田氏が18勝、麻生氏が17勝だった。

以上の様に、自民党地方支部における投票結果は、福田氏が圧勝したというよりも辛勝であり、党員票の合計ではむしろ麻生氏に軍配が上がったのである。
ということは、福田氏が123票という票差をつけることができたのは、党所属国会議員による投票に因るところが大きかったおいうことになる。

私が興味を持ったのは、この各地方支部の一般党員の投票行動と同党国会議員の投票行動の「ズレ」である。

見方によってはこう言えるのではないか。自民党の国会議員たちは、必ずしも自党の党員の意向に沿ったかたちでの投票行動を取らなかった、あるいは、一般党員の意向に反する投票行動をした国会議員が多かったと。

なぜこのような「ズレ」が同じ党の中で生じてしまったのだろうか。まずおそらくは、地方党員が各支部のボス的存在や党中央の各派閥の意向に配慮ないしは従うかたちで投票するものよりも、また福田氏に期待するものよりも、そうしたボスや派閥の思惑に関係なく、麻生氏に期待して投票したものの方が若干なりとも多かったということであろう。 それに対して、福田支持にまわった国会議員たちは、どうなのであろう。福田氏の政策を支持してというよりも、政策よりむしろ勝ち馬に乗るということに重点を置いたのが実態ではないのか。また派閥の論理で動いたということでもないのか。確かに派閥の力は弱まっている。そのことは今回の総裁選でも証明されたように見える。麻生派以外の各派はすべて福田氏支持に回ったにもかかわらず、麻生派所属議員以外の100人以上の国会議員が麻生氏に投票しているのだ。ただ、であるからと言って、派閥の持つ政治行動への拘束力がすべて消えうせたわけではあるまい。

この「ズレ」は、ただでさえ党基盤が弱体化しつつある自民党にとっては決して無視しえないものなのではないのか。今後福田氏が総理総裁としてとる政策が、麻生氏に投じた党員の意に反するものであった場合、それらの地方党員ないしは地方支部の間に不満がまたり、それがどのような形で表出するか知れない。もっとも、福田執行部に不満を持つ党員が総選挙などで民主党に投票するとも思えない。なぜなら麻生氏を政策的に支持するものが民主党を容易に支持するとは考えにくいからだ。この外への行き場を持たない不満がどこに向かうのか。その行先によっては、自民党の組織力の更なる弱体化は避けられえまい。これを回避するためには、福田氏は、一部保守勢力が恐れるような「リベラル」な方向に舵を取り過ぎないことだ。

加えて福田氏に投票しなかった国会議員が100人を超えたわけだが、そのなかにも、おそらく派閥の論理や自分自身の政治家としての生き残りという思惑を越えた政策的な点から、麻生指示に回ったものも多からず(少なからず?)いると思うが、この議員たちも、今後福田政権があまりに前二政権とは異なった方向性を示せば、当然反発を強めるであろう。そうなればやはり中央からも党の統率が乱れるということになる。

それでは来るべき総選挙は戦えまい。もっとも、世論調査を見るに、福田支持は麻生支持をかなる上回り、自民党の一般党員の投票行動と世論との間にもズレがあるため、一般党員票の行方をあまり拡大解釈的に一般論化することは危険である。ただ、世論がここ数年にわたり、小泉政権におおむね高い支持率を与え、発足時の安部政権にも期待した背景には、それらの政権の政策の方向性に期待し、支持するところがあったからではないのか。確かに世論は移ろいやすい。政策の良し悪しそっちのけで感情論的、印象論的な好悪のみで判断することも多分にある。ただ、同時に過去の二政権への支持には、先にも述べたように保守の側が懸念する福田政権が進むかもしれない政策的方向性とは異なったものを志向してきたからではないのか。もしかりに福田政権がいわゆる「リベラル」路線を取ったとしたら、民主党にとっては迷惑な話になるのかもしれない。福田自民との違いを出すという点で苦労もするだろう。ただ、昨今の日本社会のエトスの流れというものを読み間違えた場合、福田政権は果たして国民世論の広範な支持を取り付けることができるのだろうか。

私は、福田政権は一部が懸念するような極端なリベラル路線は取らないと思うし、取りえないとも思っている。さもなくば、福田はバカだ。かと言って麻生氏に近い路線や、前政権の路線を多く踏襲するとも思えない。つまり、福田政権は何ともつかみ所のない政権になるのではないのか。総裁選中の麻生氏との討論を見ていても、福田氏の議論は実に具体性を欠いた。その点は麻生氏も皮肉ったところだが、その具体性の欠如の背景には、派閥横断的な支持を受けたがゆえに迂闊なことは言えないという事情もあってのことだったのであろう。そして、この福田政権を支える党内構造ゆえにも、福田政権が明確な「色」なり「方向性」を打ち出すことができなくなるのではないかと思うのだ。「安定感」だけでは、政権が国民の広範な支持を取り付け、それを維持することは難しい。

そもそも、福田氏そのものに華もなければカリスマ性もない。皮肉にも今は安倍ちゃんの体たらくぶりのおかげで、あの落ち着いた物静かな雰囲気が、「安定感」という精神と肉体の安定を欠いてしまった前任者に比較されて期待を集めているに過ぎない。早晩国民世論はあの「陰」で政策的なメリハリもない総理総裁を倦むようになることは必定。「劇場型政治」に華のない役者に主役は務まりはしないのだ。









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