蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

イスラム国

2015-01-21 | 国際
かつてアラブの戦いは、蟷螂の斧の観があった。圧倒的な軍事力と資金力を持つ米イスラエル連合を向こうに回して、持たざる弱者が絶望的に抵抗している構図だ。イスラエルに抵抗するハマスの戦いは、いまもそういう性格が強い。

しかし、どうも最近、イスラム過激派の戦闘行為はビジネス化しているんじゃないかと思う。イスラム国はまず産油地を制圧して資金源を確保した。次から次に人質を拘束しているのも、米英への挑戦というより身代金稼ぎのために見える。

日本人二人の身代金が2億ドルって、いくらなんでも欲の皮つっ張りすぎだろ。そんなカネ、出せるわけないじゃないか。日本が1000兆を超える財政赤字を抱えてるのを知ってるのか。

アルカイダに見放されたぐらいだから、彼らがもはや聖戦の名を借りた暴力集団にすぎないことは明らかだが、安倍は浅はかだったよな。よりによってイスラエルで、名指しでイスラム国対策を支援するとかスピーチするなんて。彼らに身代金要求の口実を与えてしまった。

人質の殺害だの身代金要求だのは遠い米英の受難と、対岸の火事視する心の隙がどこかにあったのと違うか。アラブの対日感情は悪くないという思い込みはなかったか。イラクへの自衛隊派遣で、対日感情は大きく損なわれたというのに。

ともあれイスラム国やボコ・ハラムの蛮行も、イスラエルがガザ地区に加える砲撃の残虐さに比べると子供だましレベルだけどね。
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Je suis Dieudonné.

2015-01-17 | 国際
関口涼子なる翻訳家がSYNODOSに寄せた記事によれば、シャルリー・エブドが最新号の表紙に載せた "Tout est pardonné" の意味を日本人は誤解しているそうだ。

いわく、"Tout est permis" じゃないんだから「すべて許される」ではなく「すべて赦された」。つまり「どんな表現も許される。ムハンマドを侮辱してもかまわん」という主張ではなく、「いろいろあったが、全部チャラにしてやるよ」ってメッセージなんだそうだ。

この記事については、「許す」も「赦す」もあるか、日本語はすべて「ゆるす」なんだよ、と噛みついているサイトがあったが、レトリックの問題はひとまず措いといて--

関口さんはフランス在住だから、フランス語の細かいニュアンスをオレら日本人よりも正確に理解しているのだろう。しかし記事全体の文脈は、冷静な客観性を保ちつつも、やっぱり現在のフランスを覆う "Je suis Charlie" ムードに感化されているように読める。

最新号の表紙画を描いたマンガ家は、間違いなく「表現の自由に制限はない」と主張していた。記者会見の様子を、オレはこの目で見、この耳で聞いた。

コメディアンのディユドネが事件後、「おれはシャルリー・クリバリの気分」とフェイスブックに書き込んで拘束されたことを、関口さんはどう考えているのだろう。本名を Dieudonné M'bala M'bala というこの男は、名前から知られるとおりアフリカ系の移民2世だ。左翼から反ユダヤ主義に転向し、極右の国民戦線に近づいたりイランから資金援助を受けたりしているというから、随分とヘンな男である。

シャルリー・エブドも創刊当時は、左翼に支持されるサブカル誌だった。それが近年は発行部数のジリ貧で、多分に営業政策からムハンマドを風刺の対象にしていたらしい。

失業率が高止まりするフランスでは、ただでさえ小さなパイを侵食する移民への反感が強い。特に失業率の高い若年層の敵意が強く、イスラム文化の悪口を書くと雑誌がよく売れるという(わざわざ言うまでもないが、フランス国内の移民は基本的に旧植民地の北アフリカ、中東の出身者であり、したがって大半がイスラム教徒だ)。

日本の週刊誌が韓国の悪口を商売のネタにしているのと同じだね。さしずめフランス版在特会みたいな連中が多いのだろう。

こうした敵意に囲まれてフランス社会に生きる移民の若者が、ポジティブな未来を展望することが出来るだろうか。フランスに限らずドイツでも日本でも、移民、外国人労働者は社会的に不利な立場に置かれがちだ。不当に搾取されがちだ。異郷で人並み以上の暮らしを手に入れようとしたら、タレントかスポーツ選手かヤクザになるしかない。

