ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

40 「壬申の乱」「平城上皇の変」「信長の天下統一」は同一構造

2009-05-06 13:55:40 | 歴史小説
津島神社の案内板


●ヒナ 21:24
桓武天皇が崩御し、平城天皇が即位しましたが、発病したため、弟の嵯峨天皇に譲位し、平城上皇の子が皇太子になります。
810年、退位した平城上皇は旧都平城京へ移りますが(二所朝廷)、平城上皇は復位をもくろみ、平安京を廃して平城京へ遷都する詔勅を出します。嵯峨天皇は遷都を拒否し、平城上皇は東国に赴いて挙兵しようとしますが阻止され、平城上皇は出家し、愛妾の藤原薬子は自殺します。

●カントク 21:27
その時、尾張はどういう役割を果たしたのかな?

●ヒナ 21:28
平城上皇は尾張・美濃を押さえようとしますが、嵯峨天皇側の坂上田村麻呂が阻止し、嵯峨天皇が近江、美濃、尾張を掌握して勝利します。
嵯峨天皇が「津島神社」に正一位の神階と「日本総社」の称号を贈ったとすれば、その見返りだったのではないでしょうか?

●カントク 21:32
ヒナちゃんもすごいね。そこまでちゃんと調べておったとは。歴史学者になるより、推理作家を目指してはどうじゃ?

●マル 21:34
その言い方って、学者には推理力がない人が向いているようじゃない。長老に失礼じゃない?

●長老 21:35
研究の方法論には、「データ積み上げ型」と「仮説検証型(推理検証型)」があり、どちらも必要です。
確かに、歴史学者には「積み上げ型」というか、過去の仮説から抜け出せない「通説積み上げ型」の人が多いのは事実ですが、新進気鋭の「推理検証型」の人もいますよ。
ヒナちゃんは、そちらの学者を目指して真実を追究して欲しいなあ。

●ヒナ 21:38
ありがとうございます。
平城上皇が東国で挙兵しようとしたのは、壬申の乱で大海人皇子が尾張・美濃などの兵を募ったのとそっくりなんです。

●ホビット 21:39
信長も、尾張を拠点とし、美濃を攻略し、近江、京都へと進出していますよね。そして、いずれも、スサノオを信仰している点が共通しています。

●カントク 21:41
尾張氏一族の海部(あま)氏に養育された大海人皇子は、後に天皇を名乗ったことからみても、津島神社に祀られた天王・スサノオを信仰していた可能性が高い。
嵯峨天皇が「津島神社」に「日本総社」の称号を贈り、スサノオを「皇国の本主」としたのは、スサノオを氏神と考える天武系の皇族や、出雲系の氏族を味方に付けるアピールであったのではないかな。

●マル 21:45
ボクちゃん。大海人皇子は、壬申の乱の時に、津島神社に立ち寄っているの?

●ボク 21:46
ちゃんと日本書紀を調べておきましたよ。
672年の大海人皇子の動きは次のとおりです(近江路軍の動きを中心にまとめています)。これを見ると、津島神社や熱田神宮に立ち寄った形跡はないですね。
しかし、美濃の兵3千、尾張の軍2万は、主力部隊であったと思われます。三河・甲斐・信濃の軍も、神社や前方後法墳の分布からみて出雲系であったと思われます。

5月    近江朝廷による美濃・尾張の農民兵徴発
6月22日 大海人皇子は美濃の私領地の湯沐邑(ゆのむら:現在の岐阜県安八郡・大垣市・揖斐郡)に使者を派遣。多品治(太安万侶の父)に命じて、不破道(関ヶ原)を塞がせる。
6月24日 吉野脱出(約20人)。夜、伊賀郡司ら数百人が合流。
6月25日 伊賀 伊勢国宰の軍が合流。500人に鈴鹿山道を塞がせる。
6月26日 天照大御神を遙拝。桑名に陣。東海と東山の軍を徴発させる。美濃の兵3千人、不破道を塞ぐ。   
6月27日 桑名から関ヶ原に移動。尾張国宰の軍2万が合流。美濃・三河・甲斐・信濃の兵も集結。
6月28日 関ヶ原で軍を検閲。
6月29日 飛鳥で大伴吹負らが決起、飛鳥占拠。
7月1日 玉倉部の戦い(関ヶ原)
7月2日 3方面軍発進(近江路、伊勢 → 大和、伊賀 → 近江)
7月7日 横川の決戦(米原)
7月9日 鳥籠山の戦い(彦根)
7月13日 安河の決戦(野洲)
7月17日 栗太の戦い(栗東IC付近)
7月22日 瀬田唐橋の決戦(大津)
7月23日 大友皇子自殺(山崎)
7月24日 大津宮奪取

●マル 21:51
大海人皇子の行動は、このような迅速な行動からみて、周到に計画された近江朝廷への反乱ですよね。

●ボク 21:52
大海人皇子は671年10月17日に出家して吉野に移り、天智天皇が12月3日に没したあと、大友皇子は大王(おおきみ)に即位する儀式を行う間もなく、半年後には壬申の乱で敗れています。
大海人皇子の行動は大友皇子を大王即位の前に倒す計画であった、と思われます。大友皇子は弘文天皇の諡号を贈られていますが、それは明治3年(1870年)になってからです。

(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)

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