ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団125 「霊(ひ)」を継ぐ「棺(ひつぎ)」と子宮回帰の宗教思想

2011-12-05 20:36:21 | 歴史小説
内部を丹で塗った吉野ヶ里の甕棺

「それじゃあ、古代人がお棺の中を赤く染めたというのは、お棺を子宮として考えていたということになるわね」
ヒメの母親の発想は飛んでいる。
「死者を入れるお棺のことを『ひつぎ』というのは、『霊(ひ)を継ぐ入れ物』だからと考えていましたけど、『子宮』までは考えていませんでした」
 ヒナちゃんは率直に認めた。
「人は女性の子宮から生まれて、子宮に帰っていく、ということはありうるなあ」
 カントクは、やはりすぐに同調する。
「確かに、吉野ヶ里遺跡から大量に見つかった甕棺(かめかん)は子宮を思わせる。しかし、割竹型木棺や、割竹形や長持形、舟形、家形などの石棺をみると、死体を収めたのは、霊(ひ)宿ると考えられた巨木や霊(ひ)を運ぶ長持ちや船、霊(ひ)が宿る家などに変わってきたのかも知れないな」
 長老の解釈に高木は納得できた。
「しかし、血を表す丹が棺の内部に撒かれていたということは、やはり、棺を子宮と考えた名残ではないのかな」
マルちゃんは子宮説にこだわっている。
「前方後円墳は、壺の形を模したものである、という説もあったな」
カントクも同調する。
「甕棺に葬った時代は、人が大地に帰り、大地から再生すると考えられていた黄泉帰り宗教の段階で、甕棺の内部を朱に塗って子宮に見立てたと思います。しかし、霊(ひ)が天にのぼり、再び地上に降りてくる、という宗教思想が生まれると、遺体を霊(ひ)が降臨する山上の巨木や巨石に入れる思想に変わり、甕棺から木棺や石棺に代わったと思います。その棺(ひつぎ)の形は、最初は巨木を割った割竹形とし、石棺になってから長持形や舟形にしたのは、霊(ひ)を運ぶものと考え、家形にしたのは、霊(ひ)が帰ってくる場所と考えたと思います。
従って、この段階では、墳墓の形を子宮型にするということは思想的にありえないと思います」
ヒナちゃんの考えはブレない。
「しかし、霊(ひ)継ぎの場面を再現した埴輪群のある八幡塚古墳は、保渡田(ほとだ)といったわよね。女性の性器の『ホト』が付いた地名が残っているということは、お墓を子宮と考える子宮回帰の宗教思想が残っていたんじゃない?」
マルちゃんの話は、全国どこにでも飛んでいく。
「子宮回帰思想は前方後円墳よりずっと前の宗教思想だから、子宮回帰思想から壺型の前方後円墳ができた、というのは考えにくいね。墓の上での霊(ひ)継ぎ儀式の場と、前王の埋葬場所を分離した、ということだと思うよ」
長老の考えは無理がない。
「墓の上に、壺をずらっと並べる、というのは、天に昇った祖先の霊(ひ)を壺の形の子宮に回帰させようとした、ということは考えられません?」
マルちゃんは食い下がる。
「それは、ありうるんじゃない。底が抜けた壺を並べているのは、天から壺に霊を受け止め、棺に導くという考え方は成り立つね」
カントクは面白い発想に同調しやすい。
「しかし、元々は、祖先霊に捧げるお供え物を置く台や、水を捧げる壺だった、ということはありません? 現在のお墓だって、墓の前に水を置きますよね」
 高木としては、いろんな可能性を検討しておきたかった。
「壺を並べている古墳があるし、壺の底が抜けているというのはどうなの?」
 マルちゃんはネバる。
「雨水が溜まって腐らないように壺の底を抜いた、ということも考えられますよね」
 高木も負けてはおれなかった。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ホームページ:霊(ひ)の国古代史研究室(http://www.geocities.jp/hinatsutomu)
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
       帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
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4 コメント

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阿蘇ピンク石 (ポチポチ)
2012-01-17 23:43:49
阿蘇ピンク石と肥(火)後そして近江野洲…検索して読んで見て下さい。

彼は東から追って来ています。
広峯神社(牛頭天皇)~岡崎神社(京都)~尾張(美濃)
伊和大神の子供が伊勢津彦・媛~後の鳥羽水軍・伊勢平氏~鹿島・香取~イダテ(伊達)=だて氏
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伊勢神宮と出雲大社と大国主… (ポチポチ)
2012-01-18 01:36:56
出雲大社は先祖代々の土地(スサノオ)~播磨は大国主~・鳥羽・志摩(島)伊勢地方は伊和大神(大国主??)の子孫…
別に大国主系なら一直線に並んでもおかしくないでしょう??点で結んだだけだから~

