くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

「ニュー小沢」のカビ臭さ

2006年05月27日 | Weblog
以前にもここで述べたが、筆者は基本的に、小沢一郎という政治家は既に「賞味期限切れ」かその寸前と見ている。小沢氏が小渕内閣との袂を分かち自自連立が瓦解した時が、その「期限」ではなかったのか。ただ、まだ腐ってしまったといわけではなく、「火」を加えれば賞味可能かもしれない。

「火」とは、今後の小沢民主党の”行方”如何を意味する。

しかしながら、筆者は改めて小沢という政治家の旧態然たる政治手法に「はやりダメか・・・」と思わずにはいられなくもなる。

というのは、報道によれば、来夏の参院選に向け郵政反対組みの無所属議員との連携、すなわち民主党からの出馬や共闘を模索するという。郵政造反派への対応をめぐりいまだ党論の一致を見ない自民への単なる揺さぶりなのかも知れない。しかし、もし小沢氏が文字通りの「連携」を模索しているのであれば、これを単なる数合わせと言わずして何と言おうや。議会制民主主義において数の持つ力を無視することはできない。数はそのよしあしにかかわらず「力」なのだ。しかし、である。青臭い書生論と言われればその通りとしか返しようがないのだが、政党政治における数は、政党間の政策論争に対する有権者の審判の結果であるべきではないのか。小沢氏が民主党を率いて政権奪取を目指すのであれば、自民と民主による政権交代のある議会制民主主義、政党政治を目指すのであれば、政策論争をもってする「対立軸」路線を追求すべきではないのか。小沢氏が政治の師でもあった故田中角栄同様「数の論理」というものに過度に固執すれば、「ニュー小沢」とは単なる有権者の目を誤魔化すための羊頭狗肉、「賞味期限切れ」についにカビが生えてきたことを意味するものとしか、筆者には思えぬ。

世論の小沢民主党への期待はかなり高い。そのことは、先日の衆院千葉7区での補選の結果にも現れた。といことは、世論はまだ小沢という政治家を見限ってはいないということでもあり、それは小沢氏の従来からの「改革派」としてのイメージがいまだ根強く残っているからであろう。加えて、世論が5年にならんとする小泉政権に倦んできているということに助けられている面もあろし、マスコミが煽る小泉政権下で広がったという「格差」への不安の表れであるのかもしれない。

しかしながら、世論は、「ニュー小沢」が代表になったことで民主党が「ニュー民主党」に生まれ変わったと、見ているわけではあるまい。それに、世論はいまだ偽メール事件で見せた民主党という政党の未熟さ、無様を忘れてはいまい。

来夏の参院選、普通に考えて、民主党にとっては小沢氏が代表でなくと勝てるはずの選挙だ。6年前の参院選と昨年の総選挙で自民が勝利したゆれ戻し現象で、民主党が議席を増やすことは容易に予想できる。

ただし、選挙は水物。政治の世界、一寸先は闇という。今年の9月に誰が自民党の新総裁に選ばれるかによっては、世論の「小沢民主党」への期待の波も上げ下げが起きよう。来年一月からの通常国会での自公連立与党との攻防の如何では、世論の小沢民主党への期待感は失望へと変わる可能性が無いとも言い切れまい。そのような展開にさせないためには、審議拒否なども使い古された国会戦術ではなく、対案をもって正面から論戦を挑んで欲しいものである。ただ、小沢氏が政策本位をもって与党に対する「対立軸」路線を取ろうとした場合、来年夏の参院選まで、小沢氏が党内をまとめ続けることができるかどうか予断を許すまい。民主党という政党が「寄り合い所帯」であることは既に周知のことであるが、そうした「御家事情」ゆえに、党内対立ばかりが表面化し与党に対して対案を示すことができなかったり、対案を示せたとしてもやはり「御家事情」ゆえに「小沢色」が薄く世論へのインパクトの弱いものであったりすれば、小沢氏の「対立軸」路線は失敗に帰すこととなろう。小沢氏のそうした党内事情への辛抱が限界に達した時、「壊し屋小沢」の本領発揮といことになるであろうし、たとえ氏の辛抱が続いたとしても、それはそれでその分だけ党内融和の結果「小沢色」が褪せるということになり、小沢民主党は世論の支持を失う。つまり、小沢氏にとっての正念場が、参院選よりも前にやってくる可能性も十分にあるわけで、そうなれば参院選が小沢氏のいうところの「天下分け目」にはならないかもしれないのだ。繰り返しになるが、普通に考えて民主に勝機のある選挙だ。現に、それを「天下分け目」と位置づける小沢氏は、50議席の獲得を目指すとしている。そのためには、ポスト小泉が誰になろうとも、来年の常会をできる限り世論を満足させるかたちで乗り気らねばなるまいし、郵政造反派との連携などという到底世論を支持を得られそうにも無いくだらない数合わせの小細工をペラペラと国民の目の前で口にせぬことだ。

小沢氏は「天下分け目」といい、中曽根大勲位は、日本の政治史上のポイントになる可能性があるという、来年の参院選。大勲位の言う「政治史上」が何を意味するのか筆者のうかがいしるところではないが、果たして小沢氏のいうところの「天下分け目」となるのだろうか。民主党にとって、また小沢氏にとっても、かりに50議席獲得の勝利をおさめたところで、「天下分け目」の「天下」が「政権取り」を意味するのであれば、そうそう簡単に政権への道筋が立つなどといことにはなるまい、と考えるのは筆者だけだろか。むしろ民主党の更なる凋落こそ更なる政界再編のために望ましいと考える筆者にとって、勝っても負けても小沢民主党が更なる苦難を抱え込むことを切に願うのである。堕ちよ民主党!

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日本人の国際(文化)交流への無理解と怠惰: 「卍」をめぐる阿波踊り協会の対応

2006年05月24日 | Weblog
どうやら国際交流、異文化間(あるいは国際文化)交流の何たるかをいまだ理解せぬ日本人が、少なくとも、徳島阿波踊り協会にはいらっしゃるらしい。

共同通信によれば、サッカーワールドカップを前に開催される国際交流事業の一環として披露する予定の阿波踊りで、「余計な摩擦」を回避するためナチスドイツのハーケンクロイツに似ている「卍」の衣装柄の使用をとりやめるとのこと。

過去にも外国でナチスとの関係を尋ねなれ説明をしたこともあるというが、過去に説明をして、なぜ今回はその労を惜しむのか。鉤十時と卍は、似てこそはいるが別物であるとなぜ説明せぬ。説明し、その違いを見せれば、別段なんら判別の困難なものでもあるまい。

開催場所がナチスの本家本元ドイツだからとの配慮かも知れぬが、ゆめゆめ忘れてはなるまい、あの鉤十時章を忌み嫌うのは、ドイツだけではないということを。今後また海外に阿波踊りを持っていけば、ドイツに限らず卍は質問の対象になり説明を求められよう。海外だけではない。日本が今後より多くの外国人観顧客を呼び込めば、阿波踊りは、そして「まんじ連」の卍模様は、より多くのナチスの鉤十字章を知る外国人の目にするところとなろう。

その時、徳島阿波踊り協会は、まんじ連は、「余計な摩擦」を回避するために、ドイツ以外の海外イベントでも、更には徳島を含めた日本国内でのイベントでも、卍文様の使用は控えるつもりなのか。まんじ連はまんじ連の名前を放棄し、改称するとでもいうのか。

海外であろうと国内であろうと国際的な誤解や摩擦を招く恐れのある卍を金輪際使用せぬというのならともかく、ドイツ国内だけではというのでは、何ともあきれた近視眼的な、しかも場当たり的にして姑息な対応ではないか。

そもそも何のための海外での阿波踊り紹介なのだ。日本の伝統文化である阿波踊りを広く外国にも知ってもらいたいという心からではないのか。阿波踊りに誇りあったればこそ、海外にもそれを紹介したいと思うのでないのか。であるならば、誤解を招く恐れがある、説明を要する、というだけの理由でそれを引っ込めてしまうというのは、誇るべき自分たちの文化を、自らの手で辱め歪める行為ではないのか。
何らの落ち度もないにもかかわらず、ただ起こりうるやもしれぬ誤解や文化摩擦を恐れあまりといのであれば、はなから海外に阿波踊りを持っていく必要などあるまい。

これも一つの異文化間交流なわけだが、誤解や摩擦、偏見を恐れて何が異文化間交流だ。日本食を見よ。寿司を見よ。いまでこそ世界のsushiだが、ローマは一日にしてならず、何十年も前に海外に進出を始めた当初は、生食さらには日本文化そのものへの偏見、無知と格闘しなくてはならなかった。食に対しては多種多様な嗜好があり、それに応えるべく、日本ではお目にかかれないようなものやも含めて、さまざまなsushiが生み出されてきた。生魚を使わず米国人のなか一部にはいまだ抵抗感の強い海苔を表ではなく内側で巻いたカリフォルニア・ロールなどその典型であろう。しかし、だからと言って海外のsushiが生魚を使うことを放棄したわけではない。むしろ逆に、現地の嗜好や食文化に配慮しながらも、職人たちの技とカウンター越しの客とのコミュニケーションを通して、生魚を用いる寿司は、元来生魚を食べつけない人々のなかにも浸透していき、今もマーケットを世界中に拡大中なのだ。(寿司の国際展開については松本紘宇『お寿司、地球を廻る』光文社新書 (2002年)を参照)

寿司にできたことがなぜ阿波踊りにできないというのか。いや寿司のsushiになる努力をなぜ阿波踊りは惜しむというのか。確かに寿司には健康食ブームという追い風があった。阿波踊りにそれはない。ただしその一方で、阿波踊りには、寿司が直面したような偏見という壁もない。卍の問題は偏見云々の類とは次元をことにする。鉤十字との類似性ゆえに誤解の「恐れ」があるというに過ぎない。方法を考え説明を加えればそれを回避することは不可能ではないはずだ。

卍は日本のみならずアジアの伝統であり、宗教文化の一部である。それが鉤十字に似ているということで誤解を受ければ説明をすればよい。我々には口がある。語るべき言葉があるのだ。誤解を予見するのであれば前もって広報活動を通して説明に努めればよい。説明にもかかわらず糾弾を受ければ、更に説明を加えればよいのだし、糾弾、非難が誤解を超え偏見に発するものであれば、堂々それを非難し、自らの文化伝統の防衛に努めるべきではないのか。

こうした覚悟なしに、軽々しく国際文化交流というなかれ、国際化などとのたまうなかれ、だ。何も海外で踊らずとも、徳島の田舎でこじんまりと踊っているのが分相応というものだ。

国際文化交流と国際化は別ではないかと訝る向きもあるかもしれんが、別儀ではない。いや、別儀ではありえないのだ。国際化とは決して定義付けの容易な言葉ではなく、一言で形容できるものでもあるまい。だが、筆者は国境を超え、人、モノ、カネのみならず有形無形の文化が行き交う様は、まさに国際化という言葉が指し示す一つの現象であると考える。つまり、「日本の国際化」と言った場合、それは我が国が外からの「流れ」を一方的に受容する側に立つわけではなく、意図的かそうでないかにかかわらず、我が国からも「流れ」ができるのである。そして内と外で多様な文化、伝統、価値観、行動様式が遭遇する。異質なものがそのまま受容されることもあれば、変容を遂げて初めて受容されることもあろう。あるいは結局は拒絶されてしまうかもしれない。受容されるようになるにしても、そこに至るまでの過程には軋轢や摩擦も生じよう。

国際文化交流にしろ、国際化にしろ、そのプロセスにおける軋轢や摩擦を克服するためには、どうしたら良いのか。端的に言って、今回の徳島阿波踊り協会のような安易な妥協、その場しのぎ的な対応が一番いけない。「郷に入らば」と言う。確かにそうなのだ。海外に暮らしてみて、その必要性は実感する。ただ、須く何事も「郷に入らば」でやっていけるものでもない。もしそうするのだとすればそれは一方の他方への完全なる「同化」を意味するが、ヒトというものはそれほど単純に割り切れるものではない。であるからこそ、筆者が現在暮らす米国は、移民国家として絶えず異質なるもの(者、物)との受容(共存、融合)、拒絶、同化をめぐり、絶えず、現在只今も、格闘しているのである。であるからこそ、受け入れられる立場にある者たち、言い方を変えれば異質な新参者たちは、さまざまな手段でもって自分自身を知らしめ、理解と共存の道を模索するのだ。そしてそのさまざまな手段の一つが、相手と言葉をもって対話をすることに他ならない。言語や視覚をもって訴えることによる伝達の重要性は何も移民社会米国に限った話ではなく、米国よりも更に多様である国際社会においても同様ではないのか。その部分でも努力をせずして、安易に妥協したり、無反応であったり、あるいは、今回のように相手の耳目に触れぬようその場しのぎでひっこめてしまえば良いといのでは、国際交流をはかろうとするうえで、あまりにも拙いやり方である。主張をしあえば衝突も起こりうる。ただ、その結果が永遠の蟠りや反目、憎悪であると悲観的になってはいけない。むしろそうした臆病な恐れは国際交流においては禁物である。ヒトは感情の生き物であるから、無論相手を刺激したり、不快にさせぬよう言い回しや言葉の選択には細心であるべきだが、そうした点を考慮しつつ相手に自らを理解させるという工夫、努力を惜しんではならない。もしそれを厭うのであれば、その時点で「国際化」とか「国際交流」などというものから潔く身を引くべきなのだ。

国際的な接触、交流において、妥協など一切不要であるなどと言うつもりはない。妥協の必要性、不可避性は外交交渉にその好例を見出すことができよう。しかし、忘れてはならないのは、外交における妥協は、交渉という過程を経て形成された結果であり、通常それは交渉者間で相互的におこなわれるものだ。今回のように対話や説明を尽くさずしてなされた妥協とは同質のものではないのだ。

