(愛知県西尾市刈宿町)
天沢山西光院常福寺の東側には、小さなお堂の前にコンクリートでできた二体の鬼が立っている。
お堂の横には、「南常山常楽院大居士」と刻まれた宝筐印塔と、薬師如来、そして舟形(光背)六地蔵が並んでいる。
堂内には、コンクリート製の閻魔像があり、傍らの壁には、「常楽院」の号額が掲げてられている。閻魔像は、西隣の常福寺大仏と同じ作者である造形師後藤鍬五郎によって造られたものという。また、鬼像は沢常吉という人物が制作したものといい、共に大仏と前後して造られたという。
新鮮な献花と鬼の手にはミカンと飴玉、地域に親しまれている像たちのようである。
天沢山西光院常福寺の東側には、小さなお堂の前にコンクリートでできた二体の鬼が立っている。
お堂の横には、「南常山常楽院大居士」と刻まれた宝筐印塔と、薬師如来、そして舟形(光背)六地蔵が並んでいる。
堂内には、コンクリート製の閻魔像があり、傍らの壁には、「常楽院」の号額が掲げてられている。閻魔像は、西隣の常福寺大仏と同じ作者である造形師後藤鍬五郎によって造られたものという。また、鬼像は沢常吉という人物が制作したものといい、共に大仏と前後して造られたという。
新鮮な献花と鬼の手にはミカンと飴玉、地域に親しまれている像たちのようである。






我が家のアジサイ。
梅雨終了とともに花は枯れ、剪定しておいた。
季節はずれのこの時期、一つの茎に花びらが見えた。
一輪は小さいのに、大きな花びら。
今後が楽しみだが、いつもならもう既に見かけ、花びらの落ちる時期のヒガンバナもあまり見かけない。
今年は春の訪れが早く、夏の終わりが遅い。
自然界も迷う、最近の季節の変動である。
梅雨終了とともに花は枯れ、剪定しておいた。
季節はずれのこの時期、一つの茎に花びらが見えた。
一輪は小さいのに、大きな花びら。
今後が楽しみだが、いつもならもう既に見かけ、花びらの落ちる時期のヒガンバナもあまり見かけない。
今年は春の訪れが早く、夏の終わりが遅い。
自然界も迷う、最近の季節の変動である。
私は北の大地に行ったことがない。
知人からの土産で、北海道の缶詰をいただいた。
最初はその内容に気がつかなかったが、よく見ると熊と鹿の缶詰であった。
今の私は、基本的に食べ物の好き嫌いはないが、ゲテモノや臓物系、珍味の類は苦手である。
よって開缶することを非常に躊躇しているのである…。
どうやら、緊急用保存食の一つとなりそうだ。
知人からの土産で、北海道の缶詰をいただいた。
最初はその内容に気がつかなかったが、よく見ると熊と鹿の缶詰であった。
今の私は、基本的に食べ物の好き嫌いはないが、ゲテモノや臓物系、珍味の類は苦手である。
よって開缶することを非常に躊躇しているのである…。
どうやら、緊急用保存食の一つとなりそうだ。
三日前まで三日間、仏間の襖(ふすま)が朝起きると少し開いていた。
覗くには少し広い、出入りするのは少し狭い幅であった。
誰も開けた者もなく、謎ではあったが、仏間に入ったときに感じたのはムッとする暑さ。
“暫く閉めきっていたから、ご先祖さまも暑かったのだろう”と、そう思って昼間は襖を開け風を通すことにした。
それから今日までのところ三日間、朝起きると襖はちゃんと閉まっている…。
覗くには少し広い、出入りするのは少し狭い幅であった。
誰も開けた者もなく、謎ではあったが、仏間に入ったときに感じたのはムッとする暑さ。
“暫く閉めきっていたから、ご先祖さまも暑かったのだろう”と、そう思って昼間は襖を開け風を通すことにした。
それから今日までのところ三日間、朝起きると襖はちゃんと閉まっている…。
一昨年の春、御殿場帰りに付近の中心地、沼津のまちへ出向いた。
さすが商業もしっかりしており、大型商業施設、個人商店及び仲見世というアーケード街もあって活気があった。
と思いきやそんな中、ある百貨店の閉店セールが行われていた。
関東では有名な、服飾系百貨店の最期。
39年間続いたようだが、このビルは7階建てであるのにエスカレーターが無い。
面積の狭さもあると思うが、その点が印象に残った。
そのビルの地下に中華料理店があった。
何やら懐かしげな雰囲気漂う店で食事をしていると、店の人が「ここがなくなったら商売はもうやめる」と話した。
この言葉が一番印象に残った。
今年の春、再び訪れた。
百貨店跡は更地となり、衰退の文字が浮かんだ。我が近隣浜松を思い起こさせる…。
市役所に寄り、その前にある謎の飲食店の跡が目に入った。
一体これがなんであったのか定かにならずに、この地を離れた…。

(関連記事:千本松原)
さすが商業もしっかりしており、大型商業施設、個人商店及び仲見世というアーケード街もあって活気があった。
と思いきやそんな中、ある百貨店の閉店セールが行われていた。
関東では有名な、服飾系百貨店の最期。
39年間続いたようだが、このビルは7階建てであるのにエスカレーターが無い。
面積の狭さもあると思うが、その点が印象に残った。
そのビルの地下に中華料理店があった。
何やら懐かしげな雰囲気漂う店で食事をしていると、店の人が「ここがなくなったら商売はもうやめる」と話した。
この言葉が一番印象に残った。
今年の春、再び訪れた。
百貨店跡は更地となり、衰退の文字が浮かんだ。我が近隣浜松を思い起こさせる…。
市役所に寄り、その前にある謎の飲食店の跡が目に入った。
一体これがなんであったのか定かにならずに、この地を離れた…。


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