ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

なんとか、どうにか、取り敢えず・・・

2007-11-04 19:55:35 | Weblog
霜月に入って、ラ・ニーニャのせいらしく暖かい日本列島。北国からは例年より
遅い雪の便りもチラホラ聞かれるけれど、やっぱり暖かいこの国の今秋。
でも、急に寒くなって慌てないように、外に置いてあった観葉植物軍を一鉢ずつ
拭いて家の中へ入れだしたのだけど、愚息その①のお店へ行く筈の植物も、我が
家へ居座ることになったのです。
小さなお店で、植物達が納まるスペースはなかったものですから。
夏の間にグングン育った彼等を置いておくスペースは、日当たりなどを考えると、
限られた所へ置くしかなく、急遽買った1000冊の文庫本が収納できる本棚に
収めきれない本達の居場所も考えなくてはならず困惑。
なんとか、どうにか、取り敢えず、お茶を濁して、急激な低温に耐えられない
植物の居場所は確保しました。本も、書棚の上にも置いて、・・・・・ああ、
でもまだ・・・・・。
春と夏の終わりに掘り上げておいたフリージアとグラジオラスの球根も植え付け
て、ついでに2回目の春菊と冬菜の種もプランターへパラパラって蒔いて。先月
蒔いていた春菊を間引き。それは10cm程。
セニョール・ダンが「ウチの大根」って言って、畑から抜いてきたお大根をぶら
下げて。
自分で育てたお野菜を戴けるのは、何よりの贅沢。今年の冬も、ほとんどの冬野
菜を買わずに済みそうな畑とプランターで育つ彼等です。

金曜日の夕方、スペイン語の先生スサーナさんが「おが屋」へ連れてってで、
二人で六角橋界隈をブラブラ。六角橋商店街から1本内側へ入って、戦後からある
という路地に立ち並ぶ商店街。
「すっごーい」「かわいい~」「いいわあ」
って、興奮気味のスサーナさん。
「こういう所は初めて?」
「ええ、初めてよ。いいわねえ」

30年前に、ご一家でアルゼンチンから日本にいらした(ご両親は帰国)彼女と
ご兄弟姉妹。いきさつやら何やら詳しいことは存知上げないけれど、ご両親を
助けていらした彼女は働き者です。今でも毎日正業がおありの上に、ボランティア
といっていいレッスン料で、スペイン語を4ヶ所で教えていらっしゃるのです。
レベルに合わせての資料作りも大変な事。
正に、「用事は忙しい人に頼みなさい」を地でやってらっしゃる彼女の日々です。

「美味しい~~~!」を連発されて、飲む飲む食べる食べる。
ありがたいことです。嬉しい限りです。つられて私も同じように食べて。
「お母さんと幼馴染なんだよ」って、隣のブースから。ウチのグリーン(その①
の連れ合いの名前:みどりから)に自己紹介。
声の主は、その方のお父様と私の両親達がお友達だったご縁で、麻雀を私が12才
のときに教えてくれたお兄さん。立教ボーイ。今でもかっこいいシティボーイ、
じゃないシティオジサンです。
その前に、義理の兄が中野から来て(知らなかった)、スサーナさんを中国語で
紹介したら、義兄も中国語で。
「スペイン語の先生よ」
「なあんだ、レイコサンが中国語で言うから、中国語の先生かと思ったんだよ」
義兄は、日本生まれの中国人です。折角久し振りに会えたのですから、そこは
それ、習っている中国語を遣ういいチャンスなのですから、言うのです私は。

「奥さん、お久し振りです」
って、今度は向こうのブースからご挨拶に見えられて。・・・・ああ、毎年
お正月にいらっしゃるメンバー達。
「まあ、わざわざお越しいただいて、ありがとうございます。どうぞ又ウチへも
いらして下さいね」

幼馴染とセニョールが、話をするってことは聞いてたけれど、義兄が来るなんて
知らなかったし、元・社員後輩たちもいっしょになるなんてね。
ちょっと辺鄙な所にお住まいの先生ですから、早めに腰を上げて皆さんにご挨拶。
「アレッ、ご主人置いて帰っちゃうの?」
かなりアルコールが入った後輩たち。
「ええ、大事な先生ですから、一緒はこちらとね。みなさまさようなら」

「しかし、よく食べたねえ」
って、驚く愚息。だって、二人とも昼食抜きだったのですもの。そして、やっぱり
美味しかったからよって。ささやかな協力をする母です。
個室のようなブースが大小合わせて4つ。
何の絵を描こうかしら?ってことは、勝手に壁に飾ろうかな?なんてこれまた勝手
な事を考えている母でもあります。

ジャングル状態になった居間は、私達が出すCO2をせっせと吸ってくれる大小の
植物の鉢が光が届く範囲にいっぱいです。こんもり茂ったドラセナの木の鉢横には
ドレス姿の母の写真を置きました。
「お母さん、みどりが一杯で気持ちいいでしょう?」
いつも話し掛ける母は、冷たいお墓の中になんかいません。いつも私たち家族と
一緒です。
「ネ、お母さん!」