>>オオヤマツ(津)ミ神
ワタツ(津)ミ神
イセツ(津)ヒコ

住吉大社の祭神は上筒(津津)男・中筒男・底筒男…(川の神)
社家は津(守)

白国神社に祀っているのは吾田(津)媛
ワタツ(津)媛か?=神戸の和田泊(港)か?明石の海(ワタツミ)か??
ワレは田(稲作)と津(港)の水の神(水神?)の媛
ワレはタツ(龍)の神=竜神の媛

**鹿児島の地名の吾田津(地神)を祀って~何も意味に成らないでしょう?

摩耶山のとう利天上の摩耶夫人(西王母)=法道仙人の開基?!
この仏像は脇腹から水掻きの有る竜神?を産んでいる。(竜神の産みの親??)

大阪湾や淡路・四国まで一望出来る。海の民のゴッドマザー(笑い)
明石の海神社(ワタツミ?)は支店?

>>シラギの人が泊まっただけ~住んでいるとは書いてないでしょう?

四神相応から言えば~
西播州は白。
白馬(ペガサス)・白鳥・鳥居は白(石か?白木)
日本に虎はいないから…

>>和歌三神は住吉三神・宗像三女・柿本人麿(明石)も
海・水(川)・津の繋がり

アタツ媛はちょっとかわいそうだから~コノハナサクヤ媛に変えたのでは??

コノハナ(木の花)で津島(対馬??)で白い花って~『なんじゃもんじゃ』の木。
この辺ではほとんど見ないけどね。
秋に雪が積もったように白い花が咲く高木。
夏の終わり頃に咲く花もほとんど見ないからね。
多可郡可美町(たか群かみ町)
鷹の群れの神の町。
返信する
八雲神社 (ポチポチ)
2012-02-11 10:35:47
東播磨

http://satokenn12.exblog.jp/16687740/

何故か?モーゼのようなハナス・・
ユダヤの囚人服に杖・・
神輿
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%BC%BF

東播磨は海系・・・
法衣(何故か?ハッピと言う)・・・赤色・波の文様・竜・・・
モーゼ?(猿田彦が先導して、神輿をお旅所へ)
神輿=アーク?
何故か八雲神社??で境内が馬場先・・・

>>鬼追い式
http://narashikanko.jp/j/ivnt/ivnt_data/ivnt28/
(興福寺)此方では「毘沙門天」を追い払う・・・色は東の青

http://ameblo.jp/taitokiss/entry-11155410003.html
八尾天満宮・・・バラエティー豊か(笑い)
http://kobe-mari.maxs.jp/shrine_temple/tuinashiki.htm

http://www.city.miki.lg.jp/bunka/dentougyoji_kayain.html

播磨では毘沙門天は守り神??天狗も・・・
赤鬼と黒鬼(赤=海、黒=山の神)

法隆寺では赤・青・黒鬼・・・
毘沙門天は「白鬼??」

>>出雲地方は比較的新しい
http://www.highlight.jp/kagura/tsukinoya/04.html(般若面)
現在の出雲大社の門前町(古代の出雲族では無い)


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結局・・・ (ポチポチ)
2012-02-16 00:52:34
ニニギ・ニギハヤヒの1族は・・・
毎日、戦争~王権争い・裏切り・暗殺
ほとんど男系尊属が死亡してしまった。

国を譲った大国主に王権が戻って来た。{山の民・海の民}=母系社会で政治には口出ししなかった・・・
女帝・息長氏・大海人王子(海人系)か?
東国・九州に下向したりした傍系のみ(武士化)

>>ヤマト地方こそが「黄泉の国=死者の国」
そこいら辺に死体やお墓・・・殺戮の町!!
祟りや疫病・・・

斎明天皇が「狂ったように~水と石の町を建造」
残ったのが月読(臣)系の天智天皇とスサノオ系の大海人王子

大国主は「夫婦仲良く~無事に円満で長寿を真っ当」~子孫繁栄。

ヤマト地方は「日本で最初に計画的に作った宗教都市」と言う意味以外には大して意味が無いような?
掘っても焼土か?盗掘か?
漆喰の「壁画か?斎明天皇の巨石の遺跡ぐらい?」

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