我が国はこれまでにも、安易な妥協をしたがために外交面において本来する必要のに失点をたびたびしてきた。その一つが昭和57年の教科書問題であり、平成5年の従軍慰安婦に関する河野洋平官房長官談話である。前者は、誤報から生じたものであるにもかかわらず、政府は歴史教科書の検定基準として「近隣諸国条項」などというばかげたものをもって安易に事態の収束を図ってしまった。ことに際して毅然たる態度を取らなかったばかりに、日本国内はいざ知らず海外では、教科書の書き換え(=歴史の歪曲)はあったとの認識がアジア研究者の間にもいまだ根づよく残っている。後者もついても、確たる史料的裏付けもないままに官憲の「強制連行」への関与を認めてしまったがために、いまだそれが史実としてまかり通っているという有様だ。

国外にあって、主張をする、対話を重ねる、説明をするという行為の重要性を理解せぬか、理解しながらもそれをせぬ日本人の国際交流なるものへの無理解と怠惰、そして意気地の無さにはうんざりさせられるのは、今回に限ったことではない。

徳島阿波踊り協会の皆様、阿波踊りは「腰を落として」踊るのであって、「腰が引けて」は踊れますまい。ドイツをはじめ海外に行かれるのは結構だが、くれぐれも文字通りの「踊る(だけでもの言えぬ)阿呆」に成り下がりませぬように。
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週末のホームパーティー

2006年05月22日 | Weblog
昨晩(5月20日)、知り合いを呼んでホームパーティーを開いた。2月末の長男の誕生パーティー以来のことである。

大人と子供あわせて18人ほど。幸い我が家はキッチン、ダイニング、リビングが扉も敷居もなしに一続きになっているので(といっても米国の住宅デザインではごく一般的なのだが)、18人くらい招待してもスペース的な問題はない。おまけに玄関を入るとすぐ両横は、向かって右にはフレンチ・ドアと呼ばれる扉を隔てて我が書斎、左にそのまま扉もない客用ダイニングスペースなのだが、子供のテレビ・ビデオとして使用している部屋があるので、子供たちはそこで飲み食いし、遊ばせておくこともできる。

一寸想定外だったのは、食事。飲み物は十分に用意してあったので足りたのだが、食事のほうがあやうく付きかけてしまいそうになった。というか、デザート類を除いてほとんど尽きてしまったのだ。長男の誕生パーティーの時、やはり同じくらいの人数を招待したのだが、結構食べ物が余り、持って帰ってもらった。ところが、今回は持って帰ってもらうほど何も残らなかったのだ。

用意した食事は以下の通り。
オードブル
 デビルド・エッグ
 ホタテのベーコン巻き
 ミニ春巻き
 クラッカーとディップソース
シフードサラダ
主菜
 鮭寿司
 エビフライ
 カツの卵とじ煮
 焼きそば(TVで見た細木流)
 ミートローフ
 ピザ(米国サイズでExtra Large2枚)

果物

それぞれ、かなりの量用意したし、サラダやデザート類を持ってきてくれた人もいたのだが、散会時には、シーフードサラダが、しかも2杯目が、わずかに残るのみであった。この前よりも、男性が多かったからかもしれない。それはそれで良いことなのだが、やっぱ人を招いた立場として、用意した食べ物がギリギリってのは、一寸みっともない。ある程度残るように作るのが良いと筆者は思うのだが・・。

食べ物が思いのほかになくなった原因の一つに、2歳の次男がピザを4,5枚食べたせいもあるかもしれない。

も一つの誤算は、ミートローフ。米国人は、牛肉が合いびき肉にアップルソースあるいはトマトソースを一緒に練りこんだりするが、筆者はデミグラスソースを練り込む。いつもなら、肉を練って器に入れて即オーブンに入れるのだが、今回は朝方に器に入れ、冷蔵庫に入れておいたのだ。どうもそれがまずかったらしい。人手で練られた直後と冷蔵庫で半日冷やされたものとでは、肉の温度が違う。今回はいつもより器が大きめなので、調理時間を長く見込んでおいたのだが、この肉の温度差を読み込んでいなかったがために、オーブンから取り出し、15分ほどおいてナイフを入れてみると、内側が・・・。一寸チンして事なきを得たが、いささか残念なできになってしまった。

我ながら満足したのは、サラダのドレッシング。今回は、たまねぎ、にんにく、キャノーラオイル、塩、あら引き黒胡椒、白ワイン、酢そしてアップルソースをミキサーにかけて三日寝かしたもの。これがアップルサイダービネガーでは、そこはこかとない甘みが出ないのだ。毎回微妙に材料を変えるので、寝かした結果どんな味になるかは、分からない。今回のは大ぶりで甘みのある蒸したホタテとワカメによくあったと自負しているのだが、何分にも味覚は人それぞれなので。

といわけで、6時半頃から人が集まりだし、11時過ぎに散会。飲み残したワインを飲みながら「チャングム」を見ようと思ってカウチに横になったら、そのまま寝入ってしまった。

皆様、我が賎家におこしくださいまして有難うございました。
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靖国考 その2: 靖国問題の解決策 (1)

2006年05月19日 | Weblog
「靖国問題」の歴史は長い。何も小泉政権になって突如として現出した問題といわけではない。既に戦後独立を回復してまもない頃から、戦前は国の管理下にあり戦後は宗教法人となった靖国神社は、国内における論争の一テーマであり続けてきた。それが外交問題としての側面をも持つようになったのは、昭和60年の中曽根大勲位によるいわゆる「公式」参拝を契機としてである。

そうした歴史はさておき、靖国に関する問題の諸側面について雑感ならびに解決策について論じてみたいが、その前に改めて筆者の靖国問題に対する立場を述べておきたいと思う。筆者は、「靖国考 その一」の冒頭で述べたように、大いに不満とするところはあるものの、小泉首相による靖国参拝を支持し、できれば小泉退陣後の後継首相にも中曽根大勲位までの戦後の歴代総理がそうであったように、参拝を続けていただきたいと考える。更に欲を言うならば、実に恐れ多いことではあるが、天皇陛下には、昭和50年11月をもって途絶えて久しい御親拝を是非とも復活していただきたいと、祈念するしだいである。言うなれば、筆者は、天皇陛下ならびに内閣総理大臣による靖国参拝を”せめて”昭和50年以前の状態に戻すことができればと願っている。

靖国神社は、明治2年明治天皇の大御心をもって東京招魂社として建立され、同12年に同帝の御命名による「靖国」へと改称を経て今日に至る。今日までに幕末維新の動乱このかた我が国のために尊い生命を捧げられた方々246万余柱を英霊として合祀している。

天寿を全うせず人が命を落とすことは悲しいことである。しかし、死の悲しみをもってして、殉国という行為が全面否定されるべきではあるまい。また、たとえ武運拙く敗れた戦だとして、それによって英霊の英霊たる所以が否定されるべきでもあるまい。国民として、自らが属する国家への忠誠と義務の履行は当然のことであり、国の主権者の一人であれば、それは尚更のことであるはずだ。自国への忠責を果たせずして、何が国民か、主権者か。「日本国」という国家のためにはできぬというのであれば、現行憲法なり国籍法が個人の自由意志による国籍の離脱・変更を禁ずるものではない以上、日本国籍を捨て、他国の国民としてせいぜいその国に尽くせば良いではないか。「地球市民」というのであれば、それも自由だが、それは「地球市民」というアイデンティティーを法的に許容し居住を許可す国があればの話であろう。少なくとも、日本国はその類ではない。「地球市民」を標榜しながらも、好むと好まざるとに拘らず日本国籍を有し日本国の主権の一翼を担う立場に自らの身を置くのであれば、やはり所属する国家への忠責は果たしてもらわねば筋が通るまい。

国家への「忠誠」という言葉に抵抗感を感ずるとすれば、それこそまさに「戦後教育」の所産という他ない。さもなくば、「忠誠」という言葉の語義に疎いが故か、はたまた「国家」という存在自体を何らかの理由で否定的、拒絶的に見るが故ではあるまいか。さもなければ、「先の大戦」での敗戦のトラウマか。もしそうだとしたら、たかだか一回の敗戦なのに情けないことである。「忠誠」をなす二字、「忠」と「誠」ともに、まこと、あるいは真心という意味においてほぼ同義である。「忠」の字が必ずしも「君」の字を伴わなければならないというわけでもなく、真心を尽くす対象が、君主ではなく、それ以外の人、団体、集団でも良いのだ。すなわち、民主国家あるいは国民主権国家における国家への忠誠とは、そこで共に暮らし、共に主権者として国家を営んでいく同胞、ならびに同胞の集団によってなる社会、国家に対して、誠心誠意の姿勢で臨むということであるのだ。国民が相互に忠誠を誓い果たすことによって、国家はその統合と存続が保たれ、その更なる発展が期待できるというものではなかろうか。更に言えば、国家への忠誠とは、思いのうちに留まらず、それが何らかの責務の遂行という形で行為として発露されることが望ましい。

できれば回避すべき事態であり、そのためにも国家指導者は最大限の努力をすべきではあるが、国民は、祖国のためにやむを得ず自らの命を賭すという事態に立ち至る場合もあることを、「想定内」のこととして覚悟しておく必要があろう。そして、もし同胞が国家のために、すなわち我々のために、その尊い命を犠牲にした時、我々はその人にどのように報いるべきなのかという点について考えてみる必要がある。残された遺族への経済的なものも含めた支援・保護といった対応や心配りは勿論のこと、国家のために散華した同胞なり先人を追悼、顕彰し続けることは、場合によっては命を賭してまでも互いに守りあう、またそうすることでこれまで守られてきた「日本国」という共同体の構成員として当然のことではあるまいか。自己犠牲という究極のかたちでの国家への忠誠を貫いた先祖、同胞に対して敬意や感謝の意を表すことを拒否する国家があったとしたら、いや、拒否どころかそうした発想すらない国家があったとしたら、一体その国民の誰が祖国の存続と更なる繁栄ために誠心誠意に尽くそうとするだろうか。一旦緩急の事態となっても、自己防衛に我が身を呈する意思すら持たない国民からなる国家が、いかに恒久的な国際平和を希求すると高らかに宣言したところで、他国は眉に唾するか、一笑にふすのみであろう。自己犠牲という究極の国家への忠誠を想定できない国家とは、国家としての存続意識が希薄か、なにがしのおかしな理想論か観念論に思考を蝕まれ、自己防衛といものに対してリアリティーをもって発想することができない国家ではあるまいか。滅びることをレーゾン・デトールとして存在する個人や国家など、一般論として、この世に存在しないはずである。であればこそ、国家ならびに国民は、自らの血をもってする究極の手段による国家の存続維持を、好むと好まざるとに拘らず、現実世界において起こりうることとして想定、覚悟しておく必要があろう。

亡くなった者を悼むという行為は、人としての自然な感情および行為であるはずだ。それが血の繋がった家族や、血の繋がりは無くとも何かの縁で人生の幾許かを共にした相手であれば、尚更のことであろう。人によっては、国家に殉じた者への追悼は各個人が心のうちに行えばよいことであり、国家としておこなわなければならないというものではない、と考えるのかもしれない。これに対して、筆者は次のように考える。昨年数十万部売れたという高橋哲哉氏の『靖国問題』。いずれ具体的に触れたいと思うが、高橋氏と筆者では靖国問題への考え方は180度違う。しかしながら、家族という集団が存在する以上、追悼という行為が端から純粋に個人的な行為ではありえず、またそうした集団性を否定すべき理由もないとする氏の考えについては、筆者はこれを支持する。(高橋、p. 210)また、国民が国家のために尊い命を犠牲にするという事態は、通常国策遂行の過程において発生する。であるならば、国家として決定した国策において生じた犠牲を国家が追悼せずしてどうするというのか。国民の集合体たる国家がそのために殉じた者への追悼行為を放棄したすれば、同胞を人身御供にしても一顧だにせぬ「人でなし国家」のそしりは免れまいし、国民が主権者たる日本国が国民主権の下で決せられた国策の犠牲者への追悼行為を放棄したとすれば、「無責任者」の集団からなる「無責任国家」とのそしりもまた免れまい。

加えて、国家による殉国者への追悼行為は可視性を要する。人は、シンボルのように可視的なものを求める傾向にある。我が国における一般的な先祖供養のあり方など、まさにその好例ではないだろか。我が国の家庭の多くは、仏式により先祖・家族を弔い供養する。ただそれは家族各々の心の内にのみなされる行為ではなく、仏壇や墓、あるいは遺影といった可視的なものを以ってもなされる。少なくとも我が国の伝統的な追悼行為が可視性を伴い、それが今日も一般的に行われているのであれば、日本国という国家としての殉国者への追悼行為も、何らかの可視的なそれも墓のように(半)恒久的なものを設けることは、社会通念上からみても何らおかしなことではない。

更に筆者は考える。国家による殉国者の追悼は、総理大臣の手によるものだけではなく、やはり、天皇陛下に行っていただかなければなるまい。総理は国策の最高決定機関の長ではあるが、所詮三権の長の一人に過ぎない。それに対して、天皇陛下は、日本国憲法の規定することろの国家・国民の統合の象徴である。国家による追悼行為において陛下のお姿が無いというのは、それこそ奇異なことではあるまいか。同時に、追悼行為と同様に、忠誠の対象たる国家にも可視性が与えられるべきであり、それを体現されるのが象徴たる天皇陛下であるとしても、これまた何ら奇異とすべきことではないはずだ。

