くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

紅白の「目玉」は英国人のオバハンと(在日)韓国人のオッサン

2009年12月31日 | Weblog
英国人の方は既に周知だったが、隠し玉の「男」の方は、米国公演で地元の批評家に散々に言われた在日のオッサンだった・・・・。まあ、芸名は日本人名だけど。

期待した私がアホだった。
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名鉄グランドホテル「鳳凰」の海老シューマイ

2009年12月31日 | Weblog
再び食い物の話ですが、名古屋駅前にある名鉄グランドホテルには、以前「鳳凰」という中華料理屋が入っていました。

私はそこのタンタンメンと海老シューマイが大好きでした。

後に四川にしばらく滞在する機会があり本場のタンタンメンをいただいて、「鳳凰」のそれとはまったく異なるものであることを知りましたが、それでも「鳳凰」のそれは、スープのコクがなんともいえないうまさを醸し出していました。あのクセを嫌う人もいましたが、私的には、「病みつき」な一品でした。

「鳳凰」は駅前から新幹線ホーム側にある同じ名鉄系のホテルに移ったそうですが、その後どうなったのでしょうか? 料理長の楊シェフは地元の料理番組にもたびたび出演されていましたが、今でも御健在で鍋を振っていらっしゃるのでしょうか。

人づてに聞いたところでは、かつての「鳳凰」のコックたちが独立し、今でも、タンタンメンのレシピを受け継いでいるとか。お店はどこにあるのでしょうか。是非、行ってみたいものです。

牛肉とキュウリのピリ辛炒めも美味しかったですね。ほのかな酸味が何とも言えませんでした。

それ以上に、気に入っていたのが、上述の海老シューマイ。もう20年近く前ですが、結構な値段だったと記憶しています。あの海老シューマイ、浜の中華街の「名店」と呼ばれる店でも幾度か試してみましたが、私的には「鳳凰」に軍配でした。

タンタンメン同様、海老シューマイのレシピを受けつでいるお店、あるのでしょうか。

懐かしい、もう一度食べてみたい味です。

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ジャーマンベーカリーのレモンパイ

2009年12月31日 | Weblog
大晦日なのに、早朝から、ふと思い出したのが、ジャーマンベーカリーのレモンパイ。

亡くなった祖母が昔から大好きで、私も、子供のころからファンに。今でも、レモンパイと言えば、ジャーマンベーカリーのそれが、私にとっての味の基準。なので、ジャーマンベーカリーがなくなってしまってからというもの、満足するものには巡り合えていません。メレンゲの甘さとレモンの部分の酸味のコントラストが絶妙でした。この両者の味のバランスという点で、満足のいくレモンパイに随分長い間お目にかかっていません。

米国にいた時によく通ったフランス人が経営する菓子店のレモンタルトが、かろうじて似ていたという程度でした。

意外と、あそこのクリスマスケーキも美味しかったんですけどね。

ジャーマンベーカリーに限らず、あるとき親しまれた店が時代の流れとともに廃れ消えていくというのはよくあることです。個人的に「どうしてあの店が?」というような「名店」が閉店に追い込まれるということもありました。人の味覚というものにも移り変わり、はやりすたりというものがあるということなのでしょう。

どこかで、ジャーマンべカリーの流れをくむレモンパイを作っていらっしゃる方、いないものですかねえ・・・。
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陛下に無礼をはたらいた亀井静香のあのあるのかないのかわからない首を・・・

2009年12月29日 | Weblog
皇居を、権力の府である江戸城から京都か広島に移せと、あのドン亀が陛下に申し上げたとか?

あの成り上がり亀も、小沢ほどではないかもしれないが、大層な増長の様子。


広島に移せとはこれいかに? 日清戦争のとき明治大帝の行在所並びに大本営の置かれた広島城に新たに宮殿を構えて、再び大陸シナに備えよとの意か?

まさか、単純に平和の象徴たる町に、平和日本の象徴なんて、戦後教育の悪しき所産のような発想からではあるまい?

