(愛知県一宮市木曽川町)
岐阜街道が一宮宿から木曽川笠松湊に達する途中にある町。
往古は鎌倉街道が通り、江戸時代には、尾張藩主が岐阜へお成りや鷹狩に向かうために整備された、御成街道が分かれるところでもあった。旧葉栗郡黒田村は、その往来で栄えた。
街道筋には、河野善龍寺があり、弘仁三年(812)傳教大師が創建し、若栗山専修坊と号した。嘉禎元年(1235)同寺二十二世祐道が親鸞に帰依し、浄土真宗に改宗、河野九門徒となったという。そして、天正年間(1573~92)現在地に移転、慶長八年(1603)現在の若栗山河野善龍寺と改称された。
戦国時代には黒田城の城下町でもあった。
明治43年に接する木曽川から命名し、木曽川町となり、平成17年に木曽川町は一宮市に合併閉町、葉栗郡は消滅した。
(河野門徒関連記事:竹鼻 下印食 三宅 円城寺)
岐阜街道が一宮宿から木曽川笠松湊に達する途中にある町。
往古は鎌倉街道が通り、江戸時代には、尾張藩主が岐阜へお成りや鷹狩に向かうために整備された、御成街道が分かれるところでもあった。旧葉栗郡黒田村は、その往来で栄えた。
街道筋には、河野善龍寺があり、弘仁三年(812)傳教大師が創建し、若栗山専修坊と号した。嘉禎元年(1235)同寺二十二世祐道が親鸞に帰依し、浄土真宗に改宗、河野九門徒となったという。そして、天正年間(1573~92)現在地に移転、慶長八年(1603)現在の若栗山河野善龍寺と改称された。
戦国時代には黒田城の城下町でもあった。
明治43年に接する木曽川から命名し、木曽川町となり、平成17年に木曽川町は一宮市に合併閉町、葉栗郡は消滅した。





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