戦前の日本では、靖国神社が陸海軍省の管轄の下でその役割を担ってきたが、戦後の日本には、国家として殉国者を追悼する行為なり、施設が存在しない。確かに、昭和34年国によって建設された千鳥ヶ淵戦没者墓苑があるが、埋葬されているのは太平洋戦戦争の戦没者約35万柱分の遺骨のみである。少なくとも近代以降において、我が国が経験した戦いは太平洋戦争だけではないのだから、千鳥が淵で事足りるということにはなるまい。これに対して靖国は奇術のように、広く幕末以来の殉国者246余万柱の英霊をまつり、それだけではなく今後何らかの形で国に殉じた人をも祀ることを想定している。

であれば、靖国こそ(だけとは筆者は言わない!)首相さらには国家・国民の統合の象徴たる天皇陛下に靖国に参拝していただくべき追悼施設として最も相応しいと、筆者は個人的に考えるのだ。昭和天皇や吉田茂に始まり中曽根にいたるほとんどの歴代首相(吉田以降では、鳩山、石橋、そして姑息極まりない「私人」参拝を行った「バルカン政治家」三木武夫を除く)も、そのような考えであったればこそ、靖国に参拝されたのではなかったのか。

しかしながら、靖国神社を国家追悼施設として認定するには、既に周知のことではあるが、大きな問題があるのだ。

続く。

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靖国考 その1: 米国と靖国 (3)

2006年05月18日 | Weblog
閑話休題。ハルピン氏の「反日」講演から話が、ICASに脱線してしまった。

さて、その「反日」講演であるが、原稿にして30頁に及ぶ。内容は文字通り「反日」歴史認識のオンパレードである。「反日」が曖昧で不適切な言葉であるというのであれば、東京裁判史観あるいは「日本悪玉論」そのものとでも言っておこうか。太平洋戦争(大東亜戦争)における日本軍の残虐行為はじめ「悪行」、「蛮行」の羅列である。加えて、戦場になったかあるいは日本軍の占領下に置かれたアジア諸国と米国が同じ歴史認識を共有しているかのような物言いなのである。

ハルピン氏の対日批判の矛先は、単に歴史認識問題にとどまらない。氏は、昨年国会で可決され来年から「みどりの日」にかわる「昭和の日」(4月29日)をも批判する。しかしながら、その論拠とするところは実にお粗末の限りといわざるを得ない。「昭和の日」制定に対してシカゴに暮らす氏の年配の親類がえらくご立腹だという。続けて、ドイツ下院がいまだかつて「カイザーヴィルヘルム2世の日」などというものを制定しようとしたことがあったか、と問いかける。歴史認識問題においてドイツとの比較をもち出すのは内外の対日批判派の常套手段であるが、ここで第二次ではなく第一次大戦のドイツ指導者を持ち出すことに何の意味があるのだろうか。どうやら氏は、第一次大戦勃発の戦争責任をドイツに帰したい御仁らしく、ヴィルヘルム2世と対比させることで同じく開戦ないしは戦争責任のある昭和天皇を顕彰する祝日が制定されたことを批判したいようなのだ。事実、氏は、その前段で、次のように述べている。

It seems clear that President Roosevelt assumed the Emperor had some culpability for the event at Pearl Harbor..

ところが、この文章が"It seems"で始まっているように、ここで氏は昭和天皇の「責任」というものを確たる史料ないし証拠をもって証明しているわけではない。せめてハーバート・ビックスの『昭和天皇』でも参照して欲しかったところだが、推論をあたかも実証したかのように断定系で論じ、史料の驚天動地的読み替えをやってのけたビックス氏に比べれば、おそらくプロの歴史家ではないハルピン氏の推論的昭和天皇の戦争責任論は、まだ許されるべきかもしれない。だが、いずれにせよ、お粗末な立論による「昭和の日」批判であることにかわりはない。(ちなみに、アメリカ人研究者による昭和天皇研究に関しては、筆者は、ビックス氏ではなくピーター・ウェッツラー氏の研究成果を押したいのだが、米国でも日本でもビックス氏の方が注目を集めるのには理解に苦しむ。ウェッツラー氏の史料への取り組み姿勢は、ビックス氏の「禁じ手」や『敗戦を抱きしめて』におけるジョン・ダワー氏の昭和天皇に関する論考の杜撰さに比べれば、実証史学の「王道」というべきものである。)

ICASによるハルピン氏の経歴を見る限りでは知る由もないが、氏が歴史学といものに関して素人であることはまず間違いあるまい。事実、上述の昭和天皇の責任論のみならず、氏の議論には論証という点で稚拙さが目立つ。より正確に言うならば、依拠すべき史料の選定に問題があるのだ。例えば、シンガポール攻略後の日本軍の占領について、リー・クワンユー氏の証言をもって、その過酷さを描いてみせようとしているが、はたしてそれが適当な史料と言えるのであろうか。筆者は、経験談ないしは証言というものの史料的価値を完全に否定するつもりなどない。ただ、リー氏は日本が満州事変以来敵対関係にあった中国に由来も持つ華僑であるだけでなく、危うく日本軍の「華僑狩り」の犠牲者になりそうになるという経験の持ち主でもあり(筆者の記憶では、日本軍のトラックから隙を見て飛び降りて難を逃れたはずである)、普通に考えて、日本軍または日本に対する良いイメージを持っていようはずもあるまい。事実、氏は首相時代に日本をしてアル中患者呼ばわりしている。一国の指導者が他国をして「アル中」呼ばわりするなどということは、尋常ではあるまい。こうした体験、対日観を持つ人物の証言である。そこにネガティブな感情によって歪められた事実以上の誇張なり脚色が、意図的ありは無意識に、織り込まれているとしても不思議ではあるまい。さらに重要なことは、過去に関する証言とは個人の記憶に100%依存したものであり、ここに、年月を経た結果記憶ちがいなどが生じるとい、当事者・目撃者証言の史料としての危うさがあるのだ。ハルピン氏もそのことを知らぬではあるまい。経験者が言っているのだから真実であるとか、被害者が言っているのだから疑う余地などないといった主張は所謂「従軍慰安婦」問題などでよく耳目にするところではあるが、そのような強弁がまかり通ってはたまったものではない。しかも、ハルピン氏の場合は、たった一人の華僑の証言のみをもって、である。リー・クワンユーという名前を持ち出すことで信憑性を持たせようとしたとすれば、それは邪道以外の何ものでもない。

ハルピン氏の論証の危うさは、所謂「南京事件」ないし「南京大虐殺」に関する参考文献によっても如実に示されている。氏は驚くべきことに、故アイリス・チャン氏のベストセラーであるThe Rape of Nankingを参考資料としても用いているのだ。この作品をめぐっては、日本国内において、虐殺肯定派、否定派の双方から、事実誤認など内容の杜撰さが指摘され、結局それに対する対応をめぐって出版社側(柏書房)とチャン氏が対立し、日本語版の出版が挫折したという経緯もある。アメリカの歴史学者一部からも批判の声が上がり、アメリカアジア学会(Association for Asian Stdies)でも、その評価をめぐり若干の論争があった。ハルピン氏がそうした事実を知っていてこの作品を参考資料に選んだかどうかは知る由もないが、プロの歴史家であれば普通二次資料として参照することに躊躇するであろう。素人ゆえに、プロによる批判や論争があったことをご存知ないのであろ。でなければ、氏自身が高校生の時に広島に関する著作を読んだように、日本の高校生たちもチャンの著作を読むべきだなどという「冗談」は言うまい。

更に驚くことは、ハルピン氏にとって、ナチスドイツのユダヤ人迫害に関する著作と同様、南京事件に関する著作への批判は、あるまじき行為であるらしい。チャン氏が生前に当時の斉藤邦彦駐米大使と行ったTV討論を北京で見たハリピン氏は、中国系アメリカ人の友人が怒りに震えながら口にした言葉を次のように引用する。

Would the German Ambssador to Washington ever dare to criticize a Jewish writer who published work on the Holocaust?

実に無意味な引用である。筆者は、ユダヤ人によるホロコーストに関する著作についてドイツ(駐イスラエル?)大使が批判したという事実の有無を知らないが、一体どしたらその有無が、斉藤氏のチャン氏への批判を不当なものとする論拠になりえるというのか。もしなりえるとすれば、それはホロコースト同様、南京大虐殺がチャン氏の主張する通りの史実であるという時のみであろう。ホロコーストであろうと、南京であろうと、何であろうと、著作の中に事実に反する記述があれば、批判されてしかるべきであるし、そうした批判は言論の自由として、当時ハルピン氏や友人がいた中国ならいざ知らず、彼らの祖国米国では保障されているはずの権利だ。それとも、ハルピン氏は、ホロコーストと南京事件への批判に関しては、そうした自由の埒外とでも考えているのであろうか。

これ以上ハルピン氏を批判することは、「水に落ちた犬叩く」に等しい所業とのそしりを覚悟で、もうあと二点しておきたい。

氏の認識では、日本の韓国併合は、”one of the world's most brutal colonial experiences”だそうだが、”most brutal”という他との相対比較を意味する言葉を使う以上、その根拠とするところを具体的に他国との比較で例示すべきではないのか。感じた、思ったの類の言い放ちなら小学生でもできる。

原爆投下に関するハルピン氏の認識に、特筆すべきものはない。トルーマンの決断は、沖縄戦で日米双方は出した多数の犠牲者数を前に、やむ終えない選択であり、その結果戦争は早期に終結し多くの日米両国民の命が救われたとする。そして、それもこれも、真珠湾への奇襲攻撃とそれを決断した東条をはじめとする指導者たちに責任があるのだ、という。だが、ハルピン氏はご存知ないのか、戦時国際法違反のパールハーバー奇襲が同じく戦時国際法違反の原爆投下を正当化するものではないことを。

ハルピン氏は、この講演の最後を再び頼まれたわけでもなかろうにアジア諸国の全国民を代弁した後で、次のようにしめくくっている。

I can say that venerating Tojo is offensive to Jack Lannan, 88, of Des Plaines, Illinois, a World War II veteran of the Pacific and my uncle; it is offensive to Tom Foley, 80, of Glenview, Illinois, a World War II veteran of the Pacific and my uncle; it is offensive to Ed Halpin, 95, of Park Ridge, Illinois, a World War II veteran of the Atlantic and my uncle; and it is offensive to Tom Halpin, 87, of Glenview, Illinois, another World War II veteran of the Atlantic and my father. Both Ed and Tom lost their brother, Nick, prematurely from a disease he contracted while fighting in the Pacific War. Thus, my father's and my uncles' message is simple and direct to anyone willing to listen in Tokyo: "Don't bow before the convicted war criminal Hideki Tojo. We will remember Pearl Harbor even if some Americans have historic amnesia." To conclude with a quote from the title of Senator Obama's autobiography, this paper, in reality, represents dreams from my father. Thank you.

以上が、「歴史認識問題」を扱いながら、かえってハルピン氏の歴史学への疎さと歴史認識のつたなさを存分に露呈した講演である。

ハルピン氏の歴史素人ぶりもさることながら、靖国に”spiritual tablets”があるなどとのたまう御仁に、そもそも靖国をとやかく言う資格があるのだろうか。

こうした内容を含んだ報告書が提出された後に、ハイド氏の一連の行動が続いている。これは偶然なのだろか。実は、ハイド氏とハルピン氏の靖国をめぐる言動には類似性がある。ハルピン氏は決して靖国神社というものを全面的に否定しているわけではない。しかし、首相をはじめとする政府関係者により繰り返される靖国神社参拝を批判し、もし靖国がアーリントン墓地のような戦没者のための国家追悼施設であらんとするのであれば、「A級戦犯」の”spiritual tablets (位牌?)”を、排除(remove)すべきであることを主張した後、次のように続ける。

Otherwise, such acts of veneration will continue to disturb the tranquility of the Chinese people, the Korean people, the Philippine people, the Singaporean people, the people of Hong Kong, and the Indonesian people. (www.icasinc.org/2005/2005s/2005sdph.html )

前述したようにあたかも上記抜粋に見えるの国々の全国民が「A級戦犯」を合祀する靖国神社への、首相らの参拝に反発してるかのようなものいいなのだが、これは、昨年10月にハイド氏が加藤良三駐米大使に宛てた書簡にも共通して見られるのだ。

また筆者は、ハルピン氏の上述「反日」講演が行われた場所が、下院議員のオフィスが入るRayburn House Office Building(連邦議会議事堂のすぐそばに位置する)であったことにも注目したい。そこにはハイド氏のオフィスもある。これはあくまでも憶測の粋を出るものではないが、その場所が選ばれたのは、ハルピン氏に影響を受けたハイド氏が、あるいはハイド氏がハルピン氏を使って、議会・政府関係者の前で日本の「過去」への対応を批判することで、彼らに靖国問題に関する小泉政権への圧力を促そうとの思惑があってのことではなかったのだろうか。

米国内において「歴史認識問題」や「靖国問題」をめぐり日本に批判的な考えを持つのがハイド氏やハルピン氏だけとゆめゆめ誤解してはけない。というのは、ハルピン氏の歴史認識が米国内において決して特異なものではないという事実があるからだ。太平洋戦争をめぐっては、「米国=善玉」、「日本=悪玉」の図式はいまだ根づよく、学校教育の場においてそれが再生産され続けているのがおおよその現状である。日米関係史などの分野での研究の蓄積により解釈の多様化が進んでいるとはいうものの、その影響力は限定的である。日本を含めたアジア史の分野では、例えば南京事件などになると、既に固定観念のようなものが出来上がってしまっていて、修正主義的な解釈に対しては、特にそれが日本人研究者によるものであれば、「右翼」、「国粋主義」のレッテルを問答無用に貼る傾向すらあるのだ。

