ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団74 「一ツ山」「三ツ山」は古代出雲の「青葉山」と同じ?

2009-11-13 21:10:56 | 歴史小説
射楯兵主神社(播磨国総社)の「一ツ山」と「三ツ山」の模型(総社御門2階の資料室:神戸観光壁紙写真集http://kobe-mari.maxs.jp/より、http://kobe-mari.maxs.jp/himeji/sousha.htm)
<参照>
http://www.himejifan.com/manabu/rekisiisan/rekisi/souzya.html、
http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/festival/html/075exp.html

ヒメの案内で、朱塗りの新しい総社御門2階の資料室に登った。そこには、始めてみる「一ツ山」と「三ツ山」の模型が中央に展示してあった。壁面には、60年に1度行われる「一ツ山大祭」と20年に一度行われる「三ツ山大祭」の模様が写真と説明文で紹介されていた。
「私が中学校に入った時に一ツ山大祭があり、大学に入った時に三ツ山大祭があったのよ」
「これはすごい。こんな祭りがあるとは不覚にも知らなんだよ。この『山』は古代人の宗教を解明する鍵になるかもしれんな」 カントクはいつも仰々しく、芝居がかっている。
「高さ16m、直径10mというと、4階建て住宅の高さと幅になる。丸太と竹で骨組みを造り、布を巻いて山にしているのか、実に面白い」 どうやら、カントクは「山」が造られる様子を想像し、映像で記録する目になっている。
「こんな祭りは、他でもあるのかな?」 ネットミーティングではおとなしい長老だが、身を乗り出してきた。フィールドワークになると、いつも学生の先頭に立って調査しているからか、長老は積極的である。
「以前、角館の仕事をした時に、大きさや形は違うけど『大置山』というのが街角に作られていたわよ。それと、別に、もっと小さな『曳山』がいくつも練り歩いていたけど、どちらも山があって、その前に神話や歌舞伎の人形が飾ってある、大変絢爛豪華なものだったよね」 マルちゃんは仕事で全国どこにでも行っているので、だいたいのことは知っている。
「岐阜市の三輪神社でも、置山を作ってその前に人形を飾っていたなあ」 カントクも撮影で全国各地に足を運んでいるので、祭には詳しい。 
「なぜ、こんな山が造られるようになったのかな?」 長老は、答えを知っていて、学生に質問する時の、「上から目線」のクセが抜けない。職業病だよなあ、高木はここでは学生役になるのはパスすることにした。
「ここに書いてあるけど、播磨国一宮の伊和神社でも、同じように一つ山祭と三つ山祭が行われていて、神社を囲む一ツ山(宮山)と三ツ山(白倉山、花咲山、高畑山)で神事が行われているのよ。総社にはこの伊和神社の祭神の大国主を移すとともに、その祭りを継承して、4つの山を模した山の模型を建てて祭りを行ったのよ。ずいぶんと頭がいいと思わない?ずぼら、とも言えるけどね」 今日は、ヒメは神妙にも郷土の優等生になって答えている。
「『ずぼら』したい、楽チンしたいこそ文明の原動力である、という『ずぼら文明進化論』を知っとるかな?」 カントクはいつもの調子である。
「混ぜっ返さないでよね。祖先霊を天から神那霊山(かんなびやま)の山頂の磐座(いわくら)に招き、それを迎えて祀る、という伊和神社の祭りがもとになって、一ツ山と三ツ山の模型で祖先霊を迎えた、というのね」 マルちゃんは、相変わらずカントクの発言をフォローしている。
「ここに書いてあるけど、正確に言うと、射楯神・五十猛神と兵主神・大国主を神門の上の門上殿に移し、その神門の前に置かれた置き山の上の山上殿に全国の3,732座の天神地祗を招く、という祭礼なのよね」 ヒメはパネルの記載部分を指さしながら説明を加えた。

「そうすると、五十猛と大国主の霊を招くのではなくて、五十猛と大国主の霊はここにいて、全国の天神・地神の霊を招く、ということになる。この祭礼は、出雲に八百万の神々が集う、という毎年の神在月の神事と似ているよなあ」 長老ははるか遠くを眺めるように目を細めた。時空を超えるときに、長老はいつもこんな目になる。
「この置き山は、古事記の垂仁天皇の条にある『青葉山』と同じなのではないでしょうか?」 神話や神社にやたらと詳しいヒナちゃんらしい。
「垂仁天皇の御子で、母とその兄を天皇に殺されたホムチワケは、大人になっても言葉がしゃべれなかった。そこで、出雲の大神の宮を拝みに行ったところ、出雲国造の祖の岐比佐津美(きひさつみ)が出雲大社の大庭に青葉山を飾り立てて迎えた。これを見たホムチワケはしゃべれるようになった、という話を古事記は伝えています。この青葉山が『山』の最初の記録と思います」 
「もともと、出雲大社の庭に青葉で飾り立てて『山』を作っていたのを、この播磨国総社が受け継いだとすると、出雲と播磨の関係は深いな」 ヒナちゃんの解答に、長老は自分の教え子であるかのように満足気である。
「そうかなあ?出雲の青葉山の神事がこの地で受け継がれた、というだけかしら。この地で大国主が全国の3,732座の天神地祗を招く祭礼が行われた、という事は、この地で、実際に大国主が全国の神々を迎えた、ということがあった、とは考えられないかしら?」 ヒメの発想は、いつもブッ飛んでいる。
「それは面白い。この3日かけてじっくり、検討したいね」 どうやら、カントクもヒメと同じことを考え始めたようだ。
神社や祭りの起源をずっと後の時代とする通説に凝り固まっていた高木も、ようやく、天下の奇祭、60年に一度の「一ツ山大祭」と20年に一度の「三ツ山大祭」の重要な謎解きに引き込まれていった。
「射楯大神、スサノオの子の五十猛(イソタケル)のことを話したいと思っていたんだけど、『山』で盛り上がってしまったわね。続きは、車に乗ってやりましょう。」 

(日南虎男:ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』梓書院刊です)

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