その昔、中学校ぐらいの頃か、授業で、「作用あれば反作用あり」 と、よく口にする先生がいた。わかるような、わからないような、なんとなくであるが、「だから何?」 みたいな態度でそれを聞いていたような気がする。これを逆にいえば、何もしなければ、何も起こらないということとも言えなくもない。理屈や経験で、そのことはわかっている。そうはいっても、なんでもかんでもアクションをとればいいものでもない、というか、とれるアクションにも限りがあり、気持ちは能動的に動きたくても、実際に、そうたやすく 「このようにすればいい」ということが決まっているばかりでもない。「待てば海路の日和あり」 ということもあろうが、待つということには、往往にして忍耐というものがついて回るものだ。
知らせがないのは良い便りとは、よく言ったもので、ここのところ、知らせが入ると、気落ちするようなことばかりだ。そういう意味で、待たされた挙句に、思いとは逆の方向だと、倍落ちだ。
世の中とは、世間とは、そういうものなんだろう。どちらかというとアクティブな方だと思うので、動いているほうが楽なのだが、そのようにばかり事を運べないのも事実だ。大仏のように、どかっと座しているだけなら、どんなに楽なことだろう。