実は私個人は、京都還都論者であり、その際には天皇陛下はじめ皇族方の生活は、明治以来の洋式を極力排し、古式に基づくべしと考えている。まあ、ド平民の私がかくいうのも、ドン亀同様無礼の極みかもしれないが。

ただ、亀井の言い分はおかしい。権力の府である江戸城を出よという。確かに今の城郭は覇道をもって天下に号令した徳川の手によるものであり、元々は権力の府であった。しかし、そこに大内山が移されこれまで四代の天皇が住まわれることにより、もはや権力の府ではないはずである。それを「いまだに」権力の府であるということは、「皇化」を否定するものであり、しいては天皇の権威を否定し、その非力を指摘するに等しい。

不忠不義、ここに極まれりというべき所業、言動である。


亀井静香に誅伐されねばならない!
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やはりNHKは偏向している: 「坂の上の雲」

2009年12月29日 | Weblog
番組中、ナレーションは、閔妃暗殺について、三浦梧楼をはじめとする日本人によるもの、と断定的に語っていたが、一体何の根拠をもって、である。

この件については、事件発生当初から目撃談を含め諸説あり、いまだことの真相ははっきりとはしていないはずだ。学術上決着のついたことではない。

にもかかわらず、である。

ほんと、NHKには受信料を払いたくなくなってきた。
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芝居の味わい: 南座顔見世「封印切」、玉三郎のおえん 

2009年12月29日 | Weblog
劇場中継で、京都南座の「封印切」を見た。

配役は、藤十郎(どうしても、いまだについ雁次郎と呼んでしまう)の忠兵衛、秀太郎の梅川、仁左の八右衛門。

藤十郎の忠兵衛が悪かろうはずもなく、また、個人的に秀太郎という役者は結構好きななのだが、やはり寄る年波には勝てず、かつての美しさはないものの、我童(何ともいわく言い難い雰囲気のある女形だったが、役にま恵まれなかた・・・)亡き後上方の女形を代表するのは今のところこの人しかいないのかなあと。仁左の八右衛門については、正直この人のニンではないなあと。むしろ兄我当の方が個人的には合っているかなあと。

そして、おえんが、玉三郎。

これが・・・、なんともまあ、無理があった。きっと、大和屋本人も本意な役ではなかったのだろうが、何ともまあ雰囲気の無いおえんでなことで・・・。ここでいう「雰囲気」というのは、ああした店の女将らしくないし、それ以上に、「上方」の匂いというか味わいが聊かもないのだ。治右衛門との思い出話など、秀太郎あたりにやらせてみたくなるようなデキで、見ておる方がなんだか居心地が悪いというか、ある種の気色悪ささえおぼえた。

要は、ニンではないのだ。ニンにあわぬ役をやらされることほど、役者にとって悲劇はあるまい。以下に顔見世とはいえ、またその「御馳走」的な配役とはいえ、ありゃ、大和屋本人も、見せられる側も気の毒というものだ。

松竹も無粋なことをしたものである。
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時事放談: 野中広務の「鳩山献金問題」証言

2009年12月27日 | Weblog
野中氏の発言、ある意味「爆弾」では?

さきがけの頃から鳩山氏が母親(実母?)からお小遣いをもらっていたことを、野中氏は知っていたと。

これが本当なら、アカの他人の野中氏が知っていて、鳩山本人が知らないというのは、実に不自然なことである。


率直に言って、常識的にあり得ない。つまり、鳩山はやはり嘘を言っているとの疑念は消えない。

まあ、泥棒だから、嘘をつくなんてことは朝飯前なのだろうが・・。
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鳩山総理は「いい人」?、なわけないだろうが!

2009年12月25日 | Weblog
「いい人」という人物評がしばしばTV等で語られる。

が、ちょっと待て、そんなはずないだろうが!

そもそも、良い人間が、他人の女房をかすめ取って、開き直るか?

