ヘビースモカーのウチの宇宙人の部屋のガラス窓をきゅっきゅっきゅっ!
行き場を失った煙は、ガラスに、枠に、カーテンにしがみついて。
まるで、聞く(読む)ところの「適塾」(緒方洪庵)の塾生みたいな生活。
身の回りに必要品。その中に埋もれて生きてるわ。ええ、勿論布団一式はそこにあるけれど、温度によって身をくるむ布団(増減)を被って、目がさめれば仕事をして、必要な資料を頭にインプット。
だらしない?ええ、そうだわね。
だからといって、ギャアギャア言わないあたくしよ。黙ってレースのカーテンを洗って、ガラスを磨いて、出来るだけ共有空間を整頓するだけよ。
充分こちらの意向も知ってる彼ですから、あたくしはあたくしがしたい、出来る範囲の事をするだけです。
生き方は、それぞれが持っている価値観がベース。
そして、他者とのかかわりにこの価値観が頭をもたげてくる。これがいさかいの元ね。身内・他人問わず。当然親子だってあります。勿論他人をやよ。
さあ、これが大問題。
3分に1組が離婚だって、かって聞いたことがあるけれど、今はどうも縮まってるみたいね。それは、ことごとに現れる違い。そう、カッコよく言えば文化の違い。慣れ親しんできたそれと真っ向対立する価値観は、もう気持ち悪いほどの違和感、お互いにね。
心地よい所から出ようとしない個々のエゴ。
違う、その違いを見ようと、認めようとしないエゴ。
それを突き詰めれば支配欲に通じる。
何であんな事を言う?する?
それは、私じゃないから!私じゃない!!
こんな簡単な事に気付かない。
ええ、違うから一緒になったんじゃない?惹かれたのよね。アバタをえくぼに見えたならその自分の心を大事にしなきゃ!って、あたくしは思うのです。
相手を、相手のせいじゃない折れそうになっていく、都合のいい方向へ持って行こうとして、それが敵わないって勝手に妄想の世界に突入した自分が見えない。見ようとしない。
アバタがえくぼに見えた自分を捨てちゃうのです。
ある時、こんな1文がアッパーカットの一撃!
「なぜ、あなたが正しいと言えるのですか?」
涙がポロッとこぼれました。
なんと、不遜な自分だったか。心の中で自問自答よ。
どうだったのよ!って。
誰かに謝罪なんかじゃありません。自分自身に対する瞬間に生まれた感情。
それは、自分を貶めて汚していることだったって。
ある時(今世紀に入ってまもなく)、突然全身を貫く衝撃を受けた、あれに継ぐ衝撃よ、
なんで自分が正しいって言えるの?だなんて。だなんて。
・・・・・そう、言えない、小さな声で、ええ、言えないわ。
なら、声高に、なんの権利があって、自分を通そうとするの?
言ってご覧!・・・・・そう、言えないでしょ?
人は、頭で考えている内は気付かないのです。かえって、知識が邪魔をするのです。心が揺さぶられない限り、百万の言語を尽くしても、心は闇に覆われたまま。勘違いの道を蛇行するだけ。
そんなこんな。少しずつ心の闇(気付かなかっただけ)に、光が射し出してきてるって感じるのよ。
思いや口から飛び出す言葉は、瞬間で自分がキャッチしてる事に誰も気付いてないわ。
ネガティブな感情や、付随する言葉は、相手に投げかける前に、自分が受け取ってる事に気付いて!しっかり受け止めている自分なのです。
それが潜在意識の中に埋め込まれて、そしてあなた(私)を支配するようになるのです。
ね?どうしなきゃいけないか、わかるわね。
愛しましょう、それはそのまま自分へ向けられる感情なのですから。
ないものを探すのは辞めましょう。いま所有している「ある」ものを!自分で作ったものなど一つもないのです。すごい事でしょう。
人が?無視です。見つめるのは自分の心だけ。今、ここにいる自分を抱きしめましょう。誰よりも誰よりも愛して欲しいのは、目に一杯涙を溜めて、ここにいるのよ!って気付いて欲しい自分なのですから。
すると、今まで固着していたことが、どうでもよくなってくる、清清しい自分に出会えるはずです。ええ、あたくしは出会い始めてるわ。嬉しい!