ただ、忘れてはならないことがある。まず、米国の一部が日中韓に摩擦を懸念しその原因を靖国問題と考えるのは、ただ単に彼らの歴史認識や対日感情ゆえというだけではなく、それらの東アジア国家が互いに対立しあうことが、米国の国益に反すると考えているからでもある、ということである。加えて、靖国や歴史問題で、日米間に不協和音が生じるような事態になった時、ほくそえむのは、日米いずれでもないということである。このことは、ハイド氏の加藤大使への書簡にも示唆されているように思われる。

我が国のそれとは必ずしも相容れない歴史認識をもつ米国が、あるいは既に靖国問題をめぐって険悪化する日中、日韓関係に対して懸念を示している米国政府が、靖国問題に介入してきた場合、我が国はどう対応するつもりなのだろうか。小泉政権は、米国に対しても、中韓と同様の姿勢で臨むののであろうか、それとも・・・。
来月に予定されている小泉首相の訪米が、一つの焦点になるのかもしれない。



追記
筆者にとっては、ハルビン氏とICASとの関係、ICASと韓国国内とのつながりの有無も気になるところではある。







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靖国考 その1: 米国と靖国 (2)

2006年05月17日 | Weblog

ある人物とは、下院外交委員会スタッフのデニス・ハルピン(Dennis Halpin)氏である。下院における東アジア問題通、特に韓国通、である氏の経歴については、www.icasinc.org/bios/halpin.html に詳しい。

このハルピン氏の対日姿勢、歴史認識をめぐっては随分と厳しいのだ。2004年2月10日、ジョンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins University)での”The Japanese Abduction Issue:A Tale of Two Cities: Seoul and Tokyo’s Contrasting Approaches”と題するICAS(Institute of Corean-American Studies)主催の講演の中で、靖国神社の遊就館に関して次のような批判をしている。

A colleague and I were disturbed when we visited the Yasukuni Shrine in Tokyo and the adjacent museum dedicated to the Pacific War. The museum痴 explanation given for the Nanjing Massacre was especially disquieting. It states: "Matsui (the Japanese commander) told them that they were to observe military rules to the letter and that anyone committing unlawful acts would be severely punished...The Chinese were soundly defeated, suffering heavy casualties. Inside the city, residents were once again able to live their lives in peace." At least three hundred thousand of the Chinese civilians in Nanjing, of course, did find eternal peace after by being butchered by swords, rifles, and bayonets. (www.icasinc.org/2004/2004w/<WBR>2004wdph.html

このような靖国観と歴史認識をお持ちの御仁なのである(笑)。特に”At least three hundred thousand”には・・・。

氏は更に、昨年5月19日にも、ワシントンDCにおける同じくICAS主催で、”The Sins of the Fathers: Japan's Usolved Historic Legacy Sixty Years After the War in the Pacific”と題する「反日」講演を行っている。(www.icasinc.org/2005/2005s/<WBR>2005sdph.html )(japanese.joins.com/article/<WBR>article.php?aid=63706&...&pn=16

ちなみに、ICAS(Institute for Corean-American Studies)とは、同研究所自身の説明によれば以下のような組織である。

Institute for Corean-American Studies (aka ICAS) was established in 1973. It is a non-profit, non-partisan, and private educational and research organization incorporated in the Commonwealth of Pennsylvania. ICAS is not an agent of any government and/or a foreign principal, and solely supported by voluntary contributions. Its activities and programs rely on the private donations of the general public, i.e., individuals, foundations, and corporations. Its purpose is to engage in wide range of issues and affairs of importance. ICAS promotes pertinent relations and conducts appropriate activities to enhance cooperation and to pursue peace and prosperity in association with people of mutual interests, with a special emphasis on multilateral relations between the United States and Asia-Pacific rim nations. Its membership includes individuals from varied sectors embracing academic, corporate, cultural, educational, international and other related fields. Presently, ICAS maintains a roster of eighty-four Fellows from around the world and cherishes a circle of friends of the Institute. All ICAS staff, officers and directors are non-paid volunteers. ICAS strives to provide public services pro bono publico. (www.icasinc.org/2003/2003b/<WBR>b030809a.html

運営スタッフについては、www.icasinc.org/2003/2003b/<WBR>b030809a.html にある。各人の経歴、国籍等については不明だが、一見して韓国系の名前が多い。ICASと大韓民国の間のなんらかの関係の有無についても、今のところ筆者の知るところではないが、興味の湧くところである。ICASの運営スタッフ(www.icasinc.org/2003/2003b/<WBR>b030809a.html )を逐一調べ上げていけば、そのあたりも見えてくるのかもしれない。

NPOというわけで、運営は”solely supported by voluntary contributions”とのことで、”voluntary contributions”を行っている組織、団体は以下の通りである。

ASEAN Focus Group
Pennsylvania-Russia Business Council
Philadelphia Bar Association
Philadelphia Bar Association International Law Committee
Project LINK
SEI Investments
United States House of Representatives
United States Institute of Peace
United States Senate
University of Pennsylvania Center for East Asian Studies
University of Pennsylvania The Christopher H Browne Center for International Politics
University of Pennsylvania The Huntsman Program in International Studies and Business
University of Pennsylvania The International Relations Program
University of Pennsylvania The Joseph H Lauder Institute of Management and International Studies

WEFA Group 

www.icasinc.org/2003/2003b/<WBR>b030809a.html

上記リストには米国上下両院も含まれているが、協賛・支援の具体的内容ならびにICASと米連邦議会の関わりあいについて、筆者は知らない。

続く

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 



 

 

 



 

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靖国考 その1: 米国と靖国 (1)

2006年05月16日 | Weblog

大いなる不満はあるものの、小泉首相の靖国神社参拝を支持する立場にあるということを表明したうえで、靖国問題について拙論を述べてみたいと思う。

米国下院外交委員長ヘンリー・ハイド氏が、小泉首相の靖国神社に対して再び批判的な行動に出た。 ヘンリ・-ハイド、イリノイ州第6選挙区選出の共和党の下院議員である。1974年に初当選して以来、11期連続当選の82歳。妊娠中絶に反対するなど、共和党のなかでも保守派に属し、モニカ・ルインスキーとクリントン大統領の不倫スキャンダルでは、自身過去に不倫経験があるにもかかわらず(笑)、議会による大統領譴責支持派の主導的な役割を演じたことでも知られている。今年11月の中間選挙で改選だが、既に引退を表明している。(www.house.gov/hyde )(en.wikipedia.org/wiki/Henry_Hyde

 このハイド氏、昨年10月20日付けで、加藤良三駐米大使宛てに小泉首相の靖国神社参拝に抗議する旨の書簡を送付した。この書簡の全文は明らかでないが、同月23日、インターネットサイトOne Free Korea (freekorea.blogspot.com/<WBR>2005_10_23_freekorea_archive.html )は、その内容(の一部?)を以下のように伝えている(入手経路は不明)。

"...I feel some regret over the continued visits of Japanese government officials to the Yasukuni Shrine in Tokyo," Hyde said in his letter. He sympathizes the pain of those who lost loved ones in the war, he said. "The Yasukuni Shrine, however, honors more than these persons," he argued. The shrine honors the memory of former prime minister Hideki Tojo and other convicted war criminals who ordered the unprovoked attack on Pearl Harbor, he said. "This attack then plunged the nations of the Asia-Pacific region into four years of total warfare." "The shrine, thus, has become a symbol throughout Asia and the rest of the world of unresolved history from the Second World War and of those militaristic attitudes which spawned the War in the Pacific," he continued. . . . "Charges were brought against individuals for 'crimes against peace, conventional war crimes, and crimes against humanity.' The defendants were found guilty. This was no more victor's justice than was the judgment at Nuremberg," wrote Hyde. "While the truth of what occurred in the Second World War must and will prevail, I am concerned that a renewed discussion of history at this critical juncture will distract nations in the region from carrying out a constructive dialogue on the issues at hand," he said. "Such a result will not serve the national interest of either of our nations."

要するに、ハイド氏は以下のように主張するのである。
1.
氏は、政府関係者が繰り返し永久戦犯を合祀する靖国神社に参拝することを遺憾とする
2.靖国神社は、アジア全体のみならず全世界において、未解決の歴史問題と軍 
国主義の象徴である。
3.東京裁判はニュールンベルグ裁判同様、正当な裁判であった。
4.上記裁判における歴史問題を再び持ち出すことは、アジア諸国間の建設的対話を阻害し、それは  
日米両国の利益にならないであろう。

しかしながら、ハイド氏の靖国問題等をめぐる認識には以下のような若干の問題が含まれている。
1.アジア全体更には世界中が靖国神社における所謂「A級戦犯」の合祀を問題視している、というの
は誤解、さもなくばあまりにもあからさまな誇張である。
2.「A級戦犯」は「人道に対する罪」では有罪とはなっていない。
3.「正当な裁判」であるはずの東京裁判において、法的なものも含めた過誤が存在した。例えば、事後      
   法が適応されたり、文官である広田弘毅の経歴に公判の過程で「軍事参議官」が加えられたことや、国際法違反の「戦犯国」であるソ連の代表が裁判官席の一つを占めたこと。更にいうなれば、「勝者」が「敗者」を裁くことに国際法的根拠の脆弱性が指摘されねばならまい。日本が受諾したポツダム宣言も、戦勝国が裁くとは、一言も言っていない。
4.近年第二次大戦に関わる歴史問題を惹起したのは、日本ではなく、むしろ小泉首相の靖国神社参拝に口を挟み、外交問題化させた「一部」のアジア近隣諸国ではないのか、という反論も可能であろ   
う。見解の相違と言えばそれまでだが、ハイド氏の見方は余りにも一歩的な断じ方であり、「アジア 
諸国との建設的対話を阻害」というのも、上記2)の「アジア全体」同様、誇張のきらいがある。
  
5.小泉首相が「私的参拝」と言っている以上、ハイド氏の批判は、首相の信教の自由を否定するもの、あるいは政治的見地による信教の自由への介入であること。ましてや、米国の政治家であるハイド氏が、他国の信教の自由へ政治介入することは、政教分離に矛盾する以前に、内政干渉である。

ちなみにこの書簡に関する報道に接して筆者は、すぐさまハイド氏に対して、上記反論を含めた書簡を送ったのだが、氏自身からはおろか関係者からも何の反応が無く、完全に無視されてしまった。下院の重鎮が筆者のようなどこの馬の骨とも知れぬ外国人の書簡に一々反応するわけもないのが当然と言えば当然かもしれない。一方、911発生直後ブッシュ大統領初め政府指導者が「パールハーバー」を繰り返すのに辟易して抗議の書簡をホワイトハウスに送った際には、大統領スタッフから結構長文のメール返信があった。

筆者は、ハイド氏をして米政界における「反日」人士の一人と断定するだけの確証を得ていない。氏は、米朝関係正常化は拉致問題の解決を前提とすべきとの認識を示すなど、北朝鮮による拉致問題に関しても理解を示すと同時に、北朝鮮に対して批判的な姿勢を取ってきている。もっとも、拉致問題は氏自身が指摘しているように人権上の問題であるから、あくまでも米国の政治家として国家理念ともいべき人権思想に基づいた行動に過ぎず、拉致事件への対応のみをもってして「反日」にあらずと断定はできないのかもしれない。

事実、靖国問題に限らず歴史問題をめぐるハイド氏の対日姿勢は厳しい。上述の加藤駐米大使宛て書簡が送られた10月下旬、また小泉首相の就任以来5回目にあたる靖国参拝が行われ同月17日の3ヶ月以上前にあたる昨年7月14日、下院で「第2次世界大戦終戦60周年決議案」なるものが可決されたが、これを上程したのが、ハイド氏である。ちなみに、この下院決議も、「人道に対する罪」を東京裁判での(有罪)判決理由の一つに数えてるという事実誤認を犯している。(http://thomas.loc.gov/cgi-bin/query/D?c109:1:./temp/~c109Fecos4:http://thomas.loc.gov/cgi-bin/query/D?c109:2:./temp/~c109Fecos4::http://thomas.loc.gov/cgi-bin/query/D?c109:3:./temp/~c109Fecos4::)東京裁判の有罪判決を再確認するという内容を含んだこの決議案が、上院を通過しなかったことは幸いであった。というのは、東京裁判の有罪判決というからには、「A級戦犯」への判決をも含まれると考えるのが自然であり、ということは、ハイド氏は最初から靖国問題を意識どころかターゲットにして、この決議案を起草、上程したと考えても差し支えはあるまい。

ハイド氏はなぜそこまで歴史問題あるいは靖国問題に拘るのであろうか。二つの理由があるのではないかと、筆者は考える。まず一つに、ハイド氏自身の歴史認識が靖国神社の「A級戦犯」合祀と首相をはじめとした政府関係者の参拝を相容れないからではないのか。氏はフィリピン戦など太平洋戦線での従軍体験を持つ。自らが参加し勝利した日本との戦いと、その勝利に「正義」の法的根拠を与えた東京裁判の判決に対して疑義を差し挟むような行為が、かつての敵国である日本の政治指導者によって繰り返しなされることを許容できないのではないだろうか。ただ、小泉首相の靖国参拝は2001年から毎年繰り返されてきたにも拘らず、何故ハイド氏は昨年まで沈黙してきたのか。WWIIベテランとしての歴史認識だけでは説明が付かないものがある。そこで筆者は、二つめとして、ハイド氏の背後に、ある米下院外交委員会関係者の影響力が存在するのではないかと疑っているのだ。

続く

 

 

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民主党の「民主党らしさ」: 教育基本法改正をめぐって

2006年05月13日 | Weblog
前回に続き、民主党について。

教育基本法改正論議の焦点でもある「愛国心」をめぐる問題で、民主党がまたぞろ民主党らしさを発揮してくれた(笑)。

先日与党合意による政府案は基本法改正案として第2条において教育の目標として「我が国と郷土を愛する態度を養う」と記すことに決した。

これに対して12日西岡武夫氏を座長とする「教育基本法に関する検討会」において民主党は、政府案に対する対案(前文+21条)を決定した。政府案が上述のように、第2条に「我が国を・・」を表記するのに対して、民主党案は、条項ではなく前文に「日本を愛する心を涵養し」とすることにした。

