現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

無縁な天体観測

2014-10-09 | Weblog

いままで、何十年に1回の天体ショーといわれるものに必死になったことがない。天体の動きに興味がないということはないし、これを見逃せばもう二度と見ることができないと言われれば、普通にはできれば現場に居合わせたいと思う。それでも結果として、ほとんど生で、自分の目で直視できたことがほとんどない。昨夜も、一応、双眼鏡なども用意してスタンバイしていたのだが、最初から上空に雲が厚くかかっていて、何も確認できなかったので、それ以降はしなければならない雑用に追われているうちに、時々は見えたのかもしれないが、結局は何も見ずに終わってしまった。いくつか巡ってくる天体ショーの機会に、教育的な意味もこめて、熱心に取り組む方々も多くおられると思うが、なにぶん横着な性分も加わり、この点に関しても上手く操縦できてきていない。こんなにも無関心でいいものかだとか、他は見逃すまいと必死になっているんだとか、考えたり、不安に思ったりもするが、何をどうあがこうが、後の祭り。星の動きなどに興味を持とうと意識して、その手の本をきまぐれに買って、多少は知識をつけようと無断な努力も試みたりもしたこともあったが、どうも思考が立体的でなく、はたまた気の遠くなるような時間軸に現実味が湧かず、投げ出してしまっている。そのようなことを一生かけて探求していけば、運良くば、ノーベル賞へ近づくということもあるのだろう。やはり自分には不向き、無縁の世界かもしれぬ。

LEDにとやかく言うつもりはない。家の中の電球をほとんどLEDに変え、冷蔵庫もそれなりに省エネになっても、一向に電気料金に毎年、変化がない。それどころか増えている月もある。確かに、電球は切れなくなったように思うが。どこをどう節電すれば、実感出来るぐらいのレベルにまで下がるのだろうか? こまめに切った状態の時間を長く保つということは頭では理解しているが。個人の食生活と同様、生活習慣を根本的に見直すぐらいの改善・努力をしないと表に現れてくるということはないのだろうか?生活習慣を改める、これがなかなかたやすいことでないことは重々承知している。世の中の進歩が、昔はなかった状況を生み出しているのか? それとも解明できていなかったことが、あからさまになってきて、その対処方法が次から次へと出てきているのか? 飽食の時代と言われながらも、平均寿命も伸びているのは、死ぬことを防ぐ対応技術も進歩しているからだろうか?TV画面に80歳代、90歳代で元気な方々が登場する。正直すごいなと思う。どうしても自分自身の母親と比較してしまうからだ。本当に長い長い人生、長距離ランナーの人生を思うと、なにが幸せなことで、なにをもって幸せと呼べるのか? 人生の中盤が幸せなのがいいのか?最後が幸せであれば良しなのか? 終わりよければすべてよしということは、本質はこのことを言ってきていたのか?答えは人それぞれということか?

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