もうこの一事をもって鳩山という男が、「いい人」であるはずもない、ロクでなしであることは明らかなはずだ。

鳩山という「いい人ではない人」の化けの皮が更に剥がれたにが、昨晩の会見だ。

「一議員として」、会見場はあえて外のホテル。この時点で、「何という小狡さ、・・」と思ったのは私だけではあるまい。こうした魂胆見え見えの小細工を仕込むところに、この男の国民をバカにしている様がありありと見て取れる。一言目には「国民の皆さま」とか「民意」を口にし、大義名分の旗を振りかざすが、所詮は、利用しているに過ぎず、腹のなかでは「ド平民ども!」と思っているのだ。もっとも、その鳩山氏自身、ご母堂様(実母?)は、地下足袋屋からの「成り金」の娘に過ぎないのだが。

そして、「一議員」の立場で会見にのぞんだわりには、「政権交代を選択してくれた国民への責任を放棄することになる」、「政治家としての使命を果たすことが私の責任の取り方だ」と、自らが単なる480分の1に過ぎない「一議員」ではなく、総理の重責にあることを強調する。自ら「首相」の立場を引っぺがして「一議員」になりすますという最初からバレバレのペテン猿芝居を打っておきながら、その最中に「首相」である自らを語るって、これ矛盾以外の何ものでもないだろう。

それ以前に、最初から会見を開けば、いかに「一議員として」なんてことをほざいたところで、記者からは「総理」としての進退を問われることはわかっていただろうに。そうであれば、「一議員」などと姑息な手段を取らずと、「総理」として官邸において会見を開き、辞任の意思のないことを明言すべきではなかったのか?

と、他人の女房に平気で手を出しておいて、あとのしりぬぐいは母親にしてもらうような、卑怯このうえない男に、そんなことを言っても無駄ではあろうが・・。

それにしても、鳩山の側近連中も、「そんな茶番はむしろ得策ではない」と進言しなかったのだろうか? あの労組上がりの官房長官は、既に以前から官房長官として機能していないのだが、一体鳩の側近として何をしているのだ?

ロクでなしの周りにはロクでもない人間しか集まらないということか?

で、その「一議員」たる「総理大臣閣下」だが、「首相の職にかじりついてでもやりたいわけではないが、政治を変えてくれという国民の気持ちに応えるため続けたい」と、やはり「国民」を盾に使った。

こういう男、一旦緩急あれば、必ずや国民の盾となって君国にわが身をささげるどころか、むしろ君上、国民を盾にしてでもわが身を守ろうとするんだろうなあ・・・。現につい先日、まさに「国家」、「国民」の天皇である陛下を利用してまで自らの政権を守ろうとしたではないか。

鳩山内閣、民主党政権は打倒されねばならない、と改めて認識した。

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逆賊の言い草:「天皇陛下にお伺いすれば、(特例会見を)喜んでやってくださるものと私は思っております」

2009年12月21日 | Weblog
小沢の言葉に対して、某番組で、出演者の全国会議員が言い放った、「殺意をおぼえた」と。

そのかつては小沢と違い関係にあった前議員をしてそう言わしめた言動をあの逆賊は再度繰り返した。

開き直りというのか、僭状の極みというべきか、犬畜生に劣るヤツである、そんなものに、私は殺意すら覚えない。

今に地獄を見るに違いない、あの外道は。
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細野豪志、この男はいずれ小沢を裏切る

2009年12月20日 | Weblog
小沢の腰ぎんちゃく化した細野豪志が、天皇陛下と習近平との会見問題について、小沢を弁護する一方で、宮内庁長官だけでもなく鳩山政権に対しても「対応に不慣れがあった」と、批判的ととられても仕方のないコメントをしたとのことだが、そこまでして小沢に気に入られたいのか、この男?

でも、この細野という男、周知の通りかつて山本モナという尻軽女とつるんで女房・子供を裏切った「前科」持ちである。

元々他人の女房はさておき、血を分けたわが子までをも裏切ることのできる人でなしである。所詮は他人の小沢に利用価値がないということになれば、いずれ小沢を裏切るだろう。

こんな男を有権者は信用してはいけない。

でも、静岡の有権者って「落下傘」候補好きだし、身の下にだらしのない政治家に甘いんだよなあ・・・。まあ、あえて、民度が低いとは言わんけど。
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マスコミの「マスゴミ」たるゆえん: 名古屋での暴走車警官発砲事件

2009年12月17日 | Weblog
名古屋、突進車両に警官が発砲 運転の男に命中し重傷

とのことだが、何でこんなことがいちいちニュースになるんだ?