なぜ条項ではなく前文なのか。民主党によれば、それによって教育現場での愛国心の強要につながらないようにするとのことだそうだ。

さらに、「涵養」としたのは、愛国心の強制というイメージを和らげるため。

同党教育基本問題調査会会長の鳩山由紀夫によれば、「日本国」ではなく「日本を愛する」としたのは、「国」では統治機構(=政府?)が予想される恐れがあるからというものである。

以上の説明を報道で読み、筆者は「なるほど」、「ごもっとも」と納得するタイプの人間ではない。あまりにも小手先的な内容と理屈ではないか。 日本国憲法でもそうだが、本来法というものは、一個のものとして存在する場合、最初から最後まで論理的に一貫すべきものであり、前文があるならば、それと条項との間には一貫性があってしかるべきものではないのか。日本国憲法も当然のことながらその例に漏れぬ。ところが教育基本法改正をめぐる民主党の対案はそうではないのだ。そしてその理由が教育現場での強要という事態を避けるためだという。民主党はよほど愛国心の強要ということに神経質らしく、それゆえに「涵養」という日常ではあまり使われぬ語彙を持ち出してきたそうなのだが(筆者は涵養というと大正後期の「民力涵養運動」を思い出す)、法を周知たらしめるべしとの観点からすれば、「涵養」という語彙を一体どれだけの国民が辞書なしに理解するかは疑問とするところで、なんとも苦肉の策的に感じられてしまう。それはさておき、「強要」への懸念を理由に前文と条項の一貫性に考慮しないというのは、本来上述した法の法たるべき筋論としておかしいのではないか。もし教育現場での強要が心配だというのであれば、そこまで配慮したかたちで条項にも「日本を愛する」云々を盛り込むのが本来とるべき方策ではないのか。

そもそも、愛国心ないし国を愛するといことに、ある程度の強制ないし強要がともなことを必然不可避と考えるのは筆者だけだろうか。集団(国家)が、その構成員(国民)に対して帰属意識を持つことを望むのもまた、集団(国家)の存続とその内部の安寧秩序という点からみて、何ら奇異なものでもあるまい。帰属意識といっても、それは単なる自分がどこに属しているかという自覚程度のものではないはずだ。構成員の利害関係が内部で錯綜しながらも、集団が生存という根源的なものも含めた利害を共有する以上、また一個の集団が他の集団との一様ではない関係にある以上、集団はそこに属する個に対して忠誠なり愛といった意識を持つことを求めるのは当然ではないのか。個が自分の属する集団内部における決まりを遵守し、義務を履行することと同様、おのおのの個が自分の属する集団への忠誠ないしは愛を自覚し表明することは、集団に属する個同士の共存のための相互保障であるはずだ。私益のために自らの属する集団を裏切るものがいたとしたら、あるいはそう考える隣人ないしは同居人がいるとしたら、誰とて安穏と生活を送れたものではあるまい。

集団たる国家が、公教育ないし国民教育を施すのは、まさに国家の存続発展を可能たらしめることをその目的の一つとすることに議論の余地はないはずであり、そのために国民の自国への愛国心というものを育むことの必要性は、今更俎上に乗せて論争するようなことではあるまい。

国家といわずしても、人が集団に帰属して生活する以上従わねばならぬ法(のり)というものがある。いや、ヒト以外の生き物の世界にも法とは言わぬまでも掟というものが存在するケースが多々あるようだ。法にしろ掟にしろ、それは[守らねばならぬ」という強制性を伴い、それを拒否ないし否定した場合には何らかの制裁的措置が伴う。なぜ決まりというものが集団に存在し、それに強制力(あるいは違反者への罰則)が伴うのかといえば、それは集団の、しいては手段に属する個の生存の相互保障のためであるはずだ。換言するならば、集団に属する個は、強制に服することで、個としての生存を保障されるとも言える。

集団に属さぬ個というものが存在可能であれば、強制から解放された個というものの存在も可能なのかもしれぬが、「国家」という集団に属さない個人というものがきわめて例外的な存在でしかない、しかもその例外的な国家に属さぬ個も所詮はいずれかの国家への依存なしには生きていけない、という今日の状況にあっては、[国家」が、その存続のために、そこに属する者すなわち国民に対してなんらかの強制力を伴う制度を有し、それに国民が服することを求めるのは当然のことではないのか。

それとも、帰属意識とか、国家への忠誠というものに限っては、強制という手段が適応されるべきではないというのであろうか。愛国心というものは、各個人の心のうちに自然にわいてくるものようなであって、強制されるものではない、とのたまう御仁もいるが、詭弁ではないか。我々はそこはかとなく心からわいて社会化した集団生活能力をもった個人になったわけではあるまい。家庭という集団内集団の最小単位、そして学校という場における躾なり教育を経て「社会人」としての自覚なり手段生活(社会生活)に要する思考、倫理観というものを培ったはずだ。そして家庭教育にしろ学校教育にしろ、そこには強制という手段が常に存在する。愛国心に限ってはその例外である、というがもしそうだというのであれば、是非にその所以たるところをご教示願いたいものである。確かに人を愛する気持ちは自然に湧いてくるものだが、可視的であり確たる実態を認識できる対象と、社会や国(家)というある程度は可視的であっても、人という個ほど明確に認識できる対象を同列に並べて論ずるのも、いささか無理があるというものではあるまいか。

与党案が決定される過程においても、愛国心への「恐れ」が指摘された。その言葉に対して「戦前」を想起させるとの異論が出て、結局「国と郷土」になったそうだが、「自然に湧き出る」論者も、さしずめ、「戦前」を想起してのことではないのか。確かに戦前・戦中において行き過ぎがあったのかもしれず、歴史の繰り返しを恐れる気持ちは分からぬでもない。しかしながら、歴史は、金太郎飴のように、単純に繰り返すものではない。過去に過誤があったというのであれば、それを繰り返さぬようにするのは当然のことだが、愛国心という言葉そのものが生命体のごとく意思をもって戦前のを「過ち」をひきおこしたわけではあるまい。愛国心という言葉がヒトの創造物であなら、それを誤用したのもヒトなのである。愛国心という言葉に恐怖するあまり、それ自体を封じ込めようというのは、「羹に懲りて」ではないが、餅を喉に詰まらせて死人が出たから、餅を食べるのは金輪際よしましょう的な発想ではないだろうか。消しゴムですら人を死に至らしめる「恐れ」があるわけで、ならばむしろどのように誤用を防ぐかという発想に立つべきではないのか。

鳩山氏によれば、「国」ではなく「日本を愛する」としたのも、「国」という言葉に政治機構を予想される「恐れ」があるからだそうだ。また「恐れ」である。と言っておきながら、前文には「他国と他文化を理解し、新たな文明の創造を希求する」との記されている。「新たな文明」自体、何を意味するのか不明で、それこそ民主党の真意が見えず「恐れ」を感じなくもないが(笑)、それはさておき、自国を愛すると言う部分に関しては「国」という語を「恐れ」を理由に忌避し、他国に対しては問題無しというのはどうしたものか。民主党は日本人として余程己が信じられぬか。愛する対象が政治機構(=政府?)というのであれば、筆者もそれには反対の立場を取るが、そう解釈される「恐れ」が払拭できないというのであれば、基本法改正過程において、後になって語意が歪曲されぬよう、その点を明確にしていけばよいのではないのか。

民主党だけが、とは言うまい。与党にしても、自民党は「愛国心」へのアレルギーの強い公明党に妥協し、その結果が「我が国と郷土」になり、「愛する心」ではなく「態度」となったのだ(与党は面従腹背という言葉をご存知か?)。要は与党内部の事情に鑑みた妥協の産物ということなのである。同様に民主党が愛国心の表記を前文にとどめたのも、「国」を避けたのも、意見集約のできない党内事情によるものであるようだ。事実、毎日新聞などによれば、愛国心をめぐり党内対立があり、最終的に西岡氏に一任ということになったそうだ。そしてその結果が上述のごとくである。ここに今の民主党らしさがある。

愛国心というものに正面から向き合えない政党が、たとえ政権を取ったとして、国の舵取りができるものなのか、筆者ははなはだ疑問とするところである。




















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堕ちよ民主党!:国民投票法案への対応が示す民主党の前途多難

2006年05月11日 | Weblog
昨年の総選挙で大惨敗を喫して以来、筆者は、民主党(あるいはその一部)が再浮上を果たし政権党を目指すのであれば、この際堕ちるところまで堕ちるしかないのではないかと考えていたが、今回改めてその感を強くした。

郵政解散の直後、筆者はあるところで、民主党の敗北を予測した。郵政民営化が選挙の争点になるであろうことは解散の経緯からして誰の目にも明らかだったはずだ。であるならば、小泉自民党が分裂選挙を強いられたとしても、与党案に対して最後まで対案を示さずに反対を表明し続けた民主党が苦戦を強いられる可能性が十分にあると考えたのだ。それに加えて解散直後の民主党の議員総会での岡田代表の笑みを浮かべながらの政権獲得宣言とも取れるような物言いに、「こりゃだめだ」と直感したのだ。筆者はかねてより、代表になる以前から、岡田という政治家を政策通かもしれないが致命的に「政治センス」の無い政治家とみてきた。郵政が不可避に選挙の最大の焦点にるであろうことが予測されるなかで、対案を示すこともできずにきた政党が、選挙戦に入る前から「政権を取る」と表明して、有権者の支持が得られると思っていたとすれば、世論を読めぬ有権者の選挙行動を予測できぬ党代表としての岡田が憐れというか滑稽ですらあった。おまけに、選挙戦のキャッチコピーが「日本をあきらめない」とくれば、岡田氏がというより民主党そのものに、救いの無さを感じてしまわずにはいられなかった。選挙戦中民主党は必死に焦点が郵政一本になることを恐れ焦点外しを試み、同時に遅ればせながら対案らしき郵政改革案を出してきたが、周知のごとく、選挙結果は自民の大勝。投票日数日前に新聞各紙が与党有利と報じたため、筆者は与党が勝利するものの、当日の投票行動で有権者のバランス感覚が働いて、しかも分裂選挙ということもあり、自民単独ならどんなに大勝しても260-70議席代と予測した。結果は270をはるかに上回り、過去の選挙でしばしば見られた新聞報道の逆作用は働かなかった。

民主党が解散前から国会において郵政をめぐり明確な対案をもって与党に対抗できなかった原因が、党の「御家事情」であったことは今更論を待つまい。この「御家事情」を何とかしない限り、民主党が政権を取ることはできぬし、かりにできたとしてもそれは民主党にとっても国民にっても不幸な結果になると、筆者は考えてきた。しかしながら、この「御家事情」の変革は、党の分裂を招いたり、支持基盤を失うという危険性をはらむものであり、決して容易なことではない。であればこそ、筆者は、民主党は一旦堕ちるところまで堕ちる以外に、自己変革を果たし政権を射程におさめることはできない、と考えたのである。

総選挙後、前原党首の下で若干の変化の兆しを見せたやに見えるも、偽メール事件の体たらくにて、「前原丸」はあえなく沈没。民主党の救われなさをこれでもかといわんばかりに見せ付けてくれた。

そうした危機的状況で登壇したのが、小沢一郎氏であるが、そもそもが「なんであなたが民主党?」という御仁である。しかも、いまだに期待する向きも多いようだが、筆者からみれば「賞味期限切れ(でもまだ腐っちゃいません)」程度。小沢氏の政治家としての能力と限界は既に過去10年余のうちに証明済みのはずだ。「国連待機軍]構想など聞かされた日には、「逝ってよし!」である。小沢氏では民主を再生させることはできないし、小沢氏も民主党にいて花を咲かすことはできない。
今のところ、小沢は我々がかねてより知るところの「小沢色」を前面に打ち出してはいないが、これも民主の「御家事情」に鑑みて、党内融和を優先にしているからではないのか。残念ながら、砂漠(民主党)にトリカブトの花(小沢氏)の咲こうはずもないのだ。小沢が「独自色」を抑えてまでも党内運営を推し進めようとすれば、やがて「小沢らしさ」への期待を失望へと変えてしまうであろう。小沢が一花(小沢政権)咲かせようと思えば、自公連立与党との大連立か、あるい「壊し屋」よろしく民主を割って自公と組むということに賭けるしかないのではないか。その選択が不可能といのであれば、やはり民主は堕ち抜くしかあるまい。

さて、与党が国民投票法案の今国会での提出を断念した。その原因の一つは、投票方式と投票年齢をめぐり、与党と民主党の合意形成が失敗に終わったためであるが、加えて、小沢民主党代表が、同党の与党に対する対決姿勢が不明瞭になるとの理由から、与党との共同提案を拒絶したことにあるようだ。

中学生の時分よりひたすら憲法改正(より正確には廃憲による自主憲法制定)を願ってきた筆者にとって、このことに対する失望は大きい。小沢氏も改憲論者であると筆者は長らく理解してきたが、それは勘違いであったのか。いや、そうではあるまい。では、何ゆえに小沢氏は何ゆえ改憲に備えて必ず実現しておかねばならない国民投票法の制定の動きを止めるような挙に出たのか。まず一つに上述したような与党との対決路線の明確化という思惑があるらしい。二つめに、改憲ばかりではなく国民投票法案にも慎重ありは反対姿勢を取る議員が党内にいることから、党内融和の確保を優先させたものらしい。

それにして、こうした動きを見ていると一体改憲は何時のことになるのだろうか、と焦りにも似た不安を感ずるばかりか、小沢代表の民主党の勢力挽回と政権奪取に向けた政治戦略というものに、首を傾けざるを得ない。