芸の才能にも身体能力にも恵まれず、悪人にもなりきれない若者が自暴自棄に陥っても不思議はないだろう。シャルリー・エブドへのテロも、絶望した移民の若者がムハンマド冒涜の復讐を口実にうっぷん晴らしをしたのと違うか。

ディユドネの奇妙な思想的揺らぎにも、移民の鬱屈が見て取れる。移民の置かれた状況を考えれば、彼が「オレはシャルリーであり、クリバリでもある気分だ」と書いた意味が分かる気がする。表現の自由も大事、移民の怒りももっとも、と言いたかったのではないか。

"Je suis Charlie" のプラカードとともに行われた11日の大デモは、前代未聞の低支持率にあえぐオランド大統領の起死回生意図が見え見えだった。デモの中にいたサルコジは、身体の小さいのを利用してチョコマカ動き、最前列にしゃしゃり出てきてネットで嘲笑された。

シャルリーのマンガ家は、「自分らの友人だと急に言い出す奴らにはヘドが出る」と言ったという。サルコジが浅ましいオポチュニストであることは、自身移民2世でありながら大統領在任中、移民敵視を扇動したことからも分かる。事件の遠因を作った男と言ってもいいだろう。

国家的ムーブメントの実態とは、大体こんなものだ。だから本当の知性を持つ人間は、かつてブラッサンスが歌ったように「革命記念日なんかオレは知らん」と国家の催しに背を向ける。

そして「すべては許される」と訳して日本人のあいだに誤解を広めたのは、朝日バッシングの急先鋒、読売だった。
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J'suis pas Charlie.

2015-01-15 | 国際
「おれはシャルリー・クリバリのような気分」とフェイスブックに書き込んだ仏コメディアンを当局が拘束。

おや、表現の自由はどうしたんだよ。

シャルリー・エブドの表紙にまたまたムハンマドの風刺画を描いた漫画家さんよ、アンタが言うには「表現の自由は絶対だ。そのあとに "mais"(ただし)は一切つかない」んじゃなかったかね。

"Tout est pardonné" だと? なら、ネオナチや在特会のヘイトスピーチも許されるのかよ。

「この見出しをつけたとき私も涙した」って、テメーの都合でもっともらしいこと言ってんじゃねーよ。こういうのをダブル・スタンダード、二枚舌と言うんだよ。
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Je suis Charlie.

2015-01-13 | 国際
テロはいかん。犯人は射殺されて当然だ。イスラム国やボコ・ハラムは、人間性を失った狂犬集団でしかない。イスラムの名が廃る。

ただね、フランスの週刊誌が掲載したムハンマドの風刺画って、本当に風刺画なワケ?

風刺ってのは、力を持たない弱者が強大な力の支配者に対抗する数少ない手段の一つじゃなかったかね。

江戸時代の戯作者、山東京伝は黄表紙で幕政を風刺し、手鎖50日の刑を受けた。韓国の詩人、金芝河は現大統領の親父の軍事政権を『五賊』で風刺し、のちに死刑判決を受けた。風刺とは体制の内部で、体を張って権力に抵抗することだ。

それに対してシャルリー・エブドは、外側の安全な立ち位置から価値観の異なる他者をからかっただけと違うか。

ムハンマドは宗教権威には違いない。しかし大多数がカトリックのフランス人にとっては、権力でもなんでもないだろう。少数派の移民にとっての権威にすぎない。

フランスのメディアはフクシマ後、GK川島の画像に4本の腕を生やしたり、ガリガリに痩せた3本足の力士を描いたりした。あれが風刺といえるか。被災者に追い打ちを掛ける嘲笑、弱い者いじめではなかったか。


大体、テロ犯の母国アルジェリアに憎悪のタネを蒔いたのはフランスだ。

だからテロは身から出たサビだ、とオレは言ってるんじゃないよ。しかし、フランス人が被害者ヅラで大デモとかやってるのを見ると、なんか違うなあ~って感を否めないんだよな。片腹痛いわ、とは言わないまでも。
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佐賀知事選

2015-01-12 | 社会
自公推薦の遣り手候補が負けたってんで、いい気味と単純にはしゃいでる向きもあるかもしれない。しかしこれ、決して喜ぶべきことじゃないと思うよ。沖縄知事選とは違って。

農協改革プランが地元農家にガツンとはね返されたってことなんだから。

安倍の豪腕をもってしてもネトウヨの盲目的な支持があっても、既得権益の壁はそれほど厚く硬かったんですな。日本停滞の象徴的出来事。
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