flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

Grand shoppers TOYOKAWA

2008-02-02 00:00:37 | STRUCTURE-構造物残影-
(愛知県豊川市豊川西町)
 私が幼い頃、亡き母と電車に乗り、月一度のペースで、このスーパーに訪れていた。その当時、私と母はこのスーパーを「ショッピ」と呼んでいた。そして豊川稲荷横の服地ハギレ店と、駅前の食堂でチキンライスを食べるのが習慣であった。
 元々、このスーパーは、市内市田町諏訪官林(現諏訪三丁目)において、協同組合形式で「プラサすわ」を開設していたものを、昭和44年(1969)2月、株式会社スーパープラサとして改組したものである。
 昭和46年(1971)5月、「グランドショッパーズトヨカワ」(プラサ豊川店)を豊川進雄神社の隣りに開店させた。その後、昭和48年(1973)10月に国府店(市内新栄町)、昭和50年(1975)10月には蔵子店(市内蔵子六丁目)を開店させ、また、市外小坂井町に小坂井店、平成に入ってから、市内森一丁目に森町店を開店している。
 然しながら、次第に世間の小売業界の流れに翻弄され、昭和49年(1974)には諏訪店の老朽化に伴う周辺再開発構想が持ち上がった。昭和63年(1988)諏訪店解体及び周辺整備が開始され、同年第3セクター豊川市開発ビル株式会社が発足し、翌年「プリオ」が開店した。昭和50年、近隣に蔵子店開店の経緯も、ここにあったといわれている。実際、再開発前に本社機能を諏訪店から蔵子店に移している。そして周辺に過剰ともいえる他社の大型小売店舗の出店ラッシュが続き、平成に入り、豊川店、国府店、小坂井店の閉店が続いた。
 そんな中の平成18年11月23日、資金繰りの悪化から突如事業を停止し、事実上の破産となった。残された蔵子店と森町店は即日閉鎖、創業36年、資本金3200万円の会社は消滅した。
 この会社は昭和44年に会社組織化しているが、青果、精肉、海産物、衣料、雑貨と、別々の小売業が成す協同組合の形式は殆ど変わらずに続き、店舗毎に商品の違いや価格の違い、鮮度の違い等が発生していた。また、会社代表者も短期間に多く変わっていた。
 小坂井店と蔵子店は、閉店後も一部の専門店のみ営業を続けたが、小坂井店は解体され、宅地化。国府店も更地となり、豊川店は、今年1月になって更地化された。一番新しかった森町店のみ他社スーパーとして生まれ変わっている。
 
コメント (6)
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