現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

新米

2014-10-24 | Weblog

新米でご飯を炊くと、やはり違いがわかる。一番は、見た目、つやと思うが、つやがある分だけ、なぜか美味しく感じてしまう。いつもと何もかわることなく、同じように研いで、いつものように炊くだけ。それでも違いが出てくるから不思議だ。水は心持ち、少なめと理解している。お酒などは、熟成何年物といって、出来立てホヤホヤの若いお酒は、味にとげがあるだとか、深みがないだとか、まろやかさがないとか、いろいろ言われるが、お米は野菜などと同じように新鮮なほうがいいのだろう。

TV画面で、特に男性タレントが帽子をかぶって登場する。野球帽のまま、カウンターでラーメンをすすったりする。少し格好つけるような、洒落た帽子でも、そのままで、居酒屋で食事する。レストランで食事する。どこであろうと、部屋の中だ。この人たちは、お風呂でもかぶっているのかと言いたいぐらいだ。部屋のなかで、なんd帽子が必要なのか、まるでわからない。個人の好みといってしまえば、それまでだが、勝手に思うことだが、欧米人の顔立ちのほうが、しっくり来る装いのひとつと思われる。それは洋装のひとつだから。明治初期に、格好を西洋風にしていた、光景を写真だどでみかけるが、お世辞にも似合っていない。とってつけたようないでたちだ。ただでさえ、アジア人顔には似合わない部分もあり、TV画面上、本家本元のほうでは、あまり見かけないのに、似合わぬ日本人男性が、やたらと、部屋中、帽子かぶりで登場する。かぶっても構わないが、状況に応じて、スマートに脱ぐとか、不快感を与えているかもしれないというぐらいの、気遣いを見せてほしいところだ。

お好み焼きだが、どうしても炭水化物分を少なくしたいと思うので、自然と広島へ近づいてきているが、それでも焼きそばも使用するので、一体どれほど除かれているかはさだかでない。面倒なので、薄力粉に少し、片栗粉を混ぜ込み、さらに、一応、こぶ茶を少し加えて、多少薄めに、ちゃっちゃっとかき混ぜる。それを薄く敷いて、その上に、天かすと桜エビをばらまく。昨日は、その上に、まずは刻んだ青ネギを少しのせて、それからキャベツをばさっと、どっさり。そして、牛すじ甘煮を、これまた、それなりのどっさり。上から紅ショウガも加えた。その横で、予め、多少味付けした焼きそばも、再度焼き始める。お好み焼きのほうを、あまり細かいことは気にせず、一気にひっくり返す。飛び出たキャベツなどを、下から中へもぐりこませ形を一応整える。ころ合いを見て、こんどは、そのまま横移動で、焼きそばの上へ置く。今までお好み焼きがあったスペースで、生卵を割って、少しかき混ぜた状態で、鉄板へ敷く。(この時、かき混ぜるてから、鉄板というのがミソ) 今度は、さらに焼きそば・お好み焼きを、そのまま横移動。卵の上に。ギュッと抑えて卵が中にからむように、1,2度だけ抑える。しばらくして、また、覚悟を決めて、思い切りよく、すべてをひっくり返す。着地がぴたりと決まるかどうかは、ためらいなしの、思い切りのよさだけ。後は、ソースを塗ったり、マヨネーズを足したり、青のりもパラパラと降りかけたり、好き好きだ。どうぞ召し上げれ。(帽子かぶりの男性以外は。)