行き場を失った煙は、ガラスに、枠に、カーテンにしがみついて。
まるで、聞く(読む)ところの「適塾」(緒方洪庵)の塾生みたいな生活。
身の回りに必要品。その中に埋もれて生きてるわ。ええ、勿論布団一式はそこにあるけれど、温度によって身をくるむ布団(増減)を被って、目がさめれば仕事をして、必要な資料を頭にインプット。
だらしない?ええ、そうだわね。
だからといって、ギャアギャア言わないあたくしよ。黙ってレースのカーテンを洗って、ガラスを磨いて、出来るだけ共有空間を整頓するだけよ。
充分こちらの意向も知ってる彼ですから、あたくしはあたくしがしたい、出来る範囲の事をするだけです。
生き方は、それぞれが持っている価値観がベース。
そして、他者とのかかわりにこの価値観が頭をもたげてくる。これがいさかいの元ね。身内・他人問わず。当然親子だってあります。勿論他人をやよ。
さあ、これが大問題。
3分に1組が離婚だって、かって聞いたことがあるけれど、今はどうも縮まってるみたいね。それは、ことごとに現れる違い。そう、カッコよく言えば文化の違い。慣れ親しんできたそれと真っ向対立する価値観は、もう気持ち悪いほどの違和感、お互いにね。
心地よい所から出ようとしない個々のエゴ。
違う、その違いを見ようと、認めようとしないエゴ。
それを突き詰めれば支配欲に通じる。
何であんな事を言う?する?
それは、私じゃないから!私じゃない!!
こんな簡単な事に気付かない。
ええ、違うから一緒になったんじゃない?惹かれたのよね。アバタをえくぼに見えたならその自分の心を大事にしなきゃ!って、あたくしは思うのです。
相手を、相手のせいじゃない折れそうになっていく、都合のいい方向へ持って行こうとして、それが敵わないって勝手に妄想の世界に突入した自分が見えない。見ようとしない。
アバタがえくぼに見えた自分を捨てちゃうのです。
ある時、こんな1文がアッパーカットの一撃!
「なぜ、あなたが正しいと言えるのですか?」
涙がポロッとこぼれました。
なんと、不遜な自分だったか。心の中で自問自答よ。
どうだったのよ!って。
誰かに謝罪なんかじゃありません。自分自身に対する瞬間に生まれた感情。
それは、自分を貶めて汚していることだったって。
ある時(今世紀に入ってまもなく)、突然全身を貫く衝撃を受けた、あれに継ぐ衝撃よ、
なんで自分が正しいって言えるの?だなんて。だなんて。
・・・・・そう、言えない、小さな声で、ええ、言えないわ。
なら、声高に、なんの権利があって、自分を通そうとするの?
言ってご覧!・・・・・そう、言えないでしょ?
人は、頭で考えている内は気付かないのです。かえって、知識が邪魔をするのです。心が揺さぶられない限り、百万の言語を尽くしても、心は闇に覆われたまま。勘違いの道を蛇行するだけ。
そんなこんな。少しずつ心の闇(気付かなかっただけ)に、光が射し出してきてるって感じるのよ。
思いや口から飛び出す言葉は、瞬間で自分がキャッチしてる事に誰も気付いてないわ。
ネガティブな感情や、付随する言葉は、相手に投げかける前に、自分が受け取ってる事に気付いて!しっかり受け止めている自分なのです。
それが潜在意識の中に埋め込まれて、そしてあなた(私)を支配するようになるのです。
ね?どうしなきゃいけないか、わかるわね。
愛しましょう、それはそのまま自分へ向けられる感情なのですから。
ないものを探すのは辞めましょう。いま所有している「ある」ものを!自分で作ったものなど一つもないのです。すごい事でしょう。
人が?無視です。見つめるのは自分の心だけ。今、ここにいる自分を抱きしめましょう。誰よりも誰よりも愛して欲しいのは、目に一杯涙を溜めて、ここにいるのよ!って気付いて欲しい自分なのですから。
すると、今まで固着していたことが、どうでもよくなってくる、清清しい自分に出会えるはずです。ええ、あたくしは出会い始めてるわ。嬉しい!