別に射殺してくれたって構わんかったのに。どうせクズ野郎なんだから。

ん、人権?

いやー、私は世の中には不必要な人間、生かしておいてはかえって公共の福祉に反する人間が存在する、そういう輩は「処分」でいい、と思っているので。

まあ、何でニュースになるんだというよりは、何でニュースにして垂れ流すんだ?と問うべきなのかな、マスゴミに対しては?

ん、それ自体マスゴミに対しては愚問?

そうかもしれないなあ・・・。
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逆賊小沢に反旗を翻さない民主党議員は、すべて同罪だ!

2009年12月17日 | Weblog
すべてというのは言い過ぎか?総務副大臣の渡辺周氏は、天皇陛下と習近平の会見をめぐって小沢を批判してたか?

だが、それ以外はどうだ。特に鳩山内閣の閣僚たち?

党内保守派はどうした?

一人でも、辞職、離党を賭してでも小沢に異議申し立てをしたか?

民主党の連中なんて所詮そんなもの。お国のためとか、国家とか言いながら、いざとなれば我が身がわかいい。

まあ、それを言えば自民党も同じかもしれない。もし今回のようなことが自民党政権下で起こったらどうだろう。一人でも、離党あるいは除名をを覚悟で反旗を翻したであろうか。でも、少なくとも、民主党よりは党内でゴタゴタしただろう。

国家の象徴をめぐる、ある種国家のありようという点では究極的な問題に対して、何も行動を起こせない政治家たち。

こいつらに命を預けることなんか到底えきない。

民主党政権、いや民主党そのものが打倒されねばならない。
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中途半端な忠義立て: 佐藤勝氏の宮内庁長官批判には一理ある。

2009年12月16日 | Weblog
あえて宮内庁長官の天皇陛下への赤心を疑うことはすまい。今時の宮内官僚に「君臣」のわきまえがあるのかとも問うまい。

慣例破りの会見に抗った長官の姿勢には、賛意を惜しまない。「一か月というのは法律なのか?」などと言ってのけた「賊」がいた。確かにその通りだ。法律ではない。だが、たとえ「一か月」が宮内庁によって作られたものだとして、その慣例化を許してきたのは宮内庁を管轄する立場にある歴代内閣ではないのか。鳩山首相は杓子定規な慣例の適応を批判したが、内閣による杓子定規ではない臨機応変の判断・対応とは、すなわち政治的判断であり、ひいては天皇の政治利用ということに他なるまい。語るに落ちるとはこのことだ。

ただし、宮内庁は内閣の決定に従う立場にあることもまた事実であり、長官の今回の行動が、内閣の監督を受けるべき役人としての「分」をたがえた行動であることもまた否定できない。「辞めろ」と「賊」につけ込まれる余地はいたしかたなくある。

批判を覚悟のうえでの、臣下としての「道」と内閣に従うべき役人としての「道」の狭間で、揺れた末の行動だったとしよう。つまり、長官は臣下としての立場に重きを置いたということにしよう。


しかし、かりにそうだとしても、中途半端な「忠義」立てである。佐藤優氏の指摘のように、職を賭すべきであった。「賊」ごときに「辞めろ」といわれる前に、徹底抗戦し、自らの首を鳩山に討たせるべきであった。

ことが決した後になって、「辞めろ」に対して「辞めない」では、「忠臣ぶってみたところで、所詮はわが身がかわいかったのだ」との誹りを受けても致し方あるまい。

繰り返すが、長官の陛下への思いを疑うことはすまい。ただ、思いが適切な行動にう移されぬ以上、いかに臣下としての忠節を尽くさんがためのものであったとしても、それは忠節足り得ないばかりか、かえって君上に仇をなすことになる。

臣、臣足らんと欲すれども・・・。

長官はかえって男を下げた、と思うのは私だけか?




