現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

睡眠時間

2014-10-10 | Weblog

寝ている時に見る夢って、不思議な世界だ。夢をみているということは熟睡していると考えていいのだろうか? わからない。熟睡できたと思える時もあるし、夢うつつで、よく眠れなかったと思う日もある。あまり夢の詳細を記憶していることもないが、先日の少し記憶している夢に、ある高層の建物で、エレベーターに乗るが、自分の降りたい階で止まらず、どこの階にも止まらず、一気に屋上階まで行ってしまう。そしてエレベーターのドアの外へ出ると、風が吹き荒れるまさに屋上そのもの。下へ降りるエレベーターを探すが、どこにも見当たらない。側に人がいて、どうしたら下へ行けるのかと尋ねると、すぐそこから電車があるので、それに乗ると地上までたどり着くという。電車は垂直には行かないので、かなり離れた所に連れていかれるのでは? と聞くと、心配ない。それほど離れないという。そこで電車というか、モノレールというか、ジェットコースターみたいなもので、下へ降りて、降りた脇にエスカレーターがあったので、それに移ると、ロビー階のようなにぎやかな所へ出る。しかしそこは最初の場所でないので、最初の場所はどこかと尋ねると、この建物と隣り合っており、庭でつながっているから、庭を通り抜ければと言われた。そこから、どんどん庭を横切っていくが、いつまでたっても最初の場所へのたどりつけるところへ行きつかない。というような内容だ。おそらく人が眠っている間にみる夢ってこんなものじゃないかと思う。人様の脳みそへなど入りこむことなどできないので、自分以外の人がどんな夢をみるのかまでは全くわからないが。

以前は、というか、人生まっさかりの頃は、ご多分にもれず、今よりは良く眠れたものだと思う。翌日のお昼頃までということもあっただろう。しかし、今はそんな風にいかない。睡眠の長さで言えば、5時間から6時間で、6時間フルに熟睡というわけにはいかない。これで十分なのか、十分でないのか、自分でもわからないし、どうすることもできないので、自分でこれで良しと無理矢理納得させているだけだ。そうは言っても、心のどこかで、睡眠に関しては自然にコントロールされている部分があるのではいかと根拠なく勝手に決めてかかっている。ようはかなり長い時間起きていたり、お酒を一杯飲んだりしたら、やはりあっという間に寝てしまうし、数日間、眠れないなと思う日が続くと、その週末あたりの昼間に勝手に眠ってしまうことがあるからだ。

毎日、起きた時に「よく眠れた」と思えれば幸せなのだが、どうしても睡眠時間が短かったり、浅いような思いがあると、なんか「もう朝がきたのか」といった思いにかられる。このような状態の時というのは、自分の経験上、やはり気がかりなことが、頭から離れないことがあるからだと思う。学生と違って、目の前の試験が終わればというような悩みでないので、しばらくはエンドレス状態だ。頭の中から、追い出せと念じても、やはり経験からだが、無理のように思う。多少の短い時間でも、それらを払拭できるぐらいの全く別のことに集中できる時間があれば、その時だけは解放されるといった具合ではないだろうか?

駅からゆっくり歩けば約30分を要する道。それだけの距離があるということは、おそらく10人いれば、歩く経路は10通りでてきて、寸分たがわず、同じ経路を歩く人はいないと確信できるほどだ。一度、実験してみたいくらいだ。十人十色。この道を行けばと勧めたところで、おそらくなんかの好みの違いがあって、別の行き方を選んでいるのだろう。無理矢理合わさせたとしても、元に戻ってしまう気がする。人間って同じに見えても、すこしずつ違うのだろうな。言葉では、口先では、違いがあって当然、双方の違いをリスペクトし合うとか、色々言えるのだろうけれど、それを心底から思える、表せる人間に極力近づけるように、さらに精進していきたいものだ。