ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

「縄文ノート78 「大黒柱」は「大国柱」の「神籬(霊洩木)」であった」の紹介

2021-06-11 20:40:01 | 日本文明
 はてなブログに「縄文ノート78 「大黒柱」は「大国柱」の「神籬(霊洩木)」であった」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/
 「縄文ノート69 丸と四角の文明論(竪穴式住居とストーンサークル))において、私は縄文時代の竪穴式住居は四角の柱組からすれば四角の平面形にするのが自然であるにも関わらず、円形平面にするのは不自然であり、そのルーツがアフリカの円形平面住宅にあり、Y染色体Dグループの縄文人の移動とともに日本列島に伝わった可能性が高いことを明らかにしました。
 では、大黒柱を中心にした「田の字型」の農家・民家住宅のルーツはどこにあるのでしょうか? アフリカルーツの円形平面の竪穴式住居ではなく、なぜ「田の字型」の農家・民家が標準プランとして登場したのでしょうか?
 結論からいうと、死霊・祖先霊を神籬(霊洩木)から天に送り、迎える「心御柱(しんのみはしら)」の周りに部屋を配置した大国主の「田の字型」の出雲大社の建築プランを受け継ぎ、「心御柱=大国柱(おおくにはしら)」を「田の字型」の中心に置いた高床式の農家・民家住宅となり、紀元4~8世紀の天皇家の権力奪取により倭音倭語の「大国(おおくに)」が呉音漢語で「ダイコク」と読まれ、「大黒柱」と漢字表記されるようになった、と私は考えています。
 縄文時代からの神籬(霊洩木)信仰を受け継いだ、大国主の八百万神信仰の心御柱を中心とした「田の字型」神殿から、死ねば誰もが神となる八百万神信仰により「田の字型」農家・民家が全国に普及し、竪穴式住居に置き換わったと考えます。
 「縄文文明の世界遺産登録」を目指すならば、「縄文時代」=未開社会、「弥生時代」=文明社会としてきた「弥生人(中国人・朝鮮人)による縄文人征服説」の空想を乗り越え、縄文社会から連続したスサノオ・大国主一族の霊(ひ)・霊継(ひつぎ)信仰に基づく建国とそれを受け継いだ日本の文化・文明の姿を「全世界の文明」の中に位置付ける必要があると考えています。
 本ブログのテーマの「スサノオ・大国主建国論」としても、出雲大社を始めとする霊(ひ)崇拝の八百万神信仰の世界遺産登録を検討するという観点から、世界の諸文明の中での紀元1~4世紀のスサノオ・大国主王朝がどのように位置づけられるのか、大黒柱から考えてみていただければと思います。雛元昌弘


□参考□








<本>
 ・『スサノオ・大国主の日国(ひなこく)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
 ・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
 2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(『季刊 日本主義』40号)
 2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(『季刊 日本主義』42号)
 2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(『季刊日本主義』44号)
 2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(『季刊 日本主義』45号)
<ブログ>
  ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
  ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
  帆人の古代史メモ    http://blog.livedoor.jp/hohito/
  邪馬台国探偵団   http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
  霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/

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