対立軸を明確にすることで政党同士が争うことそれ自体は、政党政治において決して間違ったことではないし、むしろ政党政治の下で民主政治を行っていく上において望まれることであるはずだ。しかしながら、何が何でも対立軸を設定すれば良いというものでもあるまい。やみくもに何でも与野党対立では、今は見る影もないかつての「(少なくとも表向きは)何でも反対党」と同じではないか。政党にとって政権獲得は確かに重要なことだが、それは天下国家のためになすべきことをなすための手段に過ぎないはずだ。であるならば、天下国家のためには、与野党が是々非々で共闘することがあってもおかしくはあるまい。

投票方法や投票年齢をめぐり、民主党は改憲以外の問題をも国民投票の対象にするよう要求するとともに、投票権者を与党の20歳に対して、18歳を主張するなどの今回乗り越えられなかった対立点もあるわけだが、現状では憲法96条に改憲規定があっても、国民投票の具体的な内容を規定した法規がないことには、実際に改憲案の賛否を国民に問うことができないのだ。小沢氏が改憲を目指すというのであれば、今回の対立点は枝葉末節のようなもので、そこに固執するのは木を見て森を見ずのごときものではないのか。現に、自民党側からは、衆院憲法調査特別委員会の船田元(理事)(あの政界失楽園の)が、「18歳以上」を将来目標ということにし、とりあえず20歳以上で法案内容の妥協をはかろうとしており、大同小異の観点に立てば、飲めぬ妥協案ではないはずだ。何でもかんでも対立軸一本やりでいいけばよいと言うものではない。政権党を目指すというのであれば、時には与党との大同小異の政策協調にも応ずる柔軟性を持つべきである。有権者に民主の独自性が見えなくなり、巨大与党の影に埋没してしまうというのであれば、与野党協調とい選択の妥当性を有権者に訴えることを通して、党の存在感を示していくのが政党政治の本道というべきではないのか。

民主党が主張する国民投票のみ18歳以上という考え方、いかがなものか。18歳以上というのはかねてよりの民主党の主張である。それによって若者の責任ある人間としての社会参画を促すことができるともいい、同党の枝野幸男衆院議員は、それは「世界の趨勢」であるとも言う。18歳は既に責任能力のある自立できる年齢だというが、何をもって責任能力の有無、自立能力の有無というのか不明である。どうやらいまだに日本人は、「世界では」とか「欧米では」という言葉に弱いようで、だからこそ相手を説き伏せようとしたり、自説の妥当性を強調しようとする時など、「世界では」という言葉を意図的に利用する者もいる。「欧米では女性に年齢は聞かないものだ」など、その典型例だが、「ここは日本だ。それがどうした」ではないか。もっとも理屈をくっつければ「世界の趨勢」に説得力を持たせることは可能であろうが、「日本ではこうなのだから、世界(あるいは欧米)もそうすべきだ」とくらい言える政治家の一人や二人出てこないものだろうか。もしかしたら、存在はしていてもマスメディアが取り上げないだけかもしれぬが・・。それはさておき、上述のように「18歳以上」は民主党の政策の一つであり、同党の党員、サポーター(それにしてもマニフェストはじめ横文字のお好きな党である)資格は18歳以上となっている。民主党は国民投票法での18歳以上の投票権実現を布石にして、ゆくゆくは改憲によって現在20歳以上とされている選挙権をも18歳に引き下げようとの思惑があるのだろう。いざ投票となると民主党により多くの支持を集める傾向にあると思われる無党派層には相対的に若年層が多い。であるならば、自党への支持拡大、党勢拡大を目指すのであれば、18歳以上に参政権を引き下げることは、民主党にとって選挙戦を戦う上においてより有利な環境を提供するとの目算があるからではあるまいか。政権党を目指すのであれば、確かに選挙で数を取ってなんぼであるが、「国のかたち」を左右する改憲にかかわる問題に党利党略を絡めようとしているのだとしたら、浅ましい限りであり、そういう腹積もりではないことを切に願う。

実は筆者は、対立軸や選挙年齢など国民投票法の具体的内容をめぐる対立が、今回民主党が与党との共同提案を拒んだ真のあるいは最大の理由であるとは考えていない。小沢代表にとって、最大の関心事は、国民投票法案をめぐる党内の異論にどう対応するかであり、「拒否」は主にそこから導き出された結論であったのではないだろうか。民主党が政治哲学や政策という点において、一枚岩でないことは既に周知のことである。小沢氏が自らの指導部の下で、党勢回復をはかり、さらに政権奪取を実現しようとするのであれば、党内から不協和音をできるだけ生じないために、党内融和に重点を置いているとしても決して不思議ではあるまい。

しかしながら、党内融和すなわち党論の一致統一を意味するものではない。換言すれば、党内融和とは、イデオロギーや具体的な政策方針をめぐり異なる考えを持つグループとの潜在的な対立の火種を、党勢回復・拡大という共通目標の下に、一時的に糊塗しているに過ぎぬ姑息の策ということにもなる。党内に異論を持つのは何も民主党だけではなく、党内民主主義という点から考えればそれはそれで見方によっては政党の健全な姿なのかもしれな。ただし、それも程度問題であり、政党の政治団体としての基底をなすべき共通の政治イデオロギー、思い描く国家像をめぐり、同床異夢では、今のうちは良くとも早晩火種は顕在化する。

来年夏の参院選、常識的に考えて、民主党優位であろう。その時の自民党の改選組は、小泉人気によって勝利した時の面々である。昨年の総選挙での自民大勝の結果、既に指摘されているように有権者の間には「自民に勝たせすぎた」とのバランス意識もあるようで、自民が議席を減らし、民主がその分議席を増やすと予想することが可能であろう。もっとも、9月に小泉総裁・総理の退陣(ほんとうに続投はないのか?)を受けて、誰が新総裁・総理の椅子に就くか、という「変数」もあれば、またぞろ偽メール事件のような自滅行為がないとも限らないが。万一民主が敗北するようなことがあれば、それこそ党存続の重大な危機に直面することになるであろう。つまり、勝てる可能性は高い選挙であると同時に、絶対に落としてはいけない選挙ということだ。

負けられない選挙にはちがいないが、同時に参院選での民主党の勝利がむしろ、小沢代表にとって、参院選後の党運営上より困難なものになる可能性すら否定できまい。選挙戦を勝利に導けば、それによって小沢氏の党内での立場と求心力が強まるという可能性は当然ある。だが、もう一つの可能性として、選挙の結果所帯が大きくなれば、逆に今以上に党内融和に重きをおかざるえなくなるかもしれない。小沢氏がかねてより開陳してきた政治思想なり国家ビジョンを放擲あるいは修正してでも、政権奪取のために党内諸グループとの融和、協調を優先するというのであれば良いが、そうではなく党内融和のために自説に封印をしているだけであれば、一体何時まで小沢氏は封印を続けることができるであろうか。小沢氏の忍耐に限界が来た場合、党内融和路線も終焉を迎える。その時民主党に何が起こるのだろうか・・・。 独自色を打ち出した、いや本来の姿表した小沢氏に、それでも党はついていくのか、それとも、路線をめぐる党内対立が表面、激化し、党としてのまとまりを失っていくのか。それとも、小沢の首を挿げ替えることで、党内融和を維持しようとしていくのだろうか。

小沢民主党の今後を占うえにおいてもう一つ重要なのは、世論の動向であろう。先日の衆院千葉7区の補選では、民主の候補である過去にキャバクラ嬢であったという女性県議が、自民のエリート候補を接戦で破り議席を奪った。この勝利の意味するところは、昨年の小泉自民党大勝の反動でもあり、小沢民主党への期待でもあるのかもしれないが、果たしてその期待がいつまで続くのであろうか。前述したように、世論が持つ「小沢色」とは、氏の改革派としてのイメージと改革ビジョンへの賛同に因るものではないのか。だとすれば、今のように党内の小沢氏と政治イデオロギーや国家ビジョンを必ずしも同じくしない勢力との融和のために氏の独自色が前面に出てこない状況が続けば、氏への期待と支持はやがて失望と不支持に変わっていくことになるであろう。民主党が来年の参院選に勝てば、小沢氏は今以上に世論の期待と党内事情とのジレンマに苦しみ、やがて二者択一の選択を迫られることになる可能性も否定はできまい。

小沢民主党の行く手は険しい。党内事情に配慮するあまり本来の小沢色が薄まり、世論を失望させても、小沢民主党の将来は今以上に険しく、独自の政治思想、ビジョンに忠実であろとしても、そうすればするほど党内の不協和音が高まり、それはそれで民主党に向ける世論の目も厳しくなり、党の将来を危うくする。下手をすれば、期せずして「壊し屋」の本領発揮で、党は分裂などという事態にもなりかねまい。

いやそれでいいのだ。自説を引っ込めてでも党内融和優先なら、それで行けばいい。民主党は今以上に世論を失望させ、呆れさせ、党勢は衰退の一途をたどれば良いのだ。世論の支持を失うだけ失い、批判を受けるだけ受けてこそ浮かぶ瀬もあるかも知れぬし、それすらないというのであれば、もはや民主党に存在価値はないということではないのか。あるいは「小沢色」の顕在化で党内不統一ということでもなれば、党を割ってしまえばよいのだ。それはそれでまた政界再編の契機となるやもしれぬ。何も小沢氏中心である必要はない。所謂保守派と目されるメンバーが現与党と政界再編を前提とした期限付きの大連立を組むというという方策もある。できれば、その連立政権で改憲をなし終えた後、二派に袂を分かって総選挙を戦い、保守二大政党制の幕を開く、などということになれば・・・と思って見る(まずないだろうけど)。

何も二大政党制にこだわる必要などない、二大政党制は我が国の政治風土に馴染まないというような反論もあろうが、我が国における民主主義の進化というものを期するならば、二大政党制というのは必要ないしは有意義な過程であるのではないだろうか。55年体制のような一党優位体制や、複数政党の離合集散による連立政権に比べて、数合わせの政治から解放され、政策論争中心の政治へと移行できる可能性が高くなるのではないだろうか。ただ、自民、民主という形での二大政党制である必要までは感じない。

世論にそっぽを向かれ党勢を萎ませていくにせよ、小沢氏の本領発揮で党を割るにせよ、民主党はあるところまで堕ちていくしか救われまい、いや救われることすらないかもしれないと、この政党の将来に、悲観的な(といって、民主党支持ではないが)シナリオしか見出せないのは筆者だけか・・・。

追記
与党が単独提出を断念した理由は、公明党の反対だそうだが、公明党の「魂胆」を勘ぐってしまうのは筆者だけでろうか・・・。

追記2(5月12日)
NHKの朝のニュース「おはようにっぽん」によれば、与党が単独提出を決めたそうだが、一昨日(10日)の今日で、政治の世界というのは本当に一寸先の見えない世界だなあと、改めて・・。
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米国セクハラ考: 北米トヨタ「セクハラ」社長辞任

2006年05月09日 | Weblog
セクハラ訴訟の渦中の人、北米トヨタ社長大高英明氏が辞任した。

ある報道によれば、潔白を訴えながらも、仕事が手に付かず社益にならないとの判断だそうだが、事実上の更迭との報道もある。

トヨタは、現在只今事実関係の究明中だという。

かりに大高氏の主張通りセクハラの事実は無く、訴えた側の思い違いや捏造、誣告ということであるれば、大高氏は辞任などせず正々堂々法廷で身の潔白を証明すべきであり、それこそむしろ氏本人のみならず、家族そして会社のためにもなるのではないのか。

と言いたいところだが、セクハラ問題において、「加害者」として訴えられた側が潔白を証明することはそうそう生易しいことではないらしいのだ。というもの、痴漢事件とみたようなところがあり、「セクハラされました!」と声を上げた者勝ち的なところがあるからなのだ。

なぜそうなるのかと言えば理由は簡単である。セクハラという形に残りにくいケースの場合、その虚実を証明することは容易でない分だけ、被害を訴えた者の言い分が幅を利かせることになる。別の言い方をすれば、被害を訴える側がセクハラと受けたと認識したか否かが、重要なポイントになってくるのであるから、人の心の内を覗く術が無い以上、「被害者」の口から発せられた訴えの言葉に重きが置かれてしまのだ。大高氏が自らの行為や言動がセクハラに相当するとはゆめゆめ思わなかったとして、あるいは第三者から見てセクハラの事実など無かったように見えたとしても、当の訴えた側が「被害」を認識したと主張した時、その主張を否定することは至難の業となる。

お気の毒なことだが、訴訟という場に引きずりだされて、大高氏が勝利することはまずあるまい。氏のとるべき選択は、既に取り返しの付かないまでに汚れた晩節をこれ以上汚さぬように最善を尽くす他あるまい。それが氏のみならず、ご家族にとってもベストではなくともベターということになるのであろう。

一方、トヨタにしてみても、訴訟が表沙汰になった時点で、無傷ではいられず、であるならば、訴訟で争うことによって生じるであろう企業イメージの低下などのダメージを最小限にとどめることを目指すべきだ。そのためには、法廷で争う前に「被害者」との金銭的な和解を成立させることがやはり考えうる最善の策ということになるのであろう。

それにしても、と筆者は思う。結果論といえばそうなのだが、大高氏、脇が甘かった。訴えた側すなわち42歳女性秘書氏がよほどの腹黒か金目当ての魂胆をお持ちでもなければ、あるいは、例えばの話として、大高氏との間になんらかの特殊な関係があり、そこから生まれた感情に駆られての結果ということでもないのであれば、通常、火の無いところに煙をたたせるようなセクハラ訴訟は起さないのではないだろか。つまり、大高氏に何らかの落ち度あるいは脇の甘さがあったと考えるのが普通ではないのだろうか。たとえ「加害者」側にセクハラをしているという認識がなかったとしても、結果としてこのような事態に立ち至ったことに、弁解の余地はあるまい。米国において企業経営に携わる者として、大高氏がセクハラ問題の危険性を認識していなかったとは到底信じられぬ。そうした危険性への自己とともに組織の防衛を仕損じた、大高氏にトップマネージャーとして必要な資質が欠けていた、と判断せざるをえない。

