蒲田耕二の発言

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さよならアルヌール

2021-07-23 | 映画
昨日、フランソワーズ・アルヌールの逝去がひっそり報じられた。いまじゃ、このフランス人女優の名前を知ってる人も少なくなっただろうなあ。

1931年生まれだから、ジャンヌ・モローやブリジット・パルドーとほぼ同世代の人である。だが知名度は、ぐーんと下。何かの受賞なんて名誉は、キャリアで一度もなかったんじゃないか。

この3人、妙な共通点がある。若いころ、やたらとハダカになっていたことだ。

ジャンヌ・モローも? そうだよ。彼女が知性派の実力女優と見なされだしたのは1957年の『死刑台のエレベーター』からで、それまでは『バルテルミーの大虐殺』なんていうアホな史劇で全裸を披露したりしていた。

アルヌールも50年代前半は、『禁断の木の実』『上級生の寝室』『肉体の怒り』なんて日活ロマンポルノの源流みたいな映画の常連だった。盛大な脱ぎっぷりで世の識者や教委、PTA等々の袋叩きにされ、当時中学生のオレは無論、観ること叶わなかった。

色っぽかったんだよねえ、50年代のアルヌール。ハシタない言い方は控えますが、高校生のオレにとって女優とは、日本なら京マチ子、海外ならフランソワーズ・アルヌール。マリリン・モンローは、高校生にはちょっとヘヴィだった。

アルヌールのイメージが変わったのは、ジャン・ルノワールの『フレンチ・カンカン』からだ。B級作品以外への初の出演で、これによって彼女はエロ女優から愛くるしい小町娘に脱皮した。当時の日本社会に受け入れられる下地が出来た。

1年後、1955年の『ヘッドライト』が日本での決定打になったのは、間違いないだろう。この映画で彼女は、薄倖の貧しい娘を演じた。高度経済成長以前の日本社会は、慎ましく寡黙に生きるアルヌールに共感と同情を寄せた。そういうイメージは実は彼女の一部でしかなかったのだが、日本の観客はオレを含めて自分の観たい部分だけ観た。

あと1本、彼女の出演作を挙げるなら、ロジェ・ヴァディム演出の『大運河』だ。この映画では、彼女はむやみに酷い目に遭う。男に頭をガンガン壁に打ちつけられたり、すれ違う2隻のゴンドラに指を挟まれたり。

ヴァディムは当時バルドーの夫だったから彼女のライバルのアルヌールをいたぶったなどと噂されたが、嘘でしょう。アルヌールの一種、哀れっぽい風情を活かすための演出だったと思う。MJQのクールなサウンドとヴェネツィアの佇まいとアルヌールの持ち味とが、いかにも「ヨーロッパ」だった。

それにしても、80代のアルヌールの写真を掲載するなんて、朝日も無粋だよな。夢を壊すなよ。ヤツガレメが高校時代に描いた似顔絵で、当時の美しさを想像してください。

NHKが前田/大谷対決のカードを無視して五輪のサッカー予選を放送。それも、録画で。受信料、返せ。

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