先日、買った漫画本4冊のうち、日本物3冊を読んだ。
自分自身では、プロレタリアものを好んでいたものと思っていた。
しかし3冊続けて読んでみてわかったことがある。
- 『蟹工船』は確かにプロレタリアものだが、悲惨で歴史を学ぶには適しているかもしれないが、小林多喜二が小樽商大卒で、碑が小樽にあるので単に親近感があるに過ぎないのではないか?最近の格差社会、正規&非正規社員問題と、被るところではあるが、基本的に社会構造が違う中で単純比較はできないだろうし。
- 『人間失格』は、確かに一時的に太宰治が共産主義に参加しただけで、堕落の一途を辿る人生を自叙伝的に表現しているだけでないか?自分自身、太宰の出身地である、青森県・金木町に親戚があって、未就学児童の頃から何度も訪れ、斜陽館の傍にある医院にかかったこともあって、単にこれもまた親近感があるに過ぎないのではないか?
- 問題は『破戒』である。いわゆる「」、俗に「(えた)」とか「」とか言われる人々に感心があったのではないかと、思った。
自分には嫌な経験がある。まだ小学校低学年の頃、
新潟市内にはそうした的な地域はないのだが、近所に住む、
優しくて、綺麗で、気立てのいいお姉さんがいた。
婚約相整い、結婚することになったと聞いて、残念で、
ある種、複雑な気持ちでいた。ところがその後、破談になったと聞いた。
いっとき、嬉しいなぁと思ったが、その原因が、母が小声で言うには
その家が「」だということだった。
そんなことがまかり通っていることが信じられなかった。
戸籍を明治に遡るとわかるのだそうだが、
昭和の時代にそんなことってあるのが子ども心にも許せなかった。
この北海道には同和問題はないと思っているし、
実際にもそんな地域も感覚もない。しかし、今でも関西を中心に全国的にあるように聞いている。
とんでもない話だ。確かに人間には、士農工商+somethingと言う
気持ちがないわけでない。
だが、そこは、人の理性がカバーしなければならないのだ。
実際、銀行時代に、をかたって、脅す、掠め取ろうという輩と
渡り合ったこともある。
毅然として対応したが、いい迷惑であった。ざけんなよ!!って気持ちだった。
今回の漫画、大変、参考になった。
『蟹工船』と『人間失格』はともかく、
もう一度、『破戒』元本と『橋のない川』を読み直して、
人の心を生き生きしたものにしたいと思う。