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前原誠司のお粗末な人間性

2009年12月16日 | Weblog
以下抜粋。

前原誠司国土交通相は15日、「元首相、自民党の方から要請が首相官邸に届いたということで、我々がルールを曲げたということではないと聞いている」と述べ、


だから何なんだ?元首相から要請があったからと言って、最終決定したのは、鳩山だろうが?

バカじゃないのか、この前原という男。それを言って一体何に益があるというのだ。

偽メールの時同様、この人の政治家としてのセンスの無さ、資質の欠如を露呈する発言ではないだろうか?

まあ、それ以前に、前原という男、自身が属する内閣の判断によって生じた事態に対して、この露骨な責任転嫁。こういうことが臆面もなくできる人間、ということだ。

男として実にゲスだ。

そして、人間として実に下等だ。

こんな人間を国政に関与させておいて良いのだろうか。

恩師高坂先生も草場の陰で落胆されているに違いあるまい。

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逆賊小沢一郎の言い分はおかしい: 天皇陛下-習近平会見問題

2009年12月15日 | Weblog
小沢は、日本国憲法における内閣と国事行為の関係をもって、記者に答えたが、その態度の居丈高なこと、増長慢もここに極まれりと言うべきか。

いや、小沢が本性を現したというべきか。民主党代表になった時だったか、「変わる」と宣言したものだが、やはり三つ子の魂。かつて自民党時代に、海部の首を切り宮沢喜一を始め総裁候補の首実検を行ったときから左程変わってないことが明らかになった。

それはさておき、小沢のいう国事行為云々はおかしい。

そもそも、今回の習近平との会見は、憲法が規定する国事行為には属すものであるとは断言できない。天皇としての公的行為でしかないとも言える。かりに儀式に属するとして、憲法上に、国事行為としての「儀式」が具体的に何をさすのかについてまでは規定がない。

それゆえにこそ、「慣例」が意味を持つ。今までなかただけのことで、政権交代の起こりえる制度化にあっては、「慣例」と歴代政権による遵守・尊重はおのずと重要になる。それを帰るとなればやはりしかるべき議論の課程を経て、かつ民意というものを見定めたうえで、行われるべきである。いかんせば、天皇陛下は、国家・国民の統合の象徴であるからである。かつ天皇は政治に関与しないことになっている。

しかるに、民主党は今回いともたやすくその慣例を無視してしまったわけだ。政権が変わるたびに国事行為の内容が十分な議論や合意形成もなされぬままに変えられることになれば、それが天皇の政治利用とのそしりを受けてもいたし方あるまい。

しかも小沢は、民意によって選ばれた内閣と言い張ったが、これまた強引・不遜なものいいである。陛下に対してというよりも、民意すなわち国民に対して無礼極まりない。確かに、民意は先の総選挙で民主党政権を選択した。しかしながら、国民は鳩山政権に空手形を渡し「随意に」と言って、すべてをゆだねたわけではない。
世論に迎合しろというのではない。ただし、逐次、適時世論を図るべきであり、ましてや国家・国民の象徴たる天皇陛下にかかわる問題である。国民世論に対してしかるべき説明もなく慣例をたがえる事は、それこそ民意によって選ばれた政権のすべきことではない。

ましてや、政権党の幹事長とはいえ、首相でも内閣の一員でもない、一国会議員でしかない輩が、自らがいうところの民意によって選ばれた内閣総理大臣であるかのようなものいいをすべきではあるまい。幹事長の職は、民意とは関係ない。にもかかわらず、かくのごとき物言いは、僭状の沙汰である。本来自らがいうべきを、小沢に言わせる鳩山も鳩山であるが、いまだに母親に尻をぬぐってもらうようなへたれではいたし方なしとすべきか?

それにしても、逆賊小沢一郎。ついに平成の御世の「大奸賊」と成り果てた。

今尊氏か義満の首を打つべき今三木一草は現れないものか。
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