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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

仁科 森城

2007-12-26 00:00:23 | 城郭・城下町

(長野県大町市平)
 木崎湖畔には、平安時代末、仁科庄壮官仁科氏によって城館が築かれた。
その後天文年間(1532-)仁科盛能のとき、娘を信濃守護小笠原長時に嫁がせ同盟を結んだという。そして小笠原氏が追放されると、武田氏臣となった。
 永禄十一年(1568)盛能の孫盛政のとき、仁科氏臣が上杉氏に加担したため、武田信玄が盛政を切腹させ、信玄の五男晴清を仁科盛信と名乗らせて森城に居城させたという。盛信は、城を拡大し、木崎湖と農具川を結ぶ幾つもの水堀を築き、水城を築いた。然し天正十年(1582)盛信は、高遠城において、織田信忠によって討死したという。
      (仁科盛遠髻塚)
 (阿部神社)
 城跡は現在、本丸跡が仁科神社となり、境内には仁科盛遠の遺髪である髻(もとどり)塚があって、背後には仁科氏祖、阿部氏を祀る阿部神社、周囲には堀と土塁の一部が残る。本丸西側の一段低い地点が二の丸跡とされ、本丸南側の民家や旅館がある付近に三の丸があったという。更に木崎湖の南端を「機織り淵」と言い、森城落城の際、城主の妻がこの淵に投身し、以後その淵から機織りの音が聞こえたという言い伝えが残っている。
 

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