(写真は建中寺御成門:正徳四年(1714)市指定文化財)
徳川園からその徳川氏に縁の深い建中寺に差し掛かる。
浄土宗徳興山崇仁院建中寺は、慶安四年(1651)尾張藩初代徳川義直の菩提を弔うため、その子光友によって創建された。往時は石垣と堀に囲まれ、四万八千坪の敷地があったという。
(本堂 天明七年(1787)市指定)
(経蔵 文政十一年(1828)市指定)
(三門 慶安五年(1652)市指定)
(総門 慶安五年(1652)市指定)
代官町、善光寺街道(下街道)道標を経て、東区泉の持名山菩提心寺高岳院を訪れた。
当初は教安寺と称し、甲斐国新府(山梨県韮崎市)に存在したが、慶長十三年(1608)徳川家康の子仙千代の菩提を弔うため、清洲城下に移転させ、法名から高岳院と改号した。間もなくして「清洲越え」(名古屋城築城)により現在地に三度移転した。国宝に指定されていた旧清洲城黒門が存在したが、第二次世界大戦による空襲で焼失している。
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