大高氏の企業トップとしての資質を疑わせるも一つの事例は、現時点で辞任したことではないだろか。率直に言って、判断ミスと筆者は考える。社益のためとは言うが、訴訟を受けほぼ間髪置かずの辞任というのは、氏に対して疑念や憶測をいたずらに増幅させるだけではないのか。訴訟で仕事が手に付かないという辞任理由も、大企業トップの言葉にしては情けなく聞こえてしまう。社益に鑑みてとも言うが、社益といのであれば、かえってセクハラの事実を疑わせるよな安易な辞任は避けるべきではなかったか。

トヨタも、組織としての対応のまずさも指摘されても仕方ないかもしれない。まず一つに、現時点で大高氏の辞任を許したことである。氏の潔白とともに会社としての落ち度が無かったというのであれば、今氏を辞任させることは、上述したように得策ではあるまい。氏の辞任が報道の通り事実上の更迭ならば、尚更対外イメージ的にはまずいのではないのか。更迭すなわち社としてセクハラの事実ないしはそれに類するような疑わしき事実があったことを認めたのだ、と認識される可能性を考えてみなかったのか。あるいは、トヨタとしては、かりにセクハラないしそう認識されても仕方の無い行為があったことを認めるとして、責任はあくまでも大高氏個人に帰するもので、会社としての責任は一切ないと立場を貫こうということなのだろうか。だが、それはあまりにも虫が良すぎるどころか、使えぬ手だ。大高氏個人をスケープゴートにして逃げ切る手立ては既にトヨタの手中には無いのだ。なぜならトヨタ自身がそれを放棄してしまっているからである。上述の報道の一つによれば、現在トヨタは「事実関係の調査中」とのことだが、これを言ってはいけなかった。

この「調査中」こそ、トヨタがおかした二つ目の対処ミスである。訴訟を起こした元秘書氏によれば、会社にセクハラを訴えたにもかかわらず適切な対応がとられなかったという。これが事実だとすれば、大高氏のセクハラ行為とは別に、北米トヨタが組織として「過ち」を犯してしまったことになる。事の真相はどうあれ訴えに対して迅速に社内調査を行う体制が不在であったということになるからだ。これは、セクハラ訴訟では、企業にとって致命的である。そればかりか、訴訟をおこされた後になって「事実関係の究明中」などといえば、元秘書氏が訴訟を起こすまで氏の主張の通り何もしていませんでした、と白状しているに等しいではないか。取材に応じたトヨタ側の人間が、正確にどのような言葉を用いたかはわからぬが、少なくとも「再調査中」くらいは言えなかったものか。欲を言えば、「我が社としては関担当部署が事実関係を正確に把握しているものと確信しているが、訴訟への対応もあり現時点でそれを明らかにすることは差し控えたい」くらいのハッタリは聞かせてほしかった。

今回の北米トヨタのお粗末対応を見ていて、数年前のフォードとファイヤーストーンの一件を思い出す。当時のファイヤーストーンの日本人社長は、連邦議会公聴会でいきなり「アイムソーリー」とやらかしてしまったのだ。あれにはTVを見ていて唖然、呆然、愕然、言葉が出なかった。社内の事前打ち合わせで証言の内容を米国人スタッフにチェックさせなかったのか、社長はその言葉の持つ意味を理解していなかったのか、それとも一言そういっておけば何とかなると思っていたのかなど、いまだ疑問の尽きぬ出来事であった。

ファイヤーストンや北米トヨタに限らず、米国社会におけるトラブルに際しての日本企業の広報対応の甘さ、稚拙さが目につくことがしばしばあるが、その原因をどう理解したらよいのだろうか。山本七平氏などが指摘したところの楽観的憶測に自らを耽溺させてしまう日本人の民族病的(国民病的)「悪癖」のなせるわざということなのだろうか。それとも、単に「郷に入らば」ということへの認識不足ということなのだろうか。身近に日系企業社会や駐在員社会を見るにつけ、地元社会や地元住民との交流の不十分さや彼らへの理解の欠如を嫌がうえにでも感じさせられてしまうのだが、異文化交流というものに対する認識不足以前に、学ぼう理解しようという意欲自体が不足ないし欠如しているのかもしれない、とも思ってみる。

企業によっては、セクハラをめぐる模擬裁判をビデオ映画化し、それを社員教育に使っている会社もある。筆者も8年ほど前にひょんなことで二度ほどそうした映画の製作に関わったことがあるのだが、法廷での原告、被告双方のやり取りは、セクハラ防止、厳密に言えばセクハラ訴訟防止、あるいは訴訟が起こったとしてもそれにできるだけ負けない(まず勝利はない)ための防衛策への以下のような示唆を含んでいると感じた。

1)とにもかくにも社員教育により、具体的にどのような行為がセクハラに該当
  するのか、またセクハラ行為を行った場合支払う社内的、社会的代償というこ
  とを周知させること。ちなみに、ここでいう社員というのは、日本人駐在員
  だけではなく、現地採用の米国人も含む。米国人社員同士のセクハラ問題とい  のも結構あるのだ。また、セクハラというものが、男性から女性に向けてなさ  れる行為でるとは限らない、ということも教育する上において肝に銘じておか
  なければならない。つまり女性から男性、同性同士のセクハラということもあ
  りえるし、実際に米国でも日本でもそうした事例が報道されたことを筆者は記
  憶している。
2)セクハラ防止のために有効な職場環境作りの必要性。ここでいう
  職場作りとは上記1)の教育による社員、従業員間のセクハラ理解を高めるこ
  ともさることながら、オフィスあるいは工場内でセクハラを行いやすそうな設
  備配置や空間設定をも含めてということである。
3)社員がセクハラ被害を気兼ねなく訴え出ることができる担当部署ないしシステ
  ムを社内に常設する。この際、当然のことながら、被害者、加害者双方のプラ
  イバシー保護、関係者の守秘義務の履行が徹底されなくてはならない。また訴
  えがあるや否や担当者は上層部への速やかな報告、会社が契約する弁護士を交
  えた事実関係の迅速な究明を行うとともに、被害者に対して、会社側が誠心誠
  意訴えに向き合っているという姿勢を示さなくてはならない。同時に、社内で
  解決可能な場合は、迅速に解決するよう最善の努力をすること。今回の北米ト
  ヨタの場合のように、被害者が主張するように、会社側が被害者の訴えに迅速
  に対応しなかったとすれば、それだけでも致命的なミスであることを肝に銘ず
  るべきである。
4)既に繰り返し述べたように、セクハラは被害を訴えた者が圧倒的に有利な
  立場にあるということを忘れてはならない。こうした認識が抜け落ちると、何
  とかなるという甘い予見の罠に陥ることになる。
5)加害が事実であれば、加害者に慈悲は無用である。加害の事実が明らかにされ
  たならば、即刻首を切るべし。情けをかけてはいけない。大高氏の場合、セク
  ハラが事実ということであれば、退職金の返還を要求など、トヨタは氏に対し
  て制裁的要素も含めた徹底した態度をとるべし。
6)最後に、残念ながら、セクハラ防止のための完全無欠の方策などというのは
  存在しないということである。つまり、訴訟「超」大国である米国で商売を
  行う以上、セクハラ問題に直面することは、カゼを引くくらいに当たり前の
  ことと腹をくくっておいたほうが良いのであろう。要は、問題発生時に、どう
  うまく対応し損失を最小限に抑えるかということにかかってくる。

あと、もう一つ、二つ。
 ※米国人ブルーカラーを雇う日系企業は、あらゆる意味における彼らのレベルと
 いうものを考慮に入れておく必要がある。田舎に職場が立地する場合は特に注意
 を払う必要がある。
 ※米国人の性衝動といものを日本人と同じレベルで考えないほうが良いかもしれ
 ない(笑)。

以上。
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MITでの「反中(反日)騒動」

2006年05月08日 | Weblog
MITことマサチューセッツ工科大学で、先月下旬から今月はじめにかけて、日中間の所謂歴史認識問題に関連した騒動が起きた。

騒動の内容は、朝日新聞(http://www.asahi.com/international/update/0508/008/html)
AP通信の配信によるCNNをはじめ米国地方紙などの報道(http://www.cnn.com/2006/EDUCATION/04/28/mit.chinese.students.ap)に明らかにされている。

より詳らかなものとしては、MITの東アジア史担当教授ピーター・パーデュー氏によるネット上の小稿(http://www.zonaeuropa.com/20060428_2.htlm)並びに学内紙に掲載された声明文(http://www.tech.mit.edu/V126/N22/perdue.htlm)がある。

騒動に対するMITの学長はじめ関係者の声明(http://web.mit.edu/newsoffice/2006/visualizing-cultures.html)も参照したい。

この騒動を簡略に説明すれば、MITの歴史学教授であり、『敗戦を抱きしめて』(ちなみに筆者は この著作に対しては失望を越して、歴史学の「外道」と評価している)などで日本でも知られるジョン・ダワー氏らがネット上で行った日清戦争に関する木版画の展示(パーデュー氏の論考を参照)に対して、同校の大陸出身中国人学生を中心に抗議運動が起こり、学内だけではなく世界各地からネットを通して「反中的」、「日本の侵略美化」とする抗議が学校や関係者に寄せられ、サイトがいったん閉鎖に追い込まれたというものである。

ところが、焦点となった木版画のうちの一つ「暴行清兵を斬首する」、果たしてそのよな批判に価するものだろか。ダワー氏はそれに次のようなキャプションを付けている。

“The subject itself, however, and the severed heads on the ground, made this an unusually frightful scene…Even today, over a century later, this contempt remains shocking. Simply as racial stereotyping alone, it was as disdainful of the Chinese as anything that can be found in anti-Oriental racism in the United States and Europe at the time – as if the process of Westernization had entailed, for Japanese, adopting the white man’s imagery while excluding themselves from it. This poisonous seed, already planted in violence in 1894-95, would burst into full atrocious flower four decades later, when the emperor’s soldiers and sailors once again launched war against China.”

版画絵とともに、このキャプションを読みあわせてみれば、展示意図が反中的でもなければ、「日本の侵略」の美化にあるわけではないことは明らかである。そればかりか、いかにもダワーらしく、見方によっては「反日的」と読めなくもない。実際、「反日」とはいまいが、筆者はとしては、いやしくも歴史学者の看板を掲げてメシを食う者としては、客観性と論証という点において不適切な言い回しがあると、感じざるをえない。あえて、その分野で名を成した者の自らの権威によりすがった傲慢とまでは言うまいが・・。

パーデュー氏によれば、メールの内容には"extremely abusive"なものも含まれていたという。

大学側は展示の趣旨説明に不十分な点があったことを認めているものの、かりにそうだとして(筆者は個人的にどう不十分なのか理解できないのだが)、上記キャプションを理解する英語力さえあれば、「反中」などという批判が生まれてくる余地などないはずだ。中国国内から批判の声を発した連中はいざ知らず、この騒動の引き金をひいたMIT在籍の中国人学生(しかも彼らのほとんどは院生のはずだ)が、それくらいの英語読解力も持ち合わせていにとは到底思えぬ。ホックフィールド学長やパーデュー教授が指摘するように、「意図的な反日感情の扇動」を狙ったものとみなされても致し方あるまい。

それにしてもこの「扇動者」諸氏、いささか思慮が足りなかった。中国国内ならそうした扇動行為が一定の効力を持ったのかもしれぬが、米国で同じ手は使えない。MITのみならず米国の大学機関一般の目には、そうした行動は、学問の自由への認識の不足、いやそれどころか挑戦としてすら映るのだ。事実、MITやパーデュー氏は「学問の自由」が脅かされたと認識している。米国で暮らすMITの中国人学生たちにそうした大学側からの反応を予見できなかったとすれば、これは「痛い」話としか言いようがない。どう弁解しようとも、民主主義、自由主義社会においては当然のこととして保障されるべき学問の自由への彼ら中国人の理解が欠如していると見なされても仕方あるまい。よもや、中華思想がために「所変われば」などという発想すら持ち合わせていなった、あるいは、いまだに自由な社会であるからこそかつての文革よろしく「造反有理」がまかり通ると思っていたわけではあるまい、とは思いたい。が、国際社会の見守る中「愛国無罪」を叫びながら昨年春には”あのザマ”を演じた国民でもある・・・、よもやとは思うのだが。

この一件のみをもってして中国人論を展開することの”キケン”は理解しているつもりだ。しかしながら、日本国内における彼ら同胞の度重なる犯罪といい、昨年の反日デモ(暴動)といい、それに対する北京政府の反応といい、はたまた偽NEC事件や、筆者の周囲で見聞きする中国人や中国系米国人の振る舞いといい、我が国はなんと言う厄介な隣人を得たものかと、つい思ってしまったりもする。隣人を選ぶことはできないのだと思うと、憂鬱ですらある。
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「不法」移民の国アメリカ

2006年05月03日 | Weblog
米国という国を語るうえにおいて、「移民」というキーワードは欠かせない。米国史そのものが、移民史であるといっても過言でもあるまい。その移民の国アメリカが今移民政策をめぐり揺れている。

