大正3年(1914)美濃電気軌道駅に名付けられ、長らく市民に親しまれていた新岐阜という言葉は、正式な名称としては既に存在しない。平成17年(2005)中部空港開港時に、冠を「新」から「名鉄」に改め、また同年末に新岐阜百貨店も閉店したためである。
この地は県都ながら、ドーナツ化により商業の衰退が著しい。名鉄駅周辺だけをとってみても、平成14年(2002)ダイエー撤退、新岐阜百貨店閉店、平成18年(2006)岐阜パルコ撤退、各種飲食チェーン店の撤退、平成17年(2005)岐阜市内電車の廃止…マイナス項目は事欠かない。
岐阜は名古屋の植民地だという者がいる。東海四県といいながら、静岡県は独立地域的であり、また関東圏に近い。三重県は近畿圏に含む場合もある。然し岐阜県は愛知県と施策で同調、共有する部分も多く、他県より近い関係にあることは間違いない。
駅前の衰退といいながらも、駅から排出される人の数が少ないわけではない。ただ、名古屋方面で仕事や買い物をする人が多く、駅前は単に通過点となってしまっているからだ。よって、名古屋のベッドタウンの駅前といったほうがより近いのかもしれない。
平成18年(2006)より新岐阜百貨店及び岐阜乗合自動車が入居していた新岐阜ビルの解体が始まった。昭和32年(1957)(後に改修)に建設された、RC及びSRC構造5階建て、延床面積24,300m2の建物で、一時は増床、改築の計画もあったが頓挫、百貨店の売上も最盛期の半分に落ち込み、赤字収支に転落し、閉店に至った。そして新駅舎建設のため、北側敷地面積約2,000m2の部分が先ず解体された。部分解体と並行して新駅舎及び商業施設の建設が開始され、平成20年(2008)に全面完成を目指している。然し、将来的に岐阜~岐南間の高架化計画があり、岐阜駅の築堤部分の高架化、仮駅の設置等、現在行っている名鉄岐阜駅に関する事業は、あくまでも暫定的としている。
岐阜パルコは、名古屋パルコに先駆け昭和51年(1976)に開店した、地上8階地下1階、延床面積8,876m2のファッションビルで、売上が最盛期の20%代まで落ち込み、平成18年(2006)に旧セゾングループのパルコ業態としては、初の閉店となった。不動産は名古屋の学習塾に売却された。
平成19年(2007)1月に解体を開始したが、狭い敷地に対し、低い天井の層ながらRC構造としては現在の建築基準に達しないコンクリート量であるため、解体が比較的難しく、完了が遅れているという。また、解体中に死亡事故が発生している。解体完了後は、1,043m2の敷地に商業ビルを建設する予定となっている。
私が三十年間見続けているこの地の光景、一年を通じて同じ景色はなかった。