蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

久しぶりに古いシャンソンを

2024-08-25 | 音楽

驚いたなあ、こんなレコードまでオークションに出るとは。網は張っておくもんですね。

1953年、ダミアが来日した時に日本コロムビアのスタジオで録音した45回転EP。60年代以降ならLPでコンサート・ライブ発売ってとこだろうが、50年代初期の貧しかった日本では、まだそういう慣例はなかったんだろうね。

このレコード、オレが大学でフランス語学習の一助にシャンソンを聴き始めたころには、とっくに廃盤になっていた。その後、リイシューされたりコンピレーションに組み込まれたりした形跡もない。マスター自体が散佚してしまったのではないか。レコード会社って、テープの保管が意外と杜撰だからね。

マイクログルーヴが開発されて間もないころのレコードだからプレス技術が万全ではなく、ffで音がちょっと濁ったりするが、声の響きが圧巻の生々しさだ。目を剥いてしまう。録音地プレスのED1盤の威力。

録音当時、ダミア63歳。いまの唱法ならこのトシでも無難な歌をうたう歌手はザラにいるが、ダミアやアマリア・ロドリゲスのようにPAに頼らず、自前の声で何百人もの聴衆と相対した時代の歌手は違う。肉体の老化がモロに声に出る。

だからこのダミアは高い音をテヌートできず、ダラ下がりの緩やかなポルタメントでゴマ化している。音程が微妙に危なっかしい。全盛時代の20~30年代の歌とは比較にならない。それでもやはり、一時代を画したアーティストの歌には腐ってもタイの風格があり、聴いていて不快ではない。若い頃から格好だけの歌ばかり歌っていたイヴ・モンタンのようなハッタリ野郎とはそこが違う。

「恋がいっぱい」「十字架」など4曲。いずれもすでにYouTubeにアップされているから、録音自体は特にレアではないです。レコードと違って、MP3特有の痩せて金属的な響きは否定できないけど。


ついでに、もっと古いシャンソンのレコードを。1962年か3年ごろ、英コロンビアがHMVと経営統合することになって、戦前から長年提携関係にあった日本コロムビアが契約解消にあたり、ありったけの英コロンビア原盤をレコード化した。古い映画音楽集とか、いろんなボックス物を発売したうちの一つで、第2次大戦前のSPレコードの復刻である。

"Les Grands Succès - Chansons Françaises-"(大ヒット/シャンソン)なるトホホなタイトルやレコード番号すら設定していない造りから発売元のやる気のなさがひしひしと伝わってくるが、久しぶりに引っ張り出して聴いてみたら、びっくりするほど音が良かった。

SPレコードのヴォーカルは、独特の音がする。分厚く温かく、芯の強い響きなのに少しもうるさくない。アンプを通さずにビクトローラ・クレデンザといった大型の手回し蓄音機で純アクースティックな再生をすると、耳を疑うほど深みのある音が出てくる。

そういう温かく深みのあるヴォーカルが、この3枚組セットから聞こえる。復刻盤ではめったに聞けない音だ。しかも、SP特有のシャーシャー・ノイズがほとんどない。

リュシエンヌ・ボワイエの「愛の言葉を」なんか、昨日歌ったばかりのようなみずみずしさだ。この歌、現在流通しているフランス原盤のCDは、どれもこれも歪みとノイズだらけのひどい音質である。1929年の古い録音だから、おそらくフランスにはもはやメタル原盤も状態のいいSPも残ってなく、擦り切れたレコードから復刻するしかなかったのだろう。

日本コロムビアはこのLPセットを市販のプレスSP、いわゆるシェラック盤ではなく、メタル・スタンパーから復刻したと聞いた。戦前の古いスタンパーがサビも出ずに保存されていたとは奇蹟みたいな話だが、この音から判断すると事実ではないかと思う。

レコードの音溝は凹だが、スタンパーは凸だ。だから、その再生には普通のカートリッジが使えない。そこでコロムビアの技術陣は、音溝の凸を両側から挟むヘッドフォン形のカートリッジを特製したと聞いた。そういう内幕を付属の解説書に書いておいてくれたら貴重な資料になったのだが、ひと言も触れていない。昔は解説書に曲の解説以外の文章を掲載する発想がなかったんだろうね。

なんでこんなレコードを半世紀ぶりに引っ張り出したかというと、『林芙美子が、佐伯祐三が生きた時代のシャンソン』なるレクチャーの講師を頼まれたので、当日再生する音源に使えるかなと考えたワケです。気が向いたら、覗いてみてください(要申し込み。9月5日締め切り)。


9月29日(日)13時30分~15時00分
新宿歴史博物館 03-3350-1141
参加費 500円

申込先(往復ハガキで)
〒160-022 東京都新宿区新宿5-18-14 新宿北西ビル 2F
新宿文化センター仮事務所 シャンソン講座係
https://www.regasu-shinjuku.or.jp
(くわしくはチラシをご覧ください。しかしいまどき、往復ハガキでって、どういうんだろうね)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美空ひばり・東京ドーム1988

2024-06-12 | 音楽

いまごろ何言ってんだ? ごもっともです。

でもねオレ、特にひばりのファンというワケではないんだよね。うまいとは思うが、彼女がド演歌を歌うときに使う、あの下卑た鼻声にはどうしてもなじめない。

なので東京ドームのコケラ落としにして、ひばり唯一のコンサート・ライブたるこのビデオ、初回発表当時は観る気もしなかった。だが先だって、NHKがデジタル修復版とやらをオンエアしたので、とっておいても損はないかと録画した次第です。おかげで初めて、通しで観た。

もとがアナログ収録のせいか、なんかボヤ~とした画質。55インチの画面だと、目鼻立ちもはっきりしない。アスペクト比4:3だしね。(一般にデジタル録音はひどい音質だが、録画は断然デジタルの方がいい)

そんなワケで、視覚的にはあんまり修復のありがたみが感じられないのだが、感心したのは音質だ。ひばりの声にもバックバンドのサウンドにも古い録音特有の歪み感や鈍さがなく、実に伸びやかな雰囲気で温かく豊かに鳴りひびく。

当時、ひばりはすでに大腿骨骨頭壊死と間質性肺炎を発症していて、万全の体調ではなかったと聞いている。確かに前半では、ファルセットの高音がうまく出せなくてちょっと伸びを欠く時もあるのだが、その声さえもが耳障りではなくナチュラルな発声に聞こえる。

これは、NHKの技術陣が腕を振るった成果なのか。それもあるだろう。しかし根本的には、ひばりのうまさだと思う。すぐれた歌手は、すぐれたセンスで汚い声を美しく聴かせることができる。

それより何より、体調不良をおして前後2時間の長丁場を無難に乗り切った精神力に圧倒される。最後の1曲まで危なっかしい隙を一瞬も見せず、途中ビートに合わせて激しく体を揺すったりもする。フィナーレでは、笑顔を振りまきながら長い長い花道をゆっくりと歩いていく。立っているだけでも痛いはずなのに。スモークで客席の視線から遮断された瞬間、スタッフの腕の中に倒れ込んだとどこかで読んだ。

プロ歌手のプロフェッショナリズムを嫌と教えてくれるライブ。やっぱり録画しておいて、よかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ルチーア』ベルリン・ライブ1955

2023-10-18 | 音楽

マリア・カラスの生誕100周年記念に、カラスのライブ中最も声価の高い録音のリマスタLPが発売された。ヨーロッパ(ドイツ?)の the Lost Recordings という聞いたこともないレーベル。Discogs で300ユーロ前後の高価なレコードだが、値切ったら240ユーロまで負けてくれた(しかし、円安とインフレの相乗効果で送料が高くなって閉口)。

鮮明な写真入りの分厚いブックレットやらCDスペック(16ビット/44.1kHz)のデジタル・ファイルのダウンロード権やらが付属していて、かなり気合の入った造り。レコードも分厚く艶やかな盤面で、丁寧なカッティングだと分かる。レコードのベテランになると、その辺の違いが一目で分かります。

録音自体はよく知られたもので、日本でもLP時代から繰り返し発売されてきた。

今度のリマスタLP(メンドくさいから、以下「赤箱、写真左」)の売りは、放送局音源からのダイレクト・マスタリング。ドイツの放送局の倉庫をかき回していて偶然マスター・テープを発見した云々と、芝居じみた説明をブックレットに載せているが、放送局マスターから制作されたLPは何もこれが初めてではない。

この録音を世界に初めて紹介した米プライベート・レーベルの the Limited Editions 盤(白箱、中央)がそれ。解説書も何もなく、簡素な作りのボックスにレコードを入れてあるだけの無愛想なセットだが、盤自体はサーフェス・ノイズのほとんどない高品質で、何よりも音質の良さがショッキングだった。カラスのライブ録音はその前から何点もレコード化されていたが、レコード会社の発売するスタジオ録音盤と比べて遜色のない音質のライブ盤は初めてだった。数年前に発売されたワーナー盤のCDと SACD は、多分このレコードから音を採っている。

ついでに言うと、大手レーベルから発売されたカラスやフルトヴェングラーのライブ盤は、大半がプライベート盤やそのコピーのマイナー・レーベル盤のコピーです。営利企業のレコード会社は、莫大なコストと時間をかけて真正のマスターを発掘する、もしくは所有者から買い取るなんて面倒な作業をやらない。

白箱に続いて発売された同じく米プライベート・レーベルの BJR 盤(右)は、何度もコピーを重ねたテープを音源に使用したらしく、音がザラザラ歪みっぽかった。使用するカートリッジによっては、狂乱の場のカデンツァでカラスの声が割れた。ステレオ・カートリッジで再生すると、例外なく割れた。

ところが、その後に発売されたLP(Cetra、ワルター協会ほか)とワーナー以外のCD(Melodram、EMIなど)はすべて BJR 盤から音を採ったらしく、軒並み高音が歪んで声が割れていた。

BJR はプライベート盤の中で音がいいとの定評があったレーベルなので、この盤さえ手に入れれば他の盤の音質を確かめる必要なしと考えたんと違うか。レコード会社が音楽を単なるビジネスとして取り扱っていて、愛情などはサラサラないことを端的に物語る事例だね。

くだんの赤箱『ルチーア』は、少なくとも音楽を、この演奏を愛し、リスペクトしていることが丁寧な制作姿勢からビンビン伝わってくる。その心根が、高いカネを出したことをユーザーに後悔させない。

ただし音質は、必ずしも白箱を上回るわけではない。オーケストラは、音が幾分こもりがちの白箱よりも鮮明だ。その代わり、声がやや痩せて険しくなっている。高音を持ち上げ、控えめとはいえデジタル・ノイズフィルターを適用した代償だろう。2幕大詰めのカラスの声など、老婆のようにしわがれている。全盛期の彼女の温かく豊麗な声は、白箱でしか聴けない。

オマケのデジタル・ファイルは声が歪みまくっていて、全然ダメ。

しかしまあ録音から68年後のレコード化、ノイズフィルターの使用は避けられなかったんだろうね。酸化鉄(鉄サビ)という不安定の代名詞みたいな物質を録音媒体に使うテープ録音は、録音直後から劣化が始まる。録音後17年目に制作された白箱に比べて赤箱が音質的に不利なのは、テープ録音の構造的欠陥から止むを得ないんだよね。

というようなことは、購入前から分かっていた。でもコレクターは買ってしまう。業(ごう)だね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レコード芸術休刊

2023-04-04 | 音楽
ああ、とうとうその時が来たか。長患いをしていた親が、臨終を迎えたような気分だ。

オレは評論家として、レコード芸術でデビューさせてもらった。さらに20年にわたってレコード評を同誌に書き続けた。レコード芸術はオレの生みの親であり、育ての親だった。

オレがデビューした70年代初めは、高度経済成長まっ盛りだった。金儲けとは比較的に縁の薄いクラシック音楽界も、むやみに活きがよかった。大木正興氏や高崎保男氏らの尖った批評が、時にレコード会社との軋轢を生み、その軋轢が読者の信用を獲得した。

レコード芸術に掲載される評論の数々が、キラキラと威勢のいい、もしくは鼻息の荒い言葉にあふれ、熱っぽい活力に沸いていた。

当時、音楽誌は他にもいくつか創刊されたが、レコード芸術の地位は不動だった。レギュラーの読者数がもっとも多く、したがって影響力のもっとも大きい雑誌の評価を保持し続けた。

事実、オレの担当したシャンソンでも、なまじのポピュラー音楽誌よりレコード芸術に書いた時の方が反響が大きかった。

だがバブルがはじけ、景気が停滞し始めると、レコード芸術はみるみる元気を失った。強気の評論は影をひそめ、圧のある輝きが紙面から消えた。あたかも体力が衰え、床に伏しがちになった老母のように。

そこへ、ネットの普及が追い討ちをかけた。レコードの復活が示唆するとおり、クラシック音楽ファンがいなくなったわけではない。紙に印刷された文字を読む、という従来の習慣がネットによって否定されたのだ。対価を払って評論を読む行為が、時代遅れになった。

時代は変わる。

オレの生物学的両親は、とっくに世を去った。オレ自身、自分がこの世での役割を終えたことを日々実感している。レコード芸術の休刊、というか事実上の廃刊は、ゆっくりとだが、たゆむことなく流れ下っていく時間の大河のごくごく小さな波しぶき、なのかもしれない。

そうではあっても、その小さなしぶきが日本の文化界に遺すシミは、この先も長く残るのではなかろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『俺と女たち』

2023-01-21 | 音楽

ミュージシャン・ガンズブールをオレは評価しない。彼が独創的な才能を見せたのは映画の方で、音楽はオリジナリティに乏しく、やっつけ仕事が多い。フランスでも初期の彼がヴィアンやグレコに認められたのは作詞によってで、音楽で、ではなかった。ま、フランスには音楽の良し悪しを見分けられる目利きが少ないという事情もあるが。

しかしどんなヘボでもボンクラでも、レコード会社が録音しようかってぐらいのタレントなら一つや二つは聞かせる作品があるものだ。ガンズブールの場合は、1964年の『コンフィデンシャル』(より厳密に言うと、その中の1曲「雨の季節」) がそれに当たる。やたらコケ脅しをカマしたりスキャンダラスな振る舞いをしたりの後年と違い、清潔な気品に貫かれたクール・ジャズ・アルバムだ。大半は、アレンジとギターを担当したエレク・バクシク (ハンガリー人だから正確にはバチックだろう) の功績だが。

海外では彼のアルバム中とりわけ人気が高いらしく、日本プレスの初期盤にDiscogsで23万の値がついていた (どういうわけか、フランス盤より日本盤の方が高い)。いまでは手に入らなくなっているから、そんな高値でも買った人がいるのだろう。この初期日本盤、オレは引っ越しのとき二束三文で叩き売っちまったんだよね。チクショー。

『コンフィデンシャル』は、ヤフオクでも90年代発売のリイシュー盤しか見かけたことがない。たとえ初期盤が出ても手の届かない高嶺の花になるだろう。リイシュー盤は音の劣化がひどくて聴けたもんじゃない。

しかし、『コンフィデンシャル』のナンバーを何曲か再録したコンピレーションなら比較的に容易に安価で手に入る。それが69年発売の『俺と女たち』だ。「雨の季節」も含まれる。同じころフランスでもコンピレーションが制作されたが、選曲は日本盤の方が断然すぐれている。フランス盤は例によって音楽そっちのけで歌詞を選曲の目安にしており、結果的につまらない曲の目白押しである。

日本盤の選曲を担当したのは、当時日本フォノグラムのディレクターでのちにMCAの社長になったI氏とシャンソン評論家の永田文夫氏だった。永田氏は生前、ゴマスリ批評やデータのパクリが多かったために世間の評判は芳しくなかったが、本気を出すと筋の通った仕事をした。本を1冊翻訳しただけでフレンチの家元でございなどとほざいているハッタリ野郎より、よほど高い見識をお持ちだった。

上掲の写真はジャケット違いのリイシュー盤。70年代半ばの発売だが、さいわいデジタル・ノイズフィルターの適用を免れたらしく、ふっくらと温かな音質が耳に快い。CDや90年代のリイシュー盤『コンフィデンシャル』とは情報量がケタ違いである。

ヤフオクでついでに買った『You're under arrest』は、ガンズブールのラスト・アルバム。けたたましいサウンドやビートや念仏みたいな単調で陰気なヴォーカルが全編でさっぱり変わり映えせず、聴いているうちに退屈で死にたくなる。これだからガンズブールというミュージシャンをオレは評価しないのだ。

なお、セルジュ・ガンズブールのカナ表記に文句のある向きは、発音サイトForvoでネイティヴの発音をどうぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする