くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

日中対立: 日本のアボ・ジグメ予備軍、既にアボっているヤツもいるけど。

2010年09月30日 | Weblog
アボをご存じの方は、チベット通? チベットから見たら文字通りの「売国奴」、中共に祖国を売りながらのうのうと生きた男です。 何と昨年まで生きていました。
ブラッド・ピットの映画でも出てきました。


以下、我が国のアボ予備軍あるいは既にアボ化しているかもしれない連中を抜粋。



中国建国61周年を祝うレセプションに出席した国会議員は次の通り。

  (判明分、敬称略)

 【閣僚・副大臣】 細川律夫厚生労働相、松本龍環境相、大畠章宏経済産業相、平岡秀夫総務副大臣

 【民主党】 柳田和己、藤井裕久、江端貴子、前田武志、田城郁、大泉博子、稲見哲男、今野東、古賀一成、江田五月、首藤信彦、大島九州男、奥村展三、山本剛正、川上義博、岩本司、藤田一枝、矢崎公二、石毛●(=金へんに英)子、川越孝洋

 【自民党】 二階俊博、加藤紘一、野田毅、村田吉隆、茂木敏充

 【公明党】 山口那津男、東順治、井上義久、石井啓一、遠藤乙彦、斎藤鉄夫、石田祝稔、大口善徳、高木陽介、遠山清彦、魚住裕一郎、松あきら、渡辺孝男

 【共産党】 井上哲士

 【社民党】 福島瑞穂、重野安正、照屋寛徳、服部良一

 【みんなの党】 松田公太

 【無所属】 辻元清美

 【元国会議員】 野中広務、神崎武法


秋田で一生懸命中国大使を弁護した加藤や二階、今回尖閣問題で党代表発言以来ふらついてきたナンミョー系は今更驚かないけど、他にも、コイツもそうなのかなんてのがいますね、コーヒー屋の兄ちゃん含めて。マッキンゼー出身の茂木もか。

アボは天寿を全うしたけど、それでも祖国チベットでは死ねなかったね。

売国奴がのうのうと生きる?

それはいかんざき!、っているじゃん、その人も。でもナンミョーだからか? 半島出の大森の海苔屋の息子が池ってか?
あっ、返還ミス、池ではなく池田、いや行けだった。

辻元は、まさか、ピースボートを海保の巡視船にぶつけて北京の感心を引こうってんじゃあないだろうな? 
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尖閣問題: 防衛相北沢俊美は中共の手先か?

2010年09月30日 | Weblog
以下抜粋

北沢俊美防衛相は記者会見で「日中関係を悪化させる論調はいかがなものか」と一蹴。


尖閣は日本の固有の領土ではないのか? ならば、そこに自衛隊を置こうが少年隊を置こうが、少女隊を置こうが(←歳がバレる)、わが国の主権行為であり、何の問題もないはずだ。むしろ、自国の領土を自国の軍隊ないしは防衛組織で守ってはいけないという言い分こそおかしいだろう。そしてその理由が「日中関係を悪化させる?」「論調はいかがなみのか」とは議論すらマズいと言いたいのか? 自国の領土の保全をはからんとするに、それを奪わんとする連中に気がねをしろと? そういうことだから、今まで散々に舐められれ、今回は今回で国際社会の軽侮を受けているのではないのか? 

こんな男が防衛大臣とは・・・。

もしかして、コイツ、北京の廻し者か、谷垣同様ハニートラップ組?


菅総理、仙石と一緒にコイツも首切ったらどうですか?
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尖閣問題: まだいた民主党の売国奴=鉢呂吉雄

2010年09月30日 | Weblog
以下抜粋。

民主党の鉢呂吉雄国対委員長は29日午前、国会内で記者会見し、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で中国人船長の釈放を決めた検察幹部の国会招致について、応じない考えを示した。野党側は検察幹部の招致を求めている。

 鉢呂氏は記者会見で、「一般的に検察は司法の独立的な権限を有しているから、そこに政治がかかわるという形は好ましくない」としたうえで、「一連の問題については法相が責任をもって国会答弁する」と述べた。


こりゃ、おかしな理屈だろう? 検察は本来あるべきではない「政治判断」をしたわけで、それに対して国会の場において追及しようとの動きに対して、「司法の独立的権限」を盾に拒否? 検察の事実上の政治介入を不問にする政治というのは、一体何なんだろうか? これは国権の最高機関と規定されている国会に対して(もっともこの規定自体三権分立と矛盾するとの見方が否めないのだが)、司法権の優越を主張するに等しく、しいては国会に代表を送り出す主権者たる国民への挑戦ないしは冒涜と受け止められてもおかしくはあるまい?

鉢呂という人間は、そこまでして政権を守りたいのか、それとも、中国様を守りたいのか? いずれにしても、国賊、売国奴の類に違いあるまい。

反逆者に与えられるべき運命は一つしかないことを、この男は知るべきではないだろうか。
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菅総理、仙石のクビを切れ!

2010年09月29日 | Weblog
少なくとも戦後「売国奴」呼ばわりされた総理がいただろうか、この人意外に?

いずれ政権の命脈は遠からず尽きるのだが、それでも、この際少しの生き残りのためにも、仙石のクビを切るべきだ。あの男に腹を切らせよ!

自己批判をしたこの時こそ、好機だ。国民世論は幾分溜飲を下げるはずだ。

加えて、中国にもシグナルになり得る。もっとも、仙石を切っておいて、こちらから更に譲歩を重ねるようなことをすればそうはならないだろうが。

とにかく、仙石を切れば、対内、対外、両様の具にすることができる可能性はあるし、少なくともマイナスに働くことはあるまい。

リアリストならば、それくらいやれ、売国奴!
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尖閣問題、中国が歩み寄り? ならばこそ、

2010年09月29日 | Weblog
今ひいてはいけない。

何でも、あの山本モナの「大人のおもちゃ」が密かに中国に行ったそうだが、事実だとすればバカなことである。間違ったシグナルを与えかねない。

向うから来るとも思わないが、こちらから動くときではない、今のところ。

今は、中国側が若干トーンダウンしたとはいえ、粛々と衝突のビデオを世界に公開すべきである。毅然と日中間に「国際法に照らして、領土問題は存在せず」と明言すべきである。「関係改善に具体的行動をとるべきは、我が方ではなく、中国側である」というべきである。

国賊仙石が事実上自己批判したが、それでオシマイではいけない。自らの非を認めたのであれば、詰め腹切らせるべきである。つまり仙石辞任で、国内世論に対してもケジメをつけるべきだし、辞任は中国側に対しても日本政府の姿勢を示すよい道具立てになる。

このままずっと、つっぱれとは言わない。北京政府を追い込むだけだ。あそこも、いろいろ内側であるだろうから。ただ、今は向うの歩み寄りの気配に、気を緩めるべきではない。

もしかしたら、「歩み寄り」と見せかけて、実はこちらの更なる譲歩を引き出そうとの誘い水かもしれない。だから、細野あたりの若い性欲だけは旺盛なボクちゃんをこちらから送る等、不要なことなのだ。

今はもうしばらく粛々と声高にならず毅然たるべし。前にのめる必要もないが、間違っても一歩、いや半歩たりとも退いてはいけない。少なくとも、今は自ら手を差し伸べるべきではない。今そうすれば、北京匪賊の思うつぼである。
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東国原ことそのまんま東の不出馬表明: 騙される人間には騙されるだけの理由がある

2010年09月29日 | Weblog
言わぬことではない、宮崎のバカども、案の定あの下郎に騙された。

そら見たことかとしか言いようがない。

あの凶状持ちのクサレ芸人を知事に選んだのも宮崎のバカとも。驚異的ともいうべき高い支持率を与え続けたのも、あのバカども。そして結局利用されるだけ利用されて騙されたのもあのバカども。

東国原ことそのまんまもよく考えたものである。これで次の知事選に出れば勝利は間違いない。しかし、二期目は一期目以上に成果を問われる。特に経済においてそうだ。ところが、ただでさえ県内産業の育成という点で何ら成果を上げていないうえに、それどころか口蹄疫で全国有数の畜産が大打撃をこうむってしまった。一期目の当選当初よりも更に不利な条件で成果を求めらるわけだが、普通に考えて起死回生の策はあるまい。

ならば、昨年の自民党総裁云々で失点はしたもののいまだ「市場価値」を失っていないうちに、宮崎を逃げ出した方が得策と考えたのではないのか。

結果、宮崎は東国原ことそのまんまの売名活動に利用されるだけ利用され、残ったのは口蹄疫の後の惨状だけとなった。

東国原という男、実に打算的かつ節操のない男である。恥も外聞もないともいうべきかもしれぬが、そもそもが芸人というのはそういう生き物なのだろう。

宮崎県民も口蹄疫という予期せぬ惨禍に見舞われたのは気の毒だが、東国原に一杯食わされたことに関しては、自業自得というやつだ。あんな下郎を選ぶからいけないのだ。

これこそ、なるようになるというの典型ではないだろうか。

あわれ宮崎県民。これをもって、少しなりとも学習せんことを。
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尖閣問題: 谷垣自民党総裁のハニートラップ説は確定か?

2010年09月27日 | Weblog
自民党の谷垣総裁いわく、「もっと早くに釈放すべきだた」と。

ということは、もし谷垣政権下であの事件が起きたら、かつての金正男の時みたく、さっさと送り返してしまっていたと」いうことなんだろうか?

中には、自民党政権だったら、今回のような体たらくはなかったはずだという声もあるが、谷垣ならもっと情けないことになっていたということだろう。

なぜって、やはりあの噂は本当ってことなんじゃないのかな?
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沖縄は日本が不法占領?

2010年09月20日 | Weblog
以下、抜粋。


19日付の中国紙、環球時報は琉球(沖縄県)は明治政府が19世紀末に清国から奪い取ったもので、日本政府は今も沖縄住民の独立要求を抑え込んでいるとの趣旨の署名入り論文を掲載した。

 中国大陸に近い尖閣諸島(中国名・釣魚島)については中国領であることは明白で「日本には中国と話し合う資格もない」と結論付けている。

 筆者は在日中国大使館勤務経験がある商務省の研究者、唐淳風氏。

 論文ではかつての琉球王国住民の大部分は福建省、浙江省、台湾付近の出身で、言葉も制度も中国大陸と同じだったと断言。


商務省の研究者というが、一体何の研究者なのか。まさか歴史学ではあるまい。もしそうであれば、「風上にも置けない」と言わざるを得ない。もっとも、彼の国では学者、研究者という存在はそもそも「御用」の向きであることを求められる。歴史学も党並びに国家の意思に沿う範囲において学問の自由が認められる。したがって、「中華思想がいまだに中国人の心理ないしは世界観のなかに残存している」などと言ってはいけないのである。逆に、党、政府が認めれば、「南京での犠牲者数30万人に拘泥しないかわりに、日本側は南京事件を史実として認めろ」と要求してくる。だが、歴史学者として本来後者のような「取引」は、恥も外聞もない証拠である。「渇すれど盗泉」の御仁を長く聖人と仰ぎ、その御仁を始祖とするイデオロギーを昨今再び中華文明の誇るべき一部とみなすお国が、このざまである。それを知って、かの聖人、一体何を思うであろうか。

それはさておき、この研究者氏の言い分、嘘八百、これこそ歴史の歪曲、捏造である。

尖閣諸島の一件はさておき、沖縄の件。琉球王国住民の大部分は福建省云々。一部、その方面から来たことは否定しないが、誇張も過ぎれば虚言となる。

言葉も制度も中国大陸と同じ。同じではない。受容はしている。だが、同じというのは、これまた恥知らずにしておそらく意図的な誇張である。琉球方言と「中国大陸」の言語は同じとはこれいかに。漢字を言っているのであれば、琉球での仮名の使用についても言及すべきではないのか。

119世紀末に清から奪い取ったというが、それ以前の薩摩藩の在番の存在を含め同藩の影響力をどう評価するというのか。実はこの部分について一切言及しない書物は、彼の国や台湾には多い。これもおそらく意図的なものであろう。

更に領土主権という点から言えば、「清国から奪い取った」とは、それ以前は清国の一部だったということを意味せねばならぬはずだが、「奪い取られる」以前の琉球に清国の統治の実態はない。宗属関係は存在したが、「天朝」は冊封、朝貢以上の影響力の行使は求めず、朝鮮等もそうだが、藩属国の内政については不関与であったはずだ。すなわち、統治の実態はない。朝貢関係は近代領土主権概念からいえば、「統治の実態」とはみなし得ず、それゆえに欧米列強も当時、琉球を清国の統治対象の一部とはみなしていない。ペリーは、薩摩の影響力の方が実質的かつ大であるとさえ言っている。

かりに言葉や制度が中国と共通していたからといえ、それが中国の領有権を証するものではない、まったく。言語が同じというだけで領有権の証左となるというのであれば、英国の米国に対する領有権は本来独立革命後もその効力を失うものではなかったという議論も可能になるわけだが、これは少なくとも中国の外では詭弁どころか妄言、戯言とみなされるのがおちである。言語、制度云々というのなら、内蒙古は所謂外蒙古、今のモンゴル国に「返還」してはどうか。「隗より始めよ」とはいずれの国の故事であったか。

隣人は選べぬとはいえ、まことに厄介かつ手段を選ばぬに躊躇せぬある意味うらやましいほどに奔放すなわち恥も外聞もない
人々の住まう国である。

戯言、あるいは便所の落書きの類と一蹴するのはたやすいが、えてして、わが国の歴史学者諸氏はこうした問題に対しては寡言である。それが何故なのか、私の知るところではないが・・。
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尖閣諸島問題: 田中宇は正しい、でも間誤解を招く恐れはある。

2010年09月19日 | Weblog
田中氏の言うとおり、平成9年の日中漁業協定に尖閣周辺水域は含まれていない。

その点、ウォールストリートジャーナルが「含まれる」と言っているのであれば、それは大いなる誤解であり、駐米日本大使館はこの不勉強を看過すべきではない。それにしても、米国ジャーナリズムの日本語能力は相変わらずである。

一方、田中氏の記述は誤りかあるいは読者に誤解を与える。それは以下の部分である。

>中国側が日本の尖閣諸島領有に反対し始めたのは、1971年の沖縄返還で、米国が尖閣諸島を沖縄の一部として日本の領土に
>してからのことだ。

これではあたかも、中国は沖縄返還協定以前から日本の尖閣領有権を認めていなかったかのような印象を与えかねない。実際、協定著名以前、中国は尖閣を日本領として認めていたのである。それは物的証拠によって証明され得ることである。何かのミスでそうなっているに違いない? いや、文革中の中国でそれは下手をすれば政治的、社会的のみならず生命体としての「死」に直結sる問題であったはずであり、まずミスにより生じた誤表記ではあるまい。まさか、田中氏も、沖縄返還協定以前から中国は尖閣への日本の領有権を認めていなかったと理解しているわけではないと思うし、そう思いたいのだが・・。

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柳条湖事件から79年、中国人はあの時と変わらない

2010年09月18日 | Weblog
満州事変に関して、私は関東軍を全面擁護するつもりはない。

そもそもあれは国内法的に「反逆」に等しい行為であり、あの時点で断固たる処罰を行えなかったことは、軍という組織だけではなく、国家としても致命的であった。下剋上がはびこり、それにやがて軍首脳が悩まされたのは、因果応報としか言いようがない。

国際的にも、あれだけの戦線の拡大は、自衛という名目にしても無理がある。もっとも、自衛に確たる定義や規定があるわけではなく、それはパリ不戦条約に如実なのだが、少なくとも満州事変に関しては対外的な説得力を持ち得なかった。

欧米列強が日本だけを一方的に非難したのは嘘である。不承認を貫いたとはいえ、アメリカも英国も日本があそこに立ち至るまでの経緯については一定の理解を示している。リットン調査団とてそうだ。だが、やり過ぎた。

それはさておき、中国側は今いきり立っているようだが、彼らが満州事変に対すyる上述の欧米列強の反応というものを、どこまで理解しているのだろうか? 欧米は中国を全面支持したとでも? 実は違う。中国側の日本人に対する無法、国際法違反を彼らは見逃さなかった。現在只今でも、欧米の研究者のなかには、国民革命末期以来の過熱した排日行為や民国政府の革命外交が国際法上、外交慣習上問題があり、結果日本を満州事変に追い込んだという点を指摘する声はある。

中国が学ぶべきはこの点ではないのか。今彼らがやっていることから言えるのは、結局、過去80年、彼らは何も変わっていない。革命外交から造反有理へ、そして今は愛国無罪。ここに、国際関係上の慣習尊重や遵法意識などというものは見られない。
そもそも、彼らの尖閣諸島への主張に国際法的根拠は薄弱だ。何もかわらない中国人。これが我々の隣人の姿の一面である。


79年前と違うとすれば、今の中国は弱小国ではないということだ。

では、ひるがえって、わが国は歴史から何を学ぶのか? 国賊仙石の歴史観を見る限り、またくだらない小説で沖縄問題を「学習」する首相を見る限り、現政権にそれを溶いたところで、まともな解答は引き出せまい。

造反有理、愛国無罪! 我が国においてこれらは、まさに菅政権打倒のスローガンではないのだろうか?
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菅内閣は国賊内閣、打倒するしかない!

2010年09月18日 | Weblog
そもそも、反国家思想に傾倒する首相と官房長官だが、またしても、昨日アイツらが本性を垣間見せた。

国家公安委員長も、あの岡崎トミ子。ご自分の国の国旗を辱めるデモに海を渡ってまで参加したお方だ。

もう、クーデターしかないだろう、この国は。菅や仙石の首を皇居前広場に晒すしかない。かといって、自衛隊ってあの田母神レベルでトップまで昇れる低脳組織のようだから、クーデターは無理か。

でもこの国はいま自己変革のために血の生贄を欲していると思わざるを得ない。
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寺島しのぶ、あんたは欧米か!?(一寸古いですが・・)

2010年09月12日 | Weblog
寺島しのぶ。お世辞にも美人女優ではない。美男、美女の両親のもとに生まれたわりには、「お粗末」である。ただ、まあよく見ると両親ともパーフェクトな美男、美女ではないわけで、両方の悪いところが出てしまったかなというケースかもしれない。

ただ、女優としてはスゴイのかも?と前から思っていた。「赤目四十八滝」、正直言って、あれは設定された役柄にしては、見た目が妙に老けて見えて、他に女優いなかったのかなあと思い、世間の評判ほど私は評価していない。

一方、大河「北条時宗」での演技は、さほど重要ではないわき役ながら、存在感を示し、どちらかと言えば「大根」だった母親よりもすごい女優になるのかもしれないと思ったものである。

ところで、最近よくテレビでインタビューに答えているが、日本で濡れ場ばかりが話題になることにいたくご不満のようで、昨日もラジオで、その点に触れて「日本は芸術に対する見方のレベルが低い」と吠えていた。欧米に比べて、低いということだそうだが、そもそも、「赤目」もそうだし「キャタピラ」もそうだが、あれを芸術というのか否かに、唯一の答えはないはずだ。少なくとも私は「赤目」を、もちろん娯楽作品とは思わなかったが、かといって芸術作品とも思わなかった。もっとも、御尊父の歌舞伎も、昔は単なる庶民の娯楽で、私はいまだに娯楽として楽しんでいるが、世間では「芸術」のぶるいだそうだから、そういうことならあれも、あるいは今回の「キャタピラ」も芸術なのだろうが、濡れ場を騒ぐ騒がないで、芸術的民度をとやかくするのも、大げさだろう。人によっては、やはり、画像にしろ、動画にしろ、露骨な濡れ場に対してそれをみせつけられることに生理的な嫌悪を抱き、「芸術」とは認めないのかもしれない。だとしたら、それは即芸術への無知ということになるのだろうか?

演じる側、作る側による「芸術」だと主張に、傲慢さ、独善性、押しつけがましさはないのか。正直、ときどき、その点については、われらのいうところの「芸術」作品を見せられる立場にあるものとしては、そう感じてしまうことがなくはなく、寺島の言い方にもそれを感じてしまうのである。要は、あなたにとっては芸術なんでしょうが、私にとっては、やはり単なる濡れ場でしかないですわ、というわけである。

うがった見方をすれば、寺島としては、濡れ場=芸術と自分でもそう信じたいし、周囲にもそう認めさせたいという気持ちが強くあり、その背景には、本人が語るところの「赤目」出演の際の家庭内の葛藤がいまだにある種トラウマのように彼女の心のどこかに陰をさしているのではないだろうか、梅幸さんが生きていたら何と言ったものだろうなんてことはさておくとして。

彼女のインタビューでももう一つ気になったたのは、ご主人がフランス人ということもあるのだろうか、またそのなれそめが彼女の一目ぼれに端を発するものであったということもあるのだろうか、どうも彼女の価値基準には欧米っていうものが大きなウエイトを占めているようなのだ。フランスではとか、主人はアイコンタクトをしないと・・・など、あちらが規準であり、日本人はもっとかくあるべき、かくすべきという論法になっていくのである。

フランス人がカフェの外に席を取るのは、人間観察だとか。私にしてみたら、あまり高尚な趣味ではない。人間観察の目的しだいでは、そこまでするか? それがエスカレートしたらストーカーだなあ、あえてそこまでしないと人間を見ることができないのか、と突っ込みをいれたくなる。ましてや、日本人もそうすべきなどとは、これっきしも思わない。

アイコンタクトにしたって、そりゃあ比較文化的な視点で評価しないとダメじゃないのかと思ってしまう。アイコンタクト真理教じゃああるまいに。時と場合や、国によっては、アイコンタクトはかえって人間関係を損ねる場合もある。中近東で無条件にそんなことしようものなら・・・。寺島しのぶって女は、そんなことも知らないのかとまではあえて言ってしまった・・・。

まあ、きっと、今はフランス人旦那にぞっこんなもんだから、影響されまくってるのかもしれないが、これで醒めてきたり、破局でもしたら、考え変わるかもね。

それともまさか、菊五郎家では欧米コンプレックスが強くて、そんな家庭環境で育ったものだから、欧米スタンダードが幅を利かせてしまっているとか? もしかしたら、菊五郎家に限らず歌舞伎界には、いまだ明治以後の文明開化のトラウマが残っているとか? まさかね・・・。




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押尾裁判: 田中さんの両親を見て思う「子は親の鏡」

2010年09月12日 | Weblog
押尾事件、法廷で語られているさまざまなエピソードが真実だとしたら、押尾という男、まったく救いのない人間である。

ただ、同時に改めて思うのは、死者を冒涜するなと言われればそれまでだが、亡くなった田中さんも決してまともな人間ではなかったのではないだろうか。

自分の店を持つために男と付き合う、寝る。 押尾はその一人。

だが、当時押尾は既婚の身。つまり、他人の旦那に手を出したわけで、これを世間では不倫という。

しかも、死亡後の家宅捜査で、田中さんがコカイン等の違法麻薬を所持していたことも確認されている。


つまり田中さんという女性は、文字通り身をひさいで生きる女。他人の家庭に平気で手を突っ込む女。目的のためなら手段を選ばない女。そして、違法行為を既にしていた女。

要は、どうしようもない人間だったというわけだ。かりにあの時救急搬送されて助かったとしても、かえった助かったことが運の尽きで、ドラッグの所持がばれて御用となった可能性も否定できない。

もしそうなっていたら、あの両親は、世間に向かって何を訴えたのだろうか。押尾のせいだとでも言ったのだろうか。それとも、申し訳ないとテレビカメラの前にこうべを垂れたのだろうか。

まあ、どんなにできの悪い子供でも、我が子はかわいいという。田中さんほどのに道をはずしてはいないが(今のところ)、やはり不出来な子供を持つ親として、それは何となくわかる。どんな間抜けでも我が子は我が子なのである。

だからこそ、悪行・非行の挙句の死に対して、親は押尾を責め、我が子の死を嘆くわけだ。

でも、田中さんのご両親よ、我が子の死を悲しむのはいいが、押尾の元妻や子供にも言うべきことはあるんじゃないのかい?
あの人たちに、「被害者の親でござい」は通じないですよ。それとも、女房のお前も、押尾の血をわけたお前も、謝れってか?

それに、田中さんよ、きっと親せきは迷惑していると思うぞ。実家は岐阜の飛騨市。山間の随分な田舎だ。山と山の間に集落が点在し、それが集まって下呂市だとか飛騨市となっている。集落ごとは昔からの付き合いで、下手をすれば何百年の付き合いだ。
その間でのあるいは、近隣集落間での婚姻も珍しくはない。そんなある意味ド田舎で、銀座のホステスで、有名人と不倫し、挙句に違法ドラッグ所持、使用で悲惨死。「あそこの姪が」、「あそこの遠縁だそうだ」、「あそこの嫁さんの親せきだそうだ」等という噂はあっという間に広まる。田中さんの両親が娘の死の悲しみを押尾にぶつけている間に、親せきは、この不出来な親族、血縁のために、田舎で肩身の狭い思いをする。

私が親せきの立場なら、娘を亡くしてお気の毒よりも、まったく迷惑な話という気持ちの方が強いのではないだろいうか。一族の
面汚し意外の何ものでもないのだ。子供を持つ立場としては、そんな親せきを持ってしまったがために、我が子が不利益を被ることにならないだろうか、その方が心配である。だから、多分、葬式にも顔を出さないだろなあ・・。

まあ、テレビ見ていて思うのは、ああいう親だからあんな娘だったんじゃないのかなあと思うのは不謹慎でしょうか?

親せきの立場としたら、押尾、押尾と騒がれる限り、気持ちは穏やかではないだろうなあ・・・。





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