移民によって成されたその国において、多様な移民の流入は、17世紀初頭にバージニア植民地ができて以来今日に至るまで、絶えず米国社会に課題を投げかけ続けてきた。

当初、米国への移民は、欧州のしかもその北西部(西北部というべきか?)というごく限られた地域からのものであったが、最初の移民をめぐる試練は宗教によってもたらされた。欧州からの移民たちは、宗教改革以来続くキリスト教内部の不協和音をそのままも北米大陸に持ち込んだのだ。17世紀に北米東岸にできた植民地のいくつかは、宗教的な結びつきをもった集団によって形成されるという起源を持ち、それゆえに他宗派、他宗教との軋轢、抗争を経験した。ジョン・ウィンスロップ率いるピューリタンによって創始されたマサチューセッツ湾植民地の他宗派への不寛容、旧教徒であったカルバート一族によるメリーランドにおける、英国内での政治・宗教対立に連動した、新旧両派間で繰り返された抗争などが、その一例である。

奴隷というものを広義の移民とすることが許されるのであれば、アフリカ系住民(もっともその多くは西インド諸島経由で北米大陸にやってきたのだが)の存在も、米国の移民史を語る上において忘れてはなるまい。独立戦争までには50万ほどのアフリカ系「移民」が、そのほとんどが奴隷として、北米13植民地に点在していたという。

19世紀も後半になり、アングロサクソンでも新教徒でもない移民が東西双方の海岸に大挙やってくるようになると、移民問題は、人種、民族、宗教のみならず生活文化、経済など多様な面でも問題を惹起するようになる。欧州からは、旧教徒であるアイルランド人やイタリア人、あるいはユダヤ教徒が、東からは中国人クーリーが、後には日系移民がやってくるようになる。

こうした移民の流入は、南北戦争後の米国の復興、経済発展に並行するように増え続けるのだが、急増した移民の存在は、19世紀後半から20世紀初頭にかけての米国社会が抱えこんだ諸問題の一因としてみなされていくようになる。新教徒のエリート層から見れば、宗教や文化的背景を共有しない異質な移民たちの大量流入は、米国の伝統的文化や価値観を脅かすものであった。そうでなくとも、著しい工業化の下、安価な労働力として社会の低層をなす傾向にあった移民たちは、貧困や衛生、犯罪、飲酒など、産業革命期の欧州の諸都市にほぼ共通してみられたさまざまな社会問題と結びついていた。おまけに、急進思想の感化を受けた欧州系移民の一部がしばしば流血の惨事に発展した労働運動などの社会騒乱に参加したことで、米国世論の移民に対する目は尚一層厳しさを増していくことになる。ネイティビズム(nativism)の勃興こそは、米国社会の反移民感情の高まりを如実に表したものであり、ロシア革命に起因する赤色恐怖(Red Scare)の中でのサッコ・バンゼッティ事件や第一次大戦後一時的であるが再び息を吹き返し黒人のみならず非新教徒へと排撃の照準を広げたKKKなどはその象徴的な例と言えよう。

宗教、文化だけではなく人種的にも異なり、よりアングロ・サクソン文化・伝統への「同化」が困難とみなされたアジア系移民は、法によってその流入が制限された。中国移民の排斥は早くも1860年代末に法制化された。20世紀になると日系移民に対しても、サンフランシスコの学校での日系児童排斥をきっかけとした所謂紳士協定によって制限が加えられるようになり、ついには1924年の所謂排日移民法と呼ばれる移民制限法の制定をもって、日系移民への門戸は閉ざされるに至る。

今回の主役は、今では黒人を抜いて米国第一の人種的少数派集団となったヒスパニック系移民たちである。より厳密に言えば合法ではなく不法移民たちである。

現在米国には1100万とも1200万とも言われる”不法”移民が存在する、という。”不法”であるがゆえにその正確な実数は明らかではない。現在米国の人口が2億900万であるから、”不法”移民の人口はその約4%ほどに相当する。そのほとんどは、「南」すなわち、ラテンアメリカからやって来た者たちで、さらにその半数以上がメキシコからの越境者だという。彼らの多くは本国での教育も十分に受けておらず英語にも不明なために、そして何よりも「日陰者」であるがために、一頃日本で3Kと呼ばれた類の職業にしかつけなかったり、雇用主に足元を見られ低賃金、劣悪な労働条件の下で「搾取」を受けている、と言われている。

米国の成功と繁栄が多様な移民を受け入れその活力の有効活用してきたことにありとする論もあるが、そうした評価はあまりにも一面的な評価に過ぎると筆者は考える。確かに米国という社会は日本とは比較にならないほどの多様性とそれへの寛容さや変化への柔軟性を持っており、それは絶え間ない移民の流入によって育まれてきたものである。ただ忘れてはならないのは、「ローマは一日にしてならず」ということである。すなわち、移民たちがすんなりと米国社会に根を下ろし、その発展に寄与するようになったわけではないという点である。また、米国社会にいかに寛容性、柔軟性があるとはいえ、それはあくまでも日欧などと比較してのことに過ぎず、かつてWASPが圧倒的に優位だった米国社会が、自分たちとは異質な移民をすんなりと何の抵抗もないままに受け入れてきたわけではない。上述のようにざっと簡略に米国史を振り返っただけでも、現在只今に至るまで、米国は移民をめぎる多くの年月とエネルギーを費やし続けているのだ。

少子高齢化にともなう労働力不足を補うためには、我が国も移民を受け入れるしかない、という意見があるが、筆者は米国にいて米国の現状を目の当たりにするからこそ、またドイツにおける「多文化主義社会の実験は失敗に帰した」という一部の論調や昨年来のフランスの状況を見るにつけ、「一寸待て!」と言いたくなる。その歴史や、地理的条件、人種民族的な条件ゆえに、決して異質なものに寛容とはお世辞にも言えぬ我が国が、労働力の補充という目的のみで安易に移民受け入れを決断してもいいのだろうか。かりに受け入れたところで、どれだけの摩擦や軋轢を経験し、労力を費やし、その結果の差し引きがはたして確実に我が国にとってプラスと出るのであろうか。それよりも何も、移民受け入れを云々する前に、現在只今我が国が国内の人材をどこまで有効活用できているのか、まずはこの点について考えて見る必要があるのではないだろうか。移民という決断をする前に、まだまだできること、しなければならないことはあると思うのだが・・。

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成田屋の舞台復帰

2006年05月02日 | Weblog
5月の歌舞伎座団菊祭で団十郎が舞台復帰した。

ちなみに、ニュースとはCNNとか三大ネットワークとかではなくて、NHKの「おはようにっぽん」。海外でもテレビ・ジャパンと言うNHKが関連事業として運営している海外放送を契約すればNHKの諸番組をはじめ、民放の番組もいくつか見ることができる。

学部生時代からの歌舞伎好きである。ほぼ毎月、歌舞伎座には昼夜の二回、国立劇場や浅草でもということになれな月に3、4度は劇場に足を運んだ。気に入った芝居があれば、歌舞伎座には幕見という懐に余裕のない学生にとっては有難いものがあるから、合計で一月のうちに4度、5度と足を運ぶことになった。

米国に暮らすようになってからは芝居を見に行くことができなくなった。年末に一時帰国でもすれば、大晦日に放映される京都の顔見世か、正月の2,3日の初芝居中継をテレビで見るくらいである。そうこうして月日が過ぎるうちに、かつて梅幸や歌右衛門、仁左衛門といったかつての「大幹部」たちは悉く鬼籍に入ってしまった。幸い、今年の正月は3日に、歌舞伎座で昼の部を見ることができた。藤十郎襲名に加え、贔屓の播磨屋の貞任で「袖萩祭文」。いつぞや国立では播磨屋が先代同様貞任、袖萩の二役を演じたそうだが、今回は福助の袖萩。福助といえば児太郎時代のキンキンしていた頃しか見ていないものだから、あまり期待していなかったのだが、思いのほかよろしく、筋書きの元々の良さも手伝って思わず目頭を熱くしてしまった。やはり、なんと言っても流石と思ったのは、播磨屋の貞任。その大きさといい、台詞回しといい、当代一の立役に疑いなし!(ちなみに、江戸の立役が播磨屋なら、上方はやはり松島屋であろう)。最後は、藤十郎のお初に、扇雀の徳兵衛で「曽根崎」。近松というのは大したものだと、改めて感じ入る。「ジャンキー」の元気の無さが気になったが、年も年だから仕方なしということか・・。

そういえば、今年は10月から国立で「元禄忠臣蔵」の通しだとか。今年も暮れに帰国するつもりだが、12月は高麗屋の大石とのこと・・・。高麗屋、台詞回しは爺さんの初代吉右衛門に似ていて、むしろ播磨屋は親父の先代幸四郎似だと思うが、いかんせん感情表現が過多になり過ぎ、人物の器が小さくなってしまう。一説によれば先代吉の存命中にもそうした批判があったとかで、そんなとこも当代吉より似ているのかもしれない。ただ、先代吉との違いは、高麗屋がバタ臭いこと。「ラマンチャ」でならならいざしらず、はっきり言って、歌舞伎の舞台にバタ臭さはいらない。ただ、古い演劇界か何かをよんでいたら、先々代の七代目幸四郎についてもそんな批評があったように記憶している。ということは、若い頃からのミュージカルのやり過ぎというだけではなく、隔世遺伝ということもあるのかしれない (ちなみに先代幸四郎や播磨屋にバタ臭さはない)。

成田屋のことを書くつもりが、のっけからすっかり話が反れた。ということで。閑話休題。

正直なところ筆者は、成田屋、すなわち12世団十郎の贔屓というのではない。華があり、舞台姿は実に立派だが、なにせ口跡がよろしくいし、決して巧い役者ではないのだ。この点については世評の一致するところと思う。筆者の贔屓と言えば、既述のとおり当代では播磨屋、中村吉右衛門。かつては、先代勘三郎など巧者、味のある役者。当代で言うと、当代勘三郎、三津五郎あたりはその類なのだろうが、両者とも大中村のような愛嬌というものはない。年の功なのか、それとも天性のものなのであろうか、巧者というのではないが(と言って決して不器用というわけでもない)、なんとも言えない雰囲気をかもし出して好きだったのは、亡くなった宗十郎に、14代目仁左衛門を追号された我童。確か宗十郎は15代目(羽左衛門)の薫陶を受けたことがあったはずで、あの良い意味での「あっけらかん」とした芝居こそ江戸歌舞伎の名残りだったのかもしれないと、思わなくもない(15代もセリフだけ聞くと、それは朗々として良いのだが、感情表現を重んずる近現代劇とは異質なものなのだ)。それにしても、プロの劇評家がどう評するかはいざ知らず、宗十郎の「引窓」のお早は良かった。ああいった役者がもうこの後現れることはあるまい、と思うといささか淋しいものである。

また話がそれた・・・。それついでに、15代目の実父はフランス人だとか、アメリカ人とかいう話が交錯しているが、フランス生まれのアメリカ人というのが正解。近代史、特に明治初年の外交史に詳しい人ならご存知のはずのチャールズ・レジェンドル(ルジャンドル)、その人である。

さて(笑)、成田屋のことであるが、贔屓でははないが、決して「嫌い」な役者でもない。団十郎襲名とほぼ時を同じくして歌舞伎を見始めた筆者にとって、成田屋は「なくてはならない」というよりは、そこにいて「いて当たり前」の役者なのである。上を向けば空があるごとく、川を見れば水があるごとく。あの決してよろしくはない口籍も、それがあって当代の歌舞伎であり、良くも悪くも、そこに団十郎という名跡の大きさと、当代成田屋個人の役者としての存在観があるのだ。

今は亡き仲蔵が勘五郎だった時分お世話になったことがあったが、「(成田屋の)あの顔に、亨さんの声があったら、鬼に金棒なんだけどねえ」と仰っていたことを記憶している。たしかに「亨さん」こと先代辰之助の声(台詞回しではない)は、実父の先代松禄が陰ながら褒めたというほどのものであったが、それが成田屋にあれば、たとえ器用ではなくとも、播磨屋とても同じ舞台に立てば霞んでしまうやもしれぬ。ただ、それは無いものねだり、現実には無いのだ。成田屋には、姿、華はあっても、声がないのだ。

たとえそうであっても、成田屋には存在感がある。あの口跡も、「あれが(当代の)団十郎なのだ」、と納得してしまっている芝居ファンも少なくないのではないのか。

その成田屋が白血病の再発から舞台復帰した。演目は、十八番のうち「外郎売」。
テレビ画面で見ても、まだ本調子でない、病み上がりであることは明らかだ。闘病のせいか、抗がん剤のせいか、顔にむくみがあり、顔色も、目の勢いもかつての成田屋ではない。あの目で「睨んでごらんにいれまする」と言われても、有難味はあるまい。

NHKの取材カメラは成田屋の闘病中の様子をも画面に映しだしていたのであろう。「あろう」というのは、海外では著作権の都合とかで、そのほとんどが音声のみ。ただ時折写る闘病中の成田屋、復帰に向けて励む成田屋を見てて、何とも言えない気持ちになってしまった。生に執着して醜い姿もあれば、そうではなく美しい姿もある。成田屋のそれは、言うまでも無く後者だ。いや、美しいという言葉は適当ではあるまい。・・・、何と表現したら良いのか、凄みのようなものを感じてしまった。「頑張れ!」と思わず画面越しに声をかけたくなるような、そんな姿の成田屋であった。

そういえば、先代団十郎も50代後半に癌に倒れ、ついぞ病を克服することなく他界した。師匠でもある父を早くに失った当代(当時海老蔵)のその後の苦労は、伝え聞くところである。そして今当代が亡父と同じく癌(ただし先代は胃癌と記憶している)に苦しむ。これが因果といものなのだろうか・・。

「外郎売」、短い演目とはいえ、病み上がりの身で一月の舞台をまっとうすることは決して楽なことではあるまいが、是非是非、更なる回復を重ね、かつてのような大きな、華やかな舞台姿を見せて欲しいものである。

成田屋のいない歌舞伎界は、さみしい・・・。

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