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flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

谷汲

2007-02-13 00:00:57 | 街道・宿場町
(1998年2月7日)
 岐阜駅に降り立つのは約8年振りであり、軌道線のうち徹明町から揖斐に向かって乗車するのは初めてである。
岐阜軌道線の新鋭780系電車に乗ってやがて揖斐線内へ、そして伊自良川を越えると西濃平野の北端に差し掛かる。
終点、黒野に到着。ここは以前、野古墳群踏査の予定を立てたところである。が、今回はここで乗り換えて谷汲線へ。
先程の車両と打って変わって昭和初期製造の750形電車がホームに入ってきた。
軌道線用の小さな車体のワンマンカー。木造車に響く釣掛音は、他の乗客共々懐かしさを感じずにはいられない。スピード40~50キロにトロッコ貨車のような乗り心地も不快には思われなかった。
大正15年に谷汲鉄道として開通した同線は、今でもモータリゼーション以前の軽便鉄道の様な趣があり、付近の景色と共に馴染んでいるが、この光景も過去のものとなろうとしている。
長瀬駅を出ると結城駅であるが、平成2年に廃止され、一寸距離を感じて終着駅へ。
駅舎は先年改築され、そこだけ雰囲気が違った感じがする。そして昆虫館が併設されている。
 谷汲駅前を暫く歩くと、右手に総門が見えてくる。ここからは門前町であり、商店が50軒程立ち並んでいる。
途中右手には、門前公園及び花時計があり、その上に観光資料館の建物があって谷汲山と谷汲踊りをロボットで紹介する展示館である。
門前町に戻って、更に進むと仁王門が見えてくる。くぐると樹木が鬱蒼としてくる。
山あいのこの地でありながら、参詣者が多い。豊川閣も見習わなくてはならない。だが、ここにも豊川稲荷分霊社が存在した。
 華厳寺は延暦十七年(798)に会津の大口氏によって創建され、衰退再興を繰り返し、今に至っている。
本尊は十一面観音で、幾つかの仏像が安置されており、西国三十三箇所第三十三番札所結願の地でもある。
往時は中山道赤坂宿から谷汲街道を経てくる巡礼者で賑わったという。
 
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