蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

大竹ピアフ

2011-10-15 | ステージ
事実は小説より奇なり、てのはエディット・ピアフの生涯のことである。幼時の失明が神の奇跡のように治ったり、デビュー早々殺人共犯の嫌疑をかけられたり、自動車事故で瀕死の重傷を負ったり、飛行機事故で恋人に死なれたり、文字どおり波瀾万丈だ。

こういう人生を映画なり演劇なりに仕立てると、あんまり話が出来すぎているものだから、かえって嘘っぽくなる。数年前の『エディット・ピアフ~愛の讃歌』なるフランス映画も、例外ではなかった。巧みに作ってはあったけど。

しかし、いま日比谷のシアター・クリエで上演中の『ピアフ』は、そういう嘘くささを免れた数少ない例だ。ピアフの生涯の忠実な再現を避けて、自由に再構成する作劇術がうまく行っている。

何より、大竹しのぶをピアフにキャストしたアイディアが秀逸だ。大竹には、ピアフの体に染みついていた街の土埃の臭いがない。それが幸いした。なまじキャラが似ていると、モノ真似で終わってしまう。ドラマが一人の女のレベルで終わってしまう。

大竹は持ち前の演技力で体当たりの熱演をしているが、それは必ずしもピアフの実像にできるだけ迫ってみよう、といったものではない。彼女はそれよりも、ピアフの破天荒なキャラクターを媒体にして、人間の生のエネルギーを自分自身の意思で形象化してみせる。

一個の女の描写を超える次元にあるから、大竹ピアフは普遍的な説得力を獲得した。画家、作家、音楽家、アスリート、そして大竹自身を含む演技者その他、あらゆるジャンルの優れた表現者が一様に放つ創造性が、彼女の演技には充満している。歌唱力の高さも、予想を大きく超えるものだ。歌そのものがドラマを語っている。

ただ、大竹の存在があまりに突出しているために、共演の男性陣とのギャップを嫌でも感じてしまうのも事実。ここら辺りが、四季のような常設カンパニーとは異なるスター・システムの泣き所だね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とうようさん

2011-10-02 | 音楽

去年の梅雨時、とうようさんに頂いた手紙の冒頭に次のようにあった。

「自分の死後の処理として、新宿区の……寺に永代供養の契約をしました。後見を……、……の両氏にお願いし、併せて遺言書も作成し終わり、ほっとしています」

それに対してオレは、さすが、ご自分の人生設計をきちんと完成しておられるのですね、などと能天気な返事を書いて出した。1年と1か月後に何が起きるか、知る由もなかった。

とうようさんとオレとの接点は、多くはなかった。もともと守備範囲が違ったし、書くメディアも別だった。大体、オレはミュージック・マガジン誌とあまり付き合いがなかった。

だがモノ書きのオレは、批評の姿勢から言葉遣いまで、いつもとうようさんをマネしてきた。このブログ自体が「とうようズ・トーク」のマネだ。だからオレは、あの人のことを師匠と呼んでいた。ある日、先生呼ばわりは辞めてくれと苦情を言われたけど。

何を書くにせよ、いずれどこかでとうようさんの目に触れるんじゃないか、という意識が常に頭の隅にあった。それが怖れでもあれば励みでもあった。とうようさんはパソコンを使ってなかったから、オレのブログが読まれるわけはないのに、更新する時にはやはりあの人のことが脳裡にちらついた。

とうようさんが逝ってしまったあと、オレは書けなくなった。書く張り合いがなくなった。

とうようさんはギックリ腰をやって起居が不自由になり、何事も自分でやらなければ気が済まない人としては思い通りに動けない自分が許せなくて死を選んだ、とも言われる。

それもあったかもしれないが、上の手紙からは、それ以前から覚悟しておられたのではないか、という気がする。本当の動機は、体力よりも知力の衰えを自覚したことにあったのではなかろうか。

晩年の「トーク」は失礼ながら、読んでいてツラかった。『地球が回る音』や『アンソロジー』に収録された文章に比べるまでもなく、読みの深さと分析の鋭さと視点のユニークさが薄れ、新聞記事の引用でマス目を埋めてるケースも多かった。

筆力の低下を敏感に感じていたのは、だれよりもまず、とうようさん自身だったに違いない。とうようさんは多分、批評家としての自分に限界が来たと悟った。ペンで生きてきた人間がペンの力を失ったら生き続ける意味はない。そう考えて、あの人らしい潔癖な幕の引き方をした。オレごときがあの人の胸中を忖度するなど、思い上がりも甚だしいが。

『アンソロジー』の最後に入ってる未発表の原稿によると、とうようさんが初体験したアメリカン・ポップはダイナ・ショアの「青いカナリヤ」だったという。オレが生まれて初めて買ったレコードも、この歌だった。同じように、故・帆足まり子さん司会のS盤アワーにかじりついていた。

その辺りのことを、もっともっと語り合いたかった。実際には無理だったろうけどね。人間の器が違ったから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする