(愛知県岡崎市北野町 国指定史跡 1991年2月27日再踏査)
宇頭古墳群を後にし、11年振りの北野廃寺に訪れた。
検出遺物から、飛鳥後期~平安時代まで存在したとみられる北野廃寺は、大正末期から昭和初期に行われた測量調査によって、四天王寺式(南大門、中門、塔、金堂、講堂が直線上に配置)伽藍配置と比定され、東西124m,南北147mの寺域を持つ。また、戦後に3度行われた発掘調査によって、瓦、須恵器、陶器類の他、銅製品片やせん仏(瓦製型物仏)、瓦塔等が出土している。
昭和52年の調査後、史跡公園化され現在に至っている。
宇頭古墳群を後にし、11年振りの北野廃寺に訪れた。
検出遺物から、飛鳥後期~平安時代まで存在したとみられる北野廃寺は、大正末期から昭和初期に行われた測量調査によって、四天王寺式(南大門、中門、塔、金堂、講堂が直線上に配置)伽藍配置と比定され、東西124m,南北147mの寺域を持つ。また、戦後に3度行われた発掘調査によって、瓦、須恵器、陶器類の他、銅製品片やせん仏(瓦製型物仏)、瓦塔等が出土している。
昭和52年の調査後、史跡公園化され現在に至っている。