現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

思秋期

2014-10-28 | Weblog

昔から、岩崎宏美の曲の中で、最も好きなものだ。後半部に、半音階ずつ上がっていく所が心地よい。

オフコースの秋の気配という曲も好きだ。オフコースの中で、よく歌われる曲群からは、少し外れているかもしれない。

以前から、サプリメントなんて必要ないという考えの持ち主だった。そうかといって全く無視しているわけでもないが。長く飲み続けられないのだ。たとえば、目にいいとされるブルーベリー系のサプリを買っても、1か月続かない。おまけについてきたビタミンCなどは、一回も開封せず、結局は捨てるはめになる。それでもここのところ、コマーシャルのようにサプリを飲めば、体質が変わるのかと期待し、3,4種類トライした。あまり長続きしないが、ようは効果が名見えるようにわからないから、どうしても億劫になってしまう。毎日、コーヒーを飲むのだから、その時に一緒に飲めばいいのだけれど、それでも長く続かない。飲んで数日、1週間で、効果が出ないどころか、なんとなく以前のほうがましだったかななんて思ってしまうと、ますます遠さかってしまうはめになる。あのコマーシャルで、もう手放せませんとか、これを飲んでいるから調子がいいとか、どうしたらそんな風に言えるところまでなるのか、教えてもらいたい。

最近、歩くことは以前に比べて、億劫でなくなってきた。むしろ、できるだけ歩きたいという思いもある。平均で3kgは体重が落ちたように思うが、それ以上にいかない。運動が必要と思うのだが、なにかゲーム的要素のある運動でないと面白くないし、そうなると一緒にやる仲間だとか、気の合うメンバーとやりたいし、なかなか簡単みつからない。一人で、ジムで黙々とという柄でない。なんとわがままなことを言っているのかは重々承知だ。

現在、膝関節やくるぶし、アキレス腱など、少しは痛みが出なくなってきているように思うので、もう少し、歩くことを続けていれば、簡単なジョギング、走ることまでできるかなとひそかに期待しているのだが。

最近、やたらと自動車の安全性というか、ブレーキアシスト、自動で前方の障害物を感知してブレーキをかけるシステムを異常なぐらい宣伝しているなと感じている。これは、国産車のみならず、欧州、米の車も、がんばっているようだ。この背景にあるものは一体なんだろうと思った時、ひとつはスマホ、ケータイのながら族がいるから、危険な状態になっているのかと身勝手に考えている。最近、信号待ちで、青になっても前の車が動かない。見てみると、前かがみでなんかやってる。勝手な創造だが、メールがラインか、ゲームか、そんな類でないかと疑ってしまう。同じように、横の車を見ると、男女を問わず、片手にスマホなどを持っている光景に出合う。車に限ったことでない。自転車に乗っている者でも、ほとんどがイヤホンをして、クルマの音など聞こえないだろうと思われる。歩行者でも、横断歩道渡っている時でさえ、駅の改札を出る前、出た後、お構いなしだ。女性でも、同じようにやっているから、全くどうなってるのと思ってしまう。世の中、こんな状況だから、クルマの安全を高めるためには、この感知システムがどうしても必要となってきた時代なのだと考えてしまう。普通に運転するものにとって、もちろんいざという時のために、ついていたなら、それはそれでいいが、前方をしっかりみていれば、そんなにブレーキ遅れになる事態などない。逆にしょっちゅう、そんな状態だったら大変だ。それとも、クルマメーカーがしゃかりきになって、ブレーキアシストに注力している理由は、もっと格調高い、別次元の理由があるのだろうか? 本当に、ハンドルを握らなくても、アクセルを踏まずとも、飛行機のオートパイロットのように、高速道路を眠っていても目的地まで連れていってくれるのだろうか? 渋滞に巻き込まれれば、オートに切り替えて、クルマの中で、双六(スゴロク)でもしていればいいのだろうか? いやいやスマホで渋滞情報をリアルタイムで仲間に知らせないとだめなのかな?