(胆振支庁勇払郡安平町)
夕張発千歳行列車は、追分駅で40分の停車をするので、まちに降り立ってみることにした。
追分は、2006年に追分町と早来町が合併してできた安平(あびら)町の地区である。
安平の地名は、安平川に由来し、アイヌ語でアラビラペッ(片側が岸になっている川の意)という。
元々、この地は植苗村安平であったが、室蘭線と旧夕張線の分岐点となったことから、追分と名付けられたという。
広い駅前から「御祭禮」の幟に誘導され安平川を渡ると、今日の石勝線沿線で最も多くの人影を見た。追分八幡神社の祭礼のようである。
露店が並び、終わるところから神社に向かう坂の両側に提灯が立つ。坂を上り切ると、更に大勢の人たちがいた。
参道の真中に酔いつぶれて寝ている人の姿、その向こうには社殿が見えた。
明治27年(1894)追分開拓の守護神として創立した神社で、明治32年(1899)現在地に社殿を建立する際、鎌倉鶴岡八幡宮より気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)、誉田別尊(ホムタワケノミコト=応神天皇)の二柱を分祀した。

つかの間の滞在であったが、坂の上から夕刻のまちを望み、北のまちの営みを感じた。
夕張発千歳行列車は、追分駅で40分の停車をするので、まちに降り立ってみることにした。
追分は、2006年に追分町と早来町が合併してできた安平(あびら)町の地区である。
安平の地名は、安平川に由来し、アイヌ語でアラビラペッ(片側が岸になっている川の意)という。
元々、この地は植苗村安平であったが、室蘭線と旧夕張線の分岐点となったことから、追分と名付けられたという。
広い駅前から「御祭禮」の幟に誘導され安平川を渡ると、今日の石勝線沿線で最も多くの人影を見た。追分八幡神社の祭礼のようである。
露店が並び、終わるところから神社に向かう坂の両側に提灯が立つ。坂を上り切ると、更に大勢の人たちがいた。
参道の真中に酔いつぶれて寝ている人の姿、その向こうには社殿が見えた。
明治27年(1894)追分開拓の守護神として創立した神社で、明治32年(1899)現在地に社殿を建立する際、鎌倉鶴岡八幡宮より気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)、誉田別尊(ホムタワケノミコト=応神天皇)の二柱を分祀した。








つかの間の滞在であったが、坂の上から夕刻のまちを望み、北